総合T----------京都地域学-課題1

来年度卒業制作着手に向けて、

私は京都の風景画をテーマとしようとしているので

この課題を受けてみました。

前年度の2011年の末ごろからシラバスを参考に本を読み始めてました。

がっ!.....しかし。

次年度の課題のお知らせで変更予定となって焦りましたが、

丁度読んでいた参考文献のレポートだったので助かりました。

前年度から第1課題、第2課題と単位修得試験に向けて、これだけの本を読みました。

けど、今年度の変更後には利用していない本もありますし、

一部分のみ、参考にした所もあります。

私としては、知識としては充分に役にたちました。

制作したレポートを載せてみます。

評価としては合格はもらえました。

学ぶ身として制作したレポートです。

誤字脱字、変な言い回しのところもあり、恥ずかしい部分もありますが載せてみます。

感想としては。

祇園祭は調べるほどに魅力が増します!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

京都地域学

第1課題 レポート

「伝統・京都的なもの」の吟味

脇田晴子著「中世祇園祭と祇園祭」について

祇園祭の持続力

引用部分の明示————————————————————————————————

京都の伝統文化は、政治的権力の繁盛と衰退を繰返してきた中で形成されてきたが、都の衰退が伝統の継承に対して負に作用をするのではなく、復興の契機として文化的興行は重要な役割をもち、祇園祭も宗教的な儀式の役割以外にも様々な効果が期待された。本レポートは下記の引用部を出発点に考察を始める。

室町幕府、足利将軍の義満をはじめとする歴代将軍にとって、祇園御霊会

をバックアップして年中行事化することは、政治的安定にも洛中の治安のた

めにも、必要なことであった。

しかし、権力によるバックアップや財界名士の協賛によって、ようやく祭

礼が挙行できるようになった祇園御霊会の神輿渡御にひきかえて、祇園祭礼

は別の新しい局面を迎えていたのである。

それは現在の祇園祭にまで及ぶ山鉾巡行のはじまりである。(p.64-65)

どのような問題を読み取るのか—————————————————————————

自然を治める神の託宣を享受することも施政者にとって重要な政務であった。政治的な運用にも致命的な打撃を与えた災厄は、神の施政者に対する政道批判と捉えられ、災厄を抑止するための祭祀を盛大にすることも施政者にとって重要なことであり、また権威の誇示ともなった。しかし、現代では政教分離の原則によって政治と祭祀との繋がりは希薄になっているが、現在でも祇園祭は行われている。それはなぜか。これまで続けられてきた中で、趣旨の変化と継続の原動力を模索する。

自分の論として打ち立て—祇園祭のおおまかな流れ—————————————————

祇園祭の主となる誓願は疫病蔓延の抑止である。毎年夏になると奇怪な症状の死者が大量に発生していた。現代では医療分野の発達により疫病が流行する前に予防策が施され、治療方法も確立されている疫病もある。しかし、過去には衛生環境が整わず、疫病が流行すると大量の死者を出した。その死に対して過去の人々は神の怒りを受けた者や、現世に怨みをもって亡くなった人による怨念によって命が奪われるとも考え、疫病が流行すると御霊会を行い病の予防と平癒につとめた。

御霊会の最も古い記録は三代実録(注1)に記された貞観5年(863)に神泉苑で行われたものである。政治の権力闘争により犠牲になった早良親王をはじめとした六所(注2)の御霊を鎮めるために始められた。その後も、貞観11年(869)に全国的に疫病が流行し、当時の国の数の66本の鉾を立てて祭祀が行われた。この以前から祈禱は民間信仰の中で行われていたものであったが、施政者としても神や怨霊を治めることができなければ政治的な批判へとつながる為、御霊の鎮魂と悪疫の退散は施政者にとって重大な課題であり、祭祀は国家的規模で行われることとなった。

現在、7月の1ヶ月間に続く祭礼の中で、主となる神事は八坂神社の神輿渡御と鉾町の山鉾巡行であるが、個別で行われる形式が当初からのものでなく、社会情勢によって改められてきた。京都では政治的な権力闘争や洛中全体を襲う大火があり、そのつど祭りは中断・再興を繰り返し、祭祀の形式も変化することになる。主なる転換期は下記のものである。

1、承安2年(1172)の後白河院による祭礼の盛大化

2、応安2年(1369)年の南禅寺楼門破却事件(注3)

3、15世紀後半の応仁の乱

4、元治元年(1864)に起こった禁門の変による祭礼の中断

5、明治以降の近代化と寄町制度の廃止

特に南北朝期の南禅寺楼門破却事件では、事件による穢れによって新造する神輿が20年間待たれることとなるが、その間も山鉾巡行だけで祭事が行われており、神輿渡御と山鉾巡行が別れる契機となる。応仁の乱沈静後の明応9年(1500)には、室町幕府による治安確保と地域活性化の一貫として祇園祭が再興されることとなる。幕末の禁門の変では戦乱による大火で多くの山鉾を焼失してしまうが、徐々に復興が進められ、2010年からは大船鉾の再興が始まった。

現在でも祭礼の復興が進められ、多くの苦難を乗り越えて再興し続けてきた祇園祭であるが、そこには祭神の信仰以外にも、政治と治安の維持や、町衆の自衛力と結束力を高める象徴としての山鉾があり、祭りを執り行うことによる経済効果も期待された。2009年にはユネスコ世界無形文化遺産としても登録され、日本の伝統文化として世界的に認められることとなった。

