大学院-美術工芸特論2-2-Sレポート

1月末「西洋芸術史の諸問題」というスクーリングを受けてきました。

今年度最後のスクーリングで、受講後のレポートも無事に合格です。

ホッと一息つきました。

レポートテーマ「ディアファネースの描出」

ディアファネース、環境に介在し、現世を構成するための重要な要素でありながら、存在の認識が難しいもの。灰色、無限の色調があり、それぞれに具体的な名前が付けにくい、なんだかわからない色。イメージ、言葉にはできない、心の中にある云わく言いがたい画像。絵画表現では、どれも重要な因となるものではないだろうか。私自身、これらのことを油彩画で表現しようと試みている。

私の制作のテーマは主に風景で、「絵画=窓」といわれる、典型的な絵画表現のスタイルである。その制作で重要だと思っていることは、切り取る風景のその場の空気感をリアルに伝えることである。15世紀のフランドルの画家たちが、白や黄色の絵具を、ハイライトに見える具材であることを発見したように、風景にある気温や空気感を、色彩の掛け合わせによって、伝えることができる構成があるのではないかと考えている。これはアリストテレスの思惟した、ディアファネースを描こうとしていることではないだろうか。

多くの人は意識をしていないかもしれないが、瞳の現前にあるものは、まずは空気といわれる存在である。環境の中間に介在し、「なにか、よく理解できないもの」を通して、視覚情報を受け取っている。遠くになるほど重層していくもので、空は季節・風土・湿度によって色が違うと言われるが、絵画表現の具体的な例は空気遠近法である。遠くにあるものは霞と青みを帯びてくるというものである。これが視覚として感じている、ディアファネースの存在となるのではないだろうか。

存在するすべてのものを、差別することなく包み込むとても大きな存在。具体的な形もなく、存在感がないために、意識されずにいるもの。ディアファネースを介して人は世界を受け止めているのだが、その作用は伝播を和らげるような効果もあり、伝達にノイズを加えられることが負荷的要素とはならずに、逆にそのことが授受するためには重要で、霞の効果は受動する側の感受性を鋭敏にし、有無の二項対立とならずに、享受の幅を広げる可能性を秘めているのではないだろうか。もし、ダイレクトなコミュニケーションとなれば、有無の判断だけとなり、感性の広がりをもつことができない。曖昧な伝達であるからこそ、人々は無意識のうちに思考を深め、新しい知性を生み出すことができたのではないだろうか。

曖昧とされる灰色も、表現にとっては重要な要素であると考える。曖昧な色の効果は、鑑賞者に絵画の世界に入り込める余地を作ると考えているからである。水墨画では、モノクロームに無限の色を感じさせるようにする。墨に色の要素と色彩感覚の増幅を施すためには、濃淡の曖昧な部分が、重要となっているのではないだろうか。時には、歯痒い表現であるのかもしれない。しかし、移ろいある人間の心に、曖昧な絵画の世界は日々の見え方に変化を与える。自由に好む色を想像する力がある灰色は、心の目で色彩を楽しむことができる、幻想的な表現力があるのではないだろうか。

未だ言語になっていない感情があり、言葉で言い伝えられないイメージを表現できるのも、絵画独自のできる技である。グリーンバーグの考えた絵画の純粋性や本質について、平面性の強調やフォルムの美学だけではなく、言語表現の限界を越えた、風景から感じた感動を伝えることを可能にするもの、絵画のなせる技である。

私の絵画表現で重要なこと、人間の視覚と風景の間に介在するものを描出するチャレンジは、未だ考える余地がありそうだ。今後も、絵画の純粋性を考慮しながら研究を進めていこうと思う。

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