大自然に育まれて
あれは僕が恵泉中学一年生か二年生の頃だったと思う。凍てつく冬の夜のこと、旧社宅の共同浴場から出て、ふと北西の空を見上げると、無数の星が宝石のようにちりばめられた空の一角に、うっすらと拡がる星くずの集まりのような淡い光が見えた。まさか、ともう一度見直すと確かに彗星。本の中でしかなかった彗星が、現実の目の前に現れたのだ。宇宙の美しさと神秘に感動しながら、暫し立ち止まって眺めていた。数日後にそれがアランド=ロランド彗星と命名されたと学制新聞で知ったとき、まるで自分が発見したような嬉しさを感じたことをいまだに忘れられない。夜の照明もネオンサインもなく、銀河の壮大な輝きが裸眼にそのまま飛び込んでくる素晴らしい自然環境があのイトムカにあったのだ。風呂から上がって家に帰り着くまでのほんの数分の間に、拡げたタオルが煎餅のように凍ってしまう厳しい寒気も、ピリピリ肌を刺激し集中力を高める効果があった。
現代の脳科学が明らかにしてきたのは、皮膚感覚を含めた五感にバランス良く刺激を与えなければ、脳も正常に発育しないということだ。そのような研究者の渓谷に耳を貸すことなく情報技術教育推進の掛け声の下、国語の読み書き、算盤の基礎訓練をないがしろにしたまま、小学校時代からコンピューター漬けにし、テレビゲームに熱中させるような教育環境にある現代日本、バーチャルな映像を現実と錯覚し、大自然とのふれあいの少ない現代の子供たちの脳には重大な欠陥が生じている恐れがある。
物質的には貧しく、現代生活に比較すると何もなかったと言ってもいいようなあのイトムカの生活環境、自然環境が、自分をまともな人間に育ててくれたのではないかと思っている。生活用水は毎日天秤棒をかついでバケツでの水汲み。燃料の薪割り、おがくずや石炭運び。食料は、畑起こしから種まき収穫まで、家族総出で産み出していた。
現在僕が住んでいる遠軽町には非行少年の更生施設「家庭学校」があるが、校是は「流汗悟道」である。イトムカの日常生活は、毎日が正に流汗悟道の連続であった。
飛行に走らずヤクザにもならず、北大医学部で勉強させてもらい、現在まで四十年近くも町医者として働いてこられたのは、正直イトムカで培った気力、体力、生活の知恵、慈愛にあふれた母の存在、そしてお世話になった恵泉小中学校の先生方のお陰と感謝している。
イトクカから出征した夫を沖縄戦で亡くし、戦後の混乱期を無我夢中で育ててくれたその母は来年九十歳。今は札幌の妹夫婦と一緒に暮らしているが、イトムカに居た頃は、「母さんは六十歳までは生きられないから、お前は早く一人前にならねばならないよ」とことあるたびに僕を脅していたものだ。「お前が悪いことをしたら、お前を殺して私も死ぬよ」などと口にしていた。あの頃のイトムカでは、大人も子供も皆それ程必死になってそして潔く生きていたのだと思う。そんな母にとって歌を歌うことが心の支えになっていたのではないかと思われる。苦しさ、悲しさを、朝から晩まで歌を歌って堪えているようにも見えた。その頃聴いた歌の数々は、その哀愁を帯びた声とともに今も心の奥底にしっかりと刻まれている。(遠軽町在住)