共通T----------美術史基礎1-課題2-解説

キャプションとディスクリプション集です。

私が提出した時は、ディスクリプションも項目が分けられていないときでした。

学ぶ身としておこなったことで、ぼちぼち間違っている所もあるんで参考程度に。

リストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1,《慈照寺銀閣》

2,《竜安寺石庭》

3, 雪舟《天橋立図》

4, 狩野元信《大徳寺大仙院障壁画》

5, 《姫路城天守》

6, 《本願寺飛雲閣》

7, 《妙喜庵待庵》

8, 狩野永徳《洛中洛外図屏風》

9, 長谷川等伯・久蔵《智積院壁画》

10, 《日光東照宮陽明門》

11, 《桂離宮古書院・中書院・新書院》

12, 俵屋宗達《舞楽図屏風》

13, 本阿弥光悦《舟橋蒔絵硯箱》

14, 尾形光琳《燕子花屏風》

15, 菱川師宣《見返り美人図》

16, 野々村仁清《色絵藤花文茶壷》

17, 鈴木春信《美人画版画》

18, 喜多川歌麿《美人画版画》

19, 葛飾北斎《神奈川沖浪裏》

20, 酒井抱一《四季花鳥図巻》

21, 伊藤若冲《動植綵絵》

22, 円山応挙《保津川図屏風》

23, 片山東熊《京都国立博物館本館》

24, 高村光雲《老猿》

25, 狩野芳崖《悲母観音》

26, 高橋由一《鮭》

27, 黒田清輝《湖畔》

28, 横山大観《無我》

29, 竹内栖鳳《斑猫》

30, 土田麦僊《舞妓林泉》

31, 鏑木清方《築地明石町》

32, 岸田劉生《麗子微笑》

1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

慈照寺銀閣

国宝1951.06.09(昭和26.06.09)

員数 1棟

構造形式 桁行8.2m、梁間7.0m、南面5.9m、二重、宝形造、杮葺

時代 室町時代 長享三年(1489)

所在地 京都府

所有者 慈照寺

●ディスクリプション

慈照寺にある銀閣は正式には観音殿と呼ばれ、足利義政の東山山荘を、義政の死後生前の遺志により禅寺に改められた。西芳寺の瑠璃殿を模して造られた二重の楼閣で、心空殿と名づけられた一階には、腰高障子や杉戸を多く用いられ、書院造の要素が色濃く造られた内部なっている。二階は潮音閣と名づけ、壁面に多くの花頭窓や軒下に如意頭文のような彫刻を配されており、三間四方の部屋に観音坐像が安置されている。禅宗仏殿の建築装飾の手法が多用されているが、一階と二階の異なる形式を組み合わせた意匠は室町建築の特徴で、この銀閣は当時の寺社建築の代表的な建物であり、室町時代に流行しはじめた庭園内の楼閣建築の代表例である。現在では、足利義満の建てた金閣とともに相国寺の山外塔頭のひとつとなっている。

●備考

鹿苑寺金閣舎利殿(1955年再建)

銀閣と共に、足利義満が建てた金閣も多様な建築様式が組み合わせられ、三階が禅宗の仏殿風、二階が和洋の仏堂風で、一階が和様の住宅となっていおり、下二層が寝殿造風に造られている。書院造風に造られた銀閣との比較することによって、様式の変化して行く当時の住宅事情がわかる。

2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

龍安寺方丈庭園

特別名勝1924.12.09(大正13.12.09)指定

様式 枯山水(石庭)

面積 東西25m南北10m(75坪)

時代 室町時代

所在地 京都府

所有者 龍安寺

●ディスクリプション

この石庭のある竜安寺は、宝徳2年(1450)に細川勝元が創建した。しかし文明4年(1472)に焼失し、その後、洛外に移築し勝元の子の政元が母の三回忌法要のために方丈を新造した時に石庭も築造されたといわれる。寛政9年(1797)にも堂塔伽藍が焼失し、現在の地に移築され、その時にも石組みは元の形のまま修復されたという。枯山水としては単純明快で、白砂の中に15個の石だけを配した石庭で、日本の庭園としては独特の手法の造りとなっている。一見水平に見えるが、少しの角度をつけ排水を考慮した造りや、西側の油土塀が手前から奥に向かって低くし、鑑賞者が奥行を感じるように設計されている。簡素な造りであるのに、現代でも鑑賞者に多くの意味を感じさせる抽象的な表現力は、作庭者が高度な演出手法の持ち主だったといえる。作庭者には諸説があるが、築地塀に寄った二石のうちの一つに小太郎、清二郎の刻名があり、その二人が造庭に関係した者ではなかとされている。解釈にもさまざまな説があり、謎が多い庭園である。

3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

天橋立図

国宝1952.03.29(昭和27.03.29)指定

紙本墨画淡彩

作者 雪舟等楊(1420〜1506頃)

員数 1幅

寸法 縦 89.4 cm 横 168.5 cm

時代 室町時代(15世紀)

所在地 京都府

所有者 京都国立博物館

●ディスクリプション

視覚的に端麗な構成力で、巨大な松の幹を中心に狩野派の豪壮優美な桃山障壁画の要素が感じられる襖絵である。基調は水墨画で、宋の花鳥図を骨子とし、大和絵の様式を取り入れようとした意図が感じられる。花鳥のみ彩色された部分色彩ではあるが、これがかえって色彩効果を強め、画面全体が着色されたかのような広がりがみえる。大仙院障壁画制作に参加した相阿弥の影響も受け、座敷を演出するための役割にふさわしい装飾的秩序と力強さが保たれおり、新たな画風として画期的な成功を収めた襖絵といえる。この障壁画は近年、制作時期が疑問視されており、大仙院の創建の永正10年(1513)とされていたが、方丈の大がかりな改築工事がおこなわれた天文4年(1535)に描かれたのではないかとする説もある。

4ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

四季花鳥図

重要文化財1907.05.27(明治40.05.27)指定

紙本著色

作者 狩野元信(1476-1559)

員数 8幅

寸法 174.5×139.5cm(4幅)174.5×99.0cm(4幅)

時代 室町時代(16世紀)

所在地 京都府

所有者 大徳寺大仙院

● ディスクリプション

視覚的に端麗な構成力で、巨大な松の幹を中心に狩野派の豪壮優美な桃山障壁画の要素が感じられる襖絵である。花鳥のみ彩色された部分色彩ではあるが、これがかえって色彩効果を強め、画面全体が着色されたかのような広がりがみえる。基調は水墨画で、宋の花鳥図を骨子とし、大和絵の様式を取り入れようとした意図が感じられる。大仙院障壁画制作に参加した相阿弥の影響も受け、座敷を演出するための役割にふさわしい装飾的秩序と力強さとが保たれおり、新たな画風として画期的な成功を収めた襖絵といえる。この障壁画は近年、制作時期が疑問視されており、大仙院の創建の永正10年(1513)とされていたが、方丈の大がかりな改築工事がおこなわれた天文4年(1535)に描かれたのではないかとする説もある。

●備考

相阿弥 山水図 各174.4×139.4cm 重文

大仙院の塔頭である大仙院の障壁画は相阿弥と元信一門の共同作業で制作された。

5ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

姫路城天守

国宝1951.06.09(昭和26.06.09)指定

員数 1棟

構造形式 五重六階、地下一階付、本瓦葺

時代 桃山時代 慶長13年(1608)

所在地 兵庫県

所有者 国(文部科学省)

●ディスクリプション

姫路に初めて城を築いたのは元広3年(1333)のころ、この地に勢力をもっていた赤松氏である。その後、羽柴秀吉と池田輝政の改築がおこなわれ、現在の大天守と小天守一帯の連立式天守は輝政の時代のものである。江戸時代に改築や増築が行われている。幸いに一度も戦渦にあわず、築城以来の城郭全体をほぼ完全な形で残している。大天守は最上階の床まで達する二本の太い柱を基本にし、外観は五重であるが、内部は石垣の内の一階を含めて七階の規模をほこる。外装は出格子や軒唐破風を設け、一重目の東側と二重目南側に豕扠首の古風な手法を用い、最上階だけは住居風の形式で造られている。曲線と直線が調和した華やかな構成美と、白亜の総塗籠で仕上げられた外装から白鷺城の名で親しまれている。

6ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

西本願寺飛雲閣

国宝1951.06.09(昭和26.06.09)指定

員数 1棟

構造形式 一階 招賢殿、八景之間、船入之間、入側、縁、茶室

二階 歌仙之間、階段、廻縁、中二階階段室、

三階 摘星楼、階段室より成る

南面及び北面25.8m、東面11.8m、西面12.5m、三重、こけら葺

時代 桃山時代(1573-1614)

所在地 京都府

所有者 本願寺

● ディスクリプション

変化に富んだ屋根が印象的な建築で、流れる雲をイメージさせることから飛雲閣と名づけられている。本願寺東南部の滴翠園にある庭園建築で、滄浪池から舟で直接部屋へ入る事ができるように、唐破風造りの屋根がかけられた船入の間が設けられている。二層目は、寄棟屋屋根に杉戸の内外に三十六歌仙の絵が描かれて歌仙の間と名づけられている。三層目の摘星楼は、物見のための部屋となっており、床間のある七畳の小部屋になっている。この楼閣は、秀吉が京都に築いた聚楽第から移築されたともいわれているが、移築までの年月がありすぎることや、二、三階は古式を保ち、一階の建築基準が江戸時代の寸法になっていることから、聚楽第からの建物が移されて飛雲閣の一部になっていると考えるのが妥当なところである。この変化に飛んだ建築は、それぞれの時代の様式を複合的に作られた瀟酒を極めた遺構である。

7ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

妙喜庵待庵

国宝1951.06.09(昭和26.06.09)指定

員数 1棟

構造形式 茶室二畳、次の間一畳板畳付、勝手の間より成る、一重、切妻造、

こけら葺、土庇付

時代 桃山時代(16世紀後半)

所在地 京都府

所有者 妙喜庵

● ディスクリプション

妙喜庵にある待庵は、秀吉が天正10年(1582)の山崎合戦後も半年ほど山崎の地を本拠とし、山崎城を築いた際、利休に命じて茶室を作られたものが原型と推測されている。解体されたその後は、利休と親しかった巧淑禅師のいる妙喜庵に移された。にじり口から二畳座敷の入ると、部屋正面にある床の間は、壁から天井と入隅柱までもが丸く塗り隠された洞床という手法を用いられている。隅炉のある入隅にも同じ手法がとられ、極侘を醸し出すため、極限まで切り詰めて狭くした室内を広くみせようとする工夫がある。わらすさの見える灰黒色の粗壁仕上げの壁には、大きさの違う窓を組み合わせで配置し、単調になりがちな室内に微妙な明暗の配布をつくり、利休が求めた主客直心の交わりと、茶の湯特有の深い精神性が醸成するように優れた空間構成となっている。

●備考

にじり口は、利休が大阪枚方へ行った際に、漁夫の家のくぐりを見て考案したといわれる。

待庵はまだ初期の手法とみられ、高さが89cmと普通より大きい。

8ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

洛中洛外図

国宝1951.06(昭和26.06)指定

紙本金地著色

作者 狩野永徳(1543〜90)

員数 六曲1双

寸法 各160.0×364.0cm

時代 桃山時代 永禄八年(1565)

