「慰霊碑を建てる会」の成立について
「イトムカにおける朝鮮人・中国人強制連行・強制労働犠牲者の慰霊碑を建てる会」(通称)を発足いたします。
募金活動のための、郵便振替口座を開設する関係上、以下の規約を作りました。
「朝鮮人・中国人強制連行・強制労働犠牲者の慰霊碑を建てる会」規約
第1条 この会の名称は、「慰霊碑を建てる会」とする。(注:タイトルとは異なります。口座に記入する関係上、簡潔にしました。)
第2条 この会の所在地は代表者宅とし、次の所在地に置く。
〒064-0804 札幌市中央区南4条西15丁目1-22 木村方
第3条 この会は、北見市留辺蘂町内に、戦時中のイトムカとその沿線における朝鮮人・中国人の強制連行・強制労働犠牲者の慰霊碑を建て、
それを維持してゆくことを目的とする。
第4条 この会は趣旨に賛同した会員によって構成する。
第5条 この会は次の役員を置く。
代表者 1名 木村 玲子
幹事 1~2名 江刺家好治
会計 1名 当分の間代表者が兼任する
第6条 この規約は必要に応じて改正することができる。
第7条 本会の成立は、2016(平成28)年10月25日とする。
以上
「慰霊碑を建てる会」趣旨
北見市留辺蘂町の西の端、旧イトムカ水銀鉱山には、太平洋戦争中、多くの朝鮮人や中国人が強制連行され、強制労働を強いられていました。
こうした方々の労働に助けられて、当時船の艦底塗料や鉄砲の起爆剤として使われた、国策による水銀増産を遂行することができたのでした。
その中で犠牲になった方々は、朝鮮人24名、中国人23名といわれています。
特に中国人にとっては、1943年「華人労務者移入方針」が施行されて、正式導入第1号となった象徴的な所でもあります。
1944年3月31日、旧地崎組によって連行された第1陣490名が、玄関口留辺蘂駅に降り立ち、映画館大黒座で、一夜を明かしたといわれています。
ここでは虫の息で連れてこられた2名の方が命を落とし、その後イトムカにおいて8名が亡くなっています。
朝鮮人については、早くから元山における水銀採掘作業をはじめ、様々な作業に大勢が携わっていましたが、衣食住も極めて不十分で、その労働は過酷を極めました。
その他にも、イトムカまでの沿線において、逃げた朝鮮人をかくまったとか、逃げ切れずに捕まって連れ戻されるのを見たなど多くの逸話が残されています。
こうしたイトムカの、ひいては留辺蘂の発展に寄与し犠牲になった方々の歴史的な事実は、記憶に」とどめておくべきことで、忘れ去られてはならないことと思われます。
戦後71年が経過し、風化し忘却されようとしている歴史の事実に思いを馳せ、再びこうした悲劇が起きないよう、北東アジアの平和のみならず、世界の平和を希って、慰霊碑の建立を呼びかけるものです。
募金のお願い
上記の趣旨に沿って、建立のための募金をお願いする次第です。但し、一口2000円とする。
建立地は現在のところ、留辺蘂町内に3か所ほど候補地がありますが、まだ確定されてはおりません。
発起人(2018年7月1日現在)
遠藤勝幸(北見) 笹井一穂 笠原信廣 江刺家好治 須摩初恵(留辺蘂) 福士広秋(旭川) 宮永章 梅田義則 岩井善昭 木村玲子(札幌)
当面の活動
1 会員を増やす。(趣旨に賛同する人は誰でも入会することができる。)
2 募金活動を行う。
3 建立する場所についての検討を行う。
4 年1~2回の勉強会を持つ。
5 年1回の追悼式を行う。(当面は「水神」碑前で。慰霊碑ができたらその前で行う。)
6 年会費として、個人1000円、団体2000円とする。
以上