共通T----------美術史基礎2-課題2-解説

キャプションとディスクリプション集です。

私が提出した時は、ディスクリプションも項目が分けられていないときでした。

学生なのでぼちぼち間違っているところもあります。

参考程度に。

リストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●盛期ルネサンスーーーー

1,レオナルド《最後の晩餐》

2,ラファエロ《アテネの学堂》

3,ミケランジェロ《アダムの創造》ヴァティカンシスティーナ礼拝堂

4,ジョルジョーネ《嵐》

5,ティツィアーノ《聖母被昇天》

●マニエリスムーーーー

6,パルミジャニーノ《首の長い聖母》

北方ルネサンス

7,アルブレヒト・デューラー《1500年の自画像》

8,マティアス・グリューネヴァルト《イーゼンハイム祭壇画》

●バロック美術ーーーー

9,アンニーバレ・カッラッチ《バッコスとアリアドネの勝利》ファルネーゼ宮殿装飾

10,カラヴァッジョ《聖マタイの召命》

11,ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ《聖女テレサの法悦》

12, レンブラント・ファン・レイン《夜警》

13,ヨハネス・フェルメール《画家の寓意》

14,ディエーゴ・ベラスケス《ラス・メニーナス》

15,クロード・ロラン《シバの女王の乗船》

●ロココ・新古典主義美術・ロマン主義美術ーーーー

16,ワントワーヌ・ヴァトー《シテール島での巡礼》

17,ジャン=バティスト=シメオン・シャルダン《煙草入れ》

18,フランシスコ・デ・ゴヤ《マドリッド、1808年5月3日》

19,ウージェーヌ・ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》

●写実主義・印象派・後期印象派ーーーー

20,エドゥアール・マネ《オランピア》

21,クロード・モネ《印象・日の出》

22,ピエール=オーギュスト・ルノワール《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》

23,ジョルジュ=ピエール・スーラ《グランド・ジャッド島の日曜日の午後》

24,ポール・セザンヌ《キューピッドの石膏像のある静物》

25,フィセント・ファン・ホッホ(ゴッホ)《オーヴェール=シュル=オワーズの教会堂》

●近代デザインの始動と世紀末芸術ーーーー

26,ウイリアム・モリス 壁紙

27,アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージュのラ・グーリュ》

28,グスターフ・クリムト《接吻》

●20世紀前半の前衛芸術とデザインーーーー

29,アンリ・マティス《ダンス》エルミタージュ美術館

30,パブロ・ピカソ《アヴィニョンの娘たち》

31,ヴァシリー・カンディンスキー《コンポジションⅦ》

32,マルセル・デュシャン《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大硝子)》

1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

レオナルド・ダ・ヴィンチ

(Leonardo da Vinci 1452-1519)

《最後の晩餐》

1495年〜1497年

壁画・テンペラ

4.62×8.79m

イタリア、ミラノ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院食堂

盛期ルネサンス

●ディスクリプション

キリストが弟子に『このなかに私を裏切る者がいる』と告発し、多くの弟子たちが驚愕と哀願する中、ユダが裏切りに気付かれたことに怯む姿が描かれている。一点透視図法によって鑑賞者は間接的に主であるキリストの存在に目線を向け、食卓を囲む弟子たちは身振りによって3人ずつに分けた配置をし、キリストが象徴的な意味に読み取れるように、絵の中心になるよう意識的に人物構成を緊密に結びつけている。レオナルドの最後の晩餐は、均整のとれた安定感と画面に確固たる秩序を与えて荘重さを生み出している。また、心理描写を、表情や身ぶりで細やかに表現し、劇的なシーンをいっそう引き立てる役目をしている。この作品は、特殊な下地の上に描かれたために完成直後から絵具のひび割れが確認されたという。修復作業によって鮮やかな色彩を取り戻しはしたものの、剥落はとめられなく、評価の高いものであるだけに惜しまれる。

2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ラファエッロ・サンティ

(Raffaello Santi 1483-1520)

《アテネの学堂》

1509年〜1510年

壁画、フレスコ

底辺814cm高さ577cm

ローマ、ヴァチィカン宮殿内署名の間

盛期ルネサンス

●ディスクリプション

皇帝ユリウス2世の私用図書室を飾るために描かれたもので、ユリウスの目指す知恵を集めた理想の世界を表すため、ラファエッロが想像力を駆使して、ギリシャ時代の知識人たちを一堂に会わせた壁画である。画面の中心にプラトンとアリストテレスを配置し、古代の哲学者と科学者が集う空間に同時代の画家たちと自分の姿を加え、絵画が知的な所産であるという自負を込めている。この壁画によって彼の画業のスケールは一気に拡大することになり、ローマにおける地位は不動のものとなった。ラファエッロは教皇庁の重要な装飾計画を一手に請け負い、その後のイタリア美術の発展に大きな成果をもたらした。彼の豊かな色彩と調和のとれた構成は、北イタリアの画家たちに影響をあたえ、16世紀末のカラッチ派によって受け継がれていく。

3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ミケランジェロ・ブオナローティ

(Michelangelo Buonarroti 1475-1564)

システィーナ礼拝堂《アダムの創造》

1508年〜1512年

壁画、フレスコ

280×570cm

イタリア、ローマ、ヴァチイカン、システィーナ礼拝堂

盛期ルネサンス

●ディスクリプション

システィーナ礼拝堂は教皇シクストゥス4世の命によって1473年に建築が始められ、1508年には教皇ユリウス2世がミケランジェロに天井画の制作を依頼した。しかし、彫刻家であると自負していたミケランジェロは、その依頼を厳しく拒絶していたが、ユリウスの命に逆らえずやむなく壁画を制作した。天井の大きさは38.5×14mと非常に大きく、1人で制作したミケランジェロは、着手してから完成まで4年間を要した。巨大な天井の頂点に描かれたアダムの創造は、神と人間とが向い合った劇的な画面を実現したもので、神が造り出した生命体としての人間を神秘的に描き出している。創造主とアダムの体つきは古代ギリシャの彫刻のような理想的な量感をそなえ、彫刻家であるミケランジェロの立体的に物を捉える視点は、平面の絵画に対しても群を抜いた描画力があったことを示している。

(備考)

《最後の審判》(1536〜1541)フレスコ14.4×13.3mシスティーナ礼拝堂

天井画の制作した後、教皇パウロ3世の依頼で壁面に最後の審判を制作した。天井画とともに、ミケランジェロの人生の総決算ともいえる作品である。

4ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ジョルジョーネ

(Giorgione 1476-1478)

