宝塚のリスト・フェレンツ
~巡礼の年、魂の彷徨~
今年も5月に、義妹(妻の妹)から電話がかかってきた。
「今年の大和証券招待の宝塚歌劇公演は6月18日にあるそうです。もし、そちらでも招
待券が入るようなら、当日車で迎えに行きますが……」
私の方には大和証券からのそんな話は全然入ってこない。担当者も変わったところだし、
大口の客でもないから、私には黙っていたら、絶対に招待券などこないだろう。厚かましい
と思ったが、大和証券の担当者に電話で、駄目でも仕方がないと思って招待を請求して
みると「そんな招待公演があるということは、全く知りませんでした。担当部署に問い
合わせてみます」という返事があった。
ネットで調べてみると、招待公演は15時30分から、花組の公演で「巡礼の年~
リスト・フェレンツ、魂の彷徨~」作・演出/生田大和とあった。もう一つは宝塚特有の
ショウと踊りである。私は19世紀初頭、大人気のピアニストでロマン派音楽の作曲家と
して活躍したリスト・フェレンツを題材にしたミュージカルというのに、興味を感じた。
最近の宝塚歌劇の演出家たちは、面白いミユージカルの題材を、見つけ出してくるのが、
実に巧妙であると、私は思っている。昨年の月組ロマントラジック楠正行「桜嵐記」にしろ、
一昨年の宙組の仙台藩遺欧使節団「イスパニアのサムライ」でも、史実の中から興味深い
物語を上手く掘り起こしてきて面白く見せている。今回のリスト・フェレンツは1830年
代以後のヨーロッパが舞台で「ピアノの魔術師」と称された彼が、圧倒的な人気で迎えられた
フランスのパリから物語が始まり、その後、彼はヨーロッパ各地を彷徨し、「巡礼の年」
というピアノ独奏曲を集めた作品集を作り上げるらしいのである。
私は今回のミユージカルの役割表をネットで見たとき、当時のパリで活躍していた有名人
の名前が並んでいて驚いた。まず、リストの運命の恋人、マリー・ダグー伯爵夫人。
当時のパリ社交界で三本の指に入ると謳われた美貌の貴族夫人、執筆活動もしていた。
これは女役トップスター星風まどかが演じる。そして音楽家のフレデリック・ショパン。
彼は友人としてライバルとしてもリストに大きな影響を与えた。演じるのは水美舞斗である。
当時のパリで、その名をはせた作家であり女権拡張運動家で男装の麗人、ジョルジュ・サンド。
永久輝せあ が演じるが、ショパンの恋人だった彼女がリストとどのように関わるのか。
そして、『レ・ミゼラブル』の著者、文豪ヴィクトル・ユーゴー。ロマン派の詩人でもあり
政治家でもあった彼が舞台で何を演じるのか、出演は専科の高翔みず希。
そして、主人公リスト・フェレンツ役を演じるのは、花組トップスター柚香光(ゆずかれい)。
舞台でピアノの名手を演じる以上、ピアノを実際立派に弾かなくてはならないだろう。彼女
は宝塚歌劇団に入団前からピアノとバレーは習得していたといわれている。演出を担当した
生田大和さんは「柚香光が主演ということで、ピアニスト役を演じてもらおうというところ
から構想を深めていった。柚香の存在にインスパイアされて、主人公をリストに定めたとも
いえる」といっている。
私は柚香がリスト役で弾くピアノ、宝塚のリスト・フェレンツとして、実際舞台でどう
曲を弾きこなすのか、これはこの公演の大きな注目ポイントだと思った。そしてもう一つ
のポイントはジョルジュ・サンドや、ヴィクトル・ユーゴーが活躍した、19世紀の芸術
家たちのパリでの時代の空気が、いかにこの舞台に表現されているかだと、私は期待も込めて
強く思った。「この公演には注目ポイントが色々あってぜひ見てみたい」と思いはじめていた
矢先、大和証券からA席(SS席・S席・A席・B席のランクがある)の招待券が送られて
