先に「この戒名」を使ったのは妻だった
戒名(かいみょう)は、仏教において、戒を守ることを誓った(受戒した)者に与えられる
名前である。が、日本では死者になった時、葬儀を行うお寺から付けられる場合が多い。
元々、小嶋家は丹後の宮津の城主本庄家に仕えた武家で、宮津の古い寺「大頂寺」に
墓地がある。本来ならその寺から戒名をつけてもらうのが普通だったのかもしれない。
ところが、私自身は「戒名 」などには全く関心がなく。寺の住職の収入源の一つ位に過ぎない、
と思っていた。
私が関西学院大学体育会のフェンシング部のOB・OG会(新月洋剣会)の会長をしていた
2018年。会の運営にいつも熱心に協力してもらっていた6年後輩の森さん(今は
故人)が、突然、私と妻の戒名を作ると言い出して、特に頼んでもいないのに、次のような
戒名を作ってくれた。森さんは京都大宮にある浄土宗「聖徳寺」の住職だったのである。
瑞光院法誉慈覚浄裕居士(私)
瑞照院蓮誉浄心妙和大姉(妻)
私も妻も「聖徳寺」に行ったこともないが、折角の戒名であるので、仏壇の引き出しにしまって
おいて、妻には「私が死んだら、この引き出しから取り出し、宮津「大頂寺」の住職にこの戒名
を渡し、この戒名にすると、いって、新たに作って無駄な戒名代金を払うことの無いようにしよう」
と話をしていた。
妻は私より5歳年下だったし、歩けなくなっているものの、食欲は旺盛で、心臓疾患や
がん疾患などはなく、病院から施設に入って今年の4月で3年にはなるが、私よりは
長生きすると思っていた。私自身は今年の7月7日から2泊3日で心臓の周りの血管
のカテーテル処置の入院するように、渡辺血管センターの担当医から伝えられていた。
「私が先に死んだら、施設に入って歩けない妻が困ったことになる」と思った私は信託
銀行の担当者に連絡して、改めて私の遺言書を書き換えて、妻には遺産の50%を相続
させるが、同時に親しくしていた主な甥や姪に幾分か資産がわたるようにして、私が
先に死んだ場合、妻の入居している施設の費用の支払い事務などを依頼することにした。
そして、6月24日(月)に塚口の公証役場で、私の遺言が作られることが決まっていた。
ところが、その2日前の6月22日〈土〉昼過ぎ、施設から妻が「発熱している」と電話
がかかってきた。次いで施設担当医の大西先生と看護師がきて診察して「だいぶ弱ってきている。
救急車を呼んで病院へ送るかどうか、家族に聞いてくれと先生は言っている」と連絡が入った。
「本人は苦しんでいるのか、痛みがあるのか」と聞き返した。「それはない。眠っているような
状況が続いている」ということだったが、「とりあえず、すぐそちらに行く」と私はJR
さくら夙川駅まで駆け付け、施設のある大阪のJR加島駅前に向かった。施設の部屋に入ると、
妻はすでに息絶えていた。口を少し開けて自然に眠っているようで、苦しんだ様子はなかった。
医師と看護師はいったん引き上げていて、大西医師は5時ごろに再び来るとのことであった。
やがて妻の妹親子が来て、大西医師が来て、最後の診断をした。午後5時21分。急性心不全
による死亡という死亡診断者が書かれた。
私は「エテルノ」(西宮北口にある阪急系葬祭業者)の名前を思い出したことから、
業者に電話してもらい、その日のうちに遺体の引き取りも、大頂寺への連絡も、お通夜
と葬儀の日もすべて決まった。「戒名」はすでに妻が持っていることを伝えた。すると、
作ったお寺の名前とその寺の宗派を知らせてほしいという返事が返ってきた。葬式は
6月24日(月)ときまったが、その日は私の公正証書遺言作成の日である。当然遺言
作成は変更し、延期しなければならないが、公正証書の原稿などはすでに作られているで
あろうし、妻の死亡という内容にかかわることだから公証役場には早く連絡しなければ
ならない。ところが役場も信託銀行も。亡くなった22日は土曜日で、翌日23日は
日曜日で電話をかけても担当者まで通じることはなかった。しかしながら信託銀行に
はキャシュカードの紛失や、盗難にあった時の緊急電話は日曜日でも通じるように
なっている。思い切ってそこへ電話して訳を話した。すると、偶然だったのか、日曜
日にもかかわらず担当者と話すことが出来て、妻の死と私の遺言作成のいったん中止を
伝えることが出来た。
家族葬でつつましくして、香典などは受け取らない身内だけの葬儀とする予定で進めたが、
葬儀の飾りは白木の組み立てか。花を主体とするか、花とするとその種類と量をどの程度
にするか、参会者の数と弁当の種類内容など、オプションが色々あって、結局はお通夜、
葬儀、焼き場、食費等を含め130万を少し超える程度の規模で、参列者は約30人の
葬儀となった。葬儀には妻の入っていた施設の担当の人たちも焼香に駆けつけて来てくれた。
宮津から自動車で来てくれた大頂寺の住職が戒名について「小嶋家の『戒名』は、
江戸時代から代々9文字以内を踏襲してきているので、寺の歴代位牌や墓の戒名
板に彫り込むときは、戒名から2字を外して9文字にしたらどうか」という話が
あった。私は92歳までお寺と付き合ってきたが、そんな話は初めて聞いた。
「どの文字を外すのですか」と聞くと「浄心」の2字を外すと良い、という
