コロナによる緊急事態宣言が、やっと明けた。均茶庵が住む茅ケ崎市では、2020年4月7日に始まり、5月25日に終わった。ほとんど二ケ月になる。この間、真面目に外出を自粛した。結果として、お財布がびっくりするほど軽くならなかった。それから、余った時間の使い道がないため、専ら読書に充てた。均茶庵は、中国の小説が大好きだ。特に、歴史小説及び武侠小説と呼ばれる分野が大好きだ。コロナ休みの間は、ひたすら、网络小说作家(インターネット小説)の酒徒を読んだ。
小説の読み方
中国の本は、物凄く長い。三国志演義や水滸伝など、日本の歴史小説や時代小説には、殆ど例を見ないほどの長編だ。一件読み終わるまでには、1ケ月とか2ケ月とか、平気でかかかる。だから、簡単には飛びつけない。逆に、つい面白い本に行きあたると、いつの間にか時間が過ぎるのも忘れて読みふけり、夜が明けてしまう事もある。
物語が長いという事は、本にすると凄く厚くて重いという事だ。ちょっと前までは、紙の本しかなかった。日本国内で扱っている店も、神田の専門店に限られていた。だから、中国旅行をする時に、土産としてどっさり買って来た。所が、これが物凄く辛い。一つの作品で、平気で10冊を超える。成田空港に着いてから家に帰るまで、気が滅入る程の重労働をしなければならない。均茶庵のロフトには、こんな本が、0123の段ボール箱に沢山入っている。
今世紀に入ってから、電子購買が発達して、Amazon亚马逊経由でも本が買えるようになった。これなら、重労働をしなくて済む。所が、中国の本の本体値段は物凄く安いが、海外向けの輸送費がびっくりするほど高い。ちょっと前の例になるが、「俗语歇后语大全」という本を取り寄せた。本体価格が、25.70元だった。所が、郵送料は135.70元もした。(1元=約15円)郵送費が全体の85%にもなる。何とも欲求不満感が残る。結局、亚马逊を利用しての取り寄せは、この一回限りとなった。
次善の策として、日本から亚马逊に直接発注をするが、本の届け先を中国に住む友人の家にした。中国旅行に行ったついでに、本を取って来る。改めて考えてみると、決して安くない。中国で大接待をしなければならない。結局は、亚马逊で買った方が、安くなる。それではと、旅行先のホテルに届けてもらうことにした。この場合には、重労働をすることに変わりはない。それに、タイミングをしくじると、重い荷物を抱えたまま中国内を移動する羽目に陥る。
北京の駐在員事務所に届けてもらい、友人が出張した際にピックアップしてもらった事もある。確かに、日中間の郵送費はかからないものの、お礼に晩飯をおごったら、何とこれまた高い本になってしまった。
所が、この10年くらいの間に、凄く便利な方法が生まれた。インターネットを使って、本をPCにダウンロードして読むことができるようになった。重労働はいらないし、読み終わった本を置いておく場所にも苦しまなくて済む。長時間PCを眺め続けると、脳みその底まで目が痛くなるという欠点はあるものの、重い本を担いで歩くことを考えたら、ずっとマシだ。インターネット小説は、1991年11月の『鼠类文明』が始まりだと言われているが、はっきりしない。均茶庵の感覚では、本格的に流行し始めたのは、2010年前後だろう。
インターネットで読むと更に便利な点がある。中国の小説は、4字熟語や、歴史的なエピソードを取り入れた言葉が沢山ある。屡々中国語の辞書のお世話になるが、漢字の発音が分からないと、辞書を引くのもままならない。
地名はもっと厄介だ。今や観光地として大人気の张家界市は、1994年まで大庸市と言っていた。しかし、その前は長らく、慈利と呼ばれていた。或いは、歴史小説の中では、1947年命名の石家庄市は、赵郡とか常山郡とか言う生でで出て来る。古代の名前を見ても、中国の知識が殆どない均茶庵には、一体何処を指すのかまるで見当がつかない。
