書き溜めたエッセー作品の公開

       書き溜めたエッセー作品の公開

 

 

私がエッセーを書き始めたのは平成4年(1992年)9月、大阪の中の島、朝日カル

チャーセンター「エッセー随筆教室」に参加したときからである。今でもそうだが、毎月

1編、書いたエッセーを提出し、それをまとめた冊子を、受講者全員が読んできて、順番

に感想を述べる。そして先生が最後に締めくくりをされる。という方式で続けてきて、4

年がたったころ、今まで書いた私のエッセーが50編近くに溜まってきた。その時講

師だった井上俊夫先生がいわれた。

 

「書き溜めたエッセーの作品が溜まってきて、そのままほっておくと、ざわざわとエッセー

たちが『何とかしてくれ』と騒ぎ出す。エッセーを書き続けた者の責任として、何とか公

開して、誰かに再び読んでもらうように懸命に努めなくてはならないのです」

 

受講者が書き溜めた作品を公開するといっても自費で出版して、周りの人に配って読んで

もらうのが普通の方法で、それしかないように思われた。

 

井上先生は詩集『野にかかる花』で詩壇の芥川賞といわれるH氏賞受賞の詩人であり、小

説も『蜆川の蛍』『葦を刈る女』などすでに出されていたから、当然作品を出版して世に出

すのは、自費出版しなくても、比較的容易に広く書店に並べて販売することはできたと

思われる。しかし、先生は1993年ごろからお亡くなりになる2008年まで書き

続けられた兵役中の体験、中国の戦線での『従軍慰安婦だったあなたへ』『八十歳の戦争論』

『初めて人を殺す』『八十六歳の戦争論』などの公開については、並み並みでない強い熱

意で、のぞんでおられた。作品を出版して販売されるだけに終わらず、体験を語る講演会

も積極的に開かれ、多くの人を集め語り続けておられた。そしてさらに、先生のホーム

ページ『浪速の詩人工房』(http://www.vega.or.jp/~toshio/)を立ち上げられた。今は

もうこのページには接続できなくなってしまったが、詩人工房という名称にもかかわらず、

戦争体験の記述をここに次々と載せ続けられ、このホームページは戦争体験で埋め尽く

されていた。

 

受講者の人たちの中には、積極的に自費出版を続ける人もいたが、私は雑誌「銀のスプーン」

などに投稿することはあったが、作品を一冊の本にまとめて出版することはなかった。

多くの方に広く読んでもらうには、限られた数の自費出版では、それこそ費用対効果が

悪いと思っていたからである。そこで、私は井上先生のホームページを見て、「これだ」

と思い、書き溜めたエッセーのホームページを作り始めた。当時、KDDIのプロバイ

ダー「DION」をサーバーとしていたので「DION」でホームページのドメインを

もらいDIONのソフトでページを立ち上げた。立ち上げの費用は一切かからなかった。

私はみんなが広場に集まってくる願いを込めて、ページのタイトルを『クローバーの広

場』と名付けて、私自身の戦争体験など書き溜めた作品数編にそれぞれ写真を付けた。

しかしこのホームページは私がプロバイダーを「DION」からソニー系の「SO-N

ET」に変えたことから、消滅してしまい、今では接続出来ない。

 

「エッセー随筆教室」は井上先生の亡くなられた後、講師の先生は軒上泊先生そして大森

亮尚先生と変わり受講者の顔ぶれも人数もどんどんと変わってゆく中、毎月1編提出して

いるエッセーは、驚くほど大量に溜まっていった。私は属していた西宮市シルバー人材セ

ンターパソコン同好会「e-silver西宮」のホームページに、当時の会長の吉川さんの依頼

もあり、ハンドルネーム空色宙平の名前で、書いたエッセーを載せ始めた。平成17年

(2005年)2月から令和3年(2021年)3月までの間に書いたうち189編

の私のエッセーはここに載っている。今でも「e-silver西宮」(http://e-silver.sakura.ne.jp

で検索すると見ることができる。このホームページのエッセーは神戸新聞、NHKなど

から注目され「HPに公開する戦時体験」として平成20年8月(2008年)神戸新

聞の記事になり、平成22年8月(2010年)には「甲子園に残る戦争の歴史」として

NHKニュースウオッチ9に私が語り部として出演した。

 

そのほか費用のかからないブログ、ライブドア・EXCITE・楽天ブログなどにも単発

的に載せていたこともあるが、本来短い文章と写真で日々積み重ねて発表するブログには、

長い文章のエッセーは合わない。いつしか掲載は途切れてしまった。

 

令和2年(2020年)新型コロナの感染が一層広がり、その防止のためシルバー人材セン

ターのパソコン同好会はパソコンを使っての会合を開くことができなくなり、活動も停止

状況となった。一時40人近くいた会員も辞める人が増えホームページの運営管理を担当

していた人もいなくなり、HTMLタグで本格的に組み立てられたホームページを管理して、

編集することは、残った会員で扱うのが難しくなってきた。空色宙平のエッセーの掲

載も止まってしまった。

 

