阿部浩治

野村興産(株)に勤務して

この度関係有志様のご尽力により、文集『思い出のイトム編纂され、刊行されましたことを心よりお祝い申し上げます。

私は野村興産(株)総務部に勤務し、今年で入社20年目(2008年……編集部)阿部でございます。

鉱山時代のイトムカは直接存じ上げませんが、イトムカへの深い愛情を持書かせていただいた次第です。

私の入社当時には、野村鉱業(株)時代からイトムカに勤める大先輩がまだ多く相席され、温かくご指導いただきました。その方々は当社の礎を築き、その後の役割を我々に託され、既に退職しましたが語り継ぐべきお話を聞かせていただいております最盛期には人口3000人を超え、住宅施設や小、中学校の文教施設、医療施設、映画館などの娯楽施設が建設され、活況に沸いた時代がイトムカのあったと先輩諸氏にいく度となくお聞きし、当時の留辺蘂町では特に文化ご水準の高い地域で、各種活動が盛んであったとも教えていただいております。

お話を御聞きした率直な最初の感想として、人里離れたこの気象条件の厳しい山間僻地の環境の中で、筆舌に尽くせない大変なご苦労があったのではというものでした。

また、賑やかなお祭りの様子であるとか、留辺蘂市街まで森林鉄道で往復した時のエピソード、購買所の仕組み、学校運動会の楽しさなど当時の暮らしぶり、あるいは幾多の苦難、労使交渉、数度の合理化と共に、イトムカをさる仲間との別れ、閉山をまじかに迎えた時期のアラスカレッドデビルでのご苦労など、大変興味深くお聞きしております。

さて、現在のイトムカ鉱業所ですが、昭和48年の設立以来、野村興産(株)の主要事業所として今では150名を超える従業員が勤務しています。従業員は留辺蘂以外からも隣接の北見・置戸・訓子府などからマイカーで留辺蘂まで通い、そこから工場までバスを運行し通勤しています。従業員の中には、イトムカ勤務が親子2代、3代というものも在籍しております。平均年齢は35歳弱と若く、事故のない安全な作業を心掛け、業務に精励しているところです。

事業内容は御存じの方も多いでしょうが、乃村鉱業時代の水銀精錬技術を継承しながら、水銀を含む廃棄物の適正無害化処理とリサイクルを柱とし、日本国内でも先進的な取り組みを進めております。

全国の自治体および企業からイトムカに運ばれてくる廃棄物は3万トンに達し、うち乾電池が1万2千トン、蛍光灯が6千トンを占めます。その他水銀に汚染された土壌なども持ち込まれます。イトムカで処理される廃棄物からの水銀は勿論のこと、廃乾電池からは鉄・亜鉛・マンガンなど、廃蛍光灯からはガラス・アルミなどが回収されリサイクルを行っております。構内には入荷する多種多様な廃棄物の性状、形態に合わせ、最適な方法で処理できるよう、ヘレショク炉、ロータリーキルン、高温焼却炉、乾留ガス化焼却炉、蛍光灯カレット化工場などを有したうえで、管理型最終処分場も敷地内に建設し、中間処理から最終処分まで一貫した処理システムを構築し、顧客の信頼を得ております。

工場の視察見学者毎年増え、自治体や廃棄物の排出企業を中心に年間1500人の方々が訪れ、処理内容の確認などをされます。その他地元小学校の社会科見学会であるとか、開発途上国の研修生の視察が行われ、イトムカ鉱業所の取り組みを紹介させていただくこともあります。

当社のこれらの取り組みは、平成5年には「廃棄物からの水銀回収・再資源化と無害化処理事業」が環境保全に貢献したとして、第2回地球環境大賞(環境庁長官賞)を受賞、平成9年には「使用済み蛍光灯から断熱材、グラスウールの再生技術」について地峡温暖化防止に貢献するものとして環境庁長官賞受賞。直近では平成19年に、水銀含有廃棄物についての適正処分を実現し、先駆的、独創的な技術開発により循環型社会の形成に貢献したとして、環境大臣表彰を受賞させていただきました。

私どもが事業をこれまで継続し、評価を得ことが出来たのは、環境問題を無視することはできない気運の高まりの中で、私どもの事業内容が時勢にマッチしたことの他、何よりその基盤を鉱山時代に構築していただいたこと、地元留辺蘂の住民の方々に水銀の処理について国内唯一の施設としてご理解とご承認を得られたことだと、深く感謝する次第です。