しかし、PCの画面を2つ開いておいて、右側では百度百科を、左側では本文を読むようにすれば、一挙に問題が解決する。小説の本文をコピペして百度百科に張り付ければ、漢字の発音が分からなくても、すぐに説明が出て来る。勿論、発音も出て来る。地図を開けば、場所がすぐにわかる。紙に比べて大いに優れている点が多い。ネット小説の最大の欠陥は、横になって寝ながら読めない事だろうか。
ネット作家は、17k文学网などのネット上に、読者がアクセスした数で、収入を得る。従って、人気が無いとあっという間に消えてしまう。文章は、毎日毎日更新されるが、次の日も次の日も、引き続き読者を引き付ける内容でなければならない。しかも、新聞小説よりもはるかに長い。従って、物凄い体力と文章・内容の激しさが必要だ。どうしても内容が少々荒っぽくなるのは避けられないが、小説の品格を失うとあっという間に没落してしまう。正直言って、ネット小説には、駄作が多い。これと言った作品を選択するのが、ちょっと大変だ。
ネット小説には、もう一つ特徴がある。読者との会話だ。少しでも話がつまらないと感じると、読者はあっという間に逃げてしまう。だから、読者が何に興味を持っているか、常に追いかけなければならない。E-mailや沢山のチャットを通じて、読者の意見が、リアルタイムで作者の耳にどんどん入って来る。作者は、読者の希望にも沿いながら、筋書きを修正するようになる。当初の作者の構想から、離れてしまう事もある。極端な場合には、熱烈な読者の名前を、物語に登場する人物として借りる事もあるようだ。
若かりし頃、屡々カヤックで海をツアーした。夜は、酒を飲みながら海岸にキャンプした。このツアーには、必ず『中国历代通俗演义』を持参した。コンパクトな装丁ながら、内容は重い。読んでも読んでも終わらない。星座の傾きを見て、『おお、もうこんな時間か。』と本をしまった。但し、蔡东藩の作品が中心だったから、文章は難しかった。
塩水を被ってしまった本を、天日で乾かした。ロフトにはそんな本が、何冊もある。ページを無理やり剥がすと、びりびりと破れてしまうし、誌面自体も皺しわになっている。ネット小説に溺れている今は、もう大昔の思い出になってしまった。しかし、旅に出る時には、今でも一冊くらい必ず持参して、長い電車の中で気分転換をしている。
歴史小説と武侠小説
中国で歴史小説と言った場合には、歴史そのものを忠実になぞり、易しく解説している場合と、歴史に仮託して、架空の人物を登場させて物語を書く場合とがある。前者が司馬遼太郎風で、後者が池波正太郎風と言ったら、比較的正しいだろうか。一方、武侠小説は、日本の時代小説に該当するだろうか。柴田錬三郎風のチャンバラ小説だ。江湖の英雄が次々と出てきて、拳法や剣法で敵を次々と斃す。
均茶庵の好きな作家を、ざらりと並べてみよう。そして、最後に、代表的な作品の書き初めの部分を添付した。各作者の作風を垣間見ることができると思う。特に、ネット小説の場合には、最初の一段落だけを見て、続けて読むかどうか決めてしまう読者が多いので、短い文章ながら、読者を一瞬にして掴めるかどうかの勝負所となっている。
蔡东藩(1877-1945 浙江省绍兴)
司馬遼太郎風の小説は、時代が少々古くなる。この世界の第一人者は、蔡东藩だ。『中国历代通俗演义』と名付けて、前漢~民国までの王朝毎の歴史を、易しく書き上げた。合計で600万字にもなる。易しいといっても、今の世界に生きている均茶庵にとっては、相当難解だ。この他、蔡东藩は、清の西太皇について30万字を綴った『慈禧演义』なども書いている。歴史上の事実に非常に忠実で、歴史教科書の面持ちがある。大好きだ。
李宝忠(1894-1954 四川省米脂)
それに続くのは、李宝忠の『永昌演义』だろう。1940年代の発行だ。明末の農民蜂起指導者李自成の一生を描いた物語だ。毛泽东は、李自成を自分に擬えて絶賛している。全40回・38万字で、丁度適度な長さになる。そして、姚雪垠(1910-1999 河南省邓州)が、約30年をかけて、230万字の大作『李自成』として書き改めた。1963年には日本語訳が発行されたが、見事日本の文部省・外務省から文化賞を受賞している。