祇園祭の継続力————————————————————————————————

現代社会においても、無病息災と自然災害が起こらないようにと願う思いは変らず、祇園祭は科学技術が発達した社会の中でも行われている。現在でも祭祀による発願の真意が変らないにしても、疫病の蔓延によって洛中に屍があふれることもなく、天災による災厄は科学的な方法によって予知・予防され、これまで祭礼で祈念されたことは、様々な解決策が講じられている。また、中世の裁判制度が未発達な状態で、自力救済をしなければいけなかった社会では、祭礼を行うことによる治安維持の効果も、公的な自治機能が整うことで平穏な町を維持できるようになってきた。すべて人為的であっても一千年以上願われ続けた祈願の成就といえるかもしれない。

後白河院などが行った政治的権力の誇示という役割も、明治以降、皇室の東京行幸による遷都や、昭和の大戦後の政教分離の政策によって意味をもたなくなった。また、近代化する京都の町並みの大きな変化は、行政の巡行中止命令による祭礼自体の危局や、寄町制度の廃止による山鉾運営の経済的危機に遭遇した。しかしここでも、清々講社や山鉾連合会が発足され、祇園祭は様々な難関を乗り越えて存続した。山鉾連合会の前理事長深見茂氏によるユネスコ世界無形遺産登録事業は、現代社会において祭礼を維持するには大きな役割があった。

京都の伝統文化でも文献や記念碑でしか残らないものがある中で、祇園会は再興され続けてきている。観光地化した京都で、古来より続けられてきた祭事は多くの観光客を集め、現代人の心も楽しませる。しかし、本来は神のためにあり、疫神を治めるために始まったことである。7月の1ヶ月間の間行われる神事の中で17日が山場で、豪華に装飾を施した山鉾が町を彷徨う邪気を集めるために巡行する。その後、神輿が八坂神社からお旅所へ渡御し、集めた邪気を祓うために1週間の間お旅所に安置される。

御霊、邪気とはいったいなにか。人が継承してきた形而上学的思考と同じく、御霊も現象的なことでしか表れない証明するには難しいことである。しかし、文化遺産となるものは人々の営みの中にある神事や宗教的事物が多くあり、信仰する思いが伝え続けられたことで伝統文化となった。絶対的な神にも対立する善と悪が存在すると考えた人である。そして人の心にもその対立する思いが存在する。見えない神に対して身の引き締る思いで行われる神事と鍛錬に装飾された神輿や山鉾を玲瓏に人の心が受け止める。祭事は地位や立場に関係なく人を楽しませ、執り行うために多くの人々の力が結集する。それは一千年以上続けられ、時間を越えて祭祀に関わったすべての人の思いが一心となったということでもある。意志を継承することによって地域的価値を見出した京都である。過去の人々が伝え続けてきた伝統意識を守り、未来の人に繋げていく。歴史の中に生かさている一人の人として、次の世代に継承していこうとする意識が伝統的な町を育成してきた。

京都では戦乱によって物質的な文化財は焼失してしまっているものが多い。しかし、それは負の力として作用をしたのでなく、これまでの精神を継承しながらも新しい思想を組み入れて再興されてきた。京都的伝統は過去にあったものを忠実に守り続けていくというスタイルではなく、幾度もあった再興の作用が発展の原動力となり、継承するという精神に価値を与えて、新しい時代に合うように変化させながら伝統文化を維持してきた。

おわりに———————————————————————————————————

祇園祭には、現代社会がかかえる地域のコミュニケーションについての問題と、世界的な政治・経済的な運用、宗教闘争と利権争い、医療・環境問題、社会秩序と文化遺産の保全など、様々な問題と重ね合わさるものがある。

神や御霊の存在を証明するのは難題である。しかし、善と悪の対立する思考のある人には正道と悪道の概念が生まれ、二項対立する神的存在が心に宿るのではないかと考える。祇園祭を伝統的文化遺産という視点だけてはなく、現代の日本の諸問題と重ね合わせ、「神とはなにか?」と、人々の願う思いを改めて問い直せば、現在の迷走する日本に対して発展的な答えがみつかるのではないかと思う。

(文字数 3380字)

注釈—————————————————————————————————————

(注1)「三代実録」

全50巻からなる平安時代に編纂された歴史書。901年に成立。

(注2)「六所」

早良親王・伊与親王とその母藤原吉子・観察使の藤原仲成・橘逸勢・文室宮田麻呂。

(注3)「南禅寺楼門破却事件」

南禅寺が楼門を再建するために通行税を徴収した。その際、支払わなかった園城寺の僧侶を暴行により殺害。そのことに抗争がはじまり。神輿を渡御させ南禅寺楼門を破却、そのことにより神輿が穢れたとされた。

参考文献———————————————————————————————————

米山俊直「祇園祭 都市人類学ことはじめ」中央公論社 昭和49年6月25日発行

保坂俊司「国家と宗教」光文社 2006年10月20日発行

岡田精司「京の社-神と仏の千三百年-」塙書房 2000年1月12日発行

菅野覚明「神道の逆襲」講談社現代新書 2009年8月25日発行