和漢朗詠集のコケ
添付1 和漢朗詠集でコケを詠った詩文 全首
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和漢朗詠集のコケ 本文
013 早春:気霽れては風新柳の髪を梳る 氷消えては浪旧苔の髭を洗う 都
訳:天気も晴れて、春風が芽吹いたばかりの柳の枝を、髪をとかすようになびかせている。氷も消えて、春の波が前年の岸辺の苔に、ひげを洗うように打ち寄せている。
コケ調べ: コケは多年生植物だ。生育環境が合致すれば、10年以上も群落を保ち続ける。この佳句は、去年から生えて居たコケを、ずっと剃っていない無精髭に喩えている。ちょっとゴワゴワした感じの尖った生育形態を指す。
葉状体のタイ類は、いずれも髭には似ていない。一見髭にも見える尖った蒴は、春先には未だ出てこないし、髭よりはるかに疎らで、印象が異なる。又、茎葉体のタイ類は、なよなよとした柔らかい印象を与える。だから、ここは、蘚類と考えていいだろう。
Pseudolesqueopsis zippelii アサイトゴケ
岸辺で寄せる水を被るという表現から、清水中に育つカワゴケや水が流れる崖に張り付くホウオウゴケやハナシゴケは、取り敢えず除いてみる。
池や渓流の岸辺の岩に育つコケの中で、サワゴケは小さな円い、鮮やかな黄緑色の群落を作るから、ちょっと歌の趣旨にあわない。無精髭は、黒みがかっており、しかも寸法が余り長くない。ヤナギゴケは、弱々しい感じの女性的なコケだ。又、キブリナギゴケやカヤゴケは、背が高く、堂々としている。さて、比較的小さくて、硬い感じがする、アオハイゴケ、 アサイトゴケ、シメリイワゴケあたりがお似合いではなかろうか。
148 首夏:苔石面に生いて軽衣短し 荷池心に出でて小蓋疎かなり 物部安興
訳:苔がうっすらと石の表面に生えて薄い夏の衣を着ているようだが、まだその丈は短い。蓮の葉が池の中央あたりに伸び出て小さな笠をさしているように見えるが、まだその数はまばらだ。
コケ調べ:日本人の作のため、「青苔」ではなく、「苔」としている。あるいは、「荷」に合わせるため一文字としたのだろうか。薄くて軽い衣で、コケをたとえているため、タイ類としたいが、一方、着物の丈が短いという表現から、葉状体は該当しないだろう。それに、普通の日本人はあまり葉状体を好まない。 従って、生え始めの茎葉体のコケが石を覆っている様子を思い浮かべてみたい。
池の蓮に対比するためには、コケの大きな塊を考えたい。蘚類はしっかりと石を覆う。石の上に生える蘚類としては、ナガエノスナゴケやハイゴケが一番相応しいが、決して「うっすら」では無く、厚く密生している。そうすると、初夏に伸び始めたハマキゴケやギボウシゴケやスナゴケなどの若いコケと考えると、イメージが合うだろう。ここは、好み次第と言う事で、生え始めのエゾスナゴケとしたいが、残念ながら、このコケは主に砂の上に生える。
だから、背の低いハマキゴケが一面に生えている景色としよう。しかし、問題が一つある。ハマキゴケは、一般の石の上にも生えるが、どちらかと言うと石灰岩地を好む。現代社会では、石灰岩を加工したコンクリートがどこにでもあり、ハマキゴケは最も普通のコケになっている。さて、平安時代の庭園でも、沢山みられただろうか。タイムスリップして、調べてみたいものだ。
159 納涼:青苔の地上に残雨を销す 緑樹の陰前に晩涼を逐う 白
訳: 青い苔の生えた土の上に降り残った雨が消えて行く(その涼しさを楽しむ)。緑の木陰の辺りにやってきて夕立の涼しさを追い求める。
コケ調べ:「青い苔」の訳は、単に「苔」で十分だろう。作者は、特に「青」を強調したわけではなく、中国語一般の表現として、「青苔」と詠んだだけと考える。
さて、庭土の上に生えた苔は何だろう。残雨がある場所に生えている背丈の低いコケであれば、センボンゴケ科のコケが適任だろうか。すぐに水がはける庭土の水溜まりに、薄い膜のように、水に沈んでしまうような種だ。センボンゴケ科のネジクチゴケ、ナガバヒョウタンゴケ、コゴケあたりが候補だ。どのコケであってもおかしくない。