当年明月(1979- 湖北省宜昌)
2006年に、大ヒット作『明朝那些事儿』を発表する。明の歴史を小説風に書いた。1000万冊以上売れ、中国の奇跡と言われた。当年明月の作品は、この一作しかない。作家は、何と2018年から、山东省政府办公厅综合处处长と言う立派な公務員を務めている。異色な作家だ。
黄易(1952-2017 香港)
一方、池波正太郎風は、昔から『〇〇演义』という名前で、沢山発行されている。代表作は、罗贯中(元~明)の『三国志通俗演义』だろう。一般的には、『三国志』と呼ばれている。内容については、説明するまでもなく、诸葛孔・刘备・关羽・张飞などの英雄達の物語だ。講談と同じで、歴史に仮託した創作だ。
最近のこのジャンルの作家では、黄易(1952-2017 香港)が有名だ。中国で初めて、穿越と呼ばれる架空の歴史小説を書いた。『寻秦记』だ。タイムスリップした特殊兵が秦の時代に活躍する物語だ。『戦国自衛隊』や『Back to the future』を思い起こしてもらえればいいだろうか。黄易の作品の中で、均茶庵が一番好きなのは、东晋末~宋建国までの五胡十六国時代を書いた『边荒传说』だ。前秦の苻坚が、80万人の兵で、8万人の東晋に攻め込む。そして、淝水の辺で全滅する。投鞭断流の故事から話が始まる。余りの面白さに、何度も何度も読んだ。
印: 诗题窗外竹 茶煮石根泉
酒徒(1974-内蒙古赤峰)
均茶庵は、酒徒(1974-)が、大好きだ。网络小说と呼ぶネット小説時代の新鋭作家だ。中国で、数多くの文学賞を得ている。2007年の『隋乱』156万字で、大小説家としての地位を固めた。現在は、オーストラリアに住んでいるそうだ。
『男儿行』233万字、『开国功贼』172万字、『盛唐烟云』162万字、『乱世宏图』164万字は、何れも血沸き肉躍る大作だ。どれも興奮なしには語れない。現役の作家だから、新作がこれからまだまだ続く。コロナに刺激された均茶庵の読書欲は、この先終りを知らないだろう。
武侠小説
古龙(1938-1985 香港)と梁羽生(1924-2009 广西省蒙山)
武侠小説の嚆矢と言われている。古典的なチャンバラ小説だ。但し、均茶庵の好みではないので、殆ど読んだことがない。
金庸(1924-2018 浙江省海宁)
武侠小説の一大時代を作ったのが、浙江省海宁に生まれて香港に移った金庸(1924-2018)だ。第二次世界大戦後の最大の中国小説家と言って良いだろう。中国や香港ばかりではなく、東南アジアにも幅広くファンを持つ。金庸のファンは、金迷と呼ばれる。金迷からまるで神様のように崇められている。
作品は多く、その中でも『射雕英雄传』,『神雕侠侣』,『倚天屠龙记』,『笑傲江湖』などが群を抜いている。いずれも映画化されている。均茶庵は、最後の作品となった『鹿鼎记』が特に大好きで、何回も読んだ。1969-1972の作品だ。この後は、「封笔」を宣言して、執筆を全くやめてしまった。旅に出る時には、均茶庵は必ず文庫本を持参する。
金庸の後を継いだのは、専ら黄易だと言われている。『大唐双龙传』などの武侠小説があるが、数は少ない。その黄易が亡くなった後、後継者が誰になるのか、定説はない。未だキラリと光る人は、出ていないようだ。或いは、武侠の時代は終わったのかもしれない。
画像は、百度からダウンロードした。 Mossburker には、下記から戻れます。 200526
中国歴史小説・武侠小説の書き出し
「猪猪书网」や「14k小说网」から抜粋した
蔡东藩 五代史演义
治久必乱,合久必分,这是我中国古人的陈言。其实是太平日久,朝野上下,不知祖宗创业的艰难,守成的辛苦,一味儿骄奢淫佚,纵欲败度,所有先人遗泽,逐渐耗尽。造化小儿,又故意弄人,今年大水,明年大旱,害得饥馑荐臻,盗贼蜂起,平民无可如何。与其饿死冻死,不如跟了强盗,同去掳掠一番,倒反得食梁肉,衣文锦,或且做个为官,发点大财,好夺几个娇妻美妾,享那后半世的荣华。
