台風が近づくと私の胸が痛みだした


台風が近づくと私の胸が痛みだした

 



本土に上陸し、各地で被害を出した今年9月の台風14号。この台風は一時猛烈な勢力にまで発

達して、気象庁は17日、緊急の呼びかけを行った。

 

「経験したことのないような暴風・高潮・記録的な大雨があります」

 

9月18日の日曜日、私はオリエンテーリング京都パークツアー大会出場のため、山陰線園部駅から

バスで21分の場所にある丹波自然運動公園に行かなければならなかった。台風は18日九州には上

陸するが、まだ丹波までは来ないだろうが、台風が日本に近づくにつれて、私の胸がじわじわと痛み

始めたのである。多分強い低気圧が老いた私の心臓周辺の微細な血管に作用して影響を及ぼしているに

違いないのだが、普通に動いているときにはそれほど痛みを感じないので、とにかく行くことにした。

山陰線で東京から来た高橋さんと同じ車両に乗り合わせた。「やっぱり来たか。91歳の大ベテラン、

さすが超レジェントだ」と、思った。挨拶を交わし「台風にもかかわらず、遠いところご苦労様です」

と声をかけた。

 

現地につくと、むっとした熱帯のような暑さ、台風のフェーン現象かもしれない。この暑さでは今日

は難航しそうだという予感がしたが、とにかく12時6分にスタートした。この大会では私や高橋さん

に該当する90歳台のクラスはない。85歳台が最高齢クラスである。そこで名古屋の石田さんが

入って、高橋、石田、小嶋の順番のスタートだった。2㌔の距離、11のコントロール(標識)。この日

私の身体はやたらに重く感じて、快適には進めない。①(生垣の終り)から②(土崖の上の東)へ向かう坂

道で胸が締め付けるように痛み進めなくなった。そこで早くも「今日は無理だ。競技は棄権して休み休み

帰ろう」と思った。しかし③(建物の西南角)同じく④(建物の西南角)と進むと「勝負はもうどうでも

よい。走らずにゆっくりゆっくり歩いて進んでみよう」と思うようになった。⑤(碑の南側)へは丘を登る。

その途中の山道でまたしても胸が痛くなり、動けなくなった。這うように丘を登った。⑥(碑の南側)へは

下り道を降り、橋を渡って北の丘に登る。ここから⑦、⑧、⑨、⑩と進むうち胸だけでなく腰も痛くなった。

汗だくの前かがみの姿勢のまま、ふらふらになって進んだ。最後の⑪(碑の南側)の盛り土に取りついたとき、

時計を見て、私の競技時間が規定時間の1時間を超えようとしているのに気がついた。ここからゴールまで

胸も腰も痛いまま必死で走って転がるようにゴールした。

 

計時センターでSIカード(時間計測電子カード)を差し込むと、1時間1分21秒と出た。私は思わず、

「一生懸命で全部回ったのだから、1分21秒のオーバーは無しにしてくれよ」と叫んでいた。85歳

台クラスの結果は石田さんが34分47秒。高橋さんが37分36分であった。これらの時間が正常な普

通の時間で、私の時間は心臓病者が無理に出場して規定時間を越えている時間であった。遅くなったので

急いで着かえて、帰りの13時34分の公園発園部駅行きのJRバスに乗ろうと、荷物を持って、公園内

を歩いていると、また胸が痛くなって、進めなくなった。立ち止まっていると、後ろから来た人が、「大丈夫

ですか。バス停までもうすぐです」と声をかけ、先へ行って手を挙げてくれた。曲がった道の先にバスが

来ているのを、知らせてくれているのだ。私は「バス、待ってくれ」とわめきながら、痛さをこらえて無理

に駆け込んでいた。バスに乗り席に座ると、やや痛みが治まったが「この身体の状況は異常だ。帰ったら病

院に電話をしょう」と思った。

 

8年前の2014年、私は西宮の渡邊血管センター病院で、心臓血管の心筋梗塞のためカテーテル手

術をしている。その後もカテーテルの追加手術を2回受けていて、今でも、3か月に1度くらいの割

合で定期診断に通って、病院から薬をもらっている。この日、私が病院に電話をