いつか、いつかと思っていたが、均茶庵の準備の気持ちより、ずっと早くやって来た。あと1ケ月半で、75歳「後期高齢者」になる。誕生日が来るのが嬉しいのか悲しいのか、丸でわからない。
バイク屋さんに行き、「運転免許証の返納」と、1月半後のバイクの処分のお願いをした。もう殆ど涙が出そう。バイク屋さんは、『未だ大丈夫なんじゃ・・・。』と言ってくれた。自分でもそう思う。視力は、老眼が進んだせいか、却って裸眼でも運転条件をクリアするようになった。足腰も動くし、つい先日は山道を7kmハイキングしたが、まるで問題はなかった。脳味噌の中身だけは、自分では判断出来ないが、カミさんの嫌みを除けば、まあ動いている。夏の暑さの中で、大学教養課程の数学の本を読み出してみたが、解析性から線形性まで何とか進んでいる。
しかし、そんなものは若い頃耽ったマスターベーションと一緒だ。自分一人で喜んでいるだけだ。ある日、思い切って辞める時が来る。2009年3月に米国での生活から帰国した後は、自動車を運転していない。専ら2代目のホンダPS-250だ。その前は、XR-250を喜んでいた。そして、終のお別れの宣言だ。これからは、殆ど未知のあるいは数十年ぶりの「足・ちゃり・バス」の生活に入る。
大学生だった1967年1月に、普通自動車の免許を取った。19歳だった。しかし、自動車に乗る機会がなかったので、同年7月に自動二輪(無限定)の免許を追加で取った。実技試験は、スバルのスクーター「ラビット」だった。今考えると、原ちゃりくらいの性能だっただろうか。もう50年以上昔の話だ。
未だ現実にはなっていないが、生き方が大きく変る。均茶庵は、「ツーリング」自体には殆ど興味がないので、専ら実用の用途だ。それだけに、実インパクトは大きい。山・海・川との実質的なお別れだ。丹沢山地の登山交通バスは、限られている。自分で運転しなければ、アクセスまでたどり着く方法がない。だから、トレッキングや大事な趣味のコケ採取に行けなくなる。誰もいない場所で、孤独にキャンピングする楽しみもなくなる。バイクにファルホークを積んで、海や川で漕ぎ回ることもできない。『一体何という事だ!』ロフトにしまっているテントもシュラーフも、あるいは、倉庫のカヤックも・・・・もう処分するだけだ。
『いつか来るんだ。』と頭の中で考えていても、『必ず来るんだ。』とは、絶対に考えていない。今や、「来る」ことが目の前に迫った。自分で退路を断つために、敢えて早めにバイク屋さんに宣言した。しかし、心の奥底では、未だ忸怩たるものがある。『あと三年くらいは。』そう思っては、必死に否定する。そして、「来る」ことが「来た」ら、一体どうなるんだろう。今の均茶庵には、全くわからない。半分以上腐りかけた濡れ落ち葉に突如変身する事は、間違いない。妻に『出て行け。』と愛想をつかされないよう、取り敢えずは、古本屋に山となっている人生の指南書でも読んでみようか。
220906 均茶庵