小雨の中、万博大屋根リンクを回る。
55年前、1970年の大阪万博に、私は夢中になっていた。この年の3月から9
月までの日曜日のほとんどをパビリオン見学にあて、全部のパビリオンを回りきる
ことを目標として、何とか全部回りきることが出来た。
20年位前と思うが、大阪中之島のエッセー教室にこの時の万博のコンパニオンを
していた人が入ってきて「黄金の日々」という題でエッセーを提出された。英語も
達者なその女性は、当時会場では斬新な制服を着て、万博に集まる各国の人たちと
大いに語り合い、生き生きと行動して万博期間中の毎日が、本当に素晴らしく、黄金
の輝きにも似た光り輝く日々を過ごしていた。と、書かれていた。
あの万博には「人類の進歩と調和」というテーマの下、会場全体がいつも光り輝いて
いた様な印象が残っている。私もいつもわくわくした気持ちで光輝く万博通いをして
いた。
あの万博から半世紀以上の時が過ぎた。その間に大阪はじめ尼崎・西宮・芦屋・神戸等
の大阪湾につぎつぎと人工島が出来ていった。
今回、大阪・関西万博が開かれる夢洲は大阪市内で発生した建設土砂等を埋めたてて
作られた人口島であった。面積は390㌶あるが、万博会場としては約155㌶が活用
されている。なお万博終了後はIR(統合型リゾート)としての開発開業も、2030
年度を目指して別に建設が進められている。
その大阪・関西万博だが、2019年に万博開催を宣言した時の会場建設費は1250億
円と見積もられていた。それが2020年末に暑さ対策や展示施設の強化のため1850
億円に増額した。ところが、2023年11月になって、資材費が高騰し、人件費が上昇
しているとして、さらに2350億円に上昇している。(朝日新聞)そのほかに人件費や
管理費などの運営費、それに鉄道延伸や道路整備費などの基盤整備費などを加えると、
7600億円規模の支出が見込まれるといわれている。
私は今回の大阪・関西万博を考えるとき、資金面の計画では、かなり無理があるように
思われる。会期中のチケットは1日券大人7500円、中人(12才~17才)4200円。
小人1800円。平日券、大人6000円。中人3500円、小人1500円。夜間券
大人3700円、中人2000円、小人1000円。だが、それでも相当の人数を集め
なければ、釣り合わない。万博協会は、最終的な入場券販売の目標を2300万枚と設定し、
2820万人の来場を想定している。が、70年の大阪万博は6421万人の来場者数と
なり、その時点では万博史上世界一といわれていた。が、それから思うと、今回の目標は
低いが、あの1970年万博の一日当たりの平均入場者数35万人、最高入場者数83万
6千人(9月5日に記録)には今のところは、及びついてはいない。今となっては一人
でも来場者を増やし、何とか収支が赤字にならないように国も博覧会協会も大阪府・
市も必死で努力する以外にはないと思われる。
さて、今年94歳になる私は今回の万博にどう対応するか考えた。1970年の万博の
ように、元気に会場の中を歩き回ることはもう出来ない。それに今回の万博にはスマホ
が必須で、入場時にはQRコードを示さなければならない。兎に角、老人にはややこしい
ことが多い。そこで、バスツアーの団体を利用することにした。ネットで調べると色々
なツアーがあった。HISの「パソナパビリオン予約付関西万博日帰りバスツアー」と
いうのに申し込んだ。
「日時は6月26日。大阪梅田集合8時15分。出発8時30分。西ゲート9時入場。
11時パソナ館前集合。入館。その後自由行動。帰り16時45分第2ターミナル団体待合
に集合。大阪桜橋で解散。という計画で、費用は13580円だった」
私は考えた。パソナ館を見た後、今回は何はともあれ万博のシンボルである大屋根リングの
屋上へ上がり、一周して、多くのパビリオンを上から眺めて、大阪関西万博がどんなものか、
全体を見てやろう。並んでパピリオン廻りをしても結局、歩き回ることには変わりなく、座って
休む時間も場所もあまりなさそうである。それに私は眼が悪くなってきているので、映像の
多いパビリオンに入ると、急に暗く感じられ、なにも見えない時間が長く続いて、館内では
前に進みにくいのである。
方針を決めて、6月26日、梅田の集合場所に行った。大型バス2台が止まっていて、
参加者が多く満席だった。やがて西ゲートに向かうバスターミナルに着いたが、そこから
西ゲートまで、30分ぐらい歩かねばならなかった。他のバス会社のツアー客も多く、
ぞろぞろ歩いているうちに、周りを歩く人も同じHISのバスツアーの参加者かどうか、
分からなくなり、ツアーのガイドもどこにいるのか全く分からなくなってしまった。
西ゲートの入口も10か所ほどあったが、皆並んでいて、すいていそうなところに並んだ。
入場で必要なのは、バス乗車の時にもらった一般団体割引券とそこにあるQRコード
であった。
そして、空港と全く同じような手荷物検査を経て、会場に入った。ガイドも見つからないし、
周りの人もどのツアーの参加者かさっぱりわからない。そこでまず団体予約しているパソナ
パビリオンの場所を確認することにした。場所の案内をしている係員に聞いて、鉄腕アトム
が屋上に乗っているパソナパビリオンを確認した。
次にいよいよ大屋根リングの下をくぐり、屋上に上がるエスカレーターの場所を確認
することにした。西ゲートに近い大地の広場に上りと下りのエスカレーターがあった。
ところがなんと、エスカレーターは止まって屋上へ上がるのは禁止になっているではないか。
何故か,と思つたが、この日は朝から大阪地方に「雷(カミナリ)注意報」が出ていた