Weissia controversa ツチノウエノコゴケ
221 秋興:林間に酒を煖めて紅葉を焼く 石上に詩を題して緑苔を掃う 白
訳:林の中で酒を温めて飲むために(落ちている)紅葉を集めて焚く。石の上に詩を書きつけるために(石に生えた)緑のコケをはらう。
コケ調べ:ここでは、「青」ではなく、わざわざ「緑」を使っている。石の上に生えるちょっと色が濃い目のコケを指すと考えたい。紅葉の赤とコケの色が対照的だ。やや黒ずんだチヂレゴケやギボウシゴケを思い浮かべる。群落が、覆うように石全体に広がる。小さめの可愛いコケが似合いそうだ。
Ptychomitrium dentatum ハチヂレゴケ
コケは、石の上に強く根を張っているため、「掃」っただけでは剥がれない。スクレーパーでそぎ落とすか、引きちぎる必要がある。それに、コケを剥ぎ取った後の石の上に、筆で字を書くと言うのは、少々興ざめだ。コケで文字を書くなら、未だ生え始めの時に、コケを字の形に削り取って、育て上げた方が良い。
多分、コケを眺めただけで、実際には触っておらず、想像上の作品だと考える。
301 紅葉:堪えず紅葉青苔の地 又是れ涼風暮雨の天 白
訳:感に堪えない、紅葉と青苔に彩られたこの地、また、涼風が吹き夕暮れの雨が降るこの空。
コケ調べ:秋の夕方を感じさせる。紅葉の赤とその対照をなすコケの色。
但し、青いコケは、非常に限られている。アオゴケやアリノオヤリの蒴や、油体が濃青色のため、若い個体が青っぽく見えるホラゴケ以外には無い。コケの色を強調したかったのだろうが、訳で、敢えて「青」苔とする必要は無いと思う。青苔は、中国語でコケ一般を指す。
Pogonatum inflexum コスギゴケ
秋には、嫩绿色のコケは生えないので、気分がちょっと削がれるが、黄緑色のコケと考えたい。
紅葉が、コケの生えた地上にはらはらと落ち、うっすらと覆う。一面の紅葉に対して、一面のコケを対比する時、まとまっては生えるものの、色合いが地味なタチゴケでは風情を削ぐ。絨毯のようにコスギゴケが密生した庭を、雨が潤す姿と捉えたい。典型的な日本庭園のコケ庭の姿だ。
322 雁 付けたり 帰雁:碧玉の装いの箏の斜めに立てたる柱 青苔の色の紙の数行の書 菅
訳:(澄み渡った青空に飛ぶ雁の群れは)碧玉で覆われた箏の上に斜めに(並べて)立てた琴柱(のようだ)。青苔の色の紙に書かれた数行の文字(のようだ)。
コケ調べ:訳にはちょっと無理がある感じがする。箏を高価な碧玉で覆う事が、できるだろうか。この「装い」は、せいぜい何カ所かに碧玉の装飾が付けられている程度だろう。つまり、碧玉の飾りがついた箏の上に、琴柱が並んでいる姿を、雁に例えたのだろう。
又、碧玉の色は、緑・赤・黄色・褐色などで、決して「澄み切った青空」の色ではない。中には佐渡赤玉やもっと色が濃い出雲玉造石もある。
帰雁であれば夕方の情景だから、決して澄み切った青空ではなく、ちょっと黄ばんだ空であっても良い。寧ろ、その方が碧玉の色に近い。
又、コケの色をした紙を澄み切った青空に解釈しているが、301で見たように、これもちょっと無理がある。青色のコケはない。それに、唐代には、黄色の紙が尤も尊ばれた。詔書や勅令や経は、必ず黄色の紙を使用した。平安時代の色紙も、どちらかと言うと「青」ではなく「黄」に近かった。
多分、青苔の「青」という文字に引かれて、青空と解釈したように思える。ここは単純に理解して、夕方雁が北に帰る姿を例えた言葉の遊びとしよう。但し、コケは、黄緑色のハイゴケかシノブゴケだ。
334 鹿:蒼苔路滑らかにして僧寺に帰る 紅葉声乾いて鹿林にあり 温庭筠
訳:青く苔むした路はすべすべとしており(その道を通って)僧は寺に帰る。(散り敷いた)紅葉がカサカサと乾いた音を立てて鹿は林の中にいる。
