斎藤哲子

甦ったふるさと

私達家族が、深山奥地の元山に住まいを定めたのは、昭和27年10月13日でした。

小学校5年生であった私は、蘭越小学校の先生、友達との悲しい別れを思い出すだけで、どんな風にして元山までたどり着いたか定かでありません。10月半ばの寒い日であったことは記憶にあります。

学校も複式学級で、1,2年生、3,

年生、5,6年生がそれぞれ衝立一枚で仕切られていました。初めての授業風景、珍しさに気が散り、先生を困らせるようなことばかりしていたようです。

あるテストの時、苗字と名前を6人で適当に組み合わせて提出し、返却の時自分の名前も分からなくなり、担任の校長先生に全員でひどく叱られました。言い出しっぺは私でした。

中学、高校と元山から離れてゆき、寮生活も経験しました。その中で記憶に残る元山は数々のお花です。春の訪れとともに咲く、猫柳、福寿草、クロッカス、水仙等等。山にはつつじ、しゃくなげ等が、澄み渡った空気の中に咲き乱れて花好きの私を喜ばせてくれました。中学へ通う途中の大きな沼に、一面の水芭蕉の光景は、今でも忘れられない美しさでした。高校時代には温根湯温泉のつつじ山。あれから何度かつつじの山を家族で散策したことも懐かしい思い出です。

高校卒業後、探鉱課で地質の図面を作るトレースという仕事に就き、専門学校卒の男性の中に女性一人配属になり、戸惑いながらも皆さんに助けられ、2年余り働き退職しました。四季折々のキャンプ、山登り、お花見と、遊びもおしゃれもそこそこ楽しみました。結婚を機にイトムカを離れることになり、9年弱のイトムカとの縁でした。家族も閉山とともに北見に移り、生活に追われる中で、気が付いたときはイトムカは過去の場所になり、ふるさとイトムカは消え去るところでした。

今回この「閉山四十周年記念文集」のお話があり、お手伝いをさせていただき、多くの方々との再会や、懐かしい声での再会があり、たくさんの宝を得ました。折に触れて、多くの方々にお会いできることが何よりの楽しみです。忘れかけていた私のふるさとは、大切な思い出とともに私に元に帰ってきました。

私にも故郷がありました。この縁を大切に、もう一度育てていきたいと思います。

皆さん、本当にありがとうございます。(札幌市在住)