西田憲一

「憲法発布の日に男の子が生まれ同僚の勧めもあって憲一と名付ける。あまりにも自分に似ていることに驚く」昭和21年11月3日の父の日記からです。私はイトムカで生まれ、小学6年生までの12年間を過ごしました。還暦を過ぎた今でも、私にとってイトムカの豊かで美しい自然や、心優しい人々の中で育てられた日々は、良い思い出を超え、心の光り輝く宝物です。いざ紙面に向うと、沢山書きたいことがあって、何から手を付ければよいのか思い迷いますが、今はもう見られない私には大変印象深い情景があります。

イトムカには共同浴場が確か二箇所あって、住んでいるすべての人がそのどちらかを使いました。私も小学校に入るまでは母に連れられて女湯に通っていました。そこで目にした光景ですが、若い母親が生まれて間もない赤ん坊と入ってきます。すると先に入っていた近所のおばあさんが、赤子を抱き受け湯船にやさしく浸します。その間に母親は体を洗い終え、お礼を言いながら再び我が子を受け取るのです。又、私の母も妹や弟の体を洗い、私まで手が回らない時には、知らないおばさんが私を洗ってくれました。このようなことが、浴場のあちこちでごく当たり前に行われていました。

小学校に行くようになってからは、友達と連れ立って男湯に入りますが、子供には大きい浴槽がプールのように思え(当時イトムカにはプールがありませんでした)飛び込んだり、潜ったりして遊びました。こんな悪餓鬼達を、おじさん達は余程のことをしない限り、怒りませんでした。中には肩に入れ墨をした怖そうなおじさんもいましたが、静かに見ているだけでした。又、お風呂は大人達の情報交換の場でもあって、誰かが亡くなったりすると、その知らせが人づてに伝わり、私にはイトムカ全体が悲しみに暮れているように思えました。真冬の風呂帰りに、濡れた手拭いを広げたまま凍らせ、それを叩くと粉々に割れてしまいます。その使い物にならなくなった手拭いを持ち帰って、父にこっぴどく叱られたことも思い出しました。

周囲の山々は四季を彩り、そこには山菜や茸はもちろん、野いちごや山ブドウがあり、その蔓でターザンごっこをしました。川には、どんこ、岩魚、山女がいて、魚取りに夢中になり、喉が渇けば川の水を手で掬って飲みました。厳冬期は川面まで凍てつき、静まり返りますが、それがコトコトと音を立て始め、春の兆しを感じたときの喜び。春に山裾を走る鹿に感動し、休日に朝から夕方まで鹿の足跡を追いかけた日々、夕方には濃霧がたちこめるとかっこーが鳴き、そろそろ家に帰らなければと思ったこと。(中略)(春日部市在住)