映画エッセー

映画エッセー

『スパイの妻』

 

この映画は1940年の神戸が舞台となっている。日本がアメリカ、イギリス

に宣戦布告する1年前である。この年には紀元2600年の式典が行われ、日

独伊3国同盟が正式に結ばれた。私はこの時9歳の小学生で、学校でもコメディ

アン髙瀬実乗の「あのねー、おっさん、わしゃ、かなわんよ」というギャグが

流行していた。私は父親に連れられて歩いた当時の神戸三宮、元町の風景を

懐かしく思い出す。また六甲山に登った時、ドイツの青年のグループが同じ茶

色のシャツに黒いネクタイ、ショートズボンで、元気よく山を登ってくるのに

出会って「あれはヒットラーユーゲント達ではないか」などと思ったりした。

 

映画は、そんな時代の神戸で貿易商社を営む福原優作(高橋一生)とその妻、

福原聡子(蒼井優)が主人公である。豪邸に住み(塩屋に現存する旧グッゲン

ハイム邸で撮影)執事、女中のいる裕福な生活をしている。優作の趣味は

アマチュア映画の作成で、甥の竹下文雄(坂東龍汰)と一緒に作り、妻の聡子

に演じさせた映画を小型映写機で上映会を開くほどである。その頃、聡子と幼

馴染だった津守泰治(東出昌大)が神戸憲兵分隊本部の隊長として、赴任して

優作のオフイスに挨拶に来る。そして、丁寧な口調で時節柄挙動不審の外国人

とは接触しないようにと要請する。

 

(昭和10年代初めころの神戸が再現されていて、建物、市電、人々の服装、

言葉つきなど、私はたちまちあの時代の雰囲気に引き込まれた)

 

優作は取引先である野崎医師(笹野高史)から依頼された薬品を入手するため

満州に渡る。趣味の映画撮影も満州でするので文雄も一緒に行くことになった。

そして2週間後、満州から帰ってきた優作と文夫は元看護士の女性草壁弘子

(韓国籍日本生まれの女優玄理)と一緒だった。そして、なぜか文夫は会社を辞

めて、小説を書くといって有馬の旅館「たちばな」にこもる。そして、その

「たちばな」で帰国後草壁弘子は仲居として働くのだが、ある日死体となって

海に浮かぶ。

 

(殺した犯人は旅館の主人とされているが、それ以上の説明がない。先に放送

されたNHK8K版ドラマでは、草壁弘子はイギリスのスパイで、海に浮か

ぶ死体は、優作が野崎医師に頼み、身寄りのない女の死体を調達してもらい、

弘子の死を偽装してもらったとされている)

 

そして、神戸憲兵分隊本部(神戸税関前及び旧加藤海運本社ビルで撮影)へ呼び

出された聡子は、隊長の泰治から死んだ草壁弘子にはスパイとしての疑惑があった

とし、彼女を満州から連れ帰ったのは優作であると知らされる。優作と弘子の

関係や、満州で優作や文夫に何があったのか、疑問を持った聡子は優作を問い詰

めるが、「やましいことは何もない」というだけである。聡子は有馬の「たちばな」

にこもる文夫を訪ねるが、彼はすでに憲兵に監視されていた。「あなたには分かり

ようがない」と聡子に対して声を荒げた。そして、自分は監視されて動けないのでと、

油紙に覆われた包を優作に渡してほしいと聡子に託した。聡子は受け取ったその包を、

夫の優作に渡す時の、条件として、遂に「満州での真実」を夫から聞き取った。

 

それは、医療品を調達するため関東軍の研究施設を訪れた時に、死体の山を

目撃し、関東軍の軍医の愛人だった看護師の草壁弘子から、関東軍が細菌兵器の

実験をしており、その人体実験で次々と人が死亡しているという話を聞いて、人体

実験の詳細が書かれたノートを入手したことである。優作はそれを文夫に英訳させて

いたのであった。

 

(私は実際に満州ハルビン郊外にあった関東軍731細菌部隊のことを、台本に

取り入れているな、と思った。ここでは生物兵器の実践的使用や人体実験、生体

解剖などが行われたとされている)

 

優作は関東軍の非人道的行為の証拠を映写フィルムにもとっていた、それらを世界

に公開しようとしていた。軍の機密事項を入手しそれらを国外に知らせることは

完全なスパイ行為である。あまりに危険な夫の行為を聡子は止めようとするが、

しかし、コスモポリタン、世界市民を自認する夫の決意は揺るがない。それならば、

「あなたがスパイなら。わたしはスパイの妻になります」聡子は決然とした

まなざしで宣言するのである。そして、今まで夫に頼って生きているかに見えた

聡子が驚くべき変貌を遂げるのである。そして彼女自身が独自のスパイ的な活動

をおこないはじめる。

 

(ここで、スパイの妻と決意して、活躍する聡子を演じる和服姿の蒼井優の姿は

圧倒的に美しい)

 

聡子は優作の貿易商社の地下室に忍び込み、金庫からノートとフィルムを持ち出

して、フィルムを映写機にかけ、流れる映像に非人道的行為を確認する。そして、

そして次の日憲兵分隊本部に泰治を訪ね、文夫が持っていた人体実験のノート

のみ渡す。フィルムや英訳ノートは渡していない。

 

(これは優作を守るためかもしれない)

 