所在地 山形県

所有者 米沢市上杉博物館

● ディスクリプション

織田信長が上杉謙信に贈ったとされる屏風で、右隻には祇園祭で賑わう下京の町並みを中心に御所や清水寺があり、左隻には上京の公方邸や細川邸を大きく配する形で描かれている。両隻ともに金雲の中にあらゆる階層の人々が描き込まれ、総計2485名もの人物が登場する。彼らの音や会話までもが聞こえそうなほど、都に生活する人々がいきいきと捉えられ、その町並みの主要な寺社、武家、公家の邸宅を示す墨書が232カ所にもおよび、他の洛中洛外図と比べるとはるかに多く書かれている。この屏風は、制作年代や注文主について長年にわたり論争が繰り広げられている。景観年代と贈与の時期に大きなズレが認められるからである。元々の注文主は足利義輝とされ、同盟を結んでいた上杉謙信に贈るために描かせたとされている。義輝は永禄8年5月19日に自刃しており、自刃後の9月3日に描き終え、永徳が彼の死後も描き続けたことになる。その後いかなる経緯からか信長が入手し謙信に贈ったという筋道が想定されている。

9ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

智積院障壁画

国宝 昭和27年3月指定

紙本金地著色 二十五面

松に秋草花図屏風 各227.3×331.0cm 紙本金地著色 二曲一双

楓図壁貼付 紙本金地著色 全4面 各174.3×139.5cm

桜図襖貼付(久蔵) 紙本金地著色 全4面 各175.6×139.5cm

松に立葵図床貼付 紙本金地著色 一面 342.5×411.0cm

松に黄蜀葵図(部分)342.5×411.0cm

作者 長谷川等伯(1539〜1610)久蔵(1568〜93)

員数 25面

時代 桃山時代(16世紀)

所在地 京都府

所有者 智積院

● ディスクリプション

これらの障壁画は本来、豊臣秀吉の三歳で没した長子鶴松の菩提を弔うために建てた祥雲寺の室内に描き上げられたものの一部分である。その後、祥雲寺は豊臣家滅亡後、徳川家康によって新義真言宗の智積院に下賜されているのだが、この障壁画には不運な経緯がある。天和二年(1682)に火災がり、93枚が救出された記録が残っている。その後再建されたが、明治に入って廃仏毀釈後に盗難されたものがあり、その後再び昭和22年に火災があり、現在の存するものは、その救い出されて残ったものである。二度の復旧後の再利用の際に、縮小、切り貼りされてはいるが、それぞれの躍動感のある松の幹や、葉の一枚一枚に宿る生命感は長谷川等伯、久蔵の卓越した技術が伺える。身近な木々や草花が艶やかに描かれており、実直に人の心をとらえる誰もが美しいと感じる絵画こそが、等伯の重要な要素であったと感じとれる。一部しか残っていない障壁画ではあるが、制作された当時の祥雲寺の壁面が生命観あふれる植物で満たされていたことがわかる洗練された障壁画である。

10ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

東照宮陽明門

国宝1951.06.09(昭和26.06.09)指定

員数 1棟

構造形式 三間一戸楼門、入母屋造、四方軒唐破風付、銅瓦葺、左右袖壁付

時代 江戸時代寛永13年(1636)

所在地 栃木県

所有者 東照宮

● ディスクリプション

徳川家康を神として祀った日光東照宮に、本殿の全体を区切る回廊の正面中央に設けられた門が陽明門である。初期の状態は屋根も檜皮葺であったと伝わるが、完成後の約20年後を経た寛永造替で、大部分がこのときに造られたと考えられている。東照宮の装飾の中心となす数多くの彩色された彫物には故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされ、幕府の彫物大工を統率する和泉家が代々棟梁として世襲し、たびたびの修理でも活躍した。多様な建築様式の総合がみられ豪華な装飾は、柱と柱の間の上にも組物がおかれ、縁にも手先の多い組物で支持することによって華やかさも増している。昭和にはいり修理がおこなわれ、彫物が取り外された際に裏から絵がみつかり、建築されたあとに彫物が付け加えられたことがわかった。過剰なまでに装飾と色彩で満ちたこの門は、現在にいたっても建築彫刻の華やかさは輝きを失っていない。

11ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

桂離宮古書院・中書院・新書院

員数 1棟

構造形式 入母屋造、杮葺

時代 江戸時代(17世紀)

所在地 京都府

所有者 宮内庁

● ディスクリプション

京都の南西の郊外にある桂離宮は、八条宮智仁親王と、その子智忠親王が元和元年から寛文三年(1615〜63)かけて造営した。離宮の中心となる古書院、中書院、新御殿は一度に建築されたわけでなく、古書院は智仁親王、中書院は智忠の時代に築かれ、続いて一六六三年の後水尾上皇の御幸に備え、新御殿が新築され、新造するにあたり古書院、中書院も、新書院の調子をあわせて改造がおこなわれ現状の姿になった。遠州好みの綺麗さびと呼応する数寄屋造り住宅であるが、新御殿には上皇御幸のため、一の間に上段が設けられ、上皇の座は天井も格天井となっている。桂棚や櫛形の書院窓も意匠を凝らしたデザインで新御殿は特別な造りとなっている。智忠親王の指示に従って源氏物語の記述を再現したとされ、王朝の雅やかな憧憬があらわれた、わびさびの文化の中でうまれた美意識の結集といえる。

12ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

舞楽図屏風

重要文化財1919.04.12(大正8.04.12)指定

紙本金地著色

作者 俵屋宗達(?)

