共通T----------美学概論-課題2

第1課題と同時に進めた課題です。

こちらの方はテキストだけでは書けない内容です。

参考文献の本は、大学の図書館にもありましたが、2週間の貸し出しだけでは

読み切れるものではないので、古本屋さんで見つけて買ってきました。

これがなかなかレアな本なので、売っているところをネットで見つけての購入です。

とりあえず載せてみますが、あまり参考にしないでください。

レポート系の課題で初めて考えたものです。

第1、2課題が合格できると単位認定試験を受けるつもりです。

認定試験用の5つの内容のものを、それぞれ800文字程度で下書きはできていますが、

レポート全部を順番に推敲を重ねて仕上げています。

見直すごとに全部が修正されていって、キリがないので課題は提出しました。

4単位の課題はボリュームありますね。

美学概論

第2課題レポート

Aestheticsを「感性論」として考察し直すことについて

思考プロセスと知的表現活動————————————

人間の精神活動の中で、根拠のないように思える「気分」という精神的作用も人間の心理的能力の1つである。胸中の思いを伝えるために人間は会話をし、文字として書き留めれば時間と場所を越えて思いを伝えることができる。しかし、地球上には多彩な言葉があり、違う言語システムを使う者では伝達機能が作用しない。そのために最も似た言葉に翻訳される。それぞれの言語で表された人間の思考は、シンプルな感情表現の場合、「人」として共通するものがあり変換することは容易にできるが、文章として綴った複雑な思考は、それぞれの言葉の配置によっても意味合いが変わってしまう。「Aesthetics」を日本語で表す場合に「美学」が一般化しているようであるが、「Aesthetics」のための論述を読み解いていくにつれ、人の感性的作用を理論的に解き明かしたものであることがわかってきた。論述によって複雑に組み立てられた言語を、一つの単語として表すことは困難なことである。日本語で「Aesthetics」の翻訳を「美学」とするのではなく、「感性論」として改めるか、それとも「美学」という言葉に対する観念を変えることが必要なのか。言語は同じ言葉を使う者同士でさえ、気分を他者へ明確に伝えることは困難なことがある。言語システムは、けして安定した表現形態ではなく、定期的に更新しなくてはいけない表現形態であることが伺える。そこには、人間の能力である「イメージ」を記憶するという、未知なる知覚の作用が働いているのである。

人の思考能力は、身体に備わった感官から得られた刺激を記憶し、その蓄積を元にして感情を生み出し、連続的に思考することによって新たな感情を作り出している。思考することの根源を考えてみると、生きるために必要な「生命体」としての思考活動から始まったものであるが、記憶の蓄積を元に生まれてくる感情は、記憶を積み重ねるごとに複雑化していく。その感情を適切に表現するためには、社会の中で共通したイメージ作用をもつ、細やかな感情を表せる言語をつくらなくてはい。それは、社会の中で生きて行く為の共通の秩序として備えられなくてはいけない、理性や道徳として共有された意識である。共通した表現形態は、生まれ育つ環境から吸収し、社会に属するものとして、教育機関でおおよそは強制的に備わるようになっている。秩序と道徳的な営みが、現代社会に生きるために必要なものと考えるのなら、

道徳感情は生存するために必要な原始的な思考の部類に入ってしまうかもしれない。しかし、社会が肥大化していけば、その理解には高度な思考と理解能力が必要であり、それは「理性」として機能する。

人間の思考活動のなかで、人間の心理作用は、人間自体が理論化できていない思考プロセスがある。もし、人間を生きるための「生命体」としてだけで存在するならば、思考活動は生命維持の機械的認識機能があれば十分である。しかし、人間には充実した人生を送るために必要な多彩な精神活動がある。食事をする場合にもマナーがあり、味覚を楽しむこと以外に、盛り付けや演出にも気が配られる。生活空間でも、それぞれの部屋に装飾を施すことや、庭には季節に合わせて植物が育てられている。そこには自分自身が生活を心地よいものにするための趣味的活動があり、好みに合わせて「美しく」思うように演出されている。一様ではない、人よって違う趣味的心理作用は、「感性」といわれるもので、個々の人に備わった心理的能力でありながらも、それぞれの人によって作用が違う心的機能である。自由にイメージを造ってしまう感性の作用は、ものごとの共通性や理論を見出す客観的な理性の観点からすれば、統一性がない不明瞭な志向で、不完全なものとして捉えられる傾向にある。しかし、複雑で予測のできない不完全な形態の中にも、統計とり、全体をとおして把握すれば、一定の法則が存在する。このことは人が物を作ることに対峙した状態にヒントが隠されている。