ことを思い出した。仕方がないので、とりあえず近くの並ばなくても入れる「コモンズ
Ⅽ館」に入った。ウクライナ・イスラエル・ウルガイなど11か国が入っていて、
殆どの国が映像で風景などを映し、手芸品などの産物を展示している。この館には
トイレがあった。続いて、あまり並ばないカンボジャ・アルジェリア・バルトと小さな
パビリオンを見た後、パソナ館に行った。チケットを見せると「団体はここに並んで
ください」といわれ、30分ほど待たされた後パソナ館に入場した。このパビリオンの
パソナ・グループは本来、東京の人材派遣会社なのだが、多様な活動をしていて、特に
健康経営を志向している。人の流れに乗って40分ほどで回った。ips細胞から作られた
動く心臓(直径3・5㌢拍動していた)があり、その他未来の手術室・睡眠ベッド・
サイボーグスーツの体験コーナーなどがあったが、人の流れに押され立ち止まって、
ゆっくり見る余裕はなかった。
パソナ館を出て、大地の広場に行くと、なんと大屋根リングに上がるエスカレーター
が動いているではないか、雷注意報は解除になっていたのだ。小学生の団体が並んで
いる後ろについて、屋上に上がった。すると、屋上のリンクは一重ではないことが
分かった。二重になっていて、上がった通路のもう一つ外側にも屋上通路があった。
実はこの日、杖をついて歩いていた。「杖をついて並んでいたら、特別に速く入館
出来た」という話を聞いたので、亡き妻の使っていた杖を、私が使っていた。その
杖をついて、屋上を時計回りに北へ進み、途中でその外側の通路も歩くつもりで
進んだ。上から見下ろすリンクの下には、世界各国のパビリオンが立ち並び、
それぞれの館に列を作って並んでいる人の列が、眺められた。私は先ほどまでの、薄
暗くてよく見えにくく、人の流れに押されてぞろぞろ歩くだけのパビリオンの中に
入るより、色々と特色あるデザインを競っている各国の建築を、こうして上から眺めて
歩く方が、よほど面白く楽しいと思った。これは木材でつくられた巨大な人工の尾根
道だ。リンクの内側は世界各国が仲良く館を競い合い。外側には日本国と国内の
民間企業の館が取り囲んで、この巨大なリンクを周囲から盛り上げているのである。
通路の右側にはおもむきを凝らした各国の建物が続く、やや黒っぽい色のインド
ネシア館があり、真っ白なドームのオーストラリア館。サウジアラビア館、スペイン館
と白の輝きが続いた。やがて空の広場が見えて来た。右の赤い色のなだらかな屋根
はタイ館で大きな模型の象を入口に配している。広場の左の目立つ白い壁は韓国館
である。
二重のリンクの間にトイレがあり、その先から外側のリンクに上がった。進むと左の
外側に東ゲートの広場が見え、前方に卵型の電力館と住友館が見えてきた。その
向こうには重厚な日本館があった。そこから反対側右下を見るとそこは光の広場で
多くの人が群れていた。その奥に黄色いタイルで固めたフィリッピン館。その横には
白い壁のアメリカ館、白い巨大な柱のフランス館が眺められた。
この日は天気の状況が悪く南へ進む途中で、雨が降ってきた。屋上を歩いている人達
はみんな傘をさしはじめた。私は折り畳みの傘を持ってはいたが、杖をついていて、
傘も持つのも面倒なので「雨が降ったらぬれればいいさ」という雪山賛歌の一節
を繰り返し、声を出して歌いながら、世界を見下ろす尾根道を進むことにした。
私はこの日は雨用に軽登山靴を履いてきていた。
ポルトガル館、スイス館、バーレーン館などに囲まれた調和の広場を見下ろして進むと、
大屋根リンクは海上の一部にもその橋台を伸ばしている。そのリンクの内側はウオーター
プラザとなり、夜ライトアップされ水上ショーなどが行われる。外側は防波堤を経て
大阪湾が眺めらえる。天気がよければ。淡路島や明石海峡大橋などがみられる筈だ。
が、今日はかすんでいて、遠くを見通せない。
水をたたえたウオータープラザを過ぎると、外側のリンクを歩く私からも進歩の広場
が見下ろせた。コモンズD館が目に入った。その隣にオランダ館があり、真っ赤に目立つ
球体のシンガポール館が眼下に見えた。雨が降り続き、私はぬれたまま「雪山賛歌」を
歌い続けた。そして、真下に見えるイタリア館、ベルギー館の向こうには、最初に入った
広場、大地の広場が見え、私が大屋根リンクに上がったエスカレーターが雨にもかかわらず
人を運んでいた。結局、時々立ち止まりながら、ゆっくり回って約50分で一周した。
万博を上から眺めたという満足感があった。
各地から高価なスギ・ヒノキ材等を集め、内径615㍍、外径675㍍、幅30㍍、高さ
外側20㍍、ギネス認定の世界最大の木造建築を350億円かけて日本の最新技術で作り
上げてしまったのが、この大屋根リンクである。今回の万博の大目玉であり、このリンク
を一周すれば、それだけで十分ではないか、と私は思った。そこで、ゆっくりと食事をする
ため大地の広場付近のレストランを探したが、レストランはどこも長い列が出来ていた。
イタリアレストランの列の後ろに並んだが、全然前に進まない。並ぶのを止めて、進歩の
広場の屋台の店で、「肉おにぎり」800円を一個買って、自販機で買ったグリーン・
ウオーターと共に付近のベンチに座って食べた。
雨が上がり、今度は強い日ざしが照り付けて来た。そこであまり並んでいない「コモンズ
B館」「バングラデッシュ館」「EXPOメッセ館(この日は日本の医療の展示をしていた)」
などに入った後、西ゲートからバスターミナルへと帰路についた。雨に濡れた服もリュツクも、
完全に乾いていた。
(2025年8月13日)