総合T----------東洋の叡智への案内2

東洋の叡智への案内の第1課題のレポートが終わって、すぐに提出しないで、

2冊目の本、岡倉天心著「茶の本」を続けてレポート制作しました。

日本の芸術史を見ていると、よく聞く「岡倉天心」って、どんな人だったのかな??と、選んでみました。

これもレポートを書くために、他に2冊の本を読みました。

参考文献程度にと、買った本が良かった!

「鈴木大拙」という禅の思想を世界にひろめた人、ちょっとハマりました。

レポートは1回で合格しました。

先生にしっかり読んでもらっていて、丁寧な添削でありがたいです。

評価はそこそこですが、面白い概念を持っているとも言えてもらってます。

けど、やっぱり文章は難しいなぁ...。

参考程度にしてください。

その後の単位修得試験へ...。

『東洋の叡智への案内』第2課題 レポート——————————————————————————————

岡倉天心『茶の本』から考える東洋と西洋

日本の現状と東洋的叡智

1、東洋的な心の作用——————————————————————————————

人間は生命を維持するための営み以外にも、嗜好的な文化活動を必要とする。その中の1つ、道となった茶を喫する行為には崇高な芸術的作法が準備されている。天心は、その茶道の心得が日本のすべての芸術的活動の審美的視点に影響を与えているという。東洋の美的行為が思惟されたこの本の中で、「第5章 芸術観賞」に述べられた下記の引用が、人間活動すべてに共通した重要な心構えとなるのではないだろうか。

われわれの心に訴えるのは、手練よりは魂であり、技術よりは人間であって、その呼

びかけが人間的であるほど、われわれの反応はそれだけ深いものになる。(p.69)

現代を生きる我々は、どのようにすればより良き社会を築けることができるのか。この引用を元に、これまで日本人が培ってきた叡智を考察し、今後どのように活かしていけばよいか、試論を試みることにする。

2、東洋的な西洋文化——————————————————————————————

日本人にとって明治時代は西洋文化を急激に取り入れ、生活習慣がめまぐるしく変化した時代である。現代の日本では、敗戦を経験することによって西洋化がよりいっそう濃厚となり、世界の中での日本の位置づけは、西洋の社会システムの一部となっているといえるのではないだろうか。

この「茶の本」に書かれた天心の心情は、西洋文化を取り入れ始め、東洋という意識が薄れ始めた日本人の憂鬱な精神状態を表したものである。その時代背景の中で、東洋文化の消滅を危惧する思いに西洋の人々に対してだけでなく、自身の心を問い質すためにも、東洋文化の優れたところを再考するために書かれたものではないだろうか。

祖国が培ってきた文化に誇りをもって生きた天心である。しかし天心が試みたことは、文化を優越のある対立的なもとして意識し、自国の文化を庇護すること自体が、西洋的な二項対立の心情の中から発せられたものである。様々な地域から発生した文化は、異文化交流によって融合し合いながら発展をしている。日本が西洋文化を受容したことも、東洋

思想の挑戦的な態度ともとれることができないだろうか。東洋的思索のもとに西洋の文化を取り込んだ東洋的西洋文化といえるものである。

3、不完全性の美————————————————————————————————

天心は茶道を通じて日本の美的感覚を語る。その中で、茶道の審美的要素の1つである「侘び・寂び」が日本の代表する精神性でもある。また、完結したものや絶対的なものだけに捕われず、「無」ということに意味を持ち、「空」という空間に価値を与え、不完全性にも美しさを感じることができるのが東洋的な審美感覚ではないだろうか。

不完全に完成があるということは、矛盾しているのかもしれない。しかし、欲求が満たされないことによって精神的原動力がうまれる。無にも価値を与える日本の文化は、完全を求めるための補い合う心の動きを大切にし、無上なる発想の創出を重視したのではないだろうか。

「永遠不変なものはない」と考える東洋思想は、人々の移ろいゆく精神性を解明かし、人間の精神的成長を促す。しかし、現代の日本では西洋の絶対性と二項対立を受容しすぎ、価値や思想に対して完成されたものと未完のものに分け、不完全性に物足りなさのみを感じているのではないだろうか。

4、日本の現状————————————————————————————————

日本では、アジア大陸からの文化の受容、その後西洋文化を取り入れ、混沌とした文化思想が入り交じった現代の日本はなにを目指しているのであろうか。現代のテクノロジーに満たされた生活環境、物質的に満たされた社会であっても、より裕福に生活しようと大量に物を作り続ける。しかし、果てしない我欲に様々なものを消費し続けていても、満たされない心がある。

