宮永章

響けよ渓流高鳴れ瀬音

「望郷」という言葉を聞くたびに、わたしは大町に思いを馳せる。

私にとっての心のふるさと。

それは昭和16年秋の事、まだ3歳にならないころに、雪深いイトムカの地に、小樽より移り住みました。

当時は幾世帯かの人々と共に引っ越してきたと聞いております。

”響けよ渓流高鳴れ瀬音”

無加川の水源は三国山(1542㍍)である。富士見二股の由来はこの地域が無加川本流とイトムカ川(元山)の

合流点であるところからついた(開基100年『留辺蘂町史』より)。

私はもっぱら無加川で釣りをした

り、近所の仲間と川遊びをして楽しみました。

家の近くに湧く水はつめたくおいしく、中学時代は水汲みはもっぱら私の役目でした。

山側に畑をたがやして、カボチャ、イモ、大根等、私はよく母と畑に行ったものです。また、山側の中腹にある

畑から見る向こうに北見富士の様ななだらかな山を見るのがとても好きで(今思えば、枇杷牛山958㍍)、私の山登り好きのの

原点はここにあるのかもしれません。

喜びも悲しみも分かち合いながら、ともに暮らした思い出だけ残して、緑の山深い谷に夜のとばりが降りて星がまたたくころ、

しばしの眠りにつく。静かに静かに……。

星降る夜を表現したゴッホの名作「星月夜」。月や無数の星々の世界。今一度あの世界に浸りたい思いでいっぱいです。

小学校卒業の校長は2代目で、伊藤勝見先生。中学校校長は伊藤勝見(小学校と併設)、佐々木主計、山田精一各先生。

学校は、鉱業所事務所を借りての授業でした。

中学3年の冬休み中に、約1ヶ月郵便局のアルバイトをしました。1日いくらか忘れましたが、昭和28年暮れです。大町から元山まで

スキーをはいてリュックを背負い(内にはこ包みや郵便)、元山で配達をし終えて帰りは元山の郵便扱い所から小包・郵便を預かり、リュックに入れて

帰る訳です。片道8,4キロメートルあります。日中は従業員送迎トラックも通りません。吹雪の中、一人黙々と歩くのです。人も車も通りません。

唯一の人心地は上空から聞こえる鉱石運搬用の鉄索の音でした。

大町での季節も思い出深いものばかりです。私は秋が、それも「晩秋」が一番好きです。山が紅葉に彩られる最も秋らしい秋。「山粧う」というこの時期は、

空も澄んでいるため、山々の稜線もはっきり見える。こんな時期の大町が大好きでした。

大町を離れて53年あまり、物心ついてから、人生において最も多感な時期を育んでくれた期間であり、最も心に残る場所でもありました。

人生での13年間、大町での生活は今でも脈々ち私の気持ちの内に息づいております。(札幌市在住)