オリンピックで花開け

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1952年東西選抜フェンシング対抗戦 Foil 12対6 Epee 8対8  Sabre 8対10 で引き分けた。

 


     オリンピックで花開け

        ―フェンシング・サーブル女子―

              

日本人が初めてフェンシングでオリンピック競技に出場したのは、1952年(昭和27年)

ヘルシンキ大会に京都の牧選手が一人出場したのが、最初とされている。

 

この時、私は関西学院大学の3回生、フェンシング部のキャプテンで部員は20数人だった。

当時は女性の部員は一人もいなかった。ヘルシンキでは、牧選手は1回戦で敗退したが、

この当時はまだまだ、日本の選手がオリンピックで勝ち進むことや、日本人の女子が競技で

活躍することは、想像することもできない状況だった。

 

この時、監督を依頼していたのが三島清春先輩で、昭和15年のフェンシング部創設のメン

バーであり、初代のキャプテンだった。そしてオリンピックについて、いつも次のように

語っていた「幻となった東京オリンピックは昭和15年に行われる筈であった。昭和13年

ごろには、期待を込めて文部省から関学へもいろいろな通牒が来ていた。その一つに審判員

やその補助員の養成に関するもので、まずはフェンシング部員の組織を求められたものも

あった。それは、大阪YMCA(ベルリン大会の頃から行われていた)で練習をしていた

私が、大学予科に入った時でもあった。同志が集まり、任意団体として発足し東京遠征など

を行い、成果を上げていった。そして、オリンピックが開かれる時が来れば、フェンシング

でメダルを取るのは俺たちだ。と当時の学生剣士たちはみな、復活した時のオリンピック

出場を考えて意気盛んだった」

 

ところが、フェンシングというスポーツは日本の剣道と違って、オリンピックの成果によって、

その人気が大きく左右される。ヘルシンキ以後フェンシングの人気はあまり盛り上がらなかった。

1964年、東京オリンピックで男子フルーレ(胸・背中の突きが対象)団体競技の4位に

入賞している。が、4位ではあまり盛り上がらず、やはり2008年の北京大会の太田雄貴を

待たなければならなかった。太田雄貴は1985年の京都府生まれ、フェンシングをしていた

父親に勧められ、小学3年から競技をはじめ、小・中学全国大会で連覇、平安高校時代インター

ハイ3連覇を達成して注目され、高校2年の時には、全日本選手権フルーレで優勝したが

これは全国の最年少の優勝記録となった。当時大学はどこへ入るか注目されていたが、

同志社大学に入った。この時、彼は大学の選手というより、日本を代表するフルーレ

の選手となっていた。2004年アテネのオリンピックでは9位だったが、2008

年の北京ではフルーレ個人競技で銀メダルを取り、一躍有名人となった。またこの

北京大会では女子フルーレ個人競技で菅原智恵子が7位に入賞しており、これは日本

人女子選手の個人種目初の入賞でもあった。

 

2012年、ロンドン大会では、日本は男子のフルーレ団体で銀メタルを取った。

この時のメンバーは、太田雄貴、千田健太、三宅諒、淡路卓だったがドイツチーム

との2位争いは、壮絶な1点を争うゲームとなった。私も当時テレビに釘づけに

なった。オリンピックのメダル獲得により、日本国内のフェンシングへの関心度

は大きく変わった。中学、高校のフェンシング選手が多くなり、各大学の

フェンシング部員の人数が増え始めた。関西学院大学のフェンシング部でも、今は

30人を超え、女子選手を含めて年々高校から有力選手、10数人を迎えられるよう

になった。

 

そして、2020年、東京大会では、日本男子は、エペ(全身突きが対象)団体で金メダル

を取っている。この時のメンバーは加納虹輝、見延和靖、山田優、宇山賢であった。

 

そしていよいよ今年、2024年。パリオリンピック大会では、フェンシングの日本勢は

どうなるのか。今、注目されている選手がいる。サーブル(突きと斬りができる)の江村美咲

である。江村は日本が誇る唯一人の、個人種目の現役世界チャンピオンだ。江村は自分でも

語っている。「パリでは、自分を信じて楽しんで試合をやりきれば、金メダルが取れると

信じている」22年の世界選手権(エジプト)で頂点に立ったのは日本女子では初、男女を

通じても、太田雄貴以来史上2人目の偉業だった。そして、さらに昨夏のイタリアの世界選

手権で2連覇を飾った。そして、パリオリンピックで表彰台に上がれば、フェンシングの

日本女子では、オリンピック初の快挙となる。

 

