共通T----------美術史基礎2-課題1-解説

キャプションとディスクリプション集です。

私が提出した時は、ディスクリプションも項目が分けられていないときでした。

学生なのでぼちぼち間違っているところもあります。

参考程度に。

リストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1,ギーザーのピラミッド群

2,クノックス宮殿 宮殿

3,《クリティオスの少年》

4,ミュロン《円盤投げ》(ローマン・コピー)

5,アテネ パルテノン神殿

6,《アレクサンダー・モザイク》

7,《ラオコーン》

8,《夫婦の横臥像》ヴィッラ・ジュリア

9,《ポンペイの壁画》

10,《コロッセオ》

11,《パンテオン》

12,サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂内部ローマ

13,《ウラジミールの聖母》

14,《皇帝ユスティニアヌス》のいる壁画 ラヴェンナ・サン・ヴィターレ聖堂

15,《マクシミアヌス司教座》

16,アギア・ソフィア大聖堂

17,《キリストのモノグラム》『ケルズの書』より

18,《生命の泉》『ソワッソンの福音書』より

19,《ピサの大聖堂》外観

20,『王の扉』シャルトル大聖堂

21,《シャルトル大聖堂》13世紀前半 外観

22,《美しき絵ガラスの聖母》12世紀後半シャルトル大聖堂

23,ジョット《荘厳の聖母》

24,シモーネ・マルティーニ《受胎告知》

25,ブルネッレスキ《サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 ドーム》フィレンツェ

26,ミケロッツォ・ミケロッツィ《パラッツォ・メディチ=リッカルディ》

27,マザッチョ《聖三位一体》

28,ピエロ・デッラ・フランチェスカ《聖十字架伝説》

29,ボッティチェッリ《ヴィーナスの誕生》

30,ヤン・ファン・エイク《ニコラ・ロランの聖母》

31,ヒエロニムス・ボッス《快楽の園》

32,スリューテル《モーゼの井戸》

1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《ギーザーピラミッド群》

紀元前2550〜紀元前2500年頃

石造

クフ王 高さ146.5m、底辺230m

カフラー王 高さ143.50m、底辺215.25m

メンカウラー王 高さ64.5m、底辺103.8m

エジプト、ギーザー

古代エジプト時代

●ディスクリプション

ピラミッドがもっとも発展した第4王朝第2代クフ王の時代に造られたものである。もともとは、外側が入念に仕上げられた石材で被覆されていたが、現在では中央にあるカフラー王のピラミッドの頂上に面影を残すのみである。ギーザーの中でも、最も大きいクフ王のピラミッドは、2.5トンもある石材を、約230個が積み上げられている。この巨大なモニュメントを造るためには多くの人々の労働が必要とされるが、支配者によって数千の人々が強制的に働かされたのではなく、労賃を支払った確かな記録が保存されおり、住民の経済的安定を与えるための巨大な公共事業であったと考えられている。現在でも正確な用途は解き明かされていないが、国王の墳墓として造られ、太陽神ラーが宇宙の創成を成し遂げた原始の丘を象徴的に表したものだと推測されている。

2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《クノックス宮殿 建築》

紀元前2000年〜1700年頃

面積1k㎡

ギリシャ共和国、クレタ島

古代エーゲ海

●ディスクリプション

紀元前2000年頃に造営された宮殿が1度崩壊し、現在の宮殿はその300年後に再建された遺構である。当時、クノックス宮殿はクレタ島の中でも最大の都市であった。長い中庭を中心に、無数の部屋が複雑に入り組んだ複合施設で、西翼東側の王座の間を含む宗教儀式にかかわる区画と、西翼西側に物資の貯蔵庫と、地下には貴重なものを保管したと思われる収納施設がある。おびただしい数の柱廊や、通気のための開口部が多く設けてあり、快適で開放的な空間に仕上げられていた。部屋の壁面にはフレスコ画法で装飾したところが多く、主要な部屋には長押や天井にまで描かれている。クノックス宮殿には城壁というものがなく、また、クノックスの美術には軍事的主題のものがほとんど知られていないことから、軍事君主ではなく、海運と通商が中心の商人貴族階級の都市であったとみなされている。

3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《クリティオスの少年》

紀元前480年頃

大理石

86cm

イタリア共和国、アテネ、アクロポリス美術館

古代ギリシャ時代

●ディスクリプション

リラックスし片足に体重をかけて立つ、コントラスポといわれる形式をした少年像は、躍動的な古典彫刻の開始を告げる記念碑的な像である。このように安楽に立たせた彫像を造りだすのにギリシャ人は1世紀以上を必要としたのである。以前に制作されたアルカイックの彫像は機械的で柔軟性がなく、均整の整いすぎた人工的な人体の像であった。柔軟に左右比対称に表現され、人体の豊かな肉体性を観察し、自然に無数の複雑な曲線によって表され、彫刻をあたかも生きた人間のように表現されている。この像は、美術史的にも重要な分岐点を示した貴重な彫刻で、新たな表現形式を発見したギリシャ人は、これ以降に制作されたものは、豊かな人間の肉体の美を追求し、多くの名品を創作していったのである。

4ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ミュロン

(Myron 紀元前480年〜445年頃)