コケ調べ:301でも述べたが、青いコケはない。
ここは何故「青qing1」ではなく「蒼cang1」になっているのだろうか。「紅hong2」と音を合わせるためだろうか。「蒼」の意味は、「注意しておく点」に説明したように、やや濃い緑色を考えたい。
すべすべとした路は、土ではなく、石畳だろう。寺の風景に合う。そうすると、路に厚くびっしりとコケむしているとは考えられず、うっすらとコケが生えている姿を思い浮かべたい。
Haplocladium angustifolium
「コケで路がすべすべしている」という表現に違和感を覚えたので、神奈川県南足柄の名刹大雄山最乗寺、及び、箱根の旧道石畳に行ってみた。
路となっている敷石の凹みの部分には、小さなコケが生えていた。しかし、石の上一面にコケむしてすべすべしている所はなかった。
一方、敷石と敷石の間の土の部分には、コケが密生していた。僧侶や参拝者が通路として使っている限り、路の上一杯にコケが生えることは、まずなさそうだ。従って、詩意としては良いが、実際には、コケで滑るのではなく、小雨が降って、その湿り気で滑る。
敷き石と敷き石の間には、十種類以上の小さめのコケを確認できた。特に多かったのは、ノミハニワゴケだ。必ずと言って良い程混ざって居る。ちょっと見た目には可愛いが、顕微鏡で見ると、恐ろしげな棘(パピラ)が、葉の裏一面に生えて居る。
追記: ふと思い出した。鎌倉の二階堂に杉本寺がある。ここの階段は、コケがぎっしりと生えていることで有名だ。かなり急なので、ちょっと怖い。又、松葉ケ谷の妙法寺の階段も、コケで有名だ。この詩の風情に合致したお寺もあるわけだ。
詩で詠っているのは、「路」であり、「階段」ではないと、ちょっと負け惜しみを言いながら、追記しておこう。どちらのお寺も、現在はコケ階段を通路としては使っておらず、どちらかと言うと「コケ棚」になっている。
東丹沢の駐車場脇階段。但し、こちらも今は通路として使っていない。
397 風:春の風は暗に庭前の樹を剪る 夜の雨は偷かに石上の苔を穿つ 傅温
訳:春の風は人知れず庭の木々を(美しく)剪定している。夜の雨はひそかに石の上に生えた苔に穴を開けている。
コケ調べ:どんな強い雨でも、苔に穴を開けることはない。「樹を剪る」を受けて文学的に「苔を穿つ」としたものだろう。ここでは、「樹」に応じて「青苔」とは言わず、「苔」一文字にしている。
詩文通りに理解すれば、葉状体のタイ類に解釈できる。そして、灯籠のような石ではなく、地上低い場所の石だろう。しかし、雨に打たれたくらいでは、コケに穴は穿かない。それに葉状体のタイ類は、見た目が可愛くないので、避けよう。
Okamoss News写真館に、綺麗な写真を見つけた。
あるいは、まだらに生えたコケを、敢えて雨が穴を開けたと表現したのだろうか。コケの種については、何とも判断がつかない。取り敢えず、一般的な蘚類のハリガネゴケとしておこう。
621 閑居:跡を晦くしては未だ苔径の月を抛たず 喧を避けては猶竹窓の風に臥せり 佐幹
訳:(月が隠れるように)俗界から身を晦ましても、苔むした小径を照らす月までは見捨てられない。喧噪を避けるとはいっても、なお竹が生い茂る窓辺で竹が風に吹かれる音を聞きながら臥している。
コケ調べ:床に臥して、庭の情景を想像しているわけだから、こちらは、狭い土の通路と考える。小道の中程をコケが覆っているわけではなく、庭の径の両側の土の上に、コケが沢山生えて居る情景だろう。ハイゴケやシノブゴケやクサゴケに、コツボゴケが沢山混ざって居る。そして、通路の真ん中付近には、踏み残されたツクシナギゴケもある。
残念ながら、月が主役で、コケは端役だ。
Plagiomnium acutum コツボゴケ
663 帝王 付けたり 法王:刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去んぬ 諫鼓苔深うして鳥驚かず 国風