勿論2024のパリ大会の日本のフェンシングでメダルを期待されるのは江村だけではない。

東京2020大会エペ団体金メタルのメンバーで日本男子のエース加納虹輝は2024年5月に

コロンビアで開催された男子エペグランプリ大会で、自身初の金メダルを獲得。見延、山田に続き、

日本で3人目の快挙となるグランプリ大会での優勝をおさめパリに向けてともに、自信をつけている。

 

また東京2020大会で初出場をしたフルーレ男子個人松山恭助は東京大会では14位であったが、

2023年には自身初の世界選手権銅メダルを獲得後、2024年3月の男子フルーレグランプリ

大会でも、銅メダルを獲得し飛躍を見せている日本チームの一人である。

 

その中でも私が江村に注目するのは、彼女が中央大学を2021年卒業してから、不動産業などを

手がける立飛ホールディングスとプロとしての所属契約を結んでいることである。普通の社員選手

ではなく、勝てばプロとしての報奨金が会社から出る。メジャーな競技とはいえないフェンシング

では異例なことである。すでに22年の金メダルでは300万円が出て、さらに23年のイタリア

の金メダルでは500万円の報奨金が出ている。結果が出なければ続けられないリスクもある。

安定を捨てて、自分の可能性に向かって進む覚悟が固まっている。その上、彼女には新しく親日

家のフランス人コーチ、ジェローム・グースが就任した。そして、江村については「170㌢と

体格に恵まれている点に加え、アドバイスに耳を傾けて自分の戦略に落とし込む賢さが強みだ」

と語っている。

 

今年7月26日開会式が迫るパリオリンピック。フェンシングの会場は、1900年パリ万博の

会場だった「グラン・パレ」という由緒ある建造物で行われる。私は日本人選手で太田雄貴以来

というビックな経歴を持つ江村がどうパリで活躍するか。毎日が今、待ちどうしい思いで、過ごしている。

 

 

関西学院フェンシング部のOB・OG会(新月洋剣会)は今、私が最高年齢で名誉会長になっているが、

今年は関西の学生フェンシングリーグ戦(1部6校対決・関西学院・朝日・立命館・中京・同志社・

龍谷)で、女子は3年連続、総合種目で優勝した。特に女子エペは5戦負けなしであった。男子は総合

3位に入賞した。続いて行われた全日本学生フェンシング王座決定戦で、総合種目では、日本大学・

法政大学・早稲田大学に圧倒されて6位に終わったが、女子エペでは、関西学院はなんとか3位に踏み

とどまった。

 

私は話をする機会があれば、いつも今は亡き三島監督が言われていた「オリンピックが開かれる時

が来れば、フェンシングでメダルを取るのは俺たちだ」という話をするのだが、しかしながら、

こうして考えると、関西学院のフェンシング部から、オリンピック選手を選出することは、まだまだ、

大変難しいように思える。それでは望みがないのか。いや、「望みなきにあらず」だ。フェンシング

の場合、今回のパリオリンピック出場選手の年齢は江村美咲が25歳で、18名中男子フルーレ飯村

一輝の20歳が最年少である。女子サーブル高島理沙25歳。福島帆実は28歳。尾崎世梨は21歳

である。みんな大学を卒業してからの選手である。フェンシングでもオリンピックを目指すならば、

大学卒業後も生涯スポーツとして競技を続ける選手が多く出てこなければならない。そして

この点では今の若い大学選手たちの考え方が変わってきている。むしろこれから大学のOB・

OG会の意識と考え方を変えて行かねばならないのだ。これからは、多くのパパさん選手や

ママさん選手が活躍するのが当たり前になってゆく。その点では今の関西学院フェンシング

部の現役(この言葉がすでに古い。生涯スポーツではみんなが現役なのだ)には期待の持てる

選手が多くいる。

 

こう考えると、今回のパリのオリンピックは無理でも、次のロサンゼルス・オリンピックでは、

関西学院大学出身の選手が、出場することも、十分に考えられる。希望を持って進もう。

フェンシングという競技はオリンピックでこそ、花開くのである。

 

 

スポーツの種類は違うが、生涯スポーツでは、92歳の私は今年10月、岐阜県の山中で行われる

オリエンテーリング選手権大会を目指し、男子90歳台Aクラスで東京の高橋さんらと90歳台の

覇権を争う予定。

                                (2024年6月26日)