員数 二曲一双

寸法 各155.0×170.0cm

時代 江戸時代(17世紀)

所在地 京都府

所有者 醍醐寺

● ディスクリプション

舞楽は平安時代に栄えた舞で、醍醐寺の桜会で演じられる5種類の演目を選び描かれている。金地に鮮やかな装束を着たそれぞれの舞人と、松と太鼓が点対称に描かれ、ゆったりとした配置ではあるが、お互いが引き合うような緊密感を感じる。宗達は、もともと独立した絵師でなく、俵屋という絵屋を主宰する町絵師として活動し『伊年』という共通の捺印を使用していた。本図は法橋叙任後に捺印したとされる「対青」印があり、宗達が1人の絵師として制作したとされる。醍醐寺にはこの図の他に、扇面散図と芦鴨図衝立と三点がまとまって残っていることから、醍醐寺と深い関係があったことを示唆している。宗達は屏風の画面上に、形と色彩を音符のように駆使し、天井的な遊戯な世界を現出さることによって、宗達の真骨頂が現れた名屏風といえる。

●備考

宗達の画風は、時代を隔て尾形光琳、酒井抱一が私淑し、琳派という流派として扱われている。琳派の画系を象徴する宗達の風神雷神図屏風は、時代を超えて模写された。

13ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

舟橋蒔絵硯箱

国宝1967.06.15(昭和42.06.15)指定

作者 本阿弥光悦(1558〜1637)

員数 1合

寸法 縦24.2cm 横22.9cm 高11.8cm

時代 江戸時代/17世紀

所在地 東京都

所有者 東京国立博物館

● ディスクリプション

蓋甲を高く盛り上げた独特の姿と、大胆な装飾材料の用法が使われたこの硯箱は、光悦の蒔絵の代表作である。総体は金懸地をつかい、付描で表された波に四艘の小舟をならべ、斜めに銅板をわたして舟橋が表されている。その図様の上に、銀製透かし彫りで後撰和歌集から源等朝臣の歌を光悦流の文字で書かれている。硯箱の見込部は、左手に方形の銅製の水滴と甲の持ち上がった硯を置き、右手に空間を設けて筆置とし、その右端に刀子納めを穿つという琳派独特の様式をとる。光悦が直接蒔絵をなしたかについては疑問があり、一連の作業を分業して制作する蒔絵では、意匠技法を指導したと考えるのが自然である。光悦は、書や茶碗などの各分野にも多彩な意匠家として発揮しており、中でもこの硯箱は、光悦蒔絵を祖とする琳派蒔絵の模範となるもので、尾形光琳をはじ

め、長田友治などのさまざまな蒔絵師の手本なったものである。

14ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

燕子花図屏風〈尾形光琳筆/六曲屏風〉

紙本金地著色

国宝1951.06(昭和26.06)指定

作者 尾形光琳(1658〜1716)

員数 六曲一双

寸法 各 縦151.2cm 横358.4cm

時代 江戸時代(18世紀)

所在地 東京都

所有者 根津美術館

● ディスクリプション

燕子花は光琳の最も好んだ題材の1つで、その中でも代表的な作品である。光琳は俵屋宗達を私淑とし、上層町衆の芸術的伝統を受継ぎ、宗達の装飾画風をより知的な意匠に洗練させた。金地に群青と緑青で燕子花のみを図案風に仕上げたこの屏風は、絵具の種類を極力制限し、デザイン的でありながら花弁のみずみずしさにあらわれた生命観と、明快な構成で光琳美術の魅力があらわれている。光琳はスケッチも心がけて写生帖を残している。装飾的な表現の中に生命感を感じるのは、本物が造り出す本質をあらゆる角度から感じとり、その上で作品が成り立っているからである。平明な装飾性の中に潜む、鋭い自然観と豊かな絵画表現は、晩年の傑作『紅白梅図屏風』をうみ、光琳没後には、その意匠は酒井抱一に受け継がれ、琳派として新たな芸術表現を確立していった。

●備考

尾形光琳 紅白梅図屏風 江戸時代中期(18世紀)紙本金地著色 二曲一双 各隻 156.0×172.2cm 静岡県MOA美術館

自然な紅梅と水流の意匠化の取り合わせが斬新で光琳芸術の総決算といえる作品である。

15ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

見返り美人図

国宝 指定

絹本著色

作者 菱川師宣(1618〜94)

員数 1幅

寸法 63.0×31.2cm

時代 江戸時代(17世紀末)

所在地 東京都

所有者 東京国立博物館

● ディスクリプション

浮世絵としては、主に木版画という表現手段が一般的で、師宣も版画が多く残っている。その作品の中でも、この肉筆画は師宣が描いたという信頼できる作品で、一人立ちの美人図である点でも珍しい作品でもある。歩みの途中でふと振り返る印象的な仕草は『菱川やうの吾妻俤』と虚栗にも謳われており、師宣画の魅力的が十分にうかがえる作品である。描かれている帯の結びは、歌舞伎役者の上村吉弥が舞台で評判になり、延宝年間に流行したといわれている吉弥結びで、帯も江戸初期に比べるとかなり広くなり、袖も小袖であり、描かれた絵からは当時の人々の装束を知ることができる。師宣は、浮世絵の創始者といってもいい存在で、版本の記事に付属する挿絵としての存在を、一枚の絵として独立した浮世絵版画の道を切り開いた人物で、その後歌麿、写楽、北斎へと継承され、役者絵の誕生にもつながっていったのはいうまでもない。師宣は浮世絵の誕生を考えるには欠かせない存在なのである。

16ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

色絵藤花文茶壷

国宝1951.06.09(昭和26.06.09)指定

作者 野々村仁清

員数 1口

寸法 高さ28.8cm 口径10.0cm 底径10.5cm

時代 江戸時代(17世紀)