訳:(罪人がいなくなり)刑罰のための鞭に使っていた蒲も朽ちて、蛍と化して空しく飛び去った。政を諫めるための鼓も(使われずに)苔むして、鳥が(鼓の音に)驚くこともない。
コケ調べ:長い時が経った例えとして、コケ生したと表現している。中国の故事を詠っているにも拘わらず、コケからイメージしている内容は、正に日本的な発想そのものだ。
この歌では、比喩的にコケが使われており、何が生えているのか、想像するのは難しい。そもそも、太鼓にコケが生えると言う事は、現実としてあり得ない。
775 祝:わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで 詠み人知らず
訳:省略
コケ調べ:和漢朗詠集に採られた、コケを詠った唯一の和歌だ。「詠み人知らず」の偶然が良い。古今集には、初句が「君が代は」として掲載されており、日本国歌に採用されている。
神社でよく見かける「さざれ石」は、石灰質角礫岩だ。石灰岩中の炭酸塩鉱物が雨で溶け出し、角礫同士を固着させた堆積岩だ。だから、そもそもコケは生えにくいし、又、生えたとしても、石灰岩を好む小形の特殊な種のみだ。
石灰質角礫岩は、石灰岩地帯の崖下にできる砕屑岩だ。一般的な岩ではない。だから、歌人は恐らく実物を見ていないのではなかろうか。あるいは、もしかすると、一般的な堆積岩の、丸い石でできた礫岩をみていたのではなかろうか。その中から歌のイメージを膨らまして行った。その後、この「千代に八千代に」の名歌を受けて、さざれ石が山で採取され、神社に飾られるようになったのではなかろうか。
Tortula muralis ヘラハネジレゴケ
神社で見るさざれ石には、余りコケが生えていない。白っぽい漏斗形の子器を着けた、地衣類が目立つ。乾燥条件が厳しいからだろうか。そんな中に、静かに生えているヘラハネジレゴケが好きだ。チュウゴクネジクチゴケやハマキゴケやギンゴケがこびり付いている巌は、歌の厳かなイメージから、どうしても考えたくない。
本当は、さざれ石を、神聖な磐座と考えてみたかった。山の頂上に鎮座する巨大な岩を想像しつつ、読み上げた観念的な歌であれば、表面にはハネヒツジゴケが一面に生えている。その足元の地上には、ハイゴケ、シノブゴケ、クサゴケ、オオトラノオゴケ、・・・その他色々な種類の湿り気を好み、やや薄暗い環境が好きな大型のコケがびっしりと生えている。日本特有の、コケに対する長久・永遠の念を強く感じる。
しかし、磐座は、花崗岩などの深成岩由来のモナドノックが多い。風化して真っ白な真砂にはなるが、どうしても「さざれ石」にはならない。残念だ。
459 猿:暁峡に蘿深うして猿一たび叫ぶ 暮林に花落ちて鳥先ず啼く 江
訳:夜明けの峡谷には女蘿(サルオガセ)が深く生い茂り、猿が(哀しげに)一声叫ぶ。夕方の林では花が散り、鳥が先ず鳴く。
コケ調べ:訳に有るとおり、地衣類の白っぽいサルオガセだろう。しかし、均茶庵としては、峡谷の木の枝一面に黄緑に垂れ下がるキヨスミイトゴケの方が、ずっと日本情緒を感じる。「下がっているコケ(地衣類)は、サルオガセ。」というやや平板なアプローチには感心しないが、多分詩文の作者は、キヨスミイトゴケを見た事がないのだろう。
Barbella flagellifera キヨスミイトゴケ
552 仙家 付けたり 道士隠倫: 夢を通ずるに夜深けぬ蘿洞の月 跡を尋ぬるに春暮れぬ柳門の塵 菅三品
訳:夢で(賢士に)逢おうと思っているうちに夜が更けて、(賢士が隠棲していた)蔦葛に覆われた洞窟を月が照らす。(賢士の住んでいた)跡を尋ねてみると、春も暮れかかり柳の植えられた門には塵が積もっている。
コケ調べ:蘿は、コケでも地衣類でもシダ類でもなく、被子植物のつる草を指している。ハイヒモゴケが、洞窟の入り口に堂々と懸垂している姿を思い浮かべたいが、残念だ。多分、詩文の作者は、山地の渓谷沿いに生える懸垂するこのコケをご存じないだろう。
