「齢を寿ぐ」と言う。文字通り、長生きを喜び祝うという意味だ。しかし、齢70を過ぎた均茶庵には、なんとも物悲しいものがある。あちらこちらの古傷が、天気が悪くなると痛む。大腸にはポリープが出来て、胃ではピロリが暴れる。尿酸値降下剤のアロプリノールとお友達になってから、もう何十年経つだろうか。朝、顔を洗う時にふと鏡を見ると、シミの中に顔が浮かぶ。この見知らぬ人は、いったい何処の爺さまだと、思わず驚く。長寿は、まるでこれまでの人生に対する罰のようにも思えてしまう。
嬉しい事よりも、苦しい事の方が、いつの間にか多くなった。もう長い事、結婚式や子供の誕生など、祝い事に出会っていない。それに、長生きすると、友達がどんどん減って行く。たまに何か連絡を受け取ると、先輩や知人や友人などの訃報ばかりだ。何時も暑中見舞いをいただく相手から、偶々今年は何も来ないと、『まさか。』とこちらから先に出してしまう。65歳になった時に、『年賀状と暑中見舞いは、今年で止めます。』と連絡してあってもだ。入れ違いに葉書が来ると、嬉しいと言うよりも、兎に角ほっとする。
一緒に山へ登る人も、カヤックを漕ぐ人も、バイクを走る人も、いつの間にかいなくなった。『足が弱くなった。』『血圧が。』『・・・』理由は、無尽蔵にある。月初めになると、思わずLineを入れてしまう。『お~い、生きてるか~。 !(^^)!』返事がすぐに来ないと、勝手にイライラする。
そんな時には、水割りを持って、Windows Media Playerをかける。曲は、いつも一緒だ。藤圭子、前野曜子、浅川マキ、山崎ハコ。余りも古すぎて、名前を知らない方の方が多いだろう。前の3人は、遥か昔に亡くなっているし、ハコちゃんは今年亭主を失った。CDを探すのも大変だ。何よりも、新曲がない。どの曲も、何となく周りが気になって、ボリュームを上げられない。それでも、音楽をかける時は、まるで意識せずに、同じ曲を選んでしまう。そう、気が付くと藤圭子の世界に耽っている。
藤圭子は、1969年9月25日に「新宿の女」でデビューした。これが、大ヒットとなった。18歳の時だった。均茶庵は、4歳年上だ。この時代は、未だ京都・大阪に住んでいた。年に1~2度栃木県の田舎に戻る時に、序でがあったら東京に寄るくらいなもので、新宿という街には全く疎かった。しかし、藤圭子の歌を聞いた瞬間、『これだ。』という衝撃を受けた。何故かわからないが、訴えてくれるものがあったのだろう。それまでの自分の生き方に、行き詰まりを感じている頃だった。それからずっと、人知れずファンを続けている。
その後、1970年2月5日に「女のブルース」、4月25日に「圭子の夢は夜ひらく」、7月25日に「命預けます」と、続けざまに大ヒットを飛ばした。これでもう逃げられなくなった。「命預けます」に歌う『夜の新宿花園に・・・』が、一体どこの何なのかも分からないまま、ひたすらレコードを買い続けた。そして、あっと言う間に擦り切れてしまい、もう一度買い直した。どの歌も石坂まさをが作詞している。その時代の均茶庵のどうしようもない逼塞感を、一曲聞くだけで解きほぐしてくれた。年末には、歌謡大賞やらレコード大賞やらと言う権威づけも追いかけて来た。大ヒットの勲章だろうが、均茶庵のようなファンは、「大賞」や「紅白」を歓迎していた訳ではなかった。自分一人でひっそりと聞いていたかった。
一つ断っておく。均茶庵は、物凄い音痴だ。だから、人前で藤圭子のような難しい歌を歌った事は、一度もない。カラオケも好きではない。しかし、独りカヤックに乗って海に浮かんでいる時、知らない間に口ずさんでいるのは、音程が狂った藤圭子だ。
藤圭子は、1969年9月のデビューから、2014年2月まで、48枚のレコード・CDを出している。名前も、藤圭以子あるいはRa Uと二度変えている。カバー曲も沢山だしている。本来の歌手よりも、更に味が深く、趣が遥かに越えてしまっている曲も、両手に余る。歌詞の一句一句を大切にしている歌手と言って良いだろう。
均茶庵は、上記のベスト4の他に、こんな曲が特に大好きだ。歌詞も凄く良い。
1972年1月25日「京都から博多まで」阿久悠
1973年8月25日「遍歴」石坂まさを
1974年7月5日「私は京都へ帰ります」山口洋子
1974年8月25日「命火」石坂まさを
1977年11月5日「面影平野」阿木燿子・宇崎竜童
特に、山口洋子と阿木燿子の二人の詩は、おしゃれだ。藤圭子には、ちょっと似合わない感じさえする。均茶庵は、何故か「ようこ」と言う名前に強く反応する。
あちらこちらに引っ越す都度、藤圭子のレコードを、宝物を入れる段ボールにしまって持って行ったが、その重さと、音を復元する方法がなくなってしまったので、いつかの機会に処分に追い込まれた。その後発売されたCDも、今ではもう簡単には手にはいらない。だから、CDが壊れてしまうのが心配で、専らPCに移して聞いている。あるいは、Offliberyを使って、You tubeからMP3でPCにダウンロードしている。音質はちょっと落ちるが、もともとそんな事は、どうでも良い。藤圭子を聞けるだけで、十分なのだ。
そして、今は昔
2013年8月22日に、新宿のマンションから飛び降りてしまった。何の面白みも感じさせない、一関生まれ旭川育ちの、ごく田舎風の阿部純子に戻った。彼女の最後のCD「母子舟」は、死後の2014年2月13日に出された。石坂まさを・平尾昌晃だ。その石坂まさをは、2013年3月9日に亡くなっている。阿部純子が世を去る、半月前の事だった。
コロナが猛威を振るっているが、8月22日には新宿花園神社と西向天神社で、例年通り献花が行われる。こんな事を知っている人は、きっともうほんの僅かの僅かだろう。そして、色々考えた結果、均茶庵は22日の新宿行きを取りやめた。
茅ヶ崎市管内(人口291千人)では、8月16日に90人目のコロナ発症者が出た。日本全体(人口126百万人)では、22日現在60,733人が発症している。(厚労省資料)
下線のついた曲名や人名をクリックすると、You tubeに繋がります 。
200807 Rev. 200822 均茶庵
注)均茶庵が自分で撮ったデジカメ写真よりも、はるかに立派できれいな写真が、Webを飾っている。そこで、思い切って自分の写真を最小限とし、Webの芸術からお借りした。
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