総合S-----世界単位研究基礎-Sレポート

あまりまだドコの大学でも聞けないような講義だそうです。

世界には国境があります。

けど、なんでこんな形になったのか??

素朴なそんな疑問も解決できますし、

新しい学問として、先生の熱意あるお話も楽しいです。

で、スクーリング終了後にレポートを提出するものでした。

お題が4つほどあって、その中で「わたしの人生」というのを選択。

やっぱり、絵ですし、祇園祭でしょう。

そんなことで書いてみました。

わたしの人生ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1.絵を描くということ—————————————————————————————

人の思いは多彩で、種々雑多な意識や思想によって人間社会は成り立っている。その社会を構成する人間の一人として人生を語れるものといえば、絵を描き続けてきたということである。

人類で初めて絵を描いたのはだれであろうか。現在を共に生きる世界各地の人々の中でも絵を描いている人が多く存在する。そして過去、これから生まれてくる未来の人々も含めれば、星の数だけライバルというべき存在がいる。勝負するものではない芸術世界ではあるが、一人でも多くの人を魅了することができれば傑作というべき作品となる。絵画の世界は、魅力ある作品を描くという答えを求める姿勢はあっても、その魅力は普遍的なものではなく、保証された方程式は現在においても発見されていない。なんとも大変な世界に手を出してしまったものだとつくづく思ってしまう。

絵を描くことは生きるために必要なものであるのか?と、問われるとはっきりとした答えは言えない。しかし、他の実学的な大学が存在するなかで芸術大学までもが存在するということは、芸術は人間活動において重要な学問であるという証でもある。

2.テーマの発見「祇園祭32年計画」———————————————————————

これまで様々な絵を描いてきたが、現在1つの大きなテーマをもって取り組んでいる。京都の三大祭りである祇園祭の32基ある山鉾すべてをF100号(162.1×130.3cm)のキャンバスに描くというものである。少し気の長い計画で、1年に1枚ずつ制作し、32年間の時間をかけ、完成したあかつきには個展をするという目的もある。現在は10基の作品が完成したが、この計画も焼失していた大船鉾の復興によって1年延びることになった。

偶然にも京都に生まれることとなった私であるが、この祇園祭のテーマが見つかる前にはあまり生まれた地について興味はなかった。風景画を描く私にとっては、絵になりそうな古い町並みが多くあり、史跡の残る観光地であるという程度で、祇園祭についても千年以上続けられた神事というよりも、人が集まる楽しい祭りというだけのものでしかなかった。しかし、絵を描くことを通じて徐々に知ることになる京都の魅力。祇園祭が、大火と戦乱を繰り返す都において、中断と復興を繰り返して続けられ、京都に住む人々の熱意によって現在も存続してきたという深い歴史があったのである。絵の制作を通じて人の思いを知ることも貴重な体験といえる。

絵画表現というものは正直で、自分の感じた以上の思いを描き出すことができない。私自身がモチーフに対する思いを熱烈に感じ「いかに感動するか」が表現力の強さとなる。年月を重ねて制作していく山鉾の絵は私の思いに比例して徐々に変化し、最終的に完成したときにおこなう個展では、年度ごとに制作してきた心境の変化とともに、表現方法が変っていく面白い展示になるのではないかと思っている。

3.新しい絵画表現———————————————————————————————

なぜ人は絵を描き始めたのか。思いを伝えるための「文字」というものができあがる以前に、思考を伝えるための1つの手段として絵が描き始められたのだと思う。現代においても絵画表現には原始的な伝達要素があり、人間がまだ文字として表現できていない感情が構図や色彩として表現され、そのことを元に新たに言葉がつくられていくことも考えられないだろうか。例えば、言葉で伝わらないものが絵では伝えられる。それは感動的な風景を見た瞬間の、言葉になる以前の「ときめき」のようなものが絵によって伝わるからである。私にとって、絵を描くことは相性の合うコミュニケーションの手段であり、年齢を増すにしたがって、絵と京都の虜になりつつある。

世界単位研究基礎の授業を受けることによって感じたことは、広い世界の中で偶然にもこの地域の人として生まれ、当たり前と思っていた自身の思考も、地域によるものであることに気付かされることになる。私の考えることは、京都の文化圏の人々と共にあり、地域の枠組みの中での思考なのである。私の個性を発揮するなら、やはり生まれた地の伝統文化を知ることである。そして地域独特の思想を絵画表現として表せることができれば個性のある絵画空間になるのではないかと思う。

さまざまな文化があり、思考の違いが人間社会の面白さでもある。この地域の一人の構成員として私はどのような特色が表現できるのか。京都と他の地域の文化を比較し、違いに気づけることができれば、新しい絵画表現が描出できるようになるのでないかと思う。

4.最後に———————————————————————————————————

心の内に答えを探すのではなく、外側の世界、違う地域を知ることによって自身の考えが明らかになる。地域の枠組みの中にある人の思想であり、他の地域と比較することによって新しい発想が発見できる。世界単位研究基礎の講義を受けることによって、絵画表現の地域性という、新しい表現方法の展開ができる契機となったのではないだろうか。私の原点は京都である。この地域で絵を描く1人の人間として、生まれ育った京都に誇りをもちながら絵を描き続けていこうと思う。

(1994文字)

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ここまで書いたのなら絵も見てもらわないと。

添付資料も付けました。

私のこれまでのレポートで、今までで一番いい点数をもらえました。