《嵐》

1505年〜1507年頃

画布・油彩

82×73cm

イタリア、ヴェネツィア、アカデミア美術館蔵

盛期ルネサンス

●ディスクリプション

この作品は主題が不明なため現在に至っても論議が絶えなく、愛好家に絵解きの楽しみを提供し続けてきた作品である。ジョルジョーネは30代で夭折し、作品とともに謎に包またことが多く、この絵は1530年頃には『ジプシー女と兵士のいる嵐の風景』とよばれていた。しかし25年ほどのちに『風景』と記されており、現代に至ってはX線の照射で画布が調べられ、兵士の下には裸の女性が描かれていたことが判明している。漠然とした主題は、多くの人々に謎を提供し時代を超えてさまざまな絵解きが試みられてきた。伝統的な主題の枠組みには収まらないノスタルジックで謎めいた作品は、同時代の画家たちにも模倣され、ジョルジョニズモと通称される流行現象が生じていた。現代に至っても絵の謎が深まるばかりで、この作品は絵画表現に詩的幻想空間を取り入れた、新しい伝統の嚆矢となった作品である。

(備考)

ベッリー・ジョバンニ《荒野の聖フランチェスコ》

(1480〜1490)板、テンペラ、油彩 124.4×141.9cm

アメリカ、ニューヨーク、フリック・コレクション

初期ルネサンス期のヴェネチィア派の中心的画家であるベッリーニの傑作。ジョルジョーネはベッリーニの工房で学び、ティチアーノとも出会った。

5ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ティツィアーノ・ヴェチェリオ

(Tiziano Vecellio 1490-1576)

《聖母被昇天》

1516年〜1518年

板・油彩

690×360cm

イタリア、ヴェネツィア、フラーリ聖堂

盛期ルネサンス

●ディスクリプション

聖母被昇天は、人であるマリアが死後3日目に復活し、神の恩寵によって冠を授かり、天に召される情景がドラマティックに描かれている。この祭壇画は、フラーリの修道院長ジュマールの依頼によって描かれたもので、油彩画では初めて公共の場に飾られるために描かれたものである。仰視法で描かれた構図は、信者たちが地上から天界を仰ぎ見るための祭壇画としてふさわしく、色彩の魔術師として知られる彼の輝かしい光と色彩豊かな表現力も、壮大な宗教的荘厳さが伝わってくる仕上がりになっている。この作品の成功によってティツィアーノはフィレンツェやローマの巨匠たちと方を並べる地位を獲得した。ベッリーニの工房で学び、ジョルジョーネの助手となった経歴をもつティツィアーノは、ヴェネツィア派の系譜を受け継ぐ指導者として役割を果たし、のちにルーベンスやベラスケスにまで大きな影響を与えている。

(備考)

ジョルジョーネ《眠れるヴィーナス》(1510〜1511頃)画布、油彩

108.5×175cm ドイツ、ドレスデン国立絵画館蔵

ジョルジョーネが未完成のままで死去し、ティツィアーノが完成させた。ヴェネツィア派の系譜を通じて、自然主義的様式を確立し、のちにバロック形式の基礎を据えることになった。

6ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

パルミジャニーノ

(Parmigianino 1503-1540)

《首の長い聖母》

1535年頃

板・油彩

216×132cm

イタリア、フィレンツェ、ウフィツィ美術館

マニエリスム

●ディスクリプション

マニエリスム期には社会的な混乱があり、錯綜とした空間構成や幻想的寓意性など極めて作為性の高い作品が多く、この作品も形態の歪みがはなはだしく、奇妙な作品である。聖母の人体は身をくねらせながら引き延ばされ、マニエリスム特有のプロポーションに、膝に眠るキリストの手はだらりと下げて将来の悲劇を暗示するかのようである。エナメルのように滑らかで鮮やかな表面や、背景の不自然な柱の右端には極端に遠近法が無視されて預言者が小さく描かれ、非合理的空間表現で仕上げられている。盛期ルネサンスの特徴が崩れ、短縮法や遠近法の誇張など、自然を超えた洗練、芸術的技巧、観念性など不安定で謎めいた表現と曖昧な空間描写が追求されている。当時のフィレンツェやローマが、時代のもつ社会的不安の精神的危機を背景に、芸術家にも表現様式に影響をあたえた作品といえる。

(備考)

《自画像》(1524年)板、油彩、24.5cm、ウィーン美術史美術館

正しい現実は存在せず歪みも実物の現象であると、床屋で見た凸面鏡をもとに、自画像にしたと伝える。モティーフの歪みと、レオナルド風のスフマート法によって画面が滑らかに仕上げられている。

7ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アルブレヒト・デューラー

(Aibrecht Dürer 1471-1528)

《1500年の自画像》

1500年

板・油彩

67×49cm

ドイツ、ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク

北方ルネサンス

●ディスクリプション

本来、真正面を向いた肖像画を描く場合は、救世主のキリスト像のみに用いられるものであった。彼が最初に自画像を描いたのは13歳で、生涯を通じて自画像を描いた中で最も有名なものが、この28歳の時に描かれた自画像である。自分自身をキリストになぞらえ、傲慢とも思えるこのような表現を採用した背景には、当時のキリストの生き方を自らの手本とする思想があり、芸術家の優れた創造力は神に由来するという思いがあったと考えられる。また、デューラーは『芸術は自然のなかに潜んでいる。それを抽き出すのが芸術家なのだ』と考え、神がつくりだした自然を綿密に観察し、細部まで描画することがデューラーにとって重要なことであった。この自画像も、手の甲に浮き上がった血管や、目に映った窓格子、髪と髭も1本1本を描き込み、デューラーの緻密な描画力がうかがえる作品となっている。

(備考)

《黙示録の四騎士》(1498年)木版画、大英博物館蔵

16点からなる連作の1枚。デューラーは生涯を克明に辿ることのできる美術史上初の芸術家でもある。ドイツの木版画技術を高め、低級に見られていた版画の評価を上げるきっかけをつくった。

8ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マティアス・グリューネヴァルト

(Matthias Grünewaid 1474頃-1528)

《イーゼンハイム祭壇画》

1512年〜1515年

板・油彩

中央パネル 269×307cm両翼232×76.5cm台座67×341cm

フランス、コルマール、ウンターリンデン美術館

北方ルネサンス

●ディスクリプション

この祭壇画は、疫病の施療施設であったアントニウス会修道院付属聖堂の主祭壇として描かれた。三面からなる構成で、第1面はキリストがゴルゴダの丘で十字架に磔にされ、凄惨な屍が写実的に表現し見る者を威圧する。それに対して第2面は、受胎告知や強い光に照らされたキリストが描かれ、1面より明るい色彩で描かれている。第三面は、何種類かの薬草と、皮膚病にかかった人物が現れ、施設にいる病人のための救済が表された場面が展開される。病人たちは、受難のキリストの苦痛を重ね合わし、復活するキリストに自らも死の病から救われることをひたすら祈願した。各場面の凄まじい変化は、グリューネヴァルトの内から湧きおこる激しい宗教的な情念が感じられ、人間の内なるものの表現を追求するという、ドイツ絵画の特徴が現れている。

9ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アンニーバレ・カッラッチ

(Annibale Carracci 1560-1609)

《バッコスとアリアドネの勝利》ファルネーゼ宮殿装飾

1597年〜1604年

壁画、フレスコ

宮殿内部高さ10m長さ20m幅6.5m

イタリア、ローマ、ファルネーゼ宮殿

バロック美術

●ディスクリプション

システィーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画につぐ偉大な古典装飾の中の1つで、宮殿装飾のために枢機卿オドアルド・ファルネーゼがボローニャからアンニーバレを呼寄せて描かせたものである。アンニーバレは、17世紀のイタリア絵画の動向に重要な役割を果たしたカラッチ一族の中で最も才能に恵まれていた人物であった。この天井画は、ギリシャ、ローマの神話を元にしたバッコスとアリアドネの勝利を主題にし、盛期ルネサンス美術が理想とした自然写実主義的な作品は、理想美を一層追求し、ラファエロやミケランジェロの表現に古典主義的様式が反映されている。兄のアゴスティーノも部分的に協力をしたが、全体の構想と作品の大部分はアンニーバレ自身のものである。のちにアンニーバレは、兄のアゴスティーノと従兄のルドヴィコとともにボローニャにアカデミーを設立し、次世代の画家にも強い影響を与えた。

(備考)

ティツィアーノ《バッコス祭》1523年〜1525年、スペイン、マドリード、プラド美術館

天井画の右下隅に横たわる女神は、ティツアーノの『バッコス祭』からの引用といわれている。

10ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

カラヴァッジオ

(Caravaggio 1571-1610)

《聖マタイの召命》

1600年

画布・油彩

322×340cm

イタリア、ローマ、サン・ルイジ・デイ・フランテェージ聖堂、コンタレッリ礼拝堂

バロック美術

●ディスクリプション

この作品は、コンタレッリ礼拝堂の壁を飾る聖マタイ伝記にもとづく三部作のうちの一点で、カラヴァッジョのデビュー作である。鮮烈な光と影の対比が生み出すドラマティックな光線法と、追真的な描写力で当時の画壇に新風をまき起こした。ルネサンス以来、描かれる対象は明確な輪郭線で形をとらえてきたが、カラヴァッジョは表面をかすめる一瞬の光と闇によって、対象を浮かび上がらせる手法を生み出した。宗教画で革新的表現をもたらしたものではあるが、貧困層の人々をモチーフにし、理想美を排した宗教画の伝統的表現を拒絶した作品として賞賛と同時に強い非難も受けた。この絵のキリストは、救世主の証である金の輪を目立たなく描かき入れた右側の人物である。聖マタイは、左手を胸に挙げている人物であると考えられていたが、近年、左のうつむいた若者ではないかと問い直されている。

11ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ

(Gian Lorenzo Bernini 1598-1680)

《聖女テレサの法悦》

1647年

大理石

350cm

イタリア、ローマ、

サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリーア聖堂、コルナーロ礼拝堂祭壇

バロック美術

●ディスクリプション

聖女テレサの奇跡の幻視体験を彫刻として表したものである。テレサが、微笑する天使に黄金の矢で胸を射られ、苦痛の極限と恍惚とした至福の喜びに満たされ、法悦の極みのために意識を失ってしまう。ベルニーニは堅い大理石をまるで軟らかい蝋のように自在に扱い、失神状態の表現を着衣の乱れによって高める。その光景を再現した礼拝堂を訪れたものは、劇的な場面に偶然遭遇したかのように鑑賞者をも虚構の世界へと導く。演劇的な効果をあげるため、背景の黄金の束が隠された窓から取り入れられた光によって、超自然幻想の場面を一層引き立てる。イリュージョを目指したバロック美術は、美術を通じて人々を宗教の世界に導き入れようとした趣旨があり、その思いがみごとに実現した作品といえる。

12ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン

(Rembrandt Harmensz. Van Rijn 1606-1669)

《夜警》

1642年

画布・油彩

359×437cm

オランダ、アムステルダム、国立美術館

バロック美術

●ディスクリプション

レンブラントの作品の中で現存する最大の作品である。オランダでは組合や慈善団体が、自分らの会館に構成員の集まった集団肖像画を壁面に飾る伝統があった。この絵もアムステルダムの火縄銃組合が、本部のホールに飾るためにレンブラントに注文したものである。光と闇の対比と動的な人物配置を利用し、劇的な表現を取り入れて風格を与える作品に仕上げた。しかし、集団肖像画はメンバー全員の顔を平均に描き分けなければならないのに、その約束を守らず不評をかってしまった。レンブラントを最も有名にした作品ではあるが、これを期に画家の人生は暗転し、不遇の晩年を送ってしまうことになる。制作された当時のタイトルは『バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフの市警備隊』と名付けられていた。しかし、18世紀末ごろからニスの変色によって画面が暗くなったために『夜警』といわれるようになった。

(備考)

『ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義』(1632) 画布、油彩163×217cm オランダ、ハーグ、マウリツホイス美術館蔵

レンブラントは、この絵の成功によってオランダ随一の人気画家として地位と名声を確立した。

13ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ヨハネス・フェルメール

オランダ

(Johannes Vermeer 1632-1675)

《絵画の寓意》

1665年頃

画布・油彩

120×100cm

オーストリア、ウィーン、ウィーン美術史美術館蔵

バロック美術

●ディスクリプション

フェルメールの最高傑作ともいわれるこの絵は、寓意画として多くの暗示をあたえた作品に仕上げられている。トロンボーンを持つ女性は文芸をつかさどる女神クリオスで、画家としての名声を吹聴し、テーブル上の石膏型とドローイングなどは芸術の創造性を表し、壁面の地図とシャンデリアは画家の高尚な主題である歴史を表現している。多くの意味をもたせたこの絵は、フェルメールにとってたいへん重要なものであったようで、制作した当時から没するまで自らが所有していた。またフェルメールの没後に、妻が経済的な苦境に見舞われても、債権者の手に渡らないよう母に移譲した。その後、ツェルニン家のコレクションになり、第2次世界大戦中には、アドルフ・ヒトラーが所有し、最終的にはウィーン美術史美術館に購入された。没後、急速に存在を忘れさられていたが、19世紀後半にフランスの批評家トレ・ビュルガーによって再発見された。