きた。
6月18日、15時30分。宝塚大劇場の開演のベルが鳴り終わると、静かにストーリー
を語る声が聞こえた。
「1832年、パリ。フランスは革命という動乱の時代を経てもなお、権力を握り続ける
貴族と、台頭著しいブルジョワジーによって牛耳られていた。毎夜開かれるサロンでは、
享楽と所有欲に溺れる貴族がお抱えの芸術家たちに腕前を披露させ、芸術家たちは己の
技と魅力で名をあげるべくしのぎを削っていた」
第一幕・そのパリの屋根の下、女流作家ジヨルジュ・サンドの屋根裏部屋、愛の場面。
恋人のサンドと一緒に住むリストは、憂い顔でピアノに向かい、「ジュテーム」と歌いはじめ、
弾き語りを少し行う。今宵はル・ヴァイエ侯爵夫人のサロンで貴族たちのためにピアノの演
奏をしなければならない。しかしいつかは自分の音楽でのし上がり、貴族らを見返して
やりたいとの強い野心をリストは持ち、サンドもその野心を理解していた。私は第一幕に
サンドの屋根裏部屋が出てきたことからリストを取り巻く多くの女性たちのうち、今回の
演出では永久輝せあ が演じるサンドの役柄が中心になって、物語を進行させていこう
としていることが、強く感じられた。
第2幕・パリの夜、ル・ヴァイエ侯爵夫人のサロン。
このサロンではフレデリック・ショパンが華麗な演奏を披露していた。次いでリストが
登場すると、貴婦人達の間から歓呼の声が上がる。熱い視線が注がれる中、リストの起絶
的な技巧を駆使したピアノ演奏が繰り広げられた。リストの類まれな美貌と相まって、彼
のピアノ演奏は今やパリ中の話題の的となっていた。私は舞台で、水美舞斗のショパンと
柚香光のリストの超絶技巧といわれていたピアノ演奏がどう行われるのか、注目していた。
「ピアノ だんじり」と呼ばれる高い台の上にピアノが置かれ、ピンクのライトにミラー
ボールの華麗な照明の下で演奏されていた。そして、水美も柚香も確かに直接ピアノを立
派に弾いていた。しかし、すぐにオーケストラの大音声の音楽に合流してしまい。ピアノ演
奏をじっくり聞けるという状況ではなかったのは残念であった。また当時のピアノ曲として
「愛の夢第3番」「華麗なる円舞曲」「子犬のワルツ」などが演奏されていたはずであるが、
特に曲目の紹介もなく、私も曲目まではよく分からなかった。本格的なピアノの演奏会では
なく、歌劇の一場面だといえばそれまでだが、トップスターがリストを演じ、2番手スター
がショパンを演じる舞台である以上、もう少し長く直接のピアノ演奏を続けてほしかった、
と私は思った。
第3幕から第10幕までは、社交界の華、才色兼備のマリー・ダグー伯爵夫人との出会いと、二人でパリを出奔して魂の彷徨、巡礼の日々が綴られる。
リストの友人であり、ライバルのショパンは、人気が高まるにつれて本来の自分を失ってゆくリストを案じていた。ショパンはリストにダニエル・ステルンというペンネームで書かれた批評記事を見せる。それはリストを礼賛するものでなく、本来向き合うべき音楽の本質が書かれていた。リストは批判記事を書いたのはマリー・ダグー伯爵夫人だと分かると、すぐさま伯爵夫人のもとを訪れる。
社交界の花形ともてはやされていたマリーだが実際は、窮屈な貴族としての存在意義に疑問を持ち、夫のダグー伯爵との仲も冷え切っており、男性名で文筆活動をしていた。そして、ハンガリーの平民出身というコンプレックスがあり貴族でなかったために音楽院に入れない過去の挫折があったリストとの中に、同じ苦しみを見出したのだった。魂の根底で、理解し合える女性と巡り会えたと喜びに打ち震えるリストはマリーの手を取って出奔する。