現代社会のシステム的な人々の営み、抜け目のない絶対的な規律、不適切なものへの極端な潔癖。揺らぐ心に不安を感じ、様々なコミュニケーション手段が作り出されても、人々の心の溝をうめることができない。最新鋭の技術で研ぎ澄まされたものができたとしても、心に訴えかけなければ技術には価値はなく、堅牢で高価な物であれども心がなければ意味をもたない。では、引用した中での、「人間的な呼びかけ」とはいったいどういうものなのであろうか。

誤ちを侵すことも人であり、社会的集団の中でそれぞれの弱い部分を補いながら社会生

活を続けてきたのである。侘び寂びなどの負荷的要素をも美とする日本において、絶対的な存在からも裏に隠された陰の部分を見抜き、そこに人間性を感じる。迷いと揺らぎの中にある人々の心を知ること、その中での慈悲のある態度こそが日本的な良さであり、人間的な呼びかけがあるのではないだろうか。

不完全性の中にも審美的価値があった日本では、各々の心の中で無上の完成があった。そして、満たされないことから探究心がうまれ、新たな叡智や美的感覚が創出されてきたのである。しかし、人の心の中での完全性は具体的な形がなく不安をともなう。現代社会は、人の住むことのない空や奥深い山々にまで人間の法規が満ち、隙間なくシステムが顕現化されている。結果的に、現状の社会はシステマティックなものとなり、人間的な呼びかけができない仕組みになってしまったのではないだろうか。

現代に生きる我々は、分別化されていないことや意味が理解できないものには不安を感じ、可否の規律が決まった中で活動を開始する傾向にある。しかし、あまりにも規律に頼り過ぎるあまり、本来自由な美的感性にまでも個々の判断の介入する余地がなくなりはじめていることが考えられる。規格化された意識の枠に入ることによって、自己の美的判断能力が落ち、自ずからあるはずの嗜好の感性をも妨げることになっているのではないだろうか。文中にある遠州の言葉で、「あの偉大な利休は、膚に合う物だけを愛する勇気があったのだ(p.74)」というように、本来の審美的感覚も自ずから発せられる愛でる心に自由にあっていいものなのである。

芸術家が創作する行為も、言語的理屈を必要としない、言葉にならない心情を共感できる手段として、漠然とした意識を共有することのできる芸術の力を失念しているのではないだろうか。曖昧な美的表現を元に、移ろいある美しさをおぼろげに語りあうことで心の交流が深くなっていく。現代の我々は、言語化される以前の法則や規律によって明確に分別できない、混沌とした人間の感情があることを理解しなくてはいけないのである。

5、日本の風土から生まれたもの—————————————————————————

現状の日本は、グルーバル化を目指し、東洋思想をベースに取入れた日本独特の西洋化というジレンマの中にあるといえるのではないか。西洋の自然を支配下とする人間至上主義の姿勢とは正反対に、東洋的思想は自然を征服する対象ではなく、生命の師として存在していた。では過去の日本人が、日本とういう自然環境になにを学んできたのか。

自然は負荷的要素の中にも成長があり、揺れ動く中に美しさが育まれる。移ろいある気

候で、それぞれの季節の違いが引き立ち、毎年繰り返される自然の営みの中にある微々たる成長を待ち望み、次なる季節の訪れに心涌く。無、空、移ろうことに美を感じる日本人は心の動かぬものに生命観を感じにくく、人間的な呼びかけとはならないのではないだろうか。

日本の気候の中で生まれ育った我々は、今一度東洋思想を再考し、風土に合った生活を取り戻さなくてはいけない。そして人間は、それぞれに住まう地域の、自然が発する息吹の受け取る態度をあらためて培わなければいけない時期にきている。

6、枠組み無き叡智———————————————————————————————

最後にもう1つ、東洋で生まれ育った天心の言葉を引用する。

偉大な芸術品の前では大名と武士と平民の差別はなかった。(p.65)

真の芸術は、人種や文化圏に関係なく人々の心を魅了する。芸術大学で学ぶ我々は、現代社会に対してなにかできることがあるかもしれない。心に深く響く芸術作品を創作することを契機として、差別ない魅力ある社会を築くことができないだろうか。

このことは、芸術品に限らずすべての人間の営みに共通したことである。偉大な思想の前では文化や人種の優越の差別はない。現代に生きる我々は、東洋と西洋の思想の枠組みを越えなくてはいけない。言葉なき芸術的美しさと同じく、言葉では発せられない自然からの声を聞ける態度こそが人間の智恵となり、地球に存在するものすべてのものの叡智となる。

(文字数 3307字)

参考文献———————————————————————————————————

鈴木 大拙『東洋の心』2011年5月20日 春秋社

大熊 玄『鈴木大拙の言葉 世界人としての日本人』2009年12月6日 朝文社