「管理の止まった同好会のホームページを何とかしなければならない」と新しく会長に

なられた坂口さんと残った会員の人たちと共に、どうするかをいろいろ考えた。そんな

とき「グーグルドライブを使って、簡単にホームページを作る方法」をシルバー人材セン

ターで教えている人がいる、という話を聞いた。そして今年令和4年(2022年)よう

やくコロナ規制が解けて、開けるようになった同好会のオフ会の7月と8月に数回、

その先生の青山さんに、に来てもらうよう会長から頼んでもらった。そしてみんなでグー

グルドライブのホームページを勉強することになった。私はまずパソコン同好会のホーム

ページを今回新しく立ち上げて、それを会員みんなで管理運営していく方法がとれない

ものかと考えるようになった。

 

グーグルドライブでホームページを作ることはそれほど難しいことではない。まずグー

グルドライブを立ち上げ、画面の左上の「新規」をクリックすることから始めればよい。

ずらりとフォルダ欄が出るが、その下の「その他」を押して「グーグルサイト」を

クリックするとホームページの元になるページが現れる。そのままタイトルを入れ、

右側にテキストボックスとか写真挿入ボタンとかが出るからそれらを使って文字を

入れ、文字の大きさなどを調整して、さらに写真などを入れていけば、ホームページは

出来上がる。あとはリンクの記号をクリックして、ページ同士の結び付きを進めて

いくことにより、多様なページを作ることができるのである。

 

しかし。グーグルのソフトを使う場合、グーグルアカウントとして、使用ネーム、

IDとしてのG―メールアドレス、パスワードを作って届ける必要がある。ところが、

パソコン同好会のホームページを、会員のみんなで運営してゆくとなると、同好会

自身のグーグルのアカウントを別に取らなければならない。私は同好会のアカウント

を別に作ってから、それによってまず「e-silver西宮HP」をタイトル名とするペー

ジを作った。そのページに「e-silver西宮のあゆみ」「アルバム集」「動画・you tube」

「エッセー」「PCと雑学」「行事の記録・思い出」などの項目をテキストで打ち込み、

その項目一つ一つのページを作り、そのページと項目をリンクさせると、一応のホーム

ページの形が出来上がった。しかし、このホームページは「みんなで作り上げる」

という方針があるので、これから月1回のオフ会ごとに、みんなで中身を作り上げ

ていかねばならないから、まだ完全ではない。時間はかかるが、これでパソコン同

好会の新しい目標ができて結束と勉強が図れるので、一応の形ができたことは

よかったと思っている。

 

今年の11月になって、気が付くと「eーsilver西宮」に掲載されなくなったエッセー

が1年と8か月分溜まっていた。私はこの際同好会とは別に、グーグルドライブの手法

で私自身のエッセーだけのホームページを作ってみようと思った。

 

私個人のグーグルアカウントから、グーグルドライブの「グーグルサイト」のページ

に「空色宙平のエッセー」と打ち込んで、ホームページのタイトルとした。溜まっていた

エッセーを「先の大戦エッセー」「オリエンテーリングエッセー」「読書・映画エッセー」

などと種類別に分けてそれぞれのサブページを作り、そのページの中にエッセーのタイ

トル・写真・テキスト文章を挿入していった。ただ新作のエッセーは「空色宙平のエッ

セー」のページに新作のタイトルを打ち込んで、新作のページとリンクさせた。そして

最後にページの「公開」をしてページを完成させた。

 

ホームページを作るのに、グーグルドライブでなくても、他に作成ソフトは多くある。

しかし無料のソフトには、広告が勝手についたり、ウイルスソフトが知らない間にイ

ンストロールされてアップするときに有料のソフトを薦めるものなども多い。グーグ

ルドライブのホームページは、グーグルの機能の一部として使えるので、安全性は高い。

それにテキスト文章の挿入には、文字の種類、大きさ、その量などに柔軟性があり、

私はエッセー専用のホームページとしては最適でないかと思っている。そして、ようやく、

空色宙平のエッセーhttps://sites.google.com/view/s-chuhei-essay で検索すると

私のエッセー専用のホームページが開くようになった。

 

エッセーは日記と違って、その作品をほかの人に読んでもらうために書きつづったもの

である。そのエッセー専用のホームページを作った以上、一人でも多くの人に読んで

もらうよう力を尽くさなければならない。どうすればよいのか、さらに私は考えた。

一つはメールを出した時のサイン(署名欄)に、名前と共にホームページのURLを

入れる。二つ目は、空色宙平の名刺を作り、エッセーホームページとしてURLを

入れて、広くばらまく。三つ目に、本名の名刺を作ったときは、肩書を「エッセー人間」

として(「エッセイスト」の肩書では、気取っているように見える)URLを入れて使う。

などといろいろ考えていると、何となく楽しい気持ちになってきた。

 

とにかく大切なことは。有名人か、特別な体験をした人か、特別な技能、才能、知識

を持つと世間から認められている人以外の普通の人間がエッセーを書いて、ほかの人

に読んでもらうということは、大変難しいことをまず知ることである。その上で面白く

読んでもらえるエッセーを書くように懸命に努力し、読んでもらえた場合は、心からの

感謝の気持ちを忘れないことである。普通の人間がエッセーを書いて、それを読んで

もらうということは本当に有難いことなのである。それから、井上先生がかつてい

われていたように「何とか公開して、誰かに再び読んでもらうように懸命に努め

なくてはならない」と私は思う。

 

(2022年12月1日)