(備考)

《取り持ち女》(!656年)画布、油彩、140×130cm、ドレスデン国立絵画館

左側に立つ男性が、よく似た服装をまとっており、フェルメールの自画像ではないかという説がある。

14ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ディエーゴ・ベラスケス

(Diego Velasquez 1599-1660)

《ラス・メニーナス》

1656年

画布・油彩

318×276cm

スペイン、マドリッド、プラド美術館

バロック美術

●ディスクリプション

マドリッド国王のフェリペ4世によって、宮廷画家に抜擢されたベラスケスの代表作であり、美術至上にとって、特筆すべき重要な作品である。王宮内の1室に置かれた彼のアトリエに、王女マルガリータを筆頭に、絵筆を持った制作中のベラスケスと王室の身近な人々が集う。そして、部屋の奥の鏡に映し出された人物が、王女の父母である国王フェリペ4世とマリアナ王妃で、ベラスケスが国王と王妃の肖像画を制作中に、王女と王室の人々が訪れたという設定をし、鏡の効果を利用し鑑賞者も絵の中の一員であるかのよう画中空間に取り込む。絵に描かれようとしているのはいったい誰なのかと錯覚を生み、そこに集う人達を自然に映しだしている。眺めるほどに謎めいてくる表現は美術史家のみならず哲学者をも刺激し、印象派の画家たちが、ベラスケスを世界的な評価に高めた。

(備考)

《織女たち》(1657年)画布、油彩、プラド美術館

アラネクの寓話を王室タピストリー工場の情景と重ねた作品。ラス・メニーナスと共にベラスケスの傑作といわれる。

15ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

クロード・ロラン

(Claude Lorrain 1600-1682)

《シバの女王の乗船》

1648年

画布・油彩

148×194cm

イギリス、ロンドン、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵

バロック美術

●ディスクリプション

クロード・ロランのテーマは、太陽の光を通して見える自然をいかに精緻に表現するかということであった。ローマ近郊を題材に、光の澄み渡った古典的風景画の典型を形づくり、知られる限りでは風景を油彩でスケッチした最初の画家である。しかし、そうして描かれた絵は正確さを目指すものでなく、油彩スケッチを本画のための素材とし扱いアトリエで再構成した。ロランが見た風景を、過去の追憶によって美化し、古代の風景として郷愁の満ちた詩的精髄を喚起しようとするものである。40年代後半の作品では、聖書や古代物語の別離や旅立ちを題材にしたものが多く、太陽の朝日や夕日を日々の移りゆく生活の情景と重ね、人生の哀感や運命を表した。ロランは王立アカデミーにおいて芸術の規範と仰がれるようになり、17世紀後半のフランス画壇に影響を与えただけでなく、ターナーなどイギリスの風景画家に強

い影響を与た。

(備考)

ターナー《カルタゴ帝国の衰退》(1817年)画布、油彩、ロンドン、テート・ギャラリー

イギリスの風景画家の代表。クロードロランを彷彿させる作品である。

16ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アントワーヌ・ヴァトー

(Antoine Watteau 1684-1721)

《シテール島での巡礼》

1717年

画布・油彩

129×194cm

フランス、パリ、ルーヴル美術館蔵

ロココ芸術

●ディスクリプション

愛の女神ヴィーナスの支配するシテール島を舞台に、右から左へ恋人の愛の芽生えから成就する様子を、まるで合成写真のように描かれている。18世紀初め、フランスでは幸福な恋愛の舞台とてシテール島が文学や美術にしばしば登場し、ヴァトーはダンクールの喜劇『三人の従姉妹たち』から着想を得てこの絵を制作したとされる。修業時代に版画家のクロード・ジローのもとでイタリア軽喜劇の舞台絵を学び、そこで身につけた俳優の演技による感情表現を絵画の中に取り入れ、躍動感のあふれた作品に仕上げている。ヴァトーは、この作品によって王立アカデミーの会員の資格を取得することになった。しかし、当時のアカデミーの規格には、歴史画でも神話画でもない主題は認められていなかった。この斬新な表現は古典主義理論に反する作品ではあるが、会員にするために急遽画名を『雅の宴』と変更し、ヴァトーは雅宴画という新たなジャンルを生み出した。

(備考)

アントワーヌ・ヴァトー《シテール島への船出》(1718) ドイツ、ベルリン国立博物館

ベルリン博物館には、アカデミー入会後に同主題で仕上げた作品がある。最初の絵では伏せられていた寓意がはっきりと示されている。

17ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ジャン=バティスト=シメオン・シャルダン

(Jean-Baptiste-Simeéon Chardin 1699-1779)

《煙草入れ》

1737年頃

画布・油彩

35.5×40cm

フランス、パリ、ルーブル美術館蔵

ロココ時代

● ディスクリプション

17世紀のフランスでは、北方画家の強い影響のもとで写実的な静物画が制作され、シャルダンはヴァトーとともにロココ美術を代表する画家である。風俗画を得意とする2人ではあるが対照的な存在で、ヴァトーは貴族階級の人々を描き、シャルダンは庶民の生活の様子や、日常の飾り気のない簡素な品々を好んで描いた。シャルダンは、モティーフとしてこの煙草入れを1度しか描いておらず、シャルダンの最初の妻の没後、財産目録で詳細に書かれていたもので、妻が大切にしたものを偲ぶために描いたと思われる。蓋の開いたケースを中心に、周囲に上品な器物を取り囲むように配置した安定した構図が実現され、色彩と明暗の調子も実在感を捉えた巧みな観察力が伺える。静物画のジャンルは、セザンヌが現れるまでフランスを代表する画家はジャルダンのみで、静物画を公的な芸術としてアカデミーに認めさせた実力は敬服するほかない。

(備考)

《赤えい》(1725〜1726年)画布、油彩 114×146cm フランス、パリ、ルーブル美術館蔵

青年美術家展に出品した数点の中の1点で、アカデミー正会員に推挙されるきっかけになった作品である。

18ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

フランシスコ・デ・ゴヤ

(Francisco de Goya 1746-1828)

