谷口由美子

鉱山(やま)育ち

イトムカ出身の皆さん、お。元気ですか

この程、木村玲子さんご発声でイトムカの記念誌を発行する計画を聞いて嬉しくなりました。どなたの表現が私の記憶にあるイトムカなのか、まるで

違った表現のイトムカが見られるのか、楽しみです。

今、私が原稿に向っている季節は冬なのですが、イトムカの冬は水墨画の様でした。

四方の山の木々に白い雪がかぶり、空は灰色。風が吹くとサササーッとカーテンを引くように粉雪が流れる。ほうきを逆さにしたような四辺の山がそう

なのですから、よそから来た人は淋しかったと思います。

スキー場があって、ずっと遠くまでトヨが延びていました。

学校から帰ってきたら4時半位までスキーで滑っていましたから、雪焼けで頬っぺたは黒光りしていました。

あの当時は雪の降り方も半端じゃなく、平屋の屋根の一寸下位まで雪が積もって道がついていましたね。風のある時など電線がすぐそばで揺れていた気もします。

雪の階段を下りて、井戸から水を運ぶのが仕事で、水がめ一杯にしておくと、翌朝かめの縁がうっすら凍っていたなんてことがありましたね。井戸小屋も、バケツを置く

台に厚い氷が張り、足場もつるつるになるので恐ろしくて、気を付けて水汲みをしました。牛乳配達する河合のおじいちゃんが、牛乳缶を洗った後の氷は白濁色になると思い込んでいましたが、氷の層が厚くて白くなっていたのかもしれません。50年以上も前の事なので、思い違いがあるかもしれません。

夏は井戸に桶が沈むスコーンという涼しい音は気分がよかったですね。井戸の事だけでも思いはたくさんありますね。

後年、ポンプになり、水道になって生活も便利で文化的になりました。

川の傍の草の上に寝転んで目をつぶると、目の奥が、太陽の光で赤くなって、太陽が雲に隠れたり、風が吹いたりやんだり、川の流れの一瞬一瞬で目の中の赤が濃くなったり、オレンジ色になったりする気持ちよさ。

10歳の頃のあのとろけるような時間は、その後何10年生きても味わえない気がします。

大人は自分と家族の生活と生命を守るために一生懸命でしたが、明るく、今日できることは今日、できないことにはこだわらない潔さがあって、子どもにもそれは伝わっていた気がするのです。いじめも意地悪もあったとは思うのですが、たくましく健康に乗り切り、それはそれで相手にも伝わり、どこかに逃げ道を残して追い込まない気質みたいなものがありましたね。

人と人とが助け合わなければ生きられない時代、地域性もあったかもしれませんが、わたしの中のイトムカというところは、今では特別のところだったと振り返ってみますが、当時はそれが当たり前だったのですね。貧しかったけれども、生き生きして輝いていたと思います。(北見市在住)