蔡东藩 元史演义
“成则为王,败则为寇”,无论古今中外,统是这般见解,这般称呼:这也是成败衡人的通例。起语已涵盖一切。惟我中国自黄帝以后,帝有五,王有三,历秦、汉、晋、南北朝,及隋、唐、五季、南北宋,虽未尝一姓,毕竟是汉族相传,改姓不改族。其间或有戎狄蛮貊,入寇中原,然亦忽盛忽衰,自来自去,如獯鬻,如ǎ狁,如匈奴,不过侵略朔方,没有甚么猖獗。后来五胡、契丹、女真,铁骑南来,横行腹地,好算得威焰熏天,无人敢当,但终不能统一中国;几疑天限南北,地判华夷,中原全境,只有汉族可为君长,他族不能羼入的。谁知南宋告终,厓山尽覆,赵氏一块肉,淹入贝宫,赤胆忠心的陆秀夫、张世杰、文天祥,或溺死,或被杀,荡荡中原,竟被那蒙古大汗,囊括以去。一朝天子一朝臣,居然做了八十九年的中国皇帝,这真是有史以来的创局!有说的是天命,有说的是人事?小子也莫明其妙,只好就史论史,把蒙古兴亡的事实,演出一部元朝小说来,诸君细阅一周,自能辨明天命人事的关系了!暗中注重人事,为现令国民下一针砭,是有心爱国之谈。
当年明月 明朝那些事儿
一切的事情都从1328 年的那个夜晚开始,农民朱五四的妻子陈氏生下了一个男婴,大家都知道了,这个男婴就是后来的朱元璋。
大凡皇帝出世,后来的史书上都会有一些类似的怪象记载。
黄易 边荒传说
在淮水和泗水之间,有一大片纵横数百里、布满废墟荒村、仿如鬼域的荒弃土地:南方汉人称之为‘边荒’,北方胡人视之为‘瓯脱’。名称虽异,但肯定是当今之世最独一无二的地方:因它既是良民裹足之地,却是刀头舐血之辈趋之若鹜的乐土;充满危险,也是机会处处;可以是英雄豪杰死无葬身之所,亦为悍不畏死的人成名立万的舞台。更为各方政权视之为进行秘密外交的理想场所,而无地容身者则以之为避难的安乐窝。在此一刻它或许是乱世中的桃花源,下一刻会变成修罗地狱。没有任何一处地方,比边荒更可怕,同时又那么可爱。边荒是老天爷为有本领的人而设的,在那里有着另一套生存的哲学和法规。
黄易 寻秦记
“咿嘎!“
因煞车致轮胎与地面摩擦的尖叫声在全城最热闹的“黑豹酒吧“门前响起。属于军方特种部队,被誉为精英里精英的第七团队的军用吉普车倏然停下。
酒徒 隋乱
“好啊,我还没见过大商队什么样子呢!”李旭放下碗,爽快地回答。突然,他明白了父亲的意思,瞪大眼睛,喃喃地叫:“爹,您,您是说…….!”
“爹年龄大了,想让你替我跑塞外!”李懋不敢看儿子的双眼,尽量用平缓的语调,把自己的意思重复了一遍。
酒徒 开国功贼
六月的天气,太阳一出来,地面上就好像下了火。馆陶县的力棒们喝了半瓢凉水,又紧了紧系在腰间越来越显长的草绳子,三三两两地向运河边上走。
酒徒 乱世宏图
从前有座山。山里有座庙。庙里住的不是和尚,而是一群强盗。
强盗不抢钱财和货物,他们只割脑袋。
割契丹人的脑袋。
割四下打草谷的契丹人的脑袋。
然后将脑袋用石灰腌了,送到某一个地方去换钱。
每名契丹武士的脑袋价值绢十匹,或者天福元宝一万五千,每匹绢合米三石。只认人头不认人,童叟无欺。
开始三山五岳的绿林豪杰们谁也不信。
酒徒 盛唐烟云
秋天的长安,是其一年四季中最美的时刻。
沿着朱雀大街两侧,枫树的叶子由绿慢慢转黄,又由黄慢慢转红。最后,那耀眼的红色陡然一跳,于边缘间再添一层薄薄的鎏金。整个城市登时就变得金碧辉煌,就像被罩在云霞里般,如梦似幻。
酒徒 男儿行
“各坊各里,菜刀从速上缴,有私藏寸铁者,与谋逆等罪,阖里连坐啊——!”弓手苏先生带着七名小牢子,大声宣告,所过之处,鸡飞狗跳,遍地狼藉。
古龙 大沙漠
一堆黄沙上,有一粒乌黑的珍珠,这本是单纯而美丽的,又有谁能想到,竟因此而引起一连串复杂而诡秘的事……
楚留香回到他的船,就好像游子回到了家,海上的风是潮湿而温暖,暖得就好像他的心情一样。
梁羽生 武林三绝
天赐元年,无数武林人士围聚在泰山之下,此日正是刀君廉星河,剑帝柳长生,绝奕凌无思三人相约泰山之巅决战之日....