所在地 静岡県

所有者 世界救世教

● ディスクリプション

この茶壺は、四国丸亀藩主京極家に伝来した仁清茶壺のひとつである。寛永年間を中心に磁器の技法が飛躍的に発展し、色彩の華やかな色絵磁器の時代を迎えた。日本各地で色絵磁器が焼かれた中で、仁清は京都仁和寺前で御室窯を開窯し、鮮やかな色絵陶器の制作をはじめた。茶壺に本格的な絵画作品を思わせる多くの優品が残ており、この作品も淡い伯祐藤が枝葉にたわわに花をつけ、ふくよかに描かれている。本来茶壺は実用的で、黒っぽくお茶の葉を保存しておくためだけのものであったが、仁清のものは実用性に耐えられないほどの軽さがあり、陶器を美術品として鑑賞するためだけの新たな楽しみ方を提案した。京焼色絵陶器の完成者として名高く、日本陶芸史の中で、初めて自作に名前を刻み、仁清ブランドを確立した人物でもある。

●参考

色絵芥子図茶壺 17世紀後半 重文 出光美術館

高さ42.4cmの仁清最大の茶壺。芥子の葉をたらし込み風

に描かれている。施文は宗達派の絵師が協力した可能性も

指摘されている。

17ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

見立蟻通明神 みたてありどおしみょうじん

中判錦絵

作者 鈴木春信(1725〜70)

員数 1枚

寸法 27.6×20.5cm

時代 江戸時代/18世紀

所在地 東京都

所有者 東京国立博物館

● ディスクリプション

伝統的な物語や説話などを取材しながら、春信は見立という形式で描かれた絵に謎かけをし、見るものに解釈を楽しませた。この作品は歌謡の蟻通明神を踏まえ、作画設定を当世風俗におきかえて描いた絵で、女性を恋の化身として表現した作品である。提灯を持たせたことによって夜半の設定とし、女性は破れ傘で激しい雨もいとわず、雨の降る夜に神社へ祈願しにきた。裾を乱し一途に燃える恋の思いが、かよわい娘をこれほどまでに大胆な行動へと駆り立てる。誹諧の手法でもある見立てを、錦絵で新たなジャンルとして確立し、絵画作品に情緒と奥行を与えた。春信は、摺りものと言えば黒一色のものが一般的であった時代に、多色摺の錦絵として完成させた。この作品は、春信の品よく洗練された配色と相まって抒情的画面を作り出している。

18ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

婦人相学十躰 浮気之相

大判錦絵

重要文化財1962.02.02(昭和37.02.02)指定

作者 喜多川歌麿(1753〜1806)

員数 1枚

寸法 37.8×24.3cm

時代 江戸時代(18世紀)

所在地 東京都

所有者 東京国立博物館

● ディスクリプション

多情な女性の媚を含んだ嬌姿がいきいきと描き出され、女性の内面にまで踏み込んで描写しようとする歌麿の追求が感じられる作品である。初期の作品は、北尾重政や鳥居清長の画風にならったものであったが、寛政2年(1790)ごろから制作をはじめた婦人相学十躰の制作を界に独自のものを示すようになる。上半身の焦点を絞り、人物の心情と境遇や身分の違いを効果的にみせるため、大首絵という形式で性格類型の表出を試みたのである。本図は、湯上りの女性が無造作に洗い髪を櫛でとめ、振り返った一瞬をとらえている。表情は薄笑いで、男心を惑わずにはおけない多情で浮かれがちな女性の性格を見事に写し出されている。歌麿の美人画の魅力は、女性を女らしく見せる一瞬のしぐさが印象的にとらえられていることである。そして、人の心情が描き出されおり、匂い立つような色香を醸し出し見る者を魅了させるのである。

19ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

富嶽三十六景・神奈川沖浪裏

大判錦絵

作者 葛飾北斎(1760〜1849)

員数 1枚

寸法 26.0×38.0cm

時代 江戸時代天保2年(1831)頃

所在地 東京都

所有者 東京国立博物館

● ディスクリプション

天保2年(1831)ごろから出版した『富嶽三十六景』は、霊峰富士を各地から望む景観をシリーズ化したものである。当初36枚揃いの刊行予定であったが、大きな反響を得て北斎の画名は不動のものになり、10図を加えた46図で完結した。その中でも代表となる作品で、ダイナミックな波の動きが印象的である。この作品は、以前に描いた『おしおくりはとうせんのづ』をもとにして描かれたとされ、平面的で抽象的な模様による日本画の様式に加え、西洋的な奥行のある空間構成を備えている。やまと絵についてもよく知り、中国筆法と西洋画の遠視図法や陰影法を学んで、多くの画法が創作的に組み合わさった作品といえる。

北斎が西洋画に影響を受け、製作された作品は、ゴッホをはじめ印象派の画家達にも影響を及ぼした。この作品は、芸術文化が互いに影響しあい新たな芸術性を導きあうという、世界の美術史的にも重要な作品と言っても過言ではない。

20ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

四季花鳥図巻 上巻下巻

絹本著色

作者 酒井抱一(1761〜1828)

員数 2巻

寸法 上巻31.2×712.3cm

下巻31.2×709.3cm

時代 江戸時代文化十五年(1818)

所在地 東京都

所有者 東京国立博物館

● ディスクリプション

京都の地で俵屋宗達が生み出した画風が、尾形光琳によって独自に継承されていたものを、18世紀に入ってから、江戸の地に生まれた抱一に受け継がれた。彼らの間には直接的な師匠関係でなく、抱一は尾形光琳を私淑し、55歳のときに光琳の100回忌を営んだ。宗達、光琳の琳派としての伝統的な画風は、抱一によって江戸琳派として定着する。光琳画の継承者として自負を深めた抱一は、多くの名作を生み出した。その中で四季花鳥図巻は、上巻の春夏、下巻秋冬に分かれた構成で、季節ごとの華麗なと鳥と虫たちの表情の変化を、良質の絵具を使い拡張高く描き上げている。琳派芸術の優美かつ繊細な情趣を追求する精神によって描かれたものは、瀟洒な装飾美が表現され、江戸文化人の研き澄まれた美意識が感じとれる。

21ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

動植綵絵紫陽花双鶏図

絹本著色

作者 伊藤若冲(1716~1800)

員数 一幅

寸法 142.8×79.8cm

時代 江戸時代

所在地 東京

所有者 宮内庁三の丸尚蔵館

● ディスクリプション

伊藤若冲は自ら鶏を数十羽庭で飼い、飽きることなく写生したという。40歳代を費やして描かれた30幅ある動植綵絵にも多くの鶏が描かれており、鶏の画家と呼ばれる所以でもある。初期は狩野派や宋、元画に学んだと伝えるが、手本を模写することでは飽き足らず、身の回りの動植物を徹底的に観察して写生をするようになった。この綵絵も紫陽花の顎の一枚一枚を塗り分け、鶏の羽毛は今にも鳴出しそうなほどに緻密に描きこまれており、自然が造り出す色彩と造形に魅力を感じた若冲の心情が濃密に現れている。そうした探求のなかで生まれた画風は、どの絵師とも異なる独自の世界を築き、そうした意思を受け継ごうとする弟子

もいたようだが若冲を超えることは出来なかった。写生を超えた独自の表現力は、自然を師とする若冲の創造物に対する敬愛の念によって生まれたものなのである。

22ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

保津川図屏風

重要文化財1940.05.03(昭和15.05.03)指定

絹本著色

作者 円山応挙(1733~95)

員数 8曲1双

寸法 各154.5cm×483.0cm

時代 江戸時代寛政7年(1795)

所有者 個人蔵

● ディスクリプション

円山応挙の絶筆となるこの屏風は、応挙の集大成となる作品である。誰よりも写生の重要性を強く認識し、狩野派や土佐派の創作性を失っていたアカデミックな画派に対し、新しい絵画を造りだそうとする四条円山派の創始者でもある。この屏風絵も実際の保津川かどうかは明らかではないが、岩や松、水流を多くスケッスし、その写生を巧みに組み合わせたもので、屏風を完成させたものと思われる。いかにも実際の景色のようにみえるのも、自然が造り出す造形を研究し、本来の見えるままに描こうとする応挙の姿勢から生み出されたものなのである。存在する本質や構造までも理解して描く実証主義的精神は、中国や西洋の博物学への興味からだと考えられる。その上、単なる写生画でなく、霞のかかった背景や素描をもとに加えられた装飾的技法も、独自の世界を築いている。

23ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

京都国立博物館

重要文化財1969.03.12(昭和44.03.12)

設計 片山東熊(とうくま)(1854〜1917)

員数 1棟

施工 明治28年(1895)

構造形式 煉瓦造、建築面積2,896.5m2、一階建、桟瓦葺、一部スレート及び銅板葺

建築面積 2,896.5m2

時代 明治28年(1895)

所在地 京都府

所有者 独立行政法人国立博物館

● ディスクリプション

明治維新後の洋風建築は外国人の建築技術者や大工によるものであり建築家と呼べる人物によるものではなかった。明治政府もそのとこに気づき、正銘の建築家の招聘を試みる。明治10年(1877)に、工部大学校造家学科の教授としてイギリスからコンドル(1852〜1920)を招き、京都国立博物館はその門下生の一人である片山東熊によって設計されたものである。中央部の彫刻室は天皇の京都訪問の際に臨時の玉座にすることを想定して、特に入念な装飾が施されている。健材も品の良いものを選定して使われ、セメント及びガラスはドイツ製、彫刻部分の木材は姫小松、石材は伊豆大島の沢田石が用いられおり、基礎工事にあたっては、防湿対策として敷地全面に大量の木炭を埋め込んである。各棟屋根にはすべてガラス屋根を用い、当時としては珍しく天窓採光を採られている。多種の様式が混在しており、付け柱の壁からの出が薄く、あまり重々しさを感じないのは片山東熊の持ち味が生きた建築といえる。

24ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

老猿

重要文化財1999.06.07(平成11.06.07)

作者 高村光雲(1852〜1934)

員数 1躯

像高 90.9cm

時代 明治26年時(1893)

所在地 東京都

所有者 東京国立博物館

● ディスクリプション

老猿が、捉え損ねた鷲の逃げた空一角を睨み上げ、気迫のこもった姿をあわらした像である。江戸の彫刻師であった光雲は、仏像の需要が減った木彫衰退の時期に、鳥や獣の写実的な木彫りを造り、新しい日本彫刻の表現に挑んだ。写実的西洋画からいち早く写生法を彫刻の世界に取り入れ、師である高村東雲から学んだ伝統的彫刻の技法を融合し、自らの新しい境地を築いたのである。本体から岩までトチの一材から丸彫りされ、リアルを求めるためにモデルとする猿を借り、木目を毛並みに生かし、手に掴んだ鷲の羽と岩の凹凸までも精巧に彫刻さている。本物の猿が目の前にいるように精神の緊張までもが表現されたこの像は、明治26年にシカゴ万博に出品し、ロシアの展示コーナーと向い合って置かれ、当時の世界情勢の風刺的な意味で鑑賞された。

●備考

東京上野公園 西郷隆盛像 1898年 高さ360.0cm

上野公園にあるこの像も光雲作である。犬は後藤貞行作。

25ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

悲母観音像

重要文化財1955.06.22(昭和30.06.22)指定

作者 狩野芳崖(1828〜1888)

員数 1面

寸法 195.8×86.1cm

時代 明治21年(1888)