《円盤投げ(ローマンコピー)》

原作は紀元前450年頃

大理石

147cm

イタリア、ローマ国立美術館

古代ギリシャ時代

●ディスクリプション

ミュロンは運動の躍動的なポーズを得意とした彫刻家で、円盤投げの回転運動をとらえた、オリンピックの彫刻の中で最も有名な作品である。ミュロンは、運動競技者像の彫刻家として古文献の記録にも残され、当時のスポーツジムで鍛錬する青年たちを観察し、身体の理想的な均衡と調和を探求したと伝える。オリンピックの発祥の地であるギリシャでは、競技で優勝した選手が、理想的な人体として彫刻家に像を造らせ神域に奉納する習慣があった。オリンピックは宗教上の祭礼の一部であり、運動選手の身体美は神々から授けられた美として、宗教的感情と深く結びついていたのである。明瞭な視点が存在せず、どの角度からでも見ることのできる像は、まさに理想の身体を追求した結果によってできた、神に捧げるための像なのである。青銅製と伝わる原作は失われてしまっているが、ローマ時代に造られたコピーで、現在にいたっても多くのコピーが制作されている。

5ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《アテネ パルテノン神殿》

紀元前447年〜432年頃

ペンテリコン大理石

床面30.88×69.50m

ギリシャ、アテナイ、アクロポリス

古代ギリシャ

●ディスクリプション

アクロポリス最大の神殿で、守護女神アテナを祀った神殿である。技術者や運搬に関するあらゆる分野の専門家の力を結集し、一大プロジェクトとして建築された。現存のものは、ペルシャ戦争で破壊された後にペリクレスの提案によって再建されたものである。この神殿には驚嘆すべき精巧さがみられる。視覚的効果を高めるために、中央部が6cmほど隆起しており、周廊の柱や壁も直角で合わせられた部分はなく基壇上でさえ水平ではない。徹底的に厳正さが追求されており、当時の建築の技術の高さがうかがえる。現在では、大理石の褐色の外観ではあるが、細部には着色された跡と、内部にも金箔と象牙で仕上げられたアテナの像が安置されていた記録があり、本来の姿は荘厳で彩色豊かな神殿であった。

6ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《アレクサンダーモザイク》

紀元前100年頃

モザイク

2.72×5.12m

ポンペイ出土

イタリア ナポリ、ナポリ国立考古学博物館

古代ギリシャ

●ディスクリプション

紀元前300年頃に、アレクサンドロスの部下であったカッサンドロスが、エトルリアのフィロクセノスに描かせたものを原画にして、ポンペイのファウノの家の床に制作されたモザイクである。ペルシア軍との合戦であるイッソスの戦いが、アレクサンドロス王とダレイオス三世を中心に、両国の運命をさだめる決定的瞬間が劇的に描かれている。多くの人々と馬がひしめき合い、激戦であったことを物語る。古代絵画の最大の特徴は、建築に付属したフレスコやモザイクによる壁面と舗床装飾であり、主題はギリシャに関係したものが多く残されている。多少の損傷があるものの、構図や効果、陰影法にも技術的な到達点に達していることがわかり、このモザイクもギリシャ美術の絵画に対する鮮麗された意識が感じられる作品である。

7ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

作者不明

《ラオコーン》

紀元前1世紀後半〜紀元後1世紀頃

ローマ出土

大理石

184.0cm

イタリア、ヴァチカン博物館蔵

古代ギリシャ

●ディスクリプション

トロイア戦争で神官ラオコーンがギリシャ軍の木馬計画を見抜き、城壁内に入れることを反対したため、アテナの女神の怒りを買い神の遣わした大蛇に2人の息子ともども絞め殺されるシーンである。蛇がすさまじく巻きつき、左脇をかまれたラオコーンに激痛が走り、悶絶する3人の激しい身振りがみごとにとらえられている。この彫像は1506年にローマで発見されたのだが、原作か模作についての意見や起源については多くの論議がされている。制作年代では紀元前2世紀から起源後1世紀までの幅広い意見があり現在でも未確定である。ヘリニズム期にローマではギリシャ彫刻のコピーが多く造られており、実に複雑な様相を呈していしまっている。しかし、コピーであるとしても綿密な表面の仕上げと技巧の冴える緊張した筋肉の表現力は、ミケランジェロをはじめ、数えきれないほどの芸術家に深い感銘を与え、多くの影響を与えている。

8ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

作者不明

《夫婦の横臥象》

紀元前520年頃

テラコッタ

高さ141cm、長さ191cm

ローマ、ヴィラジュリア美術館

エトルリア

●ディスクリプション

エトルリアで墳墓を造る場合、生前の生活空間に一族が集まる饗宴の様子を再現し、そこに埋葬者の人物の全身像を置いて埋葬した。彫像はテラコッタによって彫刻されており、このような形式はこの地域独特のもので、エトルリアでは大理石など良質の石材が採取できず、その代用素材として粘土による成形が発達した。近年、人物像の衣装や装飾品から社会的地位や職業を推定する研究がおこなわれており、夫人の履いている靴は、のちにローマ皇妃が履く繊細な装飾のついた靴の原型で、身分の高い夫婦が正装した姿だと考えられている。また、ギリシャでは夫婦が宴会で同席することはなく、エトルリアの女性は、地位が確立していたことが推測され、両民族の習慣の違いを知ることもできる。

9ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

作者不明

《秘儀荘》

紀元前70年〜紀元前50年頃

フレスコ

高さ331cm

イタリア、ポンペイ

古代ローマ

●ディスクリプション

この壁画はポンペイ郊外で発見された。ディオニュソスを信仰するための入信式を連続的に描かれたもので、壁画はローマの住宅において重要な役割を果たしていたことを示すものである。ポンペイの壁画は4様式に区分されて研究されており、この壁画は第2様式の大胆なイリュージョニズムが最高潮に達した1世紀後半に描かれたものと推測される。第1様式では凹凸のある壁に描かれていたものが、第2様式では平らな壁面に空間の広がりが感じられるよう、遠近法を用い絵画として描かれるようになる。多くの人物像が舞台の演技者のように配置され、人物の挙動と表情の威厳も秘儀的な印象を与える。秘儀については、さまざまな解釈はあるが、左端の女性が入信するために、その右の少年が式次第を朗読し、左から右に向かって展開していくと考えられている。

10ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《コロッセオ》

70年〜90年頃

石造、コンクリート

高さ51m直径188m短径156m

イタリア、ローマ

古代ローマ建築

●ディスクリプション

古代ローマ帝国を代表する建築物であるコロッセオは、ウェスパシアヌス帝によって建造された。皇帝ネロの失脚後、皇帝に即位したウェスパシアヌス帝は亡きネロ帝の宮殿だった場所にコロッセオを造り、先帝の敷地を市民たちの娯楽の殿堂に一変させた。収容人数約4万5千人の格闘技場で、観客席は5区画あり、身分によっての専用の出入り口や通路を設け、身分の違う者同士が会わないようにする工夫がされている。多種の見世物を提供するために地下には檻を設け、猛獣が飛び出す仕掛けがあった。おこなわれた格闘技は、人間対猛獣や、剣士の格闘、死刑因の処刑もあり、血なまぐさい殺戮劇はローマ道徳の禁ずるものではなかった。民衆に支持を得るためにも、娯楽として格闘技を提供することは皇帝の政策でもあり、政権の安定にも不可欠なことであった。

11ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《パンテオン》

紀元後118年〜紀元後128年

煉瓦、コンクリート

約53×75m 内部空間直径 43.4m

イタリア、ローマ

古代ローマ

●ディスクリプション

パンテオンの創建は、初代ローマ皇帝アウグストゥスの腹心アグリッパによって矩形の聖堂が建てられた。現在のものは、2度の倒壊のあとにローマ五賢帝の1人であるハドリアヌス帝が現在のドーム状ものを再建した。神々を祀るために建てられたパンテオンは、3つの部分から構成され、入り口の列柱部から全室に続き、巨大な球をすっぽりと収めたような円形部につながる。壁面は、ドームの重量に耐えるように設計し、当時発明されたコンクリートによって、このようなドーム形成が可能になった。天井部の構造は中央に向かうほど薄くなっており、ルネサンス時代の建築家も絶賛した造りになっている。最上部に設けられた直径9mの天窓から陽光が内部に降り注ぎ、床面に敷き詰められた色とりどりの花崗岩と大理石を照らし、内部を神秘的な空間にしている。ローマ帝国崩壊後は、キリスト教聖堂として利用され現在に至っている。

12ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂 内部》

432 年〜440年

間口319cm、奥行705cm

イタリア、ローマ

初期キリスト教

●ディスクリプション

コンスタンティヌス大帝が、313年にキリスト教を公認してから、4世紀から5世紀にかけて各都市では教会堂の造営が盛んにおこなわれた。その中で、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂は教皇シクストゥス3世が建立した現存する最古の協会で、初期バシリカ式建築の面影をいまに伝える数少ない聖堂である。内部左右の壁面には、キリストの聖書に記された諸場面のモザイク装飾が施されている。簡略に図式化されているモザイクは、劇的な動勢やリアルな形態よりも、眼差しや身振りを重視した描写がなされ、古代ローマの古典的な様式を離れ、金地をつかった斬新で絢爛豪華な造りになっている。13世紀末には大がかりな整備を受け、美しく飾り直さている。当時の画家達が初期キリスト美術を修復することによって、多くの技術を学びとる機会となった。

13ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

作者不明

《ウラジミールの聖母》

12世紀末〜13世紀

テンペラ

78×55cm

モスクワ、トレチャコフ美術館蔵

ビザンティン美術

●ディスクリプション

ビザンティン帝国の積極的な布教政策によって、988年にキエフ公国のウラジミール公が洗礼をうけてからは、ロシアにもキリスト教がひろまっていった。この聖母子像のイコンは、イコノクラズム後にコンスタンチノープルで制作され、ビザンティンからウラジミールへもたらされたものである。キリスト教布教のためには、崇拝対象としてイコンは重要なものであった。母に頬を寄せる幼子に、わが子の受難の運命を知り、それに耐えようとする母の憂いの深い眼差しが印象的で、以前では見られなかった人間性がはっきりと表現されている。他の大部分のイコンとともに、このイコンも損傷が激しく数回に渡り描き直され、聖母子の顔以外は後世の加筆である。正教徒が祈りを捧げるために、イコンにキスや頬ずりを重ね、多くの人々が聖なる神の世界へ接した証であり、加筆の跡は信仰の深さを物語る。

14ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

作者不明

《皇帝ユスティニアヌスの壁画》

547年頃

モザイク

寸法?

イタリア、ラヴェンナ、サン・ヴィターレ聖堂

ビザンティン美術

●ディスクリプション

ビザンティン帝国の領土を最大に拡張した皇帝ユニティニアヌスを中心に、世俗と教会の権力を造形美術の中で融合したモザイク画である。ラヴェンナの司教マクシミアヌスや従者たちを従えて、皇帝が黄金の聖体皿を手にした姿はユニティニアヌスの権力を象徴している。色とりどりのテッセラによって、自信と威厳に満ちた姿を身振りと顔の表情によって表し、左右対称性を重視した正面向きの人物像は、動きを排除することによって対象の精神強度と超越的性格を感じさせる。また、衣紋の柔らかな陰影や衣服の刺繍など、豊富な色数を生かして立体感や繊細な質感までも表現し、モザイクによって素材感を再構成する制作者の技量の高さは群を抜いている。皇帝ユニティニアヌスの右隣の司教にのみ大きく名前が記されているのは、司教に権力があり、自己顕示欲を表しているといえるであろう。

15ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

制作者不明

《マクシミアヌスの司教座》

6世紀後半

象牙

高さ150cm

イタリア、ラヴェンナ、大司教美術館

ビザンティン美術

● ディスクリプション

イコノクラズムのために、ラヴェンナにあるモザイク以外の貴重な美術品で、象牙に浮彫りを施された大型の椅子である。聖像破壊時代においては、古代末期の象牙細工と写本技術をいかして、技巧をこらした美術が盛んに制作された。全体を東洋的なモチーフと、後期古典美術のにぎやかな装飾が結合された浮彫りをベーズに、前面には洗礼者ヨハネと四福音書記者に、ラテン語による組み合わせ文字で『司教マクシミアヌス』と書かれている。背もたれの両面にはキリスト伝、肘掛けの側面には旧約聖書のヨセフの物語が施されている。あまり耐久性が考慮されていない作りは、日常に使う実用品として制作されたものでなく、高価な象牙を使うことによって、マクシミアヌの権力の象徴として、儀式の時に使用するために制作されたものだと考えられる。

16ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《アギア・ソフィア大聖堂》

532年〜537年

長さ80.9m、幅70.0m、高さ(円蓋内部頂点)55.6m、内部円蓋の直径33.0m、

トルコ、イスタンブール

ビザンティン建築

●ディスクリプション

この大聖堂は、皇帝ユニティニアヌスによって、ギリシャ正教会の大本山としてビザンティン帝国の首都コンスタンティノポリスに建造されたものである。神の世界である天空を象徴する円蓋屋根の下に広がる圧倒的な内部空間は、ビザンティン建築の最高傑作といえる。何度かの焼失によりドームは崩壊したが、再建され、修理と補強を繰り返し現在まで残されてきた。ビザンティン帝国がオスマン帝国によって陥落した後は、イスラム教寺院に改装され、四方に尖塔が建てられ現在の姿になっている。創建当時は、内部にモザイク壁画が施されていたのだが、イコノクラズムや、イスラム教時代に漆喰によって塗り固められてしまい、現在はキリスト教時代のものが断片的に残されている。1923年にはトルコ共和国が樹立され、政教分離政策によってモスクとしての使用も廃止され、現在では博物館として使用されいる。

17ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《キリストのモノグラム》『ケルズの書』

800年頃

写本画

32.8×25.5cm

アイルランド、ダブリン、トリニティ・カレッジ図書館

初期中世

●ディスクリプション

アイルランドでは、5世紀ごろからキリスト教を受け入れて修道院制度を形成した。ケルトは、その土地で長い時間をかけてつくられた独自の文化をもつ地域で、神像の表現を人像として表すことを避け、神秘的性格をもつシンボルや装飾で表現した。ギリシャ語で、キリストの頭文字のXPIを大きく扱ったこの表紙絵も、組紐による知性的な文様によって、果てしなく表面を覆いつくそうとする独自の造形感覚で、神を抽象の記号として表したのであった。7世紀に入ると、サクソン、オリエント、コプト、の人像や鳥獣の組紐文を取り入れ、きわだって複雑な装飾をするようになった。長い間抵抗してきた神の人像表現も、ケルズの書ではその禁忌は破られおり、聖母子像や、キリスト逮捕などの場面も挿絵によって描かれている。このようなアイルランドの写本装飾が大陸側の写本工房へと広がり、装飾文字芸術の様式を確立させ、多種多様な装飾イニシャルを生み出すことになった。

18ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《生命の泉》『ソワッソンの福音書』より

9世紀初頭

写本画

36.5×26.0cm

フランス、パリ、パリ国立博物館

初期中世

●ディスクリプション

カール大帝の宮廷で制作された福音書写本の最初の部分に置かれた挿絵である。西ローマ帝国が滅亡して以来、教皇によって皇帝という称号を与えられた王はカールが最初であり、このことは古代ローマの伝統を西ヨーロッパの地に復活させようとする意思表示となった。宮廷における古代ローマの美術や建築に対する関心の高さが、生命の泉の建築物の表現によって認められる。この時代の美術の中心となった写本装飾の分野は、古代ローマや初期のキリスト教時代の美術に学んださまざまな手法を駆使し、福音書にあるキリストの説話をまとめあげた。新約聖書の根幹をなす福音書は、キリスト教徒にとって永遠の生命の源泉であり、こうした考え方をイメージに置き換えたのがソワッソン福音書の生命の泉として表されている。色鮮やかな色彩を使い、多くの動物が泉に集まる挿絵は、生命観の満ちあふれる仕上がりを意識したことが感じられる。

19ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《ピサの大聖堂》

11世紀〜13世紀末

白大理石

イタリア、トスカーナ

ロマネスク建築

●ディスクリプション

ピサの大聖堂は、ピサ共和国が1063年のパレルモ沖海戦での勝利を記念して、聖母マリアに捧げるために、ギリシャ人の建築家ブスケトスの指揮のもと着工された。トスカーナロマネスクの特徴がもっとも残された建築で、大聖堂の平面設計は、本質的には初期キリスト教バシリカ式を踏襲し、ファサードにはバシリカ式の聖堂の身廊と側廊の段差がそのまま現れている。外装の装飾のローマ時代の貼石の工法を用い、レース状の華麗な装飾模様によって隅々まで上張りされ、身廊と側廊のアーケードを支える見事な古典的円柱にもローマの聖堂建築を思い起こさせる造りとなっている。ロマネスクとは『古代ローマ建築が蛮族によって稚抽に模倣されたもの』という意味で、11世紀に入ってから空前の建築ブームなり、ローマ時代の様相を復活させるかのように、至る所で聖堂の建築がおこなわれた。

20ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『王の扉』シャルトル大聖堂

1145年〜1155年頃

石灰岩

フランス、シャルトル

ロマネスク彫刻

●ディスクリプション

中世彫刻の円熟した最古の作例である。多数の彫刻が、高い密度でぎっしりと集積しているが、まったく乱雑さを感じさせずに、建築と一体感を感じる。無駄のない洗練された形態を生み出すデザインは、これ以前に制作されたものには例がなく、それぞれの彫刻の関係をはっきりさせることによって、伝えるメッセージが明晰に表されている。キリストが世界の審判者として中央扉口の王座に就き、両脇に4人の福音記者、その下には使徒と黙示録の長老が集まっている。そして、3つの扉口すべてに連続的に展開する彫刻群は、聖書の預言者、王、王妃たちを表している。整理された構成と、扉口の左右の円柱に等身大の彫刻を配するという手法は、その後の規範となり、ゴシック美術で圧倒的に広まっていった。

21ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《シャルトル大聖堂》

1145年〜1155年(聖堂西正面)

13世紀前半(外陣、内陣)

石造

全長約130m、幅約32m、交差廊幅約64m、天井高さ36.5m、

西正面鐘塔高さ106.5m(南)、115.2m(北)

フランス、シャルトル

ゴシック建築

●ディスクリプション

盛期ゴシックで初期の大聖堂建築である。シャルトルには、マリアが受胎告知の際にまとっていたとされる『聖母マリアの衣』が聖遺物として祀られ、古くからマリア崇拝の中心であった。2本の大尖塔がゴシック建築のシンボルで、聖堂を建築する際に天井の高さと塔の高さが主要な目標として飛躍的に規模が拡大し、当時の建築技術で、骨組みの構造が不安定の一歩手前まで追求され、高い塔は神の住まう天への限りない憧れが示されている。交差肋骨穹窿の天井の重量を支えるために、建物の脇に多くの飛梁あり、重苦しさを感じさせないように壁面には彫刻の意匠がある。内部にはロマネスクとゴシックのステンドグラスが多く残り、建築技術と装飾は後世に大きな影響を与え、ヨーロッパ中に広がる国際的な様式を確立した。

22ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《美しき絵ガラスの聖母》

『シャルトル大聖堂』ステンドグラス

12世紀後半

ガラス

寸法?

フランス、シャルトル

ゴシック

●ディスクリプション

ゴシック期には、聖堂の天井を高くするために建築技術が向上し、壁面にかかる重圧を分散させることによって、このような大きなステンドグラスを壁面に飾ることができるようになった。それぞれの精緻な細工によってつくられたステンドグラスは、キリストの過去、現在、未来にわたる世界観が表現され、文字の読めない人たちの絵解きとなっている。その中でも、この聖母とキリストの眼差しから差し込む柔らかな光は、見る者をやさしく包み込み、多くの人々を神聖な神の領域へと導く。暗く冷たい石造建築の中で、霊妙な光は現世と神の領域の区別をなくし、神秘的な体験を生み出す。この聖母像は12世紀末に焼失した古い大聖堂を飾っていた遺品で、再建された大聖堂にもはめ込まれ、内部を再び荘厳な光で包み込んだ。

23ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ジョット・ディ・ボンドーネ

(Giotto de Bondone 1267-1337)

《荘厳の聖母》

1310年頃

板、テンペラ

325×204cm

イタリア、フィレンツェ、ウフィツィ美術館

ゴシック絵画

●ディスクリプション

神と教会が絶対的な権威を持っていた中世では、現実世界や人間の存在は絵画の表現では重要視されていなかった、しかし13世紀から、現世に生きる人間の真実を語る新たな展開をみせた。ジョットは平面的な聖なる世界の表現でなく、3次元の現実世界に生きる人間的要素を取り入れ、2次元の絵画のなかにドラマテックな現実世界を造り出した。このフィレンツェのオニサンティ聖堂のために制作された祭壇画は、玉座が立体的に描かれ、こちらを見つめる聖母は手を伸ばせば触れることができそうな塑造的量感をそなえ、祈りを捧げる信仰者を聖なる世界へ誘い込む。イタリア絵画の父と呼ばれるジョットは、宗教画の神秘的な雰囲気のなかに人間の生命観を取り入れ、絵画の革新的可能性を確立した。ジョットはルネッサンス絵画の先駆者となった人物であり、多くの人々に感銘を与えた。

24ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

シモーネ・マルティーニ

(Simone Martini 1284年頃-1344年)

《受胎告知》

1333年

板・テンペラ

184×114cm

イタリア、フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵

ゴシック

●ディスクリプション

聖母の前にひざまずいたガブリエルが、マリアにキリストの懐妊を告げている。その言葉は視覚化され、空中に浮かぶ金色の文字となって書かれている。この受胎告知の図は、シエナ大聖堂の祭壇画として描かれたもので、ドラマティックなシーンに金地の厳かな光沢の背景によって、堂内は荘厳な空間をつくりだしていた。繊細で幻想的な祭壇画は、フランスの写本装飾や大聖堂ファサードにある門の典型的な構造に共通点があり、ゴシック時代の装飾感覚がみごとに体現化されている。シモーネ・マルティーニは、ドウッチョを師事したシエナ派を代表する画家で、ドウッチョ門下では最も秀でた弟子であった。シエナ派の画風に、この時代のヨーロッパ各地の共通のゴシック様式を融合させた独自の画風は、国際ゴシック様式を予告する優美な表現を展開している。

25ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

フィリッポ・ブルネッレスキ

(Fili1ppo Brunelleschi 1377年〜1446年)

《サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ドーム》

1420年〜1436年

石造

ドーム直径 42m

イタリア、フィレンツェ

ルネサンス建築

●ディスクリプション

フィレンツェのシンボルであり、国力の絶頂を示す記念碑となったドームは、彫刻家から転じたブルネッレスキの考案した架構法によって建築された。かつてない巨大なドームの建設は聖堂の大部分が完成した状態でも、多くの問題のため滞ってしまい、工法の公募がおこなわれた。その中でブルネレッスキの提案が選ばれたのであった。ドームに造りだされる円形は、欠けることのない完全な形態の円を、無限に広がる宇宙として表し、堂内からはるか彼方の天上の世界を仰ぎ見るために、聖堂建築の中でもっとも重要な部分として考えられていた。独特の構造のドームは、軽量化をするために全体を中空の2重構造とし、足場を組まずに建築を可能した工法によって高くそびえるドームを実現した。さまざまな技術的困難を克服して完成したドームは、彼の名を不朽のものとし、建築史に計り知れない影響を与える。

26ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ミケロッツォ・ミケロッツィ

(Michelozzo Michelotti 1396年〜1472年)

《パラッツォ・メディチ=リッカルディ》

1446〜1457年

石造

寸法?

イタリア、フィレンツェ

ルネサンス建築

●ディスクリプション

フィレンツェで貿易と金融業で富をなしたコジモ・ディ・メディチが、彫刻家兼建築家でもあるミケロッツィに邸宅の建設を依頼して建てられたものである。フィレンツェでは、古代ローマの文化を蘇らせようとするルネサンス期の思潮の中で、新たなデザインとローマ建築を融合させたパラッツォと呼ばれる現代のビルディングのような形態をした邸宅や宮殿が建設された。意匠の異なるファサードのデザインで、3層の壁面は、下部の粗い仕上げから上層部にいくにしたがってなめらかな仕上げとなっており、1階の粗石積みが建物全体に安定感を感じさせる造りになっている。最上階の張り出した軒の装飾も全体を引き締める役目をしている。ミケロッツィは、ブルネレッスキが示した新しい建築を幅広い分野に応用をみせ、秩序と安定を志向するルネサンス建築の理想が遺憾なく発揮され、ルネサンス建築の基礎をつくった人物いえる。

27ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マザッチョ

(Masaccio 1401-1428頃)

《聖三位一体》

1428年〜1428年

画布・フレスコ

667×317cm

イタリア、フィレンツェ、サンタ・マリア・ノッヴェラ聖堂

ルネサンス絵画

●ディスクリプション

マザッチョの創作した絵画は、フィレンツェで活躍したジョットの現実感のある画風を、いっそう真実みのある世界に仕上げたものであった。人体のボリュームは彫刻家のドナテッロの肉体表現を備え、空間の表現はブルネッレスキの科学的な遠近法を用いて、徹底したリアリズムの世界を絵画表現の中で実践した最初の画家である。表された遠近法も、正面に立って見る観覧者の目の高さを意識した構図をとっており、画布を注意して見ると、絵の具の下にある消失点が今も確認することができる。壁面をくり抜いたような空間表現に、聖母が招く手と、投げかける眼差しによって、見る者を神の世界へ迎え入れようとする。そして、画布の中は神も生きる者も死せる者も、みな同じ時間を共有し、十字架にかけられた中央のキリストを仲介して、永遠不易の時間を共有する。

28ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ピエトロ・デッラ・フランチェスカ

(Piero della Francesca 1415-1492)

《聖十字架伝説 十字架の発見と検証》

1454年〜1464年頃

壁画、フレスコ

356×747cm

イタリア、アレッツォ、サン・フランチェスコ聖堂主礼拝堂

ルネサンス絵画

●ディスクリプション

フランチェスカの代表作であり、中世の『黄金伝説』が典拠となった彼の最大の壁画でもある。ゴルゴダの丘で、キリストが磔刑にされた十字架を探し出すため、見つかった3本の十字架の1つを若者の遺体にかざすと、死から蘇りキリストが架けられた十字架であることがわかった神秘的瞬間が描かれている。ピエロが描く人物は、無表情で永遠に静止したかのように描かれている。そのために長い間その価値が理解されなかった。しかし、セザンヌやキュビズムを経た現在、20世紀の感性は彼の作品を再発見し、今日では初期ルネサンスの代表する画家の1人として上げられる。青年期にマザッチョの壁画やアルベルティの著書を通じて幾何学的精神に基づく遠近法を学び取り、数学者としても著名で、この壁画も遠近法を利用した数学的な秩序のある絵画空間をつくりだし、宗教の主題を知性にみちた構成で仕上げている。

29ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

サンドロ・ボッティチェッリ

(Sandro Botticelli 1444-1510)

《ビィーナスの誕生》

1485年

画布・テンペラ

172.5×278.5cm

イタリア、フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵

ルネサンス絵画

●ディスクリプション

フィレンツェの統治者ロレンツォの従弟、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチの依頼により制作され、『春』と2枚1組となってメディチ家の別荘に飾られていたものである。ヴィーナスがキュプロス島に漂着したという伝説をもとに、明るく軽やかに地中海の柔らかな陽光を受け、肉付けの浅い流麗な線描によって耽美的世界の極地を見せる。構想は新プラトン主義の哲学にもとづいて天上の愛に至ろうと、美に対するプラトン的な恵みの深い愛によって、残忍な力を滅ぼそうとする寓意画である。上層知識人の求めに応じて人文主義者たちの哲学をあらわし、古代神話を主題に非写実的装飾性と宗教性の全面を出して作品を制作したものである。画風も、当時マザチョが始めた写実主義が広がる中で、意図的に国際ゴシック主義に立ち戻っている。

30ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ヤン・ファン・エイク

(Jan van Eyok 1390頃-1441)