スペイン

《マドリッド、1808年5月3日》

1814年

画布・油彩

266×345cm

スペイン、マドリッド、プラド美術館

ロココ主義

●ディスクリプション

ナポレオンが、スペインを支配していた時代の市民大虐殺を描いた作品である。マドリードの民衆がフランス軍に対して素手で立ち向かい、その民衆が次々と処刑されていく。白いシャツの男が、自由のために悲痛な表情で立ち向かい、政治的権威によって人々を殺戮する顔の見えない兵士とのやり取りが目に焼き付き、戦争の破滅的な力を暗示している。英雄たちの偉業を讃えるような記念碑的な戦争画とはまるで違う、ゴヤが体験した悲惨な光景を強迫的に再現した特異な作品である。主観的な感情を作品に託し、自分自身の経験を作品に直接反映させた点では、それまでの古典主義やアカデミズムの伝統を抜け出し、20世紀の表現主義を先取りする革新的表現を示した。スペインでは1世以上にもわたり重要な芸術画を生み出さなかったが、ロマン主義美術の先駆者ともいえるゴヤは、ベラスケスと並ぶスペイン絵画を代表する画家といえる。

(備考)

《裸のマハ》(1798〜1805年)画布、油彩、プラド美術館

ジョルジョーネやティツィアーノは女神として描かれたのに対し、ゴヤは明らかに生きた女性として描いた。当時、わいせつな作品として裁判にまでなった。

19ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ウージェーヌ・ドラクロワ

(Eugéne Delacroix 1798-1863)

《民衆を導く自由の女神》

1830年

画布・油彩

359×598cm

フランス、パリ、ルーヴル美術館蔵

ロマン主義

●ディスクリプション

多彩な画題で新古典派の常識を打ち破るエネルギッシュな画面を構成するドラクロワは、1830年の7月革命に触発されてこの記念碑的な作品を制作した。ドラクロワに一貫することは、人物の躍動感の中に激烈な苦痛を感じる人々と精神の高揚感が背中合わせになって描かれ、事実の再現よりも詩的叙情性を追求したことである。色鮮やかな三色旗を持った自由の女神と共に、自由のために立ち上がった市民と、地面に横たわる人々の屍が悲痛な痛みとドラマを感じさせ、美と力に圧倒されながら上昇と下降の感情は否応なく引き裂かれるのである。ドラクロワは伝統的な歴史画の最後の継承者ともいえるが、色彩理論を研究し補色の効果を使うなど、印象派の先駆者ともなった。ロマン主義の旗手のようにいわれているドラクロワであるが、過去の巨匠にも多くを学び、自身では古典主義者だといっていたようである。

(備考)

《キオス島の虐殺》(1823〜1824年)画布、油彩、422cm×353cm、ルーブル美術館蔵

ギリシャの、対トルコ独立戦争に刺激されて制作されたものでる。サロンの保守的な人々には絵画の虐殺とまで酷評されたが、ドラクロワの評価を高めたのはこの作品である。

20ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エドヴアール・マネ

(Edouard Manet 1832-1883)

《オランピア》

1863年

画布・油彩

130.5×190.0cm

フランス、パリ、オルセー美術館

印象派絵画

●ディスクリプション

マネが裸婦像の現代化に取り組み、サロンでスキャンダルを引き起こした作品になった。当時の高級娼婦にありがちなオランピアという名前に、裸である女性を一層引き立てる宝石とリボンに、尾を立てた黒猫が高ぶった性欲を表す。ルネサンス以来の横たわるヴィーナス像の形式を受けながら、アカデミックな造形原理を否定する作品といわれた。裸婦のモデリングには陰影がほとんどなく、平面的な要素を絵画空間に取り入れて、ジョットの時代から培ってきた立体表現を一切控えている。しかしそれは、平面的な色彩表現の魅力を追求する姿勢であり、表現形式においては近代絵画の出発点となっている。後世の画家たちに与えた影響は計り知れなく、1888年にアメリカに売られようとしていたところを、フランスにとどめるために、モネが中心となって募金活動をおこない国家に寄贈した。発表当時とは違い、人々がこの作品の重要性

を認めた証明である。

(備考)

ティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》(1538年)ウフィツィ美術館

マネはこの絵の模写をおこなっていた。犬を猫に、召使いを黒人のメイドに置き換えた。

21ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

クロード・モネ

(Claude Monet 1840-1926)

《印象・日の出》

1872年

画布・油彩

48×63cm

フランス、パリ、マルモッタン美術館蔵

印象派絵画

●ディスクリプション

第1回印象派グループ展で展示され、この作品によって『印象派』という名が付けられたのは有名な話である。当時の人々の目には、完成された絵画には見えず、印象派と名付けたことは嘲笑も含まれていた。当時の絵画は、アトリエで時間をかけて制作した神話や歴史的事件といった、物語の教訓を厳格に伝えられることが前提として成り立っていた。しかし、モネは刻一刻と微妙に変化する自然の様相を、鋭敏な視覚で捉え、瞬時の印象を描き表す極限的な試みをしたのである。対象とするものを、理論や観念で解釈することを嫌っていたモネにとっては、絶え間なく変わり続ける自然は生きる存在であった。少年期にノルマンディーのル・アーブルの風景画家ブータンに自然観と戸外制作の意義を学び、移りゆく視覚世界の印象を筆触分割で画布に定着する新しい様式を確立し、印象派を代表する画家として、印象主義の美学を極限まで追求した。

(備考)

《睡蓮》(1922〜1926年)睡蓮の部屋、画布、油彩、オランジュリー美術館

モネの代表作で、1899年頃から睡蓮を連作として描き続けた。

睡蓮を1つの部屋で装飾する夢を実現したものである。

22ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ピエール=オーギュスト・ルノワール

(Pierre=Auguste Renoir 1841-1919)

《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》

1876年

画布・油彩

130.8×175.3cm

フランス、パリ、オルセー美術館蔵

印象派絵画

●ディスクリプション

当時、人気のあったモンマルトルの丘の野外ダンスホールを描いた作品である。ルノワールは印象派の現場制作という原則にしたがって、キャンバスをダンスホールの庭に持ち込んで制作した。自然にくつろいだ様子でテーブルを囲む人々と、ダンスを楽しむカップルたちのスナップショットのように見える画面は、印象派の特徴を最も表した作品で、柔らかな筆致と、美しい彩色で木漏れ日を表すところに、印象派のルノワールの真髄がある。このような生の喜びを素直に謳歌する明るさと、柔らかな絵肌を持った美を追求したルノワールは、人気が次第に高まり、多くの女性の肖像画を制作している。印象派の母体となったパリのカフェ・ゲルボワに集まった画家たちは、マネやモネなど作家と評論家を交えて熱心に論議し、多くの革新派芸術家と共にルノワールも独自の絵画様式の熟成を目指していった。

(備考)

梅原龍三郎《黄金の首飾り》(1913)画布、油彩 47.4×45.3cm東京国立近代美術館

20歳で渡仏した梅原龍三郎はルノワールを師事した。紹介状を持たずにルノワールに訪ねていった逸話がある。この作品もルノワールの影響をよく表している。

23ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ジョルジュ=ピエール・スーラ

(George-pierre Seurat 1859-1891)

