ワンダフル! 走らないベテランたち
2024年度の全日本オリエンテーリング選手権大会は10月19日(土)ミドルと、
10月20日(日)ロングの競技が、岐阜県恵那市中野方町笠置山山麓「望郷の森」
で開かれた。この大会で今年の日本のチャンピオンが男女別に決まる。そして、同時
に、年台別、男女別のチャンピオンも、それぞれのクラスの中から選ばれる。オリエン
テーリングという競技は5歳刻みの年台別、男女別にクラスが分れて競技をするからで
ある。
今回の全日本大会では1000名を超える選手が集まったが、そのうち男子150名、
女子70名がエリートクラスであった。Aクラスでは、20歳台から30歳台前半で、
男子160名、女子75名が出場した。そしてAクラスの35歳台では男子4名、女子
8名と人数は減る。40歳台は男子8名、女子2名。45歳台男子14名、女子1名。
50歳台男子24名、女子10名。55歳台男子26名、女子9名。60歳台男子35名
女子4名。65歳台男子18名、女子4名。70歳台男子16名、女子7名。75歳台
男子10名、女子はゼロ。80歳台男子6名、女子ゼロ。85歳台男子3名、女子1名。
90歳台男子4名、女子ゼロ。この他にBクラスと10歳台のクラスがあるが、参加数
は少ない。
1931年生まれの私は、90歳台Aクラスに出場することになる。2023年度までは
90歳台Aクラスは私と東京の高橋さんとの二人のたたかいの場であった。2022年度
の全日本大会(富士山麓鳴沢)では、ミドルとロングとも私が勝って優勝をしている。しかし、
2023年の全日本大会(千葉県勝浦)では私が体調を崩し不参加となり、90歳台のチャ
ンピオンは高橋さんとなった。二人だけのたたかいではあるが、相手の高橋さんは、オリエン
テーリング界で、海外にも名を知られている大ベテランなのである。私も参加した2012年、
ドイツの中北部のハルツ山地のWMOC(世界マスターズオリエンテーリング選手権)でも、
また2013年のイタリアのトリノのWMG(世界マスターズゲームズ)を兼ねたWMOC
でも、40名近い日本人出場者の中で、海外勢と競いメダルを取ったのは、この二つの大会とも
高橋さん一人だけという快挙を成し遂げている。次の4年に一度の2017年。ニュジーランドの
オークランドでのWMG(兼WMOC)では私も何とか海外の10人と競い、銅メダルを取って
いるが……。
2024年のこの全日本大会の男子90歳台Aクラスには、今まで男子85歳台に出場して
いた名古屋の石田さんと、札幌の原田さんが新しく加わり、4名の競技となる。石田さんも原田
さんも、85歳台での全日本大会優勝の実績もあり、海外での競技経験も豊富である。そして二人
とも走る。年の割に抜群に速く走る。
2024年、私は6月に妻が亡くなりその後、心筋梗塞のおそれありと診断され、心臓の周りの血管
にカテーテルを通す手術の入院を、7月と8月に2回もしていた。走ると胸が痛くなる。それに腰痛が
出て長く歩けない、そして眼精疲労で目がかすむ、という身体の状況であった。普通なら、道のない
山を走る競技などには参加できない。しかし私は、今回の大会は東京・名古屋・札幌から90歳代の大
ベテラン達が集まるのに、大阪のクラブに所属する私が参加しなければ、これは「大阪の負け」いや
「関西の負け」になる。何とか参加だけでもして、「俺は参加しているぞ」ということを示さなければ
ならない。と勝手に考えた。
2024年10月18日。腰痛を辛抱しながら、重いリユックを担いで新大阪から新幹線で名古屋に
着いた。ところが、多治見まで乗る予定の特急「しなの」が運転中止となった。名古屋駅で特急券払い
戻しに時間がかかった、中津川行き各駅停車で目的の恵那駅まで行くことが出来た。
