誰しも 故郷に対して熱い思いを抱いていることでしょう。
「イトムカ」もまた然りであり、そこに住んでいたわたし達にとっては、格別なものがあります。そこには鉱山町の栄枯盛衰を駆け抜けた多くの日々がありました。
大雪山の東、石北峠を少し下った、標高1759メートルの武華岳の麓に抱かれた山深い地でした。水銀鉱山という、たった一つの事業所に勤務していた人達とその家族で構成されていました。若干の個人経営の商店もまた会社と共にあり、皆が運命共同体の意識でおり、誰もが会社を恃みに生きていました。
そして今、町はすっかりなくなりました。が、新たな事業所の工場だけは、しっかりと稼働しています。
イトムカの閉山を何時と捉えるかは、二通りあるようです。わたし達は当初、昭和四十五(1070)年と考えていました。この年、労働組合が解散になり、ほとんどの従業員が鉱山(ヤマ)を去りました。そのときから数えると、今年(2008年)は、はや、三十八年目に当たります。
この文集を、「イトムカ水銀鉱山閉山四十周年記念文集」として、皆さんにお知らせしたのは、そのような認識からでした。
しかし、イトムカ水銀鉱山の全坑口を閉め、鉱山採掘と精錬事業に終止符を打ったのは昭和四十八(1973)年七月との事で、その年に新しく「野村興産株式会社」初めは「イトムカ興産株式会社」だったそうです)が発足しました。そのときから数えると三十五年の歳月が流れたということになり、本当の閉山はこの年ということになろうかと思います。
三十五年といえば、「野村鉱業株式会社イトムカ鉱業所」の歴史(昭和十四年開始)とちょうど同じ位の年月が経ったということになります。
確かに時の流れは、故郷を日々に遠ざけてもいます。しかし、時として強烈に浮かび上がってくるものがあり、私たちの心の奥にしっかり根付いている姿を見つめていることがあります。それが故郷というものではないでしょうか。
閉山三十周年を記念して、イトムカの歴史を網羅した『イトムカ史』が上梓されました。よくまとめられたその本をひもときながら、たくさんのお名前を見ていると、その一人一人に刻まれた心の歴史はどんなだろうかという思いが湧いてきます。
今回のこの「記念文集」は、そうした胸の内を書いたり、語ったりして頂いたものです。
当時は、五十代より上の人は居ないという若い街でしたが、今は、働いていた方々は高齢になったり、亡くなったりしていて、勢い、その子供の世代が中心になっています。しかし、勤務していた方々や、学校の先生方、遺稿となってしまいましたが、所長さんの書かれたもの、また大変貴重な、戦時中に一時働いていらした方々や、新しい会社の野村興産に勤務している方からも寄稿していただきました。
貴重な原稿をお寄せいただき、又、この編集にご協力いただいた多くの方々に心より篤くお礼申し上げます。
平成二十(2008)年 十月
イトムカ水銀鉱山閉山四十周年記念文集
編集発起人 代表 木村 玲子