洋画卒制T-4-2-2-副論

再提出となったポートフォリオと共に提出した副論です。

内容は、プレ服論から発展させる方法など、制作中の卒制作品のことをベースにと、

先生に助言をもらって作成しました。

こちらも無事に合格です。

あとは作品制作に集中するのみです。

洋画演習Ⅳ―第2課題(2)副論

氏名 杉森康彦 題名「矛盾とジレンマ」

過去の私を振り返ってみると、現在の画風は思いも寄らず、油彩を制作の主軸にすることや、祇園祭というテーマをライフワークにしていることは想像すらしなかった。高校へ通っていたころはイラストレーターになりたかった。卒業後、イラストを描いていたころは芸術的表現というものにも憧れた。セザンヌが、印象派絵画を美術館に展示されるような、芸術的で永続的な価値を創り出すことを目標としたように、イラストレーションという枠組みの美術的価値を高め、芸術の領域に引き上げてみたいと考えたこともある。しかし、そのような器量は私にはなく、現在の私は昔に制作していたような動物イラストは描かなくなり、油彩で風景画を描くようになった。

今回の卒業制作は私の原点回帰ともなる画風で、制作する課程では過去の様々な想いを回想しながらの制作となっている。イラストから風景画へ方向転換したこと。我流で油絵を描き始めたこと。今では祇園祭はライフワークとなっているが、初めてF100号を描くために、なんとなくモチーフとなった山鉾のこと。ギャラリーで本学の通信教育部の資料請求を見付け、油彩を学ぶために入学を決めたこと。そして、イラストを芸術の領域にする夢。油彩でイラストのような作品を制作することも戸惑いある時間となる。表現スタイルについて、矛盾を感じながらも制作は進む。私の制作の原動力となっている京都の風景は、油彩ではなく日本画による制作が適しているのではないだろうか。そして、三次元の現実世界を平面へと変換しなくてはいけないジレンマ。平面と立体、イラストと芸術の狭間と感じながらも制作は進んでいく。

プレゼンテーションで話すこととなった、10年後の企みを発表することを契機に、狩野永徳などが制作した洛中洛外図を構想の源にして、祇園祭洛中洛外図を制作することになった。参考となる洛中洛外図は、矩形の限られた空間の中に、京都という広大な敷地を描き込むための工夫があり、絵画空間に住まう人々は生き生きと生活し、遊び心が満ちあふれたものとなっている。不自然なはずの源氏雲は、絵画空間を成立させる手助けをしている。全面に金箔を押し出しながらもなんら不可解な絵とはならず、複数の時間的要素と広大な空間を繋げるための1つの造形要素となり、都市空間が描かれていることを鑑賞者に自然に理解させる。一種異様な絵画空間でもあるが矛盾をひとつも感じない。なぜであるか。このことは私の推論の域を脱しない考えである。過去の日本の絵師たちも、写実表現を追求することもできはずであるが、しかし、緻密な写実的表現へと興味は向かわず、平面でしか表せない絵画空間独自の自由性と、つじつまが合わないことも造形表現では美として成立させることができる、絵画表現のあるべき姿を探求していったのではないだろうか。洛中洛外図という作品を通じ、日本の絵師が求めた美的絵画表現の思惟を学んでいるように思う。

祇園祭においても様々な矛盾が混在する。京都では戦乱や大火によって幾度も山鉾が焼失し、再興を繰り返しているが、不思議とすべてのものが祇園祭の起源から守り続けられた伝統文化であることを思わせる。祭礼起源の意志のみが継承され、美術品に関しては新旧の懸想品が混在する祭礼である。祭神はスサノヲ尊を祀る祭礼でありながらも、インドを起源とする牛頭天王や、山鉾にもそれぞれの祭神があり、様々な神が混在する。また、イスラエルの祭礼を起源とする論証もされている。山鉾の胴懸けには日本の物もあるが、舶来の染織品、旧約聖書創世記の逸話を題材としたものが使われ、中国の故事を取材したものや、現代の作家が胴懸けをデザインすることもある。しかし和の伝統文化の結集であることを、何ら不自然な事を感じさせず、様々な矛盾やジレンマがありながらも、日本人はためらうことをせずに京都の伝統文化の結集として祭礼を執り行なっている。多様性や矛盾を負として捉えない日本人の感性が、祇園祭のような優美で自由な祭礼文化を造り出したのではないだろうか。

この副論では、洛中洛外図と祭礼を再考することを契機に多くの発見があった。矩形の絵画空間の中に、時間的要素や広大な空間を作り出す表現手法。洋画が日本の文化と習合し、油絵で日本の風景を描くことになんら問題がないこと。日本の絵師の造形表現に潜む奥深い遊び心。そして矛盾とジレンマは負の要素とはならず大切な構成要素となること。

芸術は表現であり、作家が現実世界から受けた刺激を造形や色彩によって感情を封じ込め、言葉では言い表せない想いを表現できる楽しみがある。反面、平面絵画の芸術という分野は、固定された造形と色面の絵画空間の中に感情や揺らぎを感じさせる難解な技が必要である。私の求める油彩の和的表現はどのようすればよいのか。私にとって卒業制作は大学での学びの成果でなく、芸術表現研究の始まりとなるようだ。

(2000文字 2013年10月14日)