大学院-「祭礼と感性」Sレポート

6月に受講したスクーリングレポートです。

祇園祭をライフワークとする私にとって、とってもいいスクーリングでした。

テーマは「授業で感じたこと、考えたことを自由に論ぜよ。」というものです。

もし現世に人間がいなければ、人の感じる神という存在はどうなるのであろうか。果たして神は、人間という存在以外に、神を感じ、崇めるような生命を創造していたのだろうか。

人は願う。人間は「願う」ことを源として様々な活動をおこなっている。便利な物が欲しい、幸せになりたい、痛みを和らげたい、不安や悲しみを乗越えるためにはどうすればよいのか。自力でどうにもならない時は仲間に助けを求める。そして、不安が絶頂に達し、人の力ではどうにもならない時、願う対象として神の存在がある。神という存在は「願い」の中にも存在する。

私は、自身の知覚から神という存在を感じたことがない。しかし、不可思議な存在と思いながらも、京都という町に生まれ育ち、神仏を祭る神社仏閣に詣でる機会がある。そして、希望を願い、不安を取り払ってもらう対象として、神仏という存在に手を合わせる。一体、神というものはなんであろうかと思う時もある。しかし、仏師や絵師による視覚として表されたものに、ありがたいと思う気持ちは生まれる。

そのように感じる中で、私は祇園祭をモチーフに絵を制作している。宵山、室町界隈に出される全山鉾をシリーズ作品として、F100号のキャンバスに1基ずつ描くというものである。ただ、きっかけは祭礼として意識することなく、宵山の駒形提灯に魅せられて制作することが始まりであった。1枚目の制作を契機に、山鉾の32基の存在を知り、八坂神社の祭礼であること、怨霊を治めるために始まったことを知ることになる。絵のモチーフとして山鉾や風景を描いていたものが、作品を制作するごとに京都に住まう人々の営みや、祭礼を通じて神という存在を中心に人々が集い、願いのなかにある祭礼であることを知る。そして京都は、古都という歴史的な風土が残る観光地だということだけでなく、多くの総本社や本山ある宗教都市であるということに気付くことになる。

祇園祭は地域的なものではなく、朝廷によって全国区の神々を治めるために始まった。863年に疫病が流行し、原因とされる怨霊を治めるために御霊会が行なわれ、その後869年に、御所の禁苑であった神泉苑に、当時の国の数である66本の鉾を立てたことが現在の形式の始まりとされる。現代は、多くの人はただ神を祭るためのものや、観光資源としても見られているが、当時の最新の医療技術であったともいえる。祭礼は徐々に変化していき、神輿の渡御や町衆が繰り出す山鉾が加わり、15世紀ごろに絶頂期を迎えて山鉾は58基もあったと伝わる。その山鉾が巡行される理由は、豪華な装飾を人々に見せるものではなく、疫病の原因である怨霊は美しいものに依り着くと考えられ、怨霊の依代として市中を巡行させている。17日の夕刻に行なわれる神輿の御旅所への渡御も、市中の疫を祓うことが目的である。現代の人々はその祭礼になにを感じているのであろうか。

京都では大火や戦乱も多く、祭礼が行なわれない年もしばしばあったそうである。中でも大きな影響を与えたものは、応仁の乱による中断で、室町幕府によって1500年に再興されたときには、治安の確保と経済効果も期待されたと伝わる。祭礼に対する人々の願いは、疫祓いなど神事として執り行うことだけではなく、人間の社会的営為にも影響を与え、祭礼を通じての共同体意識の回復も期待されるようになったのである。

人が亡くなれば霊になると考える御霊信仰、八百万の神が宿るという日本の信仰は、私たち生きる人々も神の存在といえるのではないだろうか。様々な神を穏やかなものにし、幸あるものにするのが祭礼の目的でもある。生きている人々も、美しいものを見ることによって心が高揚し清浄に導くことができる。祭礼がより艶やかなものになったのも、現世に生きる人々に対しても、心的効果を願ってのことだといえるのではないだろうか。

過去の人々が造り出したもので、国宝や美術品となるものには信仰に関係するものが多い。芸術作品も感性の心理的な高揚感が造り出すものでもある。祭りによる心的昇華と興奮は、人々にとって、なにかを創造するための原動力となっていたのではないだろうか。五感以上の感性が感じとるものが、なにか新たなものに昇華するきっかけとなっているといえる。

様々なものに善悪の判断を必要とする人間は、ただ平然と生きることだけが善ではなく、美しく生きる為に思惟し、正しい思想や本質を探求する。また、美しく生きる為に多種多様な活動をする。絵画の芸術的営為も、言葉だけでは表現できない心的作用を、色彩や造形の美しさをもって具現化するための行為である。私の絵画を制作行為も、神との関わりを具現化するところまで行かないにしても、祭礼に対する心の高揚感や美しい風景が表現できることを目標としている。祇園祭に対する感性を研ぎ澄まし、未知なる美しさが表現できることを願う。

これまで、祭礼は祇園祭のことのみしか知らず、地方や異国の地の祭礼を知ることがなかった。今回の講義は、私にとって様々な祭礼を知るよい機会となった。この場を借りて御礼申し上げます。(2077文字)