堂々とした貫禄と風格は、賢士の隠棲する洞窟の入り口を覆うコケとして、最適だ。
Meteorium subpolytrichum ハイヒモゴケ
619 閑居:蕙帯蘿衣 簪を北山の北に抽ず 蘭桡桂楫 舷を東海の東に鼓く 江相公
訳:フジバカマの帯とさがり苔の衣(を身につけ)、簪を抜き(官を去って)北山の北に隠棲する。木蘭の棹と桂の楫(で舟を漕ぎ)、舷側を叩いて歌を歌い東海の東に隠遁する。
ナガサルオガセ
Meteorium buchananii ssp.helminthocladulum
コケ調べ:「さがり苔の衣」は、僧衣を指す。「フジバカマの帯」に応じている。「さがり苔」は、シダ類のヒカゲノカズラ、あるいは、地衣類のサルオガセを指す。但し、ヒカゲノカズラは、陽当たりの良い荒れ地で、水平に長く伸びるが、懸垂はしない。従って、植物に対応させるとすれば、サルオガセだろうか。繰り返しになるが、もしコハイヒモゴケだったら、素敵だと思う。サルオガセは白色であり、一方、コハイヒモゴケは、黄緑色だから、色彩的にはどちらも墨染めに合いそうもない。尤も、作者は、頭の中で「隠居」するだけで、特に僧籍に入るわけでもなさそうだ。いずれも、深山の植物だ。ここは、ナガサルオガセに代表していただこう。
大和物語に「苔の衣」という有名な説話がある。小野小町が、蓑一枚を身につけた法師に、「岩の上に旅寝をすればいと寒し 苔の衣を我に貸さなむ」と読んだ。これに対して、法師に扮した、色好みで有名な良少将が応えた。「世を背く苔の衣はただひとへ 貸さねばうとしいざ二人寝む」ここでは、「苔の衣」は、はっきりと「僧衣」を意味している。
平安のナンパは、こんなに直接的な言葉でアプローチをしたのだろうか。しかも、坊主だ。もし断られたなら、今風に言えば、単なるセクハラだ。成功したならば、許せない破戒僧だ。
・均茶庵が撮った写真
013 Pseudolesqueopsis zippelii アサイトゴケ
148 Hyophila propagulifera ハマキゴケ
148 Racomitrium japonicum エゾスナゴケ
159 Weissia controversa ツチノウエノコゴケ
221 Ptychomitrium dentatum ハチヂレゴケ
301 Pogonatum inflexum コスギゴケ
322 Thuidium cymbifolium ヒメシノブゴケ
322 Hypnum plumaeforme ハイゴケ
334 Haplocladium angustifolium ノミハニワゴケ
397 Bryum capillare ハリガネゴケ
459 Barbella flagellifera キヨスミイトゴケ
552 Meteorium subpolytrichum ハイヒモゴケ
619 Meteorium buchananii コハイヒモゴケ
621 Plagiomnium acutum コツボゴケ
775 Tortula muralis ヘラハネジレゴケ
・引用した写真
619 Usnea longissima ナガサルオガセ 草花と樹木のデジタル植物園 Web
663 いらすとや
追記) さて、読者の中には、筆者の「コケ調べ」にご不満の方も、おられるだろう。写真のコケは、全て蘚類であり、苔類・ツノゴケ類は全くない。それに、庭園で最もポピュラーなサヤゴケやネジクチゴケやシッポゴケやホウオウゴケやフデゴケや・・・も、全く登場しない。ご不満の気持ちは、筆者にも良く理解できる。
そこで、ワインではなく日本酒を飲みながら、読者がご自分で「鑑賞」してみてはいかがだろう。延喜式(927年)によると、宮中酒司では15種ものお酒を醸していたそうだ。だから、15種類以上の「コケ調べ」があっても良いのではなかろうか。秋が深まり長い冬がやって来る。しかし、コケの楽しみは尽きることがない。
220916