宍粟(しそう)の山中で迷う
―神戸大学OLK40周年大会―
私の大学生時代には、オリエンテーリングというスポーツはまだ日本に入って来ておらず、このスポーツが始まるのは1966年以降である。そして大学でオリエンテーリング部がクラブ活動として始まるのは1980年より後のことだと思はれる。今、大学でオリエンテーリング部として活動しているのは、なぜか国公立大学が多い。東京大学・京都大学・大阪大学・千葉大学・筑波大学・奈良女子大学・私学では早稲田大学、立命館大学などが大会を主催している。大学主催大会では普通、学生だけの参加ではなく、一般人のクラスも設定して、広く参加者を社会に呼びかけてきている。
神戸大学のOLK(オリエンテーリングクラブ)は1985年の設立で、設立当初は独自に大会を開いて活躍していたが、途中に休止していた期間があって、私が神戸大学主催の大会に注目したのは,今回が初めてのことであった。
WEBのオリエンテーリングCOMというサイトに神戸大学の大会が発表されたのは昨年(2024年)の年末だった。実施日は3月22日(土)で場所は姫路の北方、日本海に近い豊岡との中間にある宍粟市波賀町の山の中、彩の森である。クラス分けはM10A(男子10歳台Aクラス)から5歳刻みでM85Aまであるが、私の出るべきM90Aはない。W(女性クラス)の高齢申込者はW65Aの一人だけだった。私は腰痛や目のカスミに悩まされていたが、3月になればなんとかなりそうだと1月に思い切って、M85Aのクラスに申し込んだ。そして姫路からの往復バス予約代4000円も含め、9000円を振り込んで申し込みを終えていた。
3月になって、腰痛と眼のカスミは続いていたが、バスの代金は振り込んでいることでもあり、どうしても動けないときは、会場の
敷地内にある天然の温泉に入るだけでもよいではないかと考えて兎に角行くことに決めた。もう一つ問題があった。バスは姫路から1時間半以上はかかる。バスに乗るのはみんな若い参加者である。当然トイレ休憩などはない。私一人だけが、ずば抜けた93歳の高齢者でトイレが近い。できるだけ水を控えて最悪の時は災害用の携帯トイレで切り抜けることにした。
3月22日(土)8時3分、JRさくら夙川駅から芦屋で新快速に乗り換え9時4分姫路に着いた。南口から9時30分のバスの発車までに、駅と、バス乗り場近くの公衆トイレで2回もトイレをすました。バスは会場まで1時間50分近くかかったが、なんとか携帯トイレを使わずにすんだ。
会場に着いて驚いたのは、昨日来降り積もった雪が会場周辺の山林に残っていたことである。この日は気温が高くなって、雪が解けてきて泥道になっているところもあり、森のなかは、落ち葉に積もった雪が解けて滑りやすい状況になっていた。
12時25分のスタート。アンパンをかじってから、スタート地点へ向かった。ここで地図を受け取って、決められた時間にスタートするが、M85Aの地図を取るのは93歳の私一人だけで、あとはMもWも80Aはいない。M75Aに4人のベテランが参加しているが、後はMもWも60代50代が若干名の他、殆どの多くは20Aの若者であった。地図は7500分の1,等高線間隔は5㍍、コントロール(標識)数は6、距離は1・2㌔。スタートしてテープをたどると、やがてスタートフラッグが現れる。地図の△の場所である。ここから磁石で①(溝の終わり)に方向を定め、森の中に突入する。距離にして100㍍はないが森のなかは落ち葉が雪解けで濡れていて早く進めない。よろよろしながら進んで振り向いたら、みつけられた。次いで②(植生界の角)に向かう、距離は南南東に100㍍足らず、地形は複雑でアップダウンがあり、なかなか見つからない。いったん、東の道に出て、そこから進むと斜面を下ったところにあった。次の③(沢)は南に道を超えたところにあり、簡単に思えた。
ところが森から出て、その道を間違えたのである。地図は③からは、西へ向かう道を350㍍進み。そこから北北東に④・⑤・⑥と取って小道を進んでゴールすることになっている。私は②を取って出た道をこのゴールに通じる西へ向かう道と思い込んでしまったのである。実際に出た道は南へ向かう道で私のコースとは関係のない道であったのである。しかし、この道の東側に③がある筈だと思い込んだ私はその道のカーブの手前から東側の森に突入してしまった。その森は急な斜面が続いていた。斜面は雪解けでぬるぬるしていて下の谷底に滑り落ちそうであった。この付近にあると信じて疑わない私は木の根をつかんで急な斜面をはいずり廻った。無い。仕方がないので、斜面を這い上ってその上まで出た。それでも無い。上から下を見ると元の道が見えたので、その道路めがけて、急な斜面を尻制動で滑り降りた。丁度その時、その道を同じクラブの中原さんが北へ進んできた。中原さんはM65Aクラスである。「時間オーバーになったから、もう帰ることにした」という。もう時間オーバー? そういえば私も90分の規定時間を超えてしまっている。「帰ろう」と思った。それでも私はこの道を左へ進めばゴールに達するとまだ信じていたので、間違った方向に道を進んでいた。ようやく私が間違に気づいたのはその道を400㍍ほど進んで、広い分岐点に直面した時であった。ここで、やっと道を進む方角が全く違うことに気づいた。
すぐに道を引き返した。道だけをたどってスタートフラッグのあった所まで戻り、会場のテント内にある計算センターに行って、指にはめて持っていたSIカード(記録カード)を返した。勿論、失格である。その時、時間は14時20分スタートしてから、1時間55分も山をさまよっていたことになる。スタート後①を取るのに14分4秒、そこから②を取るのに17分1秒かかっていた。しかし、このベースで進めば③の失敗がなければ、なんとか時間内に完走できる筈であった。走ることが出来る80歳代までであれば、一つ位の間違いがあっても、あとは走って完走できるが、今は一つミスをすると、直ぐ規定時間オーバーになって失格になってしまう。絶対ミスができない年齢になってしまっているのだ。と実感した。
帰りのバスは15時30分に姫路に向けて出た。会場近くの温泉の割引券をもらったが、行く気もしないし、時間もなかった。バスはトイレ休憩がないのが心配だったが、それよりも、バスの中で競技した地図を見ていると、③の失敗の口惜しさがこみあげてきた。
「なぜ③へ出る道を間違えたのか」「磁石で道の方向を確かめたら,すぐに分かった筈だ。なぜ磁石を見なかったのか」「今回は90歳代の東京からの高橋さんも、名古屋の石田さんもいない。超高齢者クラスはお前の一人天下だったのに、なぜもっと慎重にしなかったのか」など、「残念無念」の自問自答を私一人で繰り返していた。
バスは少し渋滞に巻き込まれ、2時間近くもかかり姫路に着いた。しかし帰りも携帯トイレを使わずに済んだ。
M90Aのクラスに出るようになってからは競技に出る毎に「この競技を最後に引退してオリエンテーリングをやめる」との思いを繰り返してきた。しかし今回のように、道の方角を確認せずに間違うようでは、最後の競技とするわけにはいかない。リベンジを果たさなければならない。次のオリエンテーリング競技でM90Aクラスを設けられる大会は、
はっきり決まっているのが、今年2025年10月4日(土)・5日(日)に栃木県那須塩原市ハンターマウンテンで行われる全日本オリエンテーリング選手権、ミドル・ロング大会である。
(2025年4月11日)