歳末、京都サンガスタジアムを走る

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歳末、京都サンガスタジアムを走る


正式のオリエンテーリング競技では、男女別に、15歳から95歳まで5歳刻みでクラスが分けられていて、そのクラスごとに優勝者が決まる。私はM85歳台でWMG(世界マスターズゲームズ)兼、WMOC(世界マスターズオリエンテーリング選手権。2017年、ニュージーランドでのスプリング競技)で銅メダルを取り、そして、M90歳台では2022年全日本選手権大会(ミドル・ロング共)で優勝していた。しかしながら、2023年の後半になって、体調を崩し、大会に参加することもできなくなった。


昨年の10月8日、近江塩津の山地で行われた、京大・京女・立命館大学主催大会の出場申し込みを、私はM85歳台でしていた。この大会の要項では85歳台以上のクラスがなかったからである。すると京都大学生のコースセッターの人から直接メールが来て、90歳代の私のために「特別にM90歳台コースを作ります」ということになった。私一人のために特別にコース地図を作り、スタート枠も決めてくれる。こんなことは初めてである。私は「大いに感謝する」旨の返事を出して、私専用のコースを走るのを楽しみにしていた。ところがこの大会の前日に、私の身体にふらつきが起こり動けなくなってしまったのである。気温の変化に老いた身体がついて行けず、

血圧の異常上昇によるものと思われたが、とにかく病院で検査を受けることになった。私はなにはともあれ、出場できなくなったことを大会の主催者に通知し、私のために90歳台のコースを作ってくれたことに深く礼をのべ、参加できなかたことを詫びるメールを出した。


続いて11月4日・5日は千葉県勝浦で行われた2023年全日本選手権大会(ミドル・ロング大会)は、申込金を支払い、宿泊・バスの予約までしていたが、これもすべてキャンセルした。さらに11月23日、私の誕生日に大阪オリエンテーリングクラブで練習会を行うことになっているとクラブ会長の玉木さんから、有難い連絡をもらっていた。しかし、練習会は鶴見緑地公園で行われたが、私は参加できなかった。


病院のMRI・エコー検査結果では、血管が老化して硬くなってはいるが、今のところ脳溢血や心筋梗塞がすぐに起こる懸念はないとのことであった。が、私自身いよいよオリエンテーリング競技から引退する時が来たのではないかと考えていた。しかし、12月に入って2023年歳末の大会として。京都の朱雀オリエンテーリングクラブ主催で亀岡のサンガスタジアム大会が行われることを知ると「これなら参加できそうだ」という気持ちが起こり、ネットで参加申し込みをしていた。

 

 大会の行われる京都サンガスタジアムは京都府所有、2020年1月11日に、起工より2年かかりで開場したサッカー・ラグビー・アメリカンフットボールなどの専用球技場である。フィールドの広さは南北126㍍、東西84㍍でJR亀岡駅の東側に位置している。四面に囲まれた収容人数21600人の観客席は⒋階迄あり、映像設備など最新の装置が設置されている。しかし、オリエンテーリングの行われるのは、フィールド(サッカーのピッチ)ではない。そこは立ち入り禁止で、参加者が走るのは四面の観客席を含むその周囲の、廊下・階段・テラス・集会室などになる。複雑に入り組んでいて、4階ある階段の場所も一定ではなく、上り下りを繰り返すことになる。「高齢者には大変なコースになるのではないか」と思はれたが、半面「新しい球技場をめぐるのは、面白そうだ」という興味も湧き出してきて、参加が楽しみになってきていた。

 