《グランド・ジャッド島の日曜日の午後》

1884年〜1886年

画布・油彩

207×308cm

アメリカ合衆国、シカゴ美術研究所

後期印象派

●ディスクリプション

スーラは、当時の発達しつつあった光学理論をもとに色彩を構成し、みずからの絵画理論を形成した。光の効果を色彩に分割し、厳密に計算された小さな筆触の点描を画面に併置する技法を完成させたのである。その点描法によって描かれたこのスーラの代表作は、都市生活という主題を静かな秩序が支配し、調和の取れた造形感覚でまとめ上げられた。垂直と水平の規則的な座標に配置された緻密な構成の中に、不思議な幻想的印象と詩情溢れる画面に仕上げられている。準備のために膨大な習作を描き、時間と忍耐が必要とされる画法は、制作に2年を費やし、大画面の作品は31年の短い生涯で数点しか残っていない。スーラの、印象主義を科学的に推し進めようとした野心は、共に新印象派運動をおこなったシニックが理論にまとめあげ、ヨーロッパ各国の美術に大きな影響を与えた。

(備考)

《アニエールの水浴》(1883〜1884)画布、油彩200×300cm イギリス、ロンドン、ナショナル・ギャラリー

グランドジャットの対として制作された作品である。背景には同じヨットが描かれ、対岸に向かって叫ぶ少年は、グランドジャットの駆寄る犬と対面していると推測されている。

24ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ポール・セザンヌ

(Paul Cézanne 1839-1906)

《キューピッドの石膏像のある静物》

1895年頃

板に貼った紙・油彩

70×57cm

イギリス、ロンドン、コートルード美術研究所蔵

印象派時代

●ディスクリプション

セザンヌの中では複雑な構図の作品のうちに含まれる。背景にはセザンヌ自身が描いた作品があり、右の石膏像や、左に描かれた玉葱と手前に置かれたモチーフとしての玉葱が同じ視点に故意的に配置され、キャンバスの空間と実際のモチーフが対象相互の関係性で構築されている。印象派の希薄になりがちな形や構図を、古典画に匹敵する存在感や秩序ある空間構成を実現するために多くの試みをし、印象派絵画を美術館にあるような永続的な価値を創り出すことを目標にした。シャルダンのように生活の中の断片を切りとり、純粋な絵画的要素である構図や色彩に新たな価値をみつけ出そうとしたのである。セザンヌの突き詰めた絵画表現は、革新を志向する20世紀前衛画家に与えた影響は計り知れなく、現在に至っては、印象派絵画はセザンヌの志に叶った価値をもつようになったといえる。

(備考)

《ペパーミントの瓶と青い織物のある静物》(1893〜1895頃)画布、油彩 65.7×82.0cmワシントン・ナショナルギャラリー

画中に描かれた作品である。セザンヌは人物画も制作したが、1枚の作品を仕上げるために時間が必要とするため、静物や風景を多く残している。

25ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

フィセント・ファン・ホッホ

(Vincent Van Gogh 1853-1890)

《オーヴェール=シュル=オワーズ教会堂》

1890年

画布・油彩

94×74cm

フランス・パリ、印象派美術館蔵

後期印象派

●ディスクリプション

多くの仕事を転々と転職を繰り返し、一度聖職にも就くがどれも長続きせず画家を目指すことにした。ホッホは絵描きとして人生を送ったのは10年ほどである。しかし、短い画家人生の中で多くの作品を残した。感動を表現することが創作意欲へとつながったホッホは、筆触と色彩によって感情を表現した。青と黄色の響きわたるコントラストはホッホの好んだ色彩で、青の中でも深いコバルト色がオーヴェール時代の特徴であり、その深い青空を背景にオワーズ教会堂を描き込んだ。精神病を患っていたホッホは精神的混乱の合間のわずかな時間で制作し、堅固なはずの建物もホッホの心のリズムとともに、感動と絶望の錯乱状態の中で揺らぎ、底深いコバルトは強烈な印象をあたえる。人生の終末を予感させる作品となっており、この作品を描いた年に自らの身体に銃弾を撃ち込み、人生を閉じることになった。

(備考)

《おいらん》(1887)画布、油彩 100,5×60.5cmオランダ、アムステルダム市立美術館蔵

ホッホは日本を理想の国と考えており、浮世絵に熱中し、作品に多くの浮世絵を描き込むことをした。この作品は、パリ・イリュストレ誌の表紙になったものを模写したものである。

26ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ウイリアム・モリス

(William Morris 1834-1896)

《アカンサス壁紙デザイン原画》

1874年

イギリス、ロンドン、ヴィクロリイア・アンド・アルバート美術館蔵

近代デザイン

●ディスクリプション

モダンデザインの父として名を残したウイリアム・モリスは、仲間と一緒に室内装飾を手掛けるモリス・マーシャル・フォークナー商会の発足をきっかけに才能を発揮する。19世紀後半の工業の発達によって、従来の手仕事による生産形態は衰退し、その危機感に生活の中にあるものこそ美しくあるべきだと考えたモリスは、自然にある何気無い植物を紋様としてデザインし、手作業によって壁紙やカーテンにあしらい人気を集める。このアカンサスの模様も、室内全体を華麗な自然美で満すために生き生きと描写し、繰り返し模様である壁紙を意識した葉の配置は巧みである。人間の生活を細部まで香り高い芸術で満たすことを夢見たモリスは、亡くなるまでに41点の壁紙をデザインし、初期の頃から晩年のものを比べると、テクニックも洗練されていく。造る職人と、使う人々が共に喜びあるものを提案しようとした姿勢は、現在に至っても変わらない、もの造りの大切な姿勢といえる。

(備考)

ヴァン・デ・ヴェルデ《燭台》(1990年)ブリュッセル王立美術歴史博物館

モリスに共感した次世代の若者が、アーツ・クラフツ運動によってモリスの思想の普及に努め、手仕事の精神を実践した工芸品を造る。モダンデザインの出発点であり、数々の名品を生み出した工芸運動である。

27ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アンドリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec 1864-1901)

