友達と話をしていると、こんな話題が出て来る事がある。『ほら、西湖でキャンピングした時、〇〇さんが古材の薪をたくさんもってきたじゃない。そして、。。。』何かそんなこともあったなと思いつつ、さて何時頃の事かなと記憶をたどる。何と、もう10年近く前の話だ。まるで先週の事のように言う。あるいは、酒に酔ってくると、『四川省の蔵族自治区に、バックパックで一緒に行った時にさ、。。。。』と突然の昔話になる。それでも、比較的最近の話だなと思いつつ、家に戻ってから日記を見ると、何と2011年の事だった。実に、9年前の話だ。爺さんの話は、時空を超える。10年前の話は、先月に変わり、数年前の事は、まるで先週の話だ。
時間は、逆戻りできない。しかし、想像する事は出来る。均茶庵は、1947年生まれだ。父は、国民党と共匪との長い戦いを終えて、上海から舞鶴港に復員した。1946年に就職をして、結婚すると、直ぐに均茶庵が生まれた。同級生は、みんな長男・長女だ。世に言うベビーブームだ。さて、時間がもし均茶庵が生まれた1947年から2020年の方向に流れずに、真逆の方向に進んで行ったら、一体どんな世界と生活があったのだろうか。
均茶庵は、1970年に大学を卒業して、就職した。この年は、万博景気に舞い上がっていた。均茶庵は、23歳になった。さて、マイナス23歳(以下、M23歳と略そう。)の1924年には、一体何があったのだろうか。生まれたときからこの年まで、時間を逆に進んでみたい。ドラえもんから「タイムテレビ」を借りて来た。早速、見てみよう。
M2歳の時に、広島・長崎を米国が原爆で攻撃し、太平洋戦争が終結した。ソ連も、突然満州や千島・樺太に攻め込んできた。少し前に、ドイツ第三帝国が連合軍に降伏している。プラス2歳(以下、2歳と略そう。)の現実世界では、均茶庵は、未だ襁褓の中で、母に抱かれていた。均茶庵の幼い時は、幼稚園も保育所も満員で、当然の事ながら、そんな施設とは縁が無かった。ベビーブームって何なんだ。「1946年生まれの修学旅行は、バスが4台。均茶庵と同じ年の1947年生まれは、バスが12台」こう説明すれば、理解が速いだろう。勿論、バス一台に乗る員数も、ベビーブーマーは遥かに多い。
小学校に入る前の年、M6歳の1941年末に連合艦隊による真珠湾攻撃と陸軍の南部仏印(今のベトナム)進駐があった。現世の6歳の時には、奄美諸島がやっと米国の占領下から、日本に復帰している。M5歳の時には、何とシンガポールやマニラも日本の領土になっていた。そして、小学校2年生のM8歳の時に、ドイツによる第二次世界大戦が始まっている。M10歳の時には、北京は勿論、南京・杭州も日本領になった。M9歳の時には、武漢三鎮も占領している。
均茶庵が時折口ずさむ「青年日本の歌」の二・二六事件は、M11歳の時の話だ。後世赤坂に勤めた時に、決起軍の司令部となった山王ホテルを見学した。当時は、建物が米国政府の接収下で、未だ昔のまま健在だった。米国から公務員が出張して来ると、みんなこのホテルに泊まった。壁や部屋は、黄色や赤のペンキで塗装されており、いかにも異国風だった。父は、事件の時学生として東京に住んでおり、赤坂に決起軍を見に行ったと、良く思い出語りをしてくれた。
何と、小学校を卒業して、中学校に入学したM13は、ヒットラーがナチス党の総統に就任している。中学生時代に、五・一五事件も起こったし、国際連盟から、日本が脱退している。後世では、安保闘争や三井三池闘争が繰り広げられ、騒然とした時代だった。満州国建国は、M15歳の時だ。現世では、ケネディ大統領によるキューバ封鎖が行われ、第三次世界大戦の危機と騒がれた。こう見ると、後世も前世も余り変わりない感じがする。
均茶庵が高校に入った翌年17歳の時、現世では東京オリンピックが盛り上がっていた。大学に入学した1966年19歳の時に、中国で文化大革命が始まり、明大・日大で激しい大学闘争が起こった。一方、M16歳では満州事変が勃発している。M19では、関東軍により張作霖が爆殺された。M18には、ニューヨーク株式相場暴落に始まる世界大恐慌が勃発している。均茶庵も、あと数年経つと兵隊として大陸に行くと、十分に感じていただろう。現実世界も過去の世界も、どちらも中国だった。
22歳で無事大学を卒業し、新入社員の生活を始めたわけだが、世はいざなぎ景気に沸き、大阪では万国博覧会が開かれた。米国の占領から、やっと沖縄の日本復帰が決まった。夏休みに、仲間達五人で沖永良部島に遊びに行った。つい目の先に与論島がある。しかし、その間には未だ日米の国境線があった。パスポートとビザを持っていないから、与論島には渡れなかった。沖縄の復帰は、25歳の時だった。ふと気がつくと、その五人の内、いつの間にか三人が鬼籍に入ってしまった。24歳の時に米国ドルと金のリンクが外れた。これを、ドルショックと呼んでいる。世界中を震わせた、大事件だった。一方、M24では、関東大震災が勃発して、東京が壊滅した。現実世界の大事件と、過去の世界の大災害は、軌を一にして起こるものなのだろうか。
M30には、ロシア革命が起こった。現世では、王貞治選手が第一回の国民栄誉賞を受賞し、翌年には均茶庵の長男が生まれている。現世では、まるでふわふわと空を飛んでいるような時期だった。
ちょっと疲れて来た。この辺で、「タイムテレビ」のスイッチを切ることにした。ドラえもんから「タイムマシン」を借りる事もできるが、どうも止しておいた方がよさそうだ。肝っ玉の小さい均茶庵は、とてもこれ以上昔へ戻る元気はない。M70歳の1877年には、西南戦争が起こり、帝政ロシアがトルコに攻め込み、英国のビクトリア女王がインド皇帝を称した。いくら何でも、昔過ぎる。現実の均茶庵は、海外旅行や日本各地の温泉三昧で、古稀に舞い上がっていた。政治の動きなんて、まるで気にとめる必要もなかった。現実の日本の世界って、凄く幸せな環境だったんだ。
それにしても、遠い昔の歴史の話かと思っていたら、友達との酒飲み話と同じで、全部がまるでついこの間起こった事だった。さて、あなたもドラえもんからタイムテレビを借りてみてはいかが。どうしても今の人生が不幸な方には、「人生やりなおし機」もあるよ。
201019 均茶庵
注)均茶庵が自分で撮ったデジカメ写真よりも、はるかに立派できれいな写真が、Webを飾っている。そこで、思い切って自分の写真を最小限とし、Webの芸術からお借りした。
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