木田和子

幼い頃をイトムカで過ごして

イトムカの思い出……あまりたくさんありすぎて何を書いてよいのか……色々な思いが走馬灯のように駆け巡ります。そんな中から二つ、イトムカの野山で口にしたおやつについてと、娯楽について述べてみたいと思います。

おやつ

私たちの子供時代、甘いおやつはあったのだろうか。

思い出すのは配給になったお砂糖を一さじ、掌に載せてもらって大事に舐めた記憶だけ……。

何歳ごろのことだったのだろう。

だから子供達の多くは、甘いものを山や野原に求めたのではないだろうか。

自然の中を駆け回ることは、遊びであり、同時におやつ探しでもあった。

私がイトムカで口にしたおやつにはどんなものがあったのだろうか。

雪解けと同時に萌え始めた緑の中に野いちごの若き茎があった。

茎全体をおおうトゲはまだ柔らかく、皮もつるりと剥けた。

その若々しい茎に歯をたてると、爽やかな香りとポリポリいう音とともに、甘くて清々しい汁が、口いっぱいに溢れた。

これが春一番のおやつ。

その茎も木となり、白い花を咲かせ、やがて可愛らしい苺が次々と赤く色づく。

ネコジャラシの長い茎を赤い苺でいっぱいにした、輝くような笑顔の子供たちが、あっちにもこっちにも見られたはずである。

又、小道の脇に咲いていた白い花。

名前は知らないが茎の周りに輪状に何段にもなって咲くその花びらをすっと抜いて口に含むと甘い蜜の味がした。

アカツメグサも同じ運命?えお辿り、私たちは見つけ次第ピンクの花びらを口に含んで甘い蜜を楽しんだ。

そのクローバーの花から花へ飛び交うミツバチも、私達のよき遊び相手であり、おやつであった。

まずそれを生け捕りにし、羽をもってヒョイと仰向かせると、蜂はお尻をグイッと曲げて針かハサミをだす。

針は蜂のお尻を絞り上げて上手に抜く。

ついでに羽根もむしり取って、自分の手や脚に這わせて遊ぶ。

散々遊んだ後は、今考えると何と残酷なと眉を顰めたくなるが、その蜂の胴体からお尻の部分を引きちぎるのである。

そうすると「あった!」黄金色に輝く真珠のような丸いハチミツが……。

つやつやと輝き、透き通った露の雫のように美しい天然のハチミツ。

何と残酷だけれど贅沢なおやつだったろう。(中略)

娯楽

イトムカに映画館ができたのは、確か私が中学生になってから。

それまでは小学校の体育館に座って、地方巡りの芝居などを観ていた遠い記憶がある。

だから中学生の演じる学芸会はとても楽しみだった。

特に鮮明に印象に残っている学芸会の劇に、「ハムレット」と「杜子春」がある。

兄の同級生が演じた「ハムレット」。

松原さんが演じたハムレットは、その後観たどんな映画の「ハムレット」よりも、私の印象に残っている。

スラリとした背丈に愁いを帯びた白皙の美少年。

松原さんイコールハムレットは今なお私の脳裏から消えない。

憎々しく叔父王を演じた飯塚さんのお兄さん。すごい大人の男性を感じ、傍で家来を演じていたわたしの兄が幼く見えた。

オフィーリアは誰が演じただろうか?村上さんのお姉さんだったかしら。

そして「杜子春」。

主役は同級生である梨枝ちゃんのお兄さん。福士光蔵さんだった。役そのままの真面目でハンサムな顔が目に浮かぶ。

最後の場面で『お母さん』と叫んで後ろを振り向く。その苦渋に満ちた光蔵さんの顔は、後の私が作り出した想像の産物だろうか。

そして遊戯。あれは今でいうオペレッタだったのだろうか。

姉が継母の魔女を演じた「白雪姫」。

河田さんのみっちゃんが可憐な白雪姫を演じていて、うっとりとしたことを覚えている。そして私たちも中学生になり、その舞台に

立つことができるようになった。

覚えているのは「シンデレラ」。

私は王子の役をさせてもらえて嬉しかった。

シンデレラは一級下の菅田優子さん。私と踊っていて、足を弓のようにあげる場面があり、しの優美さに感嘆した。

この「シンデレラ」は元山の学芸会へも友情出演したのではなかったろうか。

その頃には配給所の向かいに映画館が建ち、月に七~八本の映画が上映されていた。

前もって上映される映画が知らされていたのか、中学生の我々はそこから二本を選ぶのに大いに悩んだものだった!

ただ、生徒会の役員をしていると、何の役だったのか、中学校で集めている券でもあつめていたのだろうか、皆より一本多く観られて得した気分に

なっていた。

当時は日活の石原裕次郎、東映の大川橋蔵が中学生を二分する人気スターだった。

私はどちらも大好きだった。

そんな映画館での一番の思い出は時代劇のエンディングである。

主人公の相手役の美しい女優が悪者に捕えられ、あわや生命が危ないという時、橋蔵とか歌右衛門、知恵蔵などの主人公が駆けつける。そしてバタバタと

悪者どもをやっつけてゆく。

その場面になるといつも一斉に沸き上がる拍手。

老いも若きも幼い子も皆が映画に溶け込み一体となり、安堵と喜びで映画館は万雷の拍手に包まれる。なんて善良で素朴な人達だったのだろう!

そんな人達の中で幼い頃を過ごせたことは、どんなに幸せなことだったかと思う。

そこで育まれた信頼、友情、助け合いの数々を、しみじみ懐かしく幸せに感じている。

イトムカの地に、そしてそこに住んでいた人達皆さんに”有難う!”(那須塩原市在住)