《ムーラン・ルージュのラ・グーリュ》

1891年

石版画ポスター

195×122cm

フランス、アルビ美術館蔵

近代デザイン

●ディスクリプション

油彩画を制作していたロートレックが、石版画家としてのデビュー作である。ムーラン・ルージュはモンマルトルで人気を集めたキャバレーで、夜ごとに出没していたロートレックが店の宣伝担当としてポスターを造ることになった。人気ダンサーのラ・グーリュを主に、手前のパートナーをシルエットのみで配置し、大胆に簡略された構図と色彩はポスターとしての役割を把握した斬新なデザインとなっている。同時代の画家と同じく、ロートレックも日本の浮世絵に興味をもち、平面的な表現や輪郭に囲まれた色面の扱い方は大きく影響を受けている。ロートレックのポスターは評判になり、その後31点もの作品を制作し、ポスターを芸術の形式の1つとして確立したことはロートレックの功績でもある。ポスターとして使われていたので、完全な形で残っているものは極めて少なく、これは上部がたち切れている。

(備考)

《ゴッホの肖像》(1887)紙、パステル、54×45cmアムステルダム市立美術館蔵

ロートレックは、浮世絵に大きな影響を受けたゴッホと交流があり、パステルで横顔を描き残している。交遊期間は短いが友情は深く、ゴッホがアルルに移り住んだのは、ロートレックの勧めもあった。

28ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

グスターフ・クリムト

(Gustav Klimt 1862-1918)

《接吻》

1907年〜1908年

画布・油彩

180×180cm

オーストリア、ウィーン、オーストリア美術館

世紀末芸術

●ディスクリプション

クリムトの生きた時代、ウィーンの美術界では過去のスタイルを踏襲することが重視されていた。優れた画力で美術界から有望視されていたが、写実主義の行き詰まっていた過去の繰り返しに飽き足らなくなり、仲間と共に分離派を結成した。そして、新たな芸術のスタイルを模索し、下地に金箔を貼って、細やかな模様を描きいれた黄金様式を完成させる。この作品は、第1回クンストシャウ展に出品した16点の作品のうちの1点で、紛れもないセクシャリティを表したキスシーンではあるが、華麗で甘美な魅力に満ちあふれた作品は、淫らな表現と批評されながらも、ウィーン市民の心をつかみ、国家買い上げになった作品である。多くの画家がフォーヴィズムやキュビズムなどの前衛的な造形への挑戦がされていた中、クリムトはそのような傾向とは一線をひき、ジャポニズムやアールヌーヴォーの表現形式を学び、象徴主義絵画を確立した。

(備考)

エゴン・シーレ《死と乙女》(1915年)オーストリア美術館

クリムトが若手芸術家とともにクンストシャウ展をおこなった中に、エゴン・シーレも含まれていた。『銀のクリムト』といわれるほど新進気鋭の画家であった。

29ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アンリ・マティス

(Henri Matisse 1869-1954)

《ダンス》

1909年〜1910年

画布・油彩

260×391cm

ロシア、サンクト、ベテルスブルク、エルミタージュ美術館蔵

フォーヴィスム

●ディスクリプション

青年期のマティスは法律家をめざしていた。しかし、20歳の病気による入院時に、親が油絵具を与えたことがきっかけで絵画の表現世界にのめり込んだ。この絵はロシアの大コレクターのシチゥーキン家の階段装飾として《音楽》と対で制作されたものである。創作の刺激になったものは、カフェで実演されていたプロバンス地方のファランドールといわれる民族舞踊である。人物群の旋律的なしなやかさは、人体の単純な色面を囲う輪郭線の量感と共に大胆に描き表されている。単純な色彩に躍動感を感じるのは、マチィスが見たことをそのまま再現せず、ダンスを見て受けた感覚を凝縮し、色彩とフォルムのバランスに昇華して再現するからである。原色と奔放な筆触は野獣と揶揄され、そこからフォーヴィスムと名付けられたが、しかし色彩の画家が生みだした自由なフォルムと平面化は、その後の画家に大きな影響を与えた。

(備考)

《音楽》(1909〜1910)画布、油彩 260×389cmサンクト、ベテルスブルク、エルミタージュ美術館蔵

ダンスと共に制作されたもので、マチィスが刺激された舞踊は2枚の作品で表現され共に響き合う。

30ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

パブロ・ピカソ

(Pablo Picasso 1881-1973)

《アヴィニョンの娘たち》

1907年

画布・油彩

243.9×233.7cm

アメリカ合衆国、ニューヨーク近代美術館蔵

キュビズム

●ディスクリプション

キュビズムの出発点ともいうべき作品ではあるが、ピカソは完成してからしばらくの間はアトリエにとどめ置いていたが、発表は1916年の展覧会である。当時アヴィニョンは娼婦街で、売春によって疎外された性愛がテーマであったこともあり、発表された時には哲学的売春宿とも呼ばれ、ピカソの友人のほとんどが困惑の表情を隠せなかったという。しかし、その中でブラックは作品を見て斬新さに驚嘆した。伝統的な遠近法を無視し、肉体の表現はピカソの感情のなかで壊されキャンバスの中で再構成される。欲望の対象となる女性を極端な変形で表現し、暴力的な緊張感をもたらしているのである。制作に直接関係がある作品や習作は800点にもおよび、勢いだけで描いた物ではなく、ピカソの新しい造形の追求の結果の深い探求のもとで誕生した作品といえる。

(備考)

ポール・ゼザンヌ《大水浴図》(1898〜1905年)画布、油彩、208×249cm 、フィラデルフィア美術館蔵

セザンヌに影響を受けたピカソは、大水浴図にヒントを得てアヴィニョンの娘たちを完成させた。

31ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ヴァシリー・カンディンスキー

(Wassily Kandinsky 1966-1944)

《コンポジションⅦ》

1913年

画布・油彩

200×300cm

ロシア、モスクワ、トレチャコフ美術館蔵

20世紀絵画

●ディスクリプション

フォーヴィスムを超える大胆で独創的な展開がドイツで始まった。抽象油絵の創始者の1人であるカンディンスキーは、物質世界に類似したあらゆるものを排除して、精神的な意味を形態と色彩で表現することを始めたのである。コンポジションⅦのテーマは、復活、最後の審判、大洪水などの黙示録的な主題を融合させ、色にひそむ音楽的な要素を感じとり、色彩の構成によって全体にメロディーをあたえたという。本図は3日間で完成したが、この絵の制作のためにスケッチを40点以上描き、長い時間をかけて構想が練られた。鑑賞者が、画家の意図をはっきりと理解できないにしても、制作者の精神の奥から生まれてきた感情だということを知り、色彩に表された思いを発見することができれば、キャンバスから発せられる画家の情熱に、新鮮な感動を感じることができるであろう。

(備考)

クロード・モネ《夕日の積み藁》(1890〜1891)画布、油彩アメリカ合衆国、ボストン美術館蔵

連作で発表された積み藁の1枚。カンディンスキーは1895年にモスクワで開かれたフランス印象派展でモネの積み藁の色彩表現に感銘を受け、翌年に画家になることを決意する。

32ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マルセル・デュシャン

(Marcel Duchamp 1887-1968)

《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)》

1915年〜1923年

ガラス、油彩、ワニス、鉛箔、針金、埃、

272.5×175.8cm

アメリカ合衆国、フィラデルフィア美術館蔵

ダダイズム

●ディスクリプション

デュシャンはダダイズムの代表的作家で、伝統的な芸術活動としての絵画制作を否定した偶像破壊者的な活動をした。キュビズムと未来主義の手法を生かしたこの作品は、大きな板ガラスのあいだに鉛などの金属片を挟み込み、油彩、ワイヤ、箔などを使って造られている。上部が花嫁で、下部が独身者たち表し、チョコレート粉砕器を中心に雄特有の形と濾過器からなる9つのものがある。上下の間は無機質な機械的なイメージで、エロティックなエネルギー交換が起こるという。芸術概念の拡大を目指した作品ではあるが賛否両論あり、今でも意味や象徴についての多くの論議がある。デュシャンのレディーメイドという発想はポップアートにも多大な影響をあたえ、ダダイズムの精神はシュルレアリスムに引継がれた。デュシャンの晩年は芸術を放棄したかのようにチェスに没頭したが、没後に秘密裏で制作していた遺作が公開され話題をよんだ。

(備考)

《制服、あるいはお仕着せの墓場—独身者たち》(1914)

大ガラスの制作のための下半分の研究。ピストンや注射器のような器具によって男性の性能力を示している。

参考文献リストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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5、ティツィアーノ《聖母被昇天》

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6、パルミジャニーノ《首の長い聖母》

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7、アルブレヒト・デューラー《1500年の自画像》

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8、マティアス・グリューネヴァルト《イーゼンハイム祭壇画》

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9、アンニーバレ・カッラッチ《バッコスとアリアドネの勝利》ファルネーゼ宮殿装飾

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

10、カラヴァッジョ《聖マタイの召命》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』、創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

11、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ《聖女テレサの法悦》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』、創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

12、レンブラント・ファン・レイン《夜警》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

相賀徹夫著『原色美術館 第7巻 アムステルダム国立美術館ほか』小学館、昭和58年

4月15日

13、ヨハネス・フェルメール《画家の寓意》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

ピーター・C・サットン著(高草茂訳)『フェルメール展』図録、ランダムハウス講談社、

2008年

アーサー・K.ウィロックJr.監修『フェルメールとその時代展』図録、毎日新聞社、2000年

14、ディエーゴ・ベラスケス《ラス・メニーナス》

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第1法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

15、クロード・ロラン《シバの女王の乗船》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

16、ワントワーヌ・ヴァトー《シテール島での巡礼》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅱ絵画と彫刻の歴史1』第一法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

17、ジャン=バティスト=シメオン・シャルダン《煙草入れ》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』、創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

ガブリエル・ノートン著(大野芳材訳)『シャルダン』西村書店、2002年3月1日

18、フランシスコ・デ・ゴヤ《マドリッド、1808年5月3日》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅲ絵画と彫刻の歴史2』第一法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

19、ウージェーヌ・ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』、創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

20、エドゥアール・マネ《オランピア》

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅲ絵画と彫刻の歴史2』第一法規出版、1985年10月20日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

M.ラクロット、G.ラカンブル著他『オルセ美術館 絵画』みすず書房、1986年

21、クロード・モネ《印象・日の出》

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

22、ピエール=オーギュスト・ルノアール《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

神林恒道、新関伸也編『日本美術101鑑賞ガイドブック』三元社、2008年7月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

M.ラクロット、G.ラカンブル著他『オルセ美術館 絵画』みすず書房、1986年

『東京国立近代美術館』HP、2009年10月11日検索

http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=4766

23、ジョルジュ=ピエール・スーラ《グランド・ジャッド島の日曜日の午後》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』、創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅲ絵画と彫刻の歴史2』第一法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

奥野克仁、青木理他編、『スーラと新印象派展』図録、アプトインターナショナル、2002年

24、ポール・セザンヌ《キューピッドの石膏像のある静物》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

西村正徳発行『キュビズム』西村書店、1999年1月31日

メアリー・トンプキンズ・ルイス著(宮崎克己訳)『岩波世界の美術 セザンヌ』岩

波書店、2005年1月25日

25、フィセント・ファン・ホッホ(ゴッホ)《オーヴェール=シュル=オワーズの教会堂》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

堀内末男発行『現代世界美術全集8ゴッホ』集英社、1980年10月1日

M.ラクロット、G.ラカンブル著他『オルセ美術館 絵画』みすず書房、1986年

池上忠治編『世界美術全集第23巻後期印象派』小学館、1993年2月17日

26、ウイリアム・モリス、壁紙

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

南川三治郎著『ほたるの本ウイリアム・モリスの楽園へ』世界文化社、2005年3月1日

27、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージュのラ・グーリュ》

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

堀内末男発行『現代世界美術全集9ロートレック』集英社、1980年10月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

28、グスターフ・クリムト《接吻》

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

ジル・ネレー著『アートシリーズクリムト』タッセン出版1994年

29、アンリ・マティス《ダンス》エルミタージュ美術館

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅲ絵画と彫刻の歴史2』第一法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

岡田衛発行『世界美術全集第25巻フォーヴィスムエコール・ド・パリ』小学館、

1994年8月10日

30、パブロ・ピカソ《アヴィニョンの娘たち》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

柳町敬直発行『西洋絵画名作101選』小学館、2005年3月10日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅲ絵画と彫刻の歴史2』第1法規出版、1985年10月20日

大下敦発行『カラーワイド版西洋美術史』美術出版社、1993年8月10日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

西村正徳発行『キュビズム』西村書店、1999年1月31日

31、ヴァシリー・カンディンスキー《コンポジションⅦ》

H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著(木村重信、藤田治彦訳)『西洋美術

の歴史』創元社、2005年4月10日

早坂優子著『巨匠に教わる絵画の見方』視覚デザイン研究所、2005年12月1日

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅲ絵画と彫刻の歴史2』第一法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

H・W・ジャンソン著『美術の歴史新装版』美術出版社、1995年8月10日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日

紙林恒道、新関伸也編『西洋美術101観賞ガイドブック』三元社、2008年9月30日

32、マルセル・デュシャン《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大硝子)》

折橋俊英発行『西洋美術館』小学館、1999年12月10日

田中重弥発行『世界美術百科Ⅲ絵画と彫刻の歴史2』第一法規出版、1985年10月20日

石鍋真澄、大高保二郎、島田紀夫著他『新西洋美術史』西村出版、2002年6月1日

高橋秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館2009年4月20日