”かんこう”の汽車で
その1 イトムカの地
昔風に言うなら「国鉄石北本線留辺蘂駅」正面から左側、トイレの横をすり抜け、プラットホーム先端の踏切を渡ったその先に、北興化学の農薬工場とイトムカ鉱山留辺蘂出張所があり、そこがイトムカ鉱山大町に生活物資や必要機材を発送する往来専用森林鉄道の出発点でありました。
一日一往復のこの便に送れると、隣接した合宿所なるものに、いやおうなしに一泊し、次の日の便を待つことになる。イトムカに向かうこの汽車は、4つ車のトロッコに雨風をしのぐ箱車、木造の腰掛が乗用ですと言わんばかりに取り付けられていたのが2両と、荷物を搬送する台車が5,6台。箱車からあふれた人は台車に便乗して、上山したものです。台車には、大町、元山の従業員家族の生活物資や食材、鉱業機械が毎日運搬される。大町と留辺蘂を繋ぐ唯一の輸送機関であるが、これがまた、明治の初期に活躍した弁慶号を思わせる小さな古びた蒸気機関車で、小割りした薪を焚き、黒煙と蒸気を吐きながら、箱車とトロッコ10車両程の編成で大町に向かうのです。
もちろん連絡道路として、温根湯を経由し、イトムカに向かう林道が1本あるのだが、トラックでの物資搬送では、森林鉄道に及ばなかったのでしょう。プオー……小さな薪焚き機関車はゆっくり留辺蘂を出発。シュッポ、シュッポ、ゴトゴト、トーン、ゴトゴト、トーンとのどかな田園地帯を過ぎ、武華川の清流沿いの静寂な温泉峡温根湯温泉や、点在する農家をぬって、途中2度ほど、水の補給と薪の積み込みを行って大町に向かうのです。厚和を過ぎ、大雪連邦、三国山、武華岳、武利岳に連なった紫、霞の北見富士のすそ野を潜り抜けると、針葉樹林に囲まれた秘境、イトムカ川と武華川の合流地点に富士見二股、東洋一の水銀鉱山大町がありました。
大町には我らが故郷というべきポッカリと開けた小盆地に、現在もイトムカの歴史をとどめるために残されている選鉱場や、病院、駐在所、学校、郵便局など鉱山街として生活に必要な施設がありました。私たちがイトムカに入山した昭和18年頃は、旧社宅だけだった様に記憶しており、選鉱上の下部にボイラーの巨大な煙突が建っていました。
大町から8キロメートルの武華岳、1759メートルのすそ野、標高千メートルに位置するところに元山採鉱事務所、採掘場などここにも大町と同じような施設があって、大町と元山でピーク時には2千人とも3千人とも知れぬ人たちが生活していたとは驚きである。イトムカの歴史の中で生まれ育った、そこを故郷とする者が相当数いることもうなずけるというものである。