所在地 東京都

所有者 東京藝術大学美術館

● ディスクリプション

日本絵画の革新運動が岡倉天心とフェナロサによって推し進められていた中、明治17年第2回内国絵画共進会に出品した桜下勇駒図(個人蔵)によって芳崖はフェナロサに見いだされた。芳崖はフェノロサに助言に従い、古典を振り返ってその精神を学びなおし、絵画の空間表現や色使いなどに新たな工夫を試みた。日本画に西洋絵画の息吹を吹き込むことにより新たな方向性と可能性を探求したのである。海外から顔料を取り寄せて、西洋絵画的なグラデーションで色面を構成し、伝統的な狩野派の画風に西洋的な空間処理の試みが感じられる。日本美術の変革の時期に、これまでの諸流派が日本画として統合され、新たな近代絵画として出発しようとした時期に制作されたのである。悲母観音は芳崖の絶筆であり、狩野芸術の最高潮となる作品といえる。そして、近代美術として初の重要文化財に指定された。

26ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

重要文化財1967.06.15(昭和42.06.15)指定

油彩/紙

作者 高橋由一(1828〜1894)

員数 1面

寸法 140.0×46.5cm

時代 明治10年(1877)頃

所在地 東京都

所有者 東京藝術大学

● ディスクリプション

文政11年(1828)江戸時代の化政文化全盛期に生まれた由一は、狩野の筆法を学んでいたが、舶載されていた石版画を見て西洋絵画の画法に衝撃を受けたことで由一の運命は一変した。西洋技法を学ぼうとしようとも、幕府の洋画研究機関でさえ満足な画材も得られない状況だった。しかし、横浜に住んでいたワーグマンのもとで油彩技術を学び、西洋油絵の実作品から独自に研鑽もしたのであった。当時の日本画家の思想では、吊るされた塩鮭をそのまま絵にすることがきわめて革新的である。鮭が乾燥し皺の寄った皮の鈍い輝きと、赤身の光沢が見事に描かれ、色彩だけでなく形態までもリアルにせまろうとする由一の気勢が感じられる。そこに吊るされた鮭そのものの存在をまるごと写しとった迫力ある仕上がりは、由一が舶来してきた油絵具の魅力を訴えようとする心情までも感じられる仕上がりといえる。

27ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

湖畔

重要文化財1999.06.07(平成11.06.07)指定

油絵/麻布

作者 黒田清輝(1866〜1924)

員数 1面

寸法 69.0×84.7cm

時代 明治30年(1897)

所在地 東京都

所有者 黒田記念館

● ディスクリプション

清輝が箱根へ避暑にやって来た時に、芦ノ湖畔に座る夫人を下絵もなしに制作した作品である。清輝は、フランスに法律を学ぶために渡仏したが、留学中に絵画への熱がしだいに高じ、画家の道へ進むことを選んだ。アカデミーで教鞭をとるラファエル・コランに油絵を学んだ清輝は、印象派の外光描写を取り入れながらも、アカデミズムなヨーロッパ絵画の伝統的な画法を基礎に折衷的な画風を制作した。この作品にも、奥行のある空間表現を根幹とする西洋絵画の画風が現れ、外光をふんだんに取り入れた表現の試みがある。団扇を手に涼をとる夫人像という、日本的な主題を描くために、油絵特有の光沢の強い質感を避けており、西洋画技法によって日本的展開の可能性を追求したことがうかがえる。清輝は、東京美術学校の西洋画科の創設時に指導者として選ばれ、教育者としても活躍し、近代日本洋画史に大きな足跡を残した画家の一人である。

28ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

無我

絹本著色

作者 横山大観(1868〜1958)

員数 1幅

寸法 142.8×85.0cm

時代 明治30年(1897)

所在地 東京都

所有者 東京国立博物館

● ディスクリプション

岡倉天心が建立した東京美術学校の第一期生として入学した大観は、天心なし大観芸術が生まれなかったといっても過言ではない。天心のもとで、新しい美術教育システムで絵画を学んだ大観は、西洋画の色彩や空間表現の吸収によって新時代の伝統絵画を創出しようとしたのである。この作品は、第二回日本絵画共進会で銅牌二席(通算五位)を得た作品で、川辺にたたずんだ慈姑頭の童子が、大きすぎるほどの衣装と草履が印象的で、豊かな頬は誕生仏を思わせる。禅的な悟りの境地を無心の童子によって表現した斬新な発想で、これから育ちゆく童子に対し、早春の息吹を感じさせる猫柳と菫を描くことによって、テーマにあった季節設定が、大観の優れたセンスを感じることができる。東京美術学校時代に身につけた伝統技法も十分に生かされており、大観の出世作としてふさわしい作品である。

(参考)

無我は三点存在する。

足立美術館 絹本墨画淡彩額装 75.4×46.7cm

水野美術館 絹本着色軸装102.1x55.0cm

29ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

斑猫

重要文化財1970.05.25(昭和45.05.25)指定

絹本著色

作者 竹内栖鳳(1864〜1942)

員数 1面

寸法 82.3×102.0cm

時代 大正13年(1924)

所在地 東京都

所有者 山種美術館

● ディスクリプション

明治政府の欧化主義政策の強まり、美術界も西洋の絵画にならう風潮があった。しかし栖鳳は、西洋画に実現されていて日本画にないものを写実主義と感じとり、日本画に足らないところだけを捕らえればよいと考えた。独自の写実的な日本画を創造し『ケモノを描かせればその体臭まで描く』といわれるほどに、栖鳳の画力は高度な描写力をみにつけた。この斑猫のモデルは、沼津の街を散歩中に八百屋の店前でみつけた猫といわれている。無背景であるためにかえって、猫の本性や雰囲気を鮮やかに捉えられおり、もっとも絵になる情景が写し取られている。西洋画の吸収という点では京都画壇の円山応挙以来の歴史があったが、大観の朦朧体のように筆線を否定することなく、西洋のリアリズムを日本画に取り入れ、みごとに伝統回帰を達成した作品といえる。

(備考)

朦朧体(もうろうたい)