《ニコラ・ロランの聖母》

1435年頃

板、油彩

65.0×62.3cm

フランス、パリ、ルーブル美術館

15世紀フランドル絵画

●ディスクリプション

淡い濃淡と光輝で描かれた宮殿風の建築で祈る宰相ニコラ・ロランの前に、聖母が出現している図である。この絵はニコラ・ロランの注文で描かれたもので、故郷オータンのノートルダム聖堂に飾られていた。ヤンは兄のヒューベルトと共に初期ネーデルランド絵画の創始者であり、当時のスタンダードなフレスコ技法では不可能な細部の表現と鮮やかな色を、新たに考案した油彩技法によって可能にした人物でもある。ヤンの描画法は、苦心して考え出した乾きの速い展色材で顔料を混ぜ、薄い色層を丹念に塗り重ねることで、透明感のある色彩と精緻な描法を獲得した。背景にある風景も、遠景を空気遠近法によって表し、近景と遠景を結びつける中景を省略することによって奥深い空間をつくりだした。ヤンはゴシック期の写実性を飛躍的に進歩させ、近世美術の誕生を告げるものとして重要な機転となる人物である。

31ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ヒエロニムス・ボッス

ネーデルランド

(Hieronimus Bosch 1450頃-1516)

《快楽の園》

1505年〜1516年頃

板・油彩

中央パネル220×195cm各翼220×96cm

スペイン、マドリード、プラド美術館

15世紀フランドル絵画

●ディスクリプション

両翼の閉鎖状態では、父なる神が手にする水晶球に入った天地創造が描かれている。そして両翼を開けるとともに、左翼のエデンの園のアダムとイブ、中央には快楽に支配された人類、右翼の終末論的ヴィジョンが展開される。中世以来の伝統的な地獄や魔物の図像で展開される祭壇画であり、奇怪な怪物たちと人間が、ボッスの独創的な想像力で世界を造り出している。当時のヨーロッパでは疫病が流行り、道徳も低下し、キリスト教の終末観が広まっていた。目で見る説教にしようとする意図があり、ボッスの厳格な道徳主義者の意識も感じられ、過去に前例のない絵画を生み出す要因があったことを読み取れる。ボッスの思想は、宗教改革時代のドイツの教訓的な木版画や、ピーテル・プリューゲルによって受け継がれ、シュールレアリズムの画家達にも影響を与え、独特な系譜を形成していく。

32ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

クラウス・スリューテル

ネーデルランド出身

(Claus Sluter 1350年頃〜1406年頃)

《モーゼの井戸》

1395年〜1405年

石彫彩色

190×265cm

フランス、ディジョン、シャルトルーズ修道院蔵

15世紀フラドル

●ディスクリプション

キリストの出現と受難を予告した6人の予言者であるモーゼ、ダヴィデ、エレミア、ザカリア、ダニエル、イザヤと、悲しむ6人の天使が写実的に彫刻され、かつては頂上部にキリスト磔刑の彫刻があったと伝えるが、現在はわずかに彩色の残るこの台座だけになっている。14世紀頃から、北方の彫刻は建築装飾としての性格が強かったが、新しく大胆な試みもされて、優れた成果を生み出した時期でもある。このモーゼの井戸は、ネーデルランド出身のスリューテルが、フランス中東部のフィリップ豪胆公に招かれて制作した彫刻で、流麗な衣襞表現や重量感のある造りは、威厳のある聖者としての力強さが感じられる。顔の表現には、緻密な細部の描写と雄弁な感情表現がなされ、それぞれの人物に内面性までも表れている。スリューテルの写実主義は、新時代を開く力をもって15世紀北方彫刻をリードしていき、雄勁な様式は多くの画家たちにも影響を及ぼした。

参考文献リストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1、《ギーザーピラミッド群》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

下中邦彦発行『世界考古学大系第13巻』平凡社、昭和35年12月24日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田村正隆発行『世界遺産 建築の不思議』ナツメ出版社、2007年5月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

吉岡滉発行『世界の建築第1巻古代オリエント・古代アメリカ』学習研究社、1982年8月25日

2、《クノックス宮殿 建築》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

朝倉邦造発行『図説世界文化地理百科古代ギリシャ』朝倉書店、1984年6月25日

下中邦彦発行『世界考古学大系第13巻』平凡社、昭和35年12月24日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

3、《クリティオスの少年》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

小野寺玲子編、図録『ビクトリアン・ヌード−19世紀英国のモラルと芸術』毎日新聞社、2003年

4、《円盤投げ(ローマンコピー)》

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

ナイジェル・スパイヴィー、マイケル・スクワイア著(小林雅夫、松原俊文訳)『ギリシャ・ローマ文化誌百科』原書房、2007年4月15日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

5、《アテネ パルテノン神殿》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

朝倉邦造発行『図説世界文化地理百科古代ギリシャ』朝倉書店、1984年6月25日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

下中邦彦発行『世界考古学大系第14巻』平凡社、昭和35年3月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

田村正隆発行『世界遺産 建築の不思議』ナツメ出版社、2007年5月10日

6、《アレクサンダーモザイク》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

下中邦彦発行『世界考古学大系第14巻』平凡社、昭和35年3月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

ナイジェル・スパイヴィー、マイケル・スクワイア著(小林雅夫、松原俊文訳)『ギリシャ・ローマ文化誌百科』原書房、2007年4月15日

ナイジェル・スパイヴァー、マイケル・スクワイア(小林雅夫、松原俊文訳)『ギリシャ・ ローマ文化誌百科』原書房、2007年4月15日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館、2009年4月20日

7、《ラオコーン》

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

ナイジェル・スパイヴィー、マイケル・スクワイア著(小林雅夫、松原俊文訳)『ギリシャ・ローマ文化誌百科』原書房、2007年4月15日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