「物を作ること」、そこには結果を予測しながらも、想像のつかない結果を期待した感性的思考がフルに稼働した活動といえるものである。物を作る場合、まずは自発的な発想が必要である。そして、今までの経験してきた記憶から、完成イメージを想定し、頭の中の幻影するイメージに近づけるために、制作行程で複数の選択項目を作り出し、その中から最善のものを決めていく、連続的な決断を繰り返すことによって形として作り出すのである。そして、完成されたものには自らの評価以外にも、他者に評価されることも期待する。その「期待」は、発想した時点で潜在的に働いた心の作用であり、人間に共通した最も良い形態を目標とされたもので、作り続ける行程で常駐した意識である。時代のニーズに合ったものにするか、それとも新たな形態を創出するか。物を作る行為には、イメージを形にするという難しさと、多くの人々

の好みを読み取る優れた感性と先見性が必要な活動といえる。

いつの時代も魅力的なものを求めているのが人である。物を作る行為は、細やかな心の作用の積み重ねと、思考の連鎖によって大きな結果を生み出す。社会の中での生産活動も、過去に人々を魅了した物を参考にして、そこに法則を見出し、模倣をしても同じ結果を期待することはできなし、時代ごとの思想や環境の変化を考慮しなくてはいけない。流行は、一時的に人々を魅了させたものとして歴史に刻まれる。長期にわたって受け入れられれば、人にとって重要な役割をもつものとして生活の必需品にとなる。良いものや便利なものに魅了されるという意識は、潜在的に備わった選択識別能力で、普遍的にある人間の能力である。はじめは、自我の主観的な欲求からくる選択である。しかし、感性が高度化していけば、多くの人々に認められる客観的感性が必要とされる。その主観的な感性を解明して、人々の思考の共通性を見出し、プロセスを理性的な理論に変換することが感性論の役割の一つで、人々を魅了させる「美的」なものがプロセスの解明に重要なヒントがある。「Aesthetics」は、主に「美術」を例にあげて論及されており、日本において「美学」と理解された要因は、感性が認識する美的なものと、芸術活動に共通性があったからだと考えられる。

「Aesthetics」は、具体的な形のあるものではない心的作用である。また、「美」も美しいものを指すだけではなく、無意識のうちに興味が引かれるものも含まれており、潜在的に人々に備わった「潜在的興味認識」でもある。時代が変化しても、人々を魅了する美的活動や道徳を求める思考は存在する。人間の認知能力は、能力以上のことは知覚ができないが、「考えられている」ならば、そこに理論とプロセスが存在する。感性的思考は、言語認識以前の、直感的イメージ認識の世界で働いた場合と、言語活動によって美的意識が発生することがあり、個々の心理の中で働いた主観的作用と客観的思考を考慮して解明されなければいけない。人間はかたちのない知覚から感情が発生している。不透明で不可解な心のメカニズムを、かたちある言葉として解明していくこと、そして共通認識に至るまでの新たな「言語」をつくりあげることが感性論の重要な役割といえる。そして、その解明された美的感性論は、理性によって美的共通認識となり、人々の表現形態の1つとして成り立つの

である。Aestheticsが美学として受け止められたことも、他言語の感性的言語の翻訳で、未開の学問を日本で表すための言語表現の難解さを表したものといえるものである。

人間の活動は、現実から受け取ったイメージを受容し、思考したことを他者へ伝達することによって成り立っている。その代表的な思考能力である理性と感性は、相互に関係しており、お互いを平行に作用させることによって人間の表現活動が成り立っている。そして、人々が表現したことすべては、その人の持っているイメージの中で決断された最上の表現によって表されている。その最上の表現を生み出すためのプロセスを解明し、人々の表現能力を豊にし、更なる優れた知的表現活動へと導くこともAestheticsの役割といえる。

(総文字数 3287文字)

参考文献——————————————————————————————

・酒井紀幸・山本恵子編著者『新版 美/学』大学教育出版、2009年7月10日

・岩見見一編『感性論 認識機械論としての<美学>の今日的課題』晃洋書房、1997年2月28日