大観、春草、観山がこころみた技法。線ではなく、色面による没線描法で、空

気や光線の表現を試みた。しかし画面が曖昧模糊となり避難されてしまった。

30ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

舞妓林泉

絹本彩色

作者 土田麦僊(1887-1936)

員数 1面

寸法 219.0×103.0cm

時代 大正13年(1924)

所在地 東京都

所有者 東京国立近代美術館

● ディスクリプション

京都南禅寺の塔頭天授庵を背景に、麦僊が幼少の頃から可愛がっていたという鈴枝を描き上げたといわれている。この作品は、麦僊がヨーロッパでの研究の成果を示す評価の高いものである。西洋画を学ぶことで日本画の新たな表現を考えた麦僊は、滞欧中に(1921〜23)イタリア・ルネッサンスのフレスコ画やセザンヌの近代絵画を見て、日本に戻ってからは一転して個性的な平明で静かな画鏡へと変わっていく。舞妓にはほぼ陰影がなく、色調は異なりながらも同じ彩度にととのえられている。背景も様式化されており着物の柄のように描かれているが、しかし舞妓と庭園はしっかり対比さ、色と形の散らばれ方にもバランスが考えられている。洋画に学んだ絵画の形式と、日本的装飾性との調和を実現したこの作品は、麦僊が本来の資質として初めからもっていた内面の美の表現が融合した、温雅優美な美の典型の世界といえる。

●参考

文部省美術展覧会への初出品作品で竹内栖鳳に学んで清新な写実が高く評価された。滞欧後の作品とはまったく作風が違っている。

31ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

築地明石町

絹本彩色

作者 鏑木清方(1878〜1972)

員数 1 幅

寸法 188.0×79.0cm

時代 昭和2年(1927)

所有者 個人蔵

● ディスクリプション

江戸の面影を残す,明治の風俗に限りない愛着を寄せた清方である。作品には、時代を生きる人々の美しい姿と表情が描かれ、それが画面の懐かしいものにしている。築地は、清方が幼少年の時代を過ごした思い出深い所で、明石町には外人居留地があり、遠くの背景には描かれた船舶が異国情緒豊かな風景をものがたっている。モデルに依ることは好まないという清方ではあったが、夫人の同窓を一枚だけスケッチをし、明石町に、海から吹く秋風に袖を合わせた洋髪の女という構想をもとに描かれた。写生よりも、その人をつつむ情感に比重をかけるという画風で、自分自身が尊敬する人物や興味をいだきうる人物でなくては描かなかったという作画心情をもっていた。この作品は、清方にとっても思いがけないほど世間に反響を呼んだ作品で、昭和二年の第八回帝展において、帝国美術院賞を受賞した。

(備考)

明治の女性を扱った三部作として築地明石町の他に、新富町、浜町河岸がある

新富町 絹本著色 1幅 174.0×74.0cm 昭和5年(1930)

浜町河岸 絹本著色 1幅 174.0×74.0cm 昭和5年(1930)

32ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

麗子微笑(果実持テル)

重要文化財1971.06.22(昭和46.06.22)指定

油絵麻布

作者 岸田劉生(1891〜1929)

員数 1面

寸法 44.2×36.4cm

時代 大正10年(1921)

所在地 東京都

所有者 東京国立博物館

● ディスクリプション

劉生は、長女麗子の肖像画を大正7年夏から昭和4年まで、油彩、水彩、コンテなどで繰り返し描き続けた。その中の一点がこの作品である。劉生は黒田清輝主宰の白馬会葵橋洋画研究所で学びながら、ゴッホやセザンヌの影響を露わにした作品を発表していた。しかし、自分の目に見える形あるものを、細密にキャンバスに再現したという欲求から、妻や

友人の写実的な肖像画や静物画を取組みはじめた。写実的な愛娘のシリーズを描きすすめるようになってから、形を正しく写しとる写実ではなく、心情を写しとる写実を求め、独自の内なる美や無形の美の表現を模索していったのである。この作品は、ダビンチのモナリザにヒントを得たという作品で、写実と装飾が絶妙なバランスで保った作品で、神秘的な微笑が印象的な作品である。

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13、本阿弥光悦 船橋蒔絵硯箱

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14、本阿弥光悦 船橋蒔絵硯箱

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15、菱川師宣 見返り美人図

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16、野々村仁清 色絵藤花文茶壺

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17、鈴木師宣 見立蟻通明神

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18、喜多川歌麿 婦人相学十躰浮気之相

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19、葛飾北斎 神奈川沖浪裏

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20、酒井抱一 四季花鳥図巻

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21、伊藤若冲 動植綵絵紫陽花双鶏図

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22、円山応挙 保津川図屏風

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23、片山東熊 京都国立博物館本館

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24、高村光雲 老猿

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25、狩野芳崖 悲母観音

『日本美術館全一巻』小学館 1997年11月20日

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26、高橋由一 鮭

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27、黒田清輝 湖畔

『日本美術館全一巻』小学館 1997年11月20日

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28、横山大観 無我

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29、竹内栖鳳 斑猫

『日本美術館全一巻』 小学館 1997年11月20日

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集英社 1988年4月30日

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30、土田麦僊 舞妓林泉

『日本美術館全一巻』 小学館 1997年11月20日

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31、鏑木清方 築地明石町

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『現代の日本美人画全集全十二巻第二巻鏑木清方』集英社 昭和52年10月20日

『名画中の名画』近藤啓太郎著 一枚の繪 昭和62年2月20日

32、岸田劉生 麗子微笑

『日本美術館全一巻』 小学館 1997年11月20日

『日本美術の歴史』辻惟雄著 東京大学出版会2007年8月31日

『日本絵画史図典』福武書店1987年10月20日

『日本美術101鑑賞ガイド』三元社2008年7月30日

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