8、《夫婦の横臥象》

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

ナイジェル・スパイヴィー、マイケル・スクワイア著(小林雅夫、松原俊文訳)『ギリシャ・ローマ文化誌百科』原書房、2007年4月15日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

柳町敬直発行『世界美術全集第5巻古代地中海とローマ』小学館、1997年6月30日

『ルーブル美術館』サイト、http://www.louvre.fr/ 2009年9月22日検索

9、《秘儀荘》ポンペイ壁画

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

ナイジェル・スパイヴィー、マイケル・スクワイア著(小林雅夫、松原俊文訳)『ギリシャ・ローマ文化誌百科』原書房、2007年4月15日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

柳町敬直発行『世界美術全集第5巻古代地中海とローマ』小学館、1997年6月30日

10、《コロッセオ》

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

下中邦彦発行『世界考古学大系第14巻』平凡社、1960年3月10日

田村正隆発行『世界遺産 建築の不思議』ナツメ社、2007年5月10日

11、《パンテオン》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』、創元社、2005年4月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

下中邦彦発行『世界考古学大系第14巻』平凡社、昭和35年3月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

田村正隆発行『世界遺産 建築の不思議』ナツメ出版社、2007年5月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

12、《サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂 内部》

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

吉岡滉発行 相川俊一郎編集『世界の建築第4巻ロマネスク・東方キリスト教』学習研究社、1983年4月25日

柳町敬直発行『世界美術全集第7巻西欧初期中世の美術』小学館、2000年7月20日

13、《ウラジミールの聖母》

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

Vladimir lvanov 著(吉向キエ訳)『ロシア・イコンの世界』中央出版、1990年11月1日

折橋俊英発行『世界美術全集第6巻ビザンティン美術』小学館、1997年8月10日

14、《皇帝ユスティニアヌスの壁画》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』、創元社、2005年4月10日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

折橋俊英発行『世界美術全集第6巻ビザンティン美術』小学館、1997年8月10日

15、《マクシミアヌスの司教座》

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

折橋俊英発行『世界美術全集第6巻ビザンティン美術』小学館、1997年8月10日

16、《アギア・ソフィア大聖堂》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

下中邦彦発行『世界考古学大系第14巻』平凡社、昭和35年3月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田村正隆発行『世界遺産 建築の不思議』ナツメ出版社、2007年5月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

吉岡 滉発行 相川俊一郎編集『世界の建築第4巻ロマネスク・東方キリスト教』学習研究社、1983年4月25日

折橋俊英発行『世界美術全集第6巻ビザンティン美術』小学館、1997年8月10日

17、《キリストのモノグラム》『ケルズの書』

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

柳町敬直発行『世界美術全集第7巻西欧初期中世の美術』小学館、2000年7月20日

柳宗玄編『大系世界の美術 第10缶初期ヨーロッパ美術』学習研究社、1988年1月8日

18、《生命の泉》『ソワッソンの福音書』より

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

柳町敬直発行『世界美術全集第7巻西欧初期中世の美術』小学館、2000年7月20日

19、《ピサの大聖堂》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田村正隆発行『世界遺産 建築の不思議』ナツメ出版社、2007年5月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

吉岡 滉発行 相川俊一郎編集『世界の建築第4巻ロマネスク・東方キリスト教』学習研

究社、1983年4月25日

20、『王の扉』シャルトル大聖堂

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館、2009年4月20日

田村雅隆発行『世界遺産 建築の不思議』ナツメ社、2007年5月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

吉岡 滉発行 相川俊一郎編集『世界の建築第5巻ゴシック』学習研究社、1982年6月17日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

柳宗玄編『大系世界の美術 第11缶初期ロマネスク美術』学習研究社、1988年1月8

21、シャルトル大聖堂

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館、2009年4月20日

吉岡滉発行『世界の建築第5巻ゴシック』学習研究社、1982年6月17日

22、《美しき絵ガラスの聖母》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

23、ジョット・ディ・ボンドーネ《荘厳の聖母》

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

岡田衛発行『世界美術全集第10巻古代ゴシック2』小学館、1994年10月20日

24、シモーネ・マルティーニ《受胎告知》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

関根望発行『聖書美術館2新約聖書1』毎日新聞社、1984年11月30日

森護著『ヨーロッパの紋章』三省堂、1979年5月

25、フィリッポ・ブルネッレスキ《サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ドーム》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』、西村出版、2002年6月1日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

吉岡 滉発行 相川俊一郎編集『世界の建築第6巻ルネサンス・マニエリスム』学習研究

社、1983年月27日

26、ミケロッツォ・ミケロッツィ《パラッツォ・メディチ=リッカルディ》

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

吉岡滉発行『世界の建築第6巻ルネサンス・マニエリスム』学習研究社、1983年月27日

27、マザッチョ《聖三位一体》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

28、ピエトロ・デッラ・フランチェスカ《聖十字架伝説 十字架の発見と検証》

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

渡邊靜夫発行『世界美術全集第11巻イタリア・ルネサンス1』小学館、1994年7月10日

29、サンドロ・ボッティチェッリ《ビィーナスの誕生》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

ナイジェル・スパイヴィー、マイケル・スクワイア著(小林雅夫、松原俊文訳)『ギリシャ・ローマ文化誌百科』原書房、2007年4月15日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

30、ヤン・ファン・エイク《ニコラ・ロランの聖母》

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

木元幸一発行『西洋絵画の巨匠12ファンエイク』小学館、2007年1月10日

31、ヒエロニムス・ボッス《快楽の園》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

32、クラウス・スリューテル《モーゼの井戸》

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

木元幸一発行『西洋絵画の巨匠12ファンエイク』小学館、2007年1月10日