傍晚之时,只见绝奕一人从山上飞掠而下,而刀君和剑帝两人则毫无踪影,众武林门派相拥而上,准备恭贺绝奕问鼎武林,但是夕阳之下,凌无思口吐鲜血晕眩过去,星罗棋庄众人连喊庄主一拥而上,凌无思胸口衣衫竟是被利器击破,掀开衣衫,胸脯之上有着一道明显的剑痕,迷茫之中,只听得凌无思嘴微张艰难的说道:“速...速回庄...”门人一听道了一声诺,扶携着凌无思离开了此地。
金庸 笑傲江湖
和风熏柳,花香醉人,正是南国春光漫烂季节。福建省福州府西门大街,青石板路笔直的伸展出去,直通西门。一座建构宏伟的宅第之前,左右两座石坛中各竖一根两丈来高的旗杆,杆顶飘扬青旗。右首旗上黄色丝线绣着一头张牙舞爪、神态威猛的雄狮,旗子随风招展,显得雄狮更奕奕若生。雄狮头顶有一对黑丝线绣的蝙蝠展翅飞翔。左首旗上绣着“福威镖局”四个黑字,银钩铁划,刚劲非凡。大宅朱漆大门,门上茶杯大小的铜钉闪闪发光,门顶匾额写着“福威镖局”四个金漆大字,下面横书“总号”两个小字。进门处两排长凳,分坐着八名劲装结束的汉子,个个腰板笔挺,显出一股英悍之气。
金庸 倚天屠龙记
“春游浩荡,是年年寒食,梨花时节。白锦无纹香烂漫,玉树琼苞堆雪。静夜沉沉,浮光霭霭,冷浸溶溶月。人间天上,烂银霞照通彻。浑似姑射真人,天姿灵秀,意气殊高洁。万蕊参差谁信道,不与群芳同列。浩气清英,仙才卓荦,下土难分别。瑶台归去,洞天方看清绝。”
金庸 书剑恩仇录
清乾隆十八年六月,陕西扶风延绥镇总兵衙门内院,一个十四岁的女孩儿跳跳蹦蹦的走向教书先生书房。上午老师讲完了《资治通鉴》上“赤壁之战”的一段书,随口讲了些诸葛亮、周瑜的故事。午后本来没功课,那女孩儿却兴犹未尽,要老师再讲三国故事。这日炎阳盛暑,四下里静悄悄地,更没一丝凉风。那女孩儿来到书房之外,怕老师午睡未醒,进去不便,于是轻手轻脚绕到窗外,拔下头上金钗,在窗纸上刺了个小孔,凑眼过去张望。
金庸 射雕英雄传
钱塘江浩浩江水,日日夜夜无穷无休的从临安牛家村边绕过,东流入海。江畔一排数十株乌柏树,叶子似火烧般红,正是八月天时。村前村后的野草刚起始变黄,一抹斜阳映照之下,更增了几分萧索。两株大松树下围着一堆村民,男男女女和十几个小孩,正自聚精会神的听着一个瘦削的老者说话。那说话人五十来岁年纪,一件青布长袍早洗得褪成了蓝灰色。只听他两片梨花木板碰了几下,左手中竹棒在一面小羯鼓上敲起得得连声。唱道:
“小桃无主自开花,烟草茫茫带晚鸦。几处败垣围故井,向来一一是人家。”
金庸 鹿鼎记
北风如刀,满地冰霜。
江南近海滨的一条大路上,一队清兵手执刀枪,押着七辆囚车,冲风冒寒,向北而行。
金庸 神雕侠侣
“越女采莲秋水畔,窄袖轻罗,暗露双金钏。照影摘花花似面,芳心只共丝争乱。
鸡尺溪头风浪晚,雾重烟轻,不见来时伴。隐隐歌声归棹远,离愁引着江南岸。”