恵那駅を降りると、札幌の90歳の原田さんに声をかけられた。同じ列車だったのである。原田さんとは
宿泊もプラザホテルで同じである。ホテルでチェックインの後、一緒にコンビニで明日の昼食のおにぎりを
買い、近くの食堂でオムライスを食べた。
10月19日。ミドル競技のスタート時間は私が11時12分に対し原田さんは10時32分で、時間に
差があるので別々にホテルを出発した。この日は隣の駅の武並駅北口から大会専用バスが出る。45分で
コミュニティセンターの駐車場に着く。そこから徒歩12分、急な坂と階段を上り、やっと会場に着いた。
会場は町の森に囲まれた広場であった。子供用のトイレがある以外、青天井で建物はない。この日の天気
予報は雨である。雨が降れば濡れる以外にはないと思った。
10時52分、広場の西南のスタート場所から、若い選手たちと共に90Aの高橋さんがスタートして
ゆくのを、11時32分スタートの私は、広場から眺めていた。若い選手がどんどんスタートフラッグ
目指して、駆けだしてゆくなか、高橋さんは歩いていた。一歩一歩大地を踏みしめて、堂々と歩いていた。
私も今はもう走れないが、高橋さんが、歩いて挑戦する姿に、なぜか感動して,胸が熱くなった。その時、
雨が降ってきた。私は急いで、地面に置いてあるリユックや靴をビニールの袋に入れた。
直ぐに私のスタート時間が来た。その時間丁度に、地図を受け取ってスタートした。地図は7500分
の1.コントロール数は6。距離は1・0㌔。規定時間は90分であった。1㌔といっても急な斜面
の道のない藪の中を90分以内で回るというのは、走れなければ無理だと思った。道の分岐にある
△のスタートフラッグから①(湿地)への方角を示す磁石に従って、ひたすら進むだけである。道から
森へ入るのに金網が張ってあって、ところどころに入口がある。入口を探して、そこから磁石を見ると、
方角が正確にわからなくなった。道に沿った小屋が見えたので、そこから北へ進み見つけた。21分
28秒もかかっている。②(道の終わり)へは南東に急な坂を登った。7分14秒。③(溝の終わり)へ、
沢を横切り尾根を越えひたすら東へ進む。石だらけの沢の下から女性の声が聞こえたので、そちらに
進むとあった。15分3秒。④(岩の北東)へ、斜面を東南に進む。藪は深い、熊鈴の音がするが、
かなり南寄りだ。石だらけの沢があり、沢の向こうに金網からの出口が見えた。沢の左岸の斜面を
登り、沢の中に見つけた。27分42秒。⑤(沢)へ、道に出て道の曲がりから北へ進むとあった。
12分。⑥(道の曲がり)へ、西へ3分53秒。ゴールへ5分23秒。私のかかった時間は1時間32分
43秒。2位で完走ではあったが、規定時間を2分43秒超えているので表彰はなかった。
優勝は石田さん39分32秒。2位は私。3位は原田さん。1時間34秒38分。4位高橋さん。
1時間41秒8分であった。この日は専用バスでブラザホテルに帰った。
10月20日。ロング競技の日、原田さんはスタート時間が早いので、ホテルを早く出て行った。私は、
90歳代の選手が同乗すると、会場の中に駐車出来るという特別な配慮があるので、大阪オリエンテー
リングクラブの中原さんが、同じ「ルートインホテル」に泊まっていた、石田さん夫妻を乗せた車で、
朝ブラザホテルまで迎えに来てくれた。私のスタートは10時32分で、少し時間があったので、女子
85歳台に出場する石田さんの奥さんの石田美代子さんと話す機会があった。この大会では女子の75
歳台も80歳台も出場者はゼロで85歳台一人だけの出場である。私の亡くなった妻が30歳代で競技を
やっていた頃を知っているほど古くからのベテランで、海外のWMOCでも活躍をしていた人である。
ただ今は走れない。昨日のミドルも①を取った後②,③、④と飛ばして⑥を取ってゴールしている。しかし、
オリエンテーリングは止められないと語った。「主人と二人、地元でオリエンテーリング大会を開いて
いる。「地元の人がみんな楽しんでくれているので……」どんな規模で、年に何回ぐらい開催するのかは
聞けなかったが、夫婦でオリエンテーリングに人生のすべてをかけて生きていることがよく分かった。
会場からこの日のスタート地区まで徒歩10分とプログラムに書いてあったので、そのつもりで会場
を出たが、今の私の足では10分以上時間がかかって、私のスタート時間ギリギリになってしまった。
スタート係がすぐに私に地図を渡し「今スタートです」といった。あわてて滑って腰が痛くなった。
よろけながらスタートフラッグにたどり着いた。そこからみんな東の方へ走ってゆく。ところが私の
地図の①(沢)へは、西に行かねばならない。おかしいと思いながら森の斜面を磁石頼りに進む。石ころ
だらけの森で滑りやすいし腰が痛む。ふと斜面の上を見ると、道が見えて、選手が快適に走っている。
「とにかく道に出よう」私は道に向かってしまった。これが最大の間違いであった。そのまま西へ
まっすぐに尾根を越えれば、そこに①はあったはずだ。道に出るともう滑りやすい石ころだらけの森に
戻る気がしなくなった。
あきらめて帰りかける途中。分岐した道の横に②(岩の東南)がある筈だと藪の中を探してみた。しばらく
探して、ふと振り返ると藪の中の岩に私の20分後にスタートした石田美代子さんがしがみついている。
そしてその岩の下に②があるではないか。私が①を飛ばしたというと、「今日のこのコースは完走しないと
だめですよ」と叱られた。女子85Aと男子90Aは同じコースで、広い道の両側にコントロールを置いて
いるので、分り易いコースだったのである。「しまった。もう少し腰痛を辛抱するべきだった」とその時
思ったが、相当な時間が経っていて、やり直すわけにはいかない。③(浅い沢)は道からすぐの高台の沢だが、
あえて行かずに飛ばすことにした。④(尾根)は石田美代子さんが完走するのを見届けようと道で待って
いると、③を取った石田美代子さんが来て、尾根を登り始めた。私もここは登ることにして④を取った。
ここからは山の斜面を進んで⑤(岩の東)を石田美代子さんに続いて取って,⑥(道の終わり)をチェック
してゴールした。
私は①と③を飛ばして、ロング大会は失格となった。石田美代子さんは1時間31分10秒で完走した。
女子85A優勝である。男子90Aでは石田さんは49分で優勝している。2位は原田さん1時間29分
13秒。3位は高橋さん1時間31分38秒であった。
今回の全日本大会で1000人を超える選手の中に、走らないベテランが3人いた。男子90歳台の
高橋さんと私。そして女子85歳台の石田美代子さんである。走らないが高橋さんも石田美代子さんも
競技にかける情熱は止まるところを知らない。熱い、実に熱く二人とも競技に人生のすべてをかけている。
2000年。私は男子70歳台選手として、ニユージーランドのウエリントンでの、WMOCの大会に
出場していた。最初は、80歳台以上の高齢者からスタートしてゆく。一人の老女がゆっくりと歩いて、
森の中に入ってゆくのを、各国の選手全員で見送った。全員の拍手が起こった。声をかける人もいた。一人
の女性が老女を指差し「マイ、マザー」「マイ、マザー」と叫んでいた。そのとき、私はその女性に向かって
思わず叫んだ。「オォ! ワンダフル」
今回、私は高橋さんや石田美代子さんに対して、心から「オォ! ワンダフル」と敬意を表し、
そして、今後は、走らないベテラン達の仲間同士、共にお互い力を尽くしてたたかいを続けることにした。
(2024年12月8日)