万年雪を頂くマッターホルンを望むスイスのジュネーブの森の山荘で、ようやく二人は自分を取り戻し解放感に浸っていた。そんな時、パリから芸術家たちが押しかけて来た。彼らはリストを心配し様子を見に来たのだが、芸術家たちの顔ぶれは、今でもよく知られている錚々たる連中である。ヴィクトル・ユーゴー(高翔みず希)をはじめとして、近代批評の父と呼ばれるサント・ヴーヴ(和海しょう)。『人間喜劇』を構想しサマセットモームに天才と言わしめたバルザック(芹尚英)。あの有名な絵画「民衆を導く女神」を描いた
ドラクロワ(侑輝大弥)。オペラ作曲家ロッシーニ(一之瀬航季)。『幻想交響曲』のベルリオーズ(希波らいと)。別の場面では詩人ラマルティーヌ(峰果 とわ)など。この時代のパリでは有力な芸術家たちが、サロンに集まって芸術はどうあるべきかなどを議論していたのである。私はこれだけ歴史的にも有名な芸術家を集め、それを演じるベテランのスターが参加している舞台が、芸術家についての紹介も説明もなく、終わってしまったことは大変残念に思えた。紹介役を作って役柄を紹介するか、「自己紹介ソング」をそれぞれに歌わせるかなど、工夫をしてほしかったと思った。
ジョルジュ・サンドはリストにパリに戻ってもう一度だけ演奏してほしいと頼む。リスト不在のパリでは、ラブリュナレド伯爵夫人の後ろ盾を得たタールベルクが最高のピアニストと称賛されるようになっていて、サンドはそれが我慢ならなかった。マリーは反対したがリストは最後に一度だけだと再びパリの地を踏む。
第11幕から第15幕までは、パリに戻ったリストに、世界中から出演依頼が舞い込む。マリーはパリの新聞社で記事を書く仕事をしながら、共和主義運動に身を投じてゆく。二人の間に亀裂が生じ、マリーはもはやかつての二人に戻れないと悟る。そして1848年「諸国民の春」と呼ばれる革命が起こる。
リストはタールベルクとのピアノの戦いの中では、かつての超絶技巧ではなく、巡礼の日々に作曲した抒情的な調べを弾く。それがかつてない喝采に包まれることになり、リストを再び表舞台へと引き戻してしまう。ウイーンのチャリテイ演奏の功績が認められて、故郷のハンガリーで爵位を授かり、リストは遂に貴族という身分を得ることになる。そして、王侯貴族の待遇でヨーロッパ各国に迎えられるようになる。一方マリーが参加して、その中心になって活動している共和主義運動は、王侯貴族による政治体制を打破し、市民による立憲体制を目指すもので、革命によってリストは手に入れた爵位や富といった価値が転覆してゆく様を見せつけられる。リストはピアニストからは引退し、作曲と音楽教育に専念する。
第16幕・ショパンの死とリストとサンド。
リストにとって、常にコンプレックスを与える存在であり続けた盟友ショパンの死の場面。
1849年10月17日、39歳。
第17幕・1866年・修道院での再会。
ダニエル・ステルンに名前を変えたマリーは、修道院で僧職についているリストを訪れ再会する。リスト音楽院の19名の生徒たちが、静かに歌を歌い、このミュージカル劇は終わる。
私が、この劇を見て良く分かったことは、19世紀にはまだ、ヨーロッパの多くの音楽家や画家たちは貴族たちの保護下にあったのだということである。そして、この時代の芸術家たちは、そこから抜け出し納得できる作品をいかに作り出すかに心血を注いでいたことも改めて認識できた。劇を見てそのような時代の空気も感得できて、良かったと思った。
大和証券のA席の招待券は2枚あったが、義妹のお蔭で親類同士席を埋めることができ、無駄をすることなく済んだ。長期入院中で今回も行けなかった妻に宝塚に行ったことを電話すると、「来年は絶対に行く」といった。
(2022年6月30日)