ことだった。江戸時代からの先祖が9文字できているのに、11字文字の戒名
が新しく割り込むと、あの世で先祖たちから妻がいじめられたらいけないので、
「浄心」を外すことにした。私の場合なら「慈覚」を外すことになるのだろう。
大頂寺の住職は、さらに戒名について私に宿題を課した。家の仏壇に入れる戒名を私
の方で作ってくれということである。家の仏壇の位牌は小型の「回出(くりだし)位牌」
である。縦8・7㌢、横2・7㌢、厚さ2㍉の板の上に戒名が書かれている、歴代の
戒名札が束ねて入っていて、命日になると繰り出して表に出して祭ることになっている。
が、私は今まで「先祖代々」表の札のままで、繰り出して祀ったことはない。こんな位牌
つくりはお寺専属の職人がいて、今までは簡単に作ってくれていたと思われるが、最近は
そんな職人はいなくなっているということを聞いたことはある。何はともあれ家の近くに
ある「現代仏壇」という仏壇店に行った。色々説明はしてくれたが、そんな戒名を作る
職人はもういないという話だった。仕方がないので、もう一軒、市役所の東、渡辺血管
センターの向かいにある「仏壇店」に行った。そこでも、近頃では過去帳に戒名を書いて、
それを祀る人が多い。そんな戒名を作る人はいないということだった。
私は家の仏壇の前に置いてある妻の骨壺に向かってぼやいた。「俺より先に、森さん
の作ってくれた戒名を使うから、俺がその戒名で苦労するのや」横に飾ってある妻の
写真が、かすかに笑っていた。
結局は、厚さ2㍉の板さえあれば何とかすると甥がいうので、板を探すことにしていた。
そんな時、妻の妹が「お仏壇の浜屋」へ行ってみたらと、浜屋の芦屋店に連れて行ってくれた。
浜屋ではさすがに1字110円として、戒名9字プラス日付け、俗名、年齢も入れて30字
の値段で請け負ってくれた。板代も入れて3685円だった。出来上がるのには時間が
かかり、私が受け取ったのは8月11日だった。
この日、私は初めて新しく妻の戒名が入った「回出(くりだし)位牌」を前にして、仏壇
に向き合って座り込んだ。そして、入院と遺言状書き換えに奔走した、葬式後の日々を改めて
振り返った。まず、私が先に死ぬことを前提にした遺言状は書き換えなければならない。
葬式が終わって1週間余りの内に信託銀行と打ち合わせ、今度は相続人から妻を除いて甥と姪
を相続人の中心にした遺言状が、7月3日に塚口の公証役場で出来上がった。そして、すぐ7月
7日。心筋梗塞カテーテル処置のため2泊3日の入院をした。
心臓を取り囲む多くの血管の内、左側の一部血管にカテーテルが通され風船でふくらまし
ステンドが挿入された。ところがその時、右側の血管の一部も相当悪くなっていて、これは
別の日にもう一度、血管内の削りを伴うカテーテル処置をしなければならないことが分かった。
医師は早い方が良いというが、妻の宮津大頂寺の墓へ骨収めの法事もしなければならないし、
妻の年金の戻し請求や、銀行・郵便局などの資産整理もある。医師はぎりぎり待っても8月
1日には入院するべきだ。ということになった。それまでにと、7月13日、東京から高橋
さん、名古屋から石田さんも出場するというので、JR加古川線滝野の播磨運動公園のオリエ
ンテーリングに出かけた。やっと完走した。翌日の山地の大会は申し込んではいたが棄権
して行かなかった。そして、7月28日には、姪の運転する車で宮津大頂寺へ、納骨法要
へ行くことが出来た。妻の葬式には来ることが出来なかった、東京の弟(故人)の妻や、
姉(故人)の息子も参加してくれた。現地の料亭茶六別館「花の」で参加者8人の会食
も出来た。そのあと、西宮の年金事務所には「妻の除籍謄本がいる」「私の預金通帳がいる」
などと言われ3回も足を運んだ。そして8月1日再び入院した。
翌日のカテーテル処置は、今までにない大手術となった。今までは腕から入れていた
カテーテルを太さが違うという理由で股下から挿入することになった。時間もかかりそう
なので、看護師二人がかりで、尿道にもカテーテルを入れようとしたが、「痛い、痛い」
と私が訴えて、別の方法で尿を排出できるようにしてもらった。この手術は1時間を
超えて行われた。心臓を囲む右の血管のつまりの相当量を削り取ったと医師は言った。
8月3日退院して。8月6日、地元の浜脇小学校で西宮古老の会主催の「西宮空襲を語
る会」で約50分余り空襲体験を語った。
8月11日、私は新しく戒名が書かれた妻の小さな位牌に向かって話しかけた。
「葬式と骨収め、心筋梗塞の2回の入院と公正証書遺言作成などで、ばたばたして
いたが、やっと落ちついて、俺も最後に近い終活ができる。
まずは、『お仏壇の浜屋』で俺の戒名も作ってもらって、その『回出(くりだし)位
牌』に一緒に入ったら、少しは賑やかになってよいだろうと思っている」
その時、妻の戒名の書かれた位牌が揺れて、妻の声が聞こえてきた。「あんた、
何をいうてるの、この位牌にはね、明治時代以降に亡くなった先祖が入って
いて、私を入れて11板となり、もう一杯ではいれないのよ。もう少し長生き
して下さい。そのうちにどの板と交代するか、自然に決まるから……。慌てて
ここへ、こないで下さい」
(2024年8月26日)