しかし、ノートが憲兵に渡り、文夫は憲兵に捕まり拷問にかけられる。優作も憲兵

に呼び出されるが、文夫が「すべて自分一人でやったこと」と供述していたので、

帰ることが出来たが、帰宅後に、憲兵隊にノートを渡した聡子を責める。しかし

聡子は意にも介さないで、「英訳のノートと、人体実験の記録をとらえたフィルム

は手元にあります。アメリカに渡りましょう。私たち二人で」と、眼を輝かして

優作に声をかける。そして志を遂げるため二人は亡命の準備を始める。

 

亡命するといっても、すでにその時日本とアメリカの情勢は切迫し、日本人がアメ

リカに渡航することは難しくなっていた。優作は危険回避のため、二手に分かれて

アメリカを目指すことを提案する。一つはツテを頼り、聡子が記録されたフィルム

を持って神戸から外国船に隠れて乗り込み密航する。もう一つは優作が英訳された

ノートを持って、上海に渡り、そこからアメリカを目指す。

 

優作と離れることを嫌がった聡子だったが、優作に説得され了解する。そして亡命

決行の日、優作と港で別れ,予め手配していた船員の手引きによりアメリカ行きの

船の貨物の木箱の中に隠れるが、間もなくして乗り込んできた憲兵たちに捕まって

しまう。

 

憲兵隊長泰治は聡子を取り調べ「お前は売国奴だ、万死に値する」と叫んで殴り

つける。聡子も腹をくくり、持っている記録フィルムを見て、「関東軍がいかに残

酷なことをしているか、判断してほしい」と訴える。しかしなんと、そこに映し出

されたのは、優作が趣味で撮影した普通の映画だった。とっさに、密航を憲兵隊に

知らせたのも、フィルムを入れ替えたのも、優作がやったことだ、と気づいた聡子

は、発狂しその場に倒れる。

 

(これは優作が聡子を密航の危険と、スパイとして死刑にされることから、守る

ためにしたことかもしれない。と、悟って発狂をよそおったと思われる)

 

1945年、日本は度重なる空襲で、敗戦が濃厚となっていた。聡子は発狂した

ことで、軍の病院に入院させられており、監禁され監視されていた。そして

夜の神戸大空襲があり、病院内は大混乱となり、監禁されていた部屋の扉の鍵は

避難のために明けられる。病院から抜け出した聡子は炎に包まれた街から何とか

抜け出し、海岸を彷徨するのだった。そして敗戦。画面には次のテロップが流れて、

映画は終わる。

 

「聡子はその後、アメリカに渡った。優作は上海からインドのボンベイ(ムンバイ)

を経て、アメリカに向かった船が日本の潜水艦に攻撃され、亡くなったという情報

があるが、その真偽のほどは不確かである」

 

私はこの映画を11月5日、西宮北口のTOHOシネマズ西宮OSで見た。

第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞作品で、人気が高い作品

と聞いていたが、観客の入りは5割位で、スタンスをとって座席に座ることが

出来た。コロナのためポップコーンはなく、コカコーラーだけ持ち込むことが

出来た。しかし同じく上映中だった劇場版『鬼滅の刃』には大勢の子供たちが

集まり群れていたようだった。

 

私は今回の『スパイの妻』は神戸出身の黒澤清監督が昔の神戸を背景にして

神戸ならではの「近時代劇」を描き出した意欲的な、興味深い作品だと思った。

今は外国への窓口は国際空港が中心であるが、昭和の初期頃までの外国への

窓口は外国航路の船が着く港が中心だった。当然、当時の神戸の街は関西の

どこの街よりも国際色が一層豊かな街であったことは間違いない。この映画

でも優作の会社「福原物産」の社員たちが、当時は一般人でも国民服や戦闘

帽姿に移り始めた時期、みんな三つ揃いの背広で活動している姿に、私は当

時の神戸を感じるのである。また優作が日本軍の非人道的行為を知った時、

「僕はコスモポリタンだ」と毅然と国際社会への告発に立ち向かう姿は、

神戸港開港以来、多様な民族、様々な宗教を受け入れ、発展してきた神戸

の商社マンだからこそ、出来たものであろうと私は思うのである。

 

開戦前夜と言われた1940年。実際にスパイ活動は激しさを極めた年であった。

日本もハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊の艦艇の様子をスパイに探らせて

いたことが、分かっている。また、日本の軍備の状況や、軍事技術

を探るスパイが多くいたことも知られており、当時、轟夕起子の女スパイ

を描いた『第五列の恐怖』や、田中絹代の主演作『開戦の前夜』などの本

格的なスパイ映画が上映されていた。

 

映画『スパイの妻』はこのスパイ活動が激しかった開戦前夜の年に、入手

した関東軍731部隊の機密の非人道行為の情報をめぐる夫婦の秘密の行

動を描いたものである。そして、妻は夫の機密資料を憲兵隊に提供し、

夫を裏切ったように見え、夫は妻の密航を憲兵隊に密告して妻を裏切った

ように見えながら、お互いは至上の愛に突き進んでいるのだが、映画では

具体的説明はなく、ここは観客の理解力と判断に任せられる。また戦後、

聡子がアメリカに渡ったというテロップが流れただけで、優作とアメリカ

で会えたのか、その後どうなったかは観客の想像に委ねられる。

 

黒沢清監督やこの映画のスタッフたちが、ニタリと笑いながら、見る者

の理解力や想像力を試しているような気のする、面白い映画であった。

 

(2020年11月23日)