 12月23日。JR京都駅から嵯峨野線に乗り換え亀岡駅に降り立つとすぐ、サンガスタジアムの南側の入り口から入った部屋が会場になっていた。受付でSIを受け取り、すぐに競技服に着かえた。この日の競技では90歳台はなく、M85歳台で名古屋の石田さん・W85歳台の石田さんの奥さんと同じコースを走ることになった。私のスタート時間は10時30分30秒・石田さん10時31分30秒。石田さんの奥さん10時32分30秒だった。このクラスのコントロール数は11。距離1・3㌔。スタートで受け取った地図は、1階から4階までそれぞれ分かれて記されており。△や、〇の色が薄く、私の眼には見にくく、最初から戸惑ってしまった。石塁の角の①を取り、北に建物の角の②に向かっていると、石田さんが早くも追いついてきた。コンクリート面の角の③は2階にある。2階に上がる階段が分からない。石田さんと二人でうろうろ探しまわる。やっと見つけた階段を駆け上がる。④の建物の角は2階の廊下を北から南西の端までに回り込んだところにあった。私は途中の他のコントロールに迷わされて少し時間を食った。石田さんはどこに行ったか見えなくなった。建物の角に⑤を見つけ。廊下から内部に入り、置物の角の⑥から急に3階の北の端の石塁の角の⑦に飛ぶ。地図に書かれた⑦への線が南を向いていたので、つい騙されて南の端を探す始末。気が付いて階段の下り上りを繰り返して北の端までいかねばならなかった。ここで10分42秒も時間を取った。最大の時間のミスだった。さらに4階の南の階段の終わりの⑧へ、3階と4階の境界がはっきりせず、思わぬところに階段があり、最後の段を踏み外してコンクリートの床に、崩れ落ちて膝を擦りむいた。「大丈夫ですか」と若い女子の学生が声をかけて走り過ぎていった。再び3階の内廊下石塁の角⑨へ、明るい観客席の外から暗い内部に入ると、しばらく地図が見えなくなってしまう。辛抱して2階のコンクリート面の角⑩へ、そして最後の⑪階段の終わりはスタジアム南西の外側に面したところ、2階の通路から早く行けたのだが、私は地図の細かい部分が分かりにくかったので、右回りに外側を回ってゴールした。50分07秒で一応は60分の規定時間内の完走はした。同じコースの石田さんは37分03秒、石田さんの奥さんは52分49秒だった。


今回は地図が階層毎に分かれていて、コントロールの〇の印刷も薄く、エントリー者数256人(当日参加も含めて約300人)の中でダントツの最高齢者(90歳台は私一人)の老眼には、見て確かめるのに時間がかかってしまった。しかし、日ごろの腰痛も膝の痛みも感じることなく、身体も疲れずに楽しんで完走できたことは、本当に良かったと思った。そしてこの調子なら2024年は、競技に出て、90歳台のAクラスを戦うことができるのではないか、とも思った。次の全日本選手権大会は2024年10月19日(土)と20日(日)、の2日間にわたり岐阜県恵那市中野方町笠置山北山麓で行われることが決まっている。私はオリエンテーリングの競技活動の焦点をこの大会において、今後、老い行く身体の調整を行うことに決めた。

 

 今まで、M90歳台Aクラスは、大阪の私と東京の大ベテラン高橋さんとの二人だけの競技の「たたかい」だった。が、次の2024年の全日本選手権大会では、M85歳台だった名古屋の石田さん、札幌の原田さんがM90歳台に上がってきて、4人の「たたかい」になる。そして12月に会った石田さんも、年賀状をもらった原田さんも次のM90歳台競技にかける意欲は旺盛でこれは、すごい日本の最高齢者同士の一大競技の「たたかい」になると思われる。それに東京、大阪、名古屋、札幌と、日本の大都市を代表する各クラブの最長老の4人である。それぞれのクラブで永年にわたり活躍している間、同年配の会員は高齢のため次第にやめてゆき、クラブ内の90歳代では一人だけの生き残りになった人達である。4人ともヨーロッパ各地、オーストラリア、

ニュージーランド、ブラジルなどでの国際大会の経験も豊富なベテランで、レジェントと呼ばれている人達でもある。

 

 2024年の年明けとともに、この4人の競技に加わるため、全日本大会参加を決めた私の「たたかい」の幕は切って落とされた。私にとって「たたかい」とは、M90歳台の競技参加だけではない。本当は私の身体との「たたかい」が競技に出るため必要なのだ。私は介護認定で「要支援1」を受けている。まず急に血圧が上がり「ふらつき」が出るのを抑えるよう日常の食事・生活に注意する。腰痛を少しでも抑え、山を走れるように訓練する。眼精疲労で目がかすまないように薬とパソコンの使い方を工夫する。今私の身体の中で進行中といわれる前立腺ガンの状況に絶えず注意して日常を過ごす。そして、今回、要支援1になり参加ができるようになった機能訓練特化型のデイサービス「Tryus」(トライアス)に週1回行くことを決めた。これはアシックスが運営する「立つ-歩く・転ばない」ための頭と身体を活性化する運動プログラムを提供する施設である。


 1月5日、私は初めて「Tryus」でトレーニングに参加した。デュアルタスク(トレーナーの掛け声で、頭と身体を同時に使う訓練)と、スプリンングタスク(天井から下がった輪を両手に握り身体を曲げ伸ばし、ふらつきを防ぎ柔軟性を高める訓練)を経てから、7種類の器具を順番に使って身体の各部の機能を鍛え、最後のリカンベントバイク(自転車のペダルを踏んで有酸素運動により心肺機能を高める)で、足を激しく動かしながら、私は「今年、全日本M90A。岐阜の山を走るぞ。何としても走りぬくぞ!」と、口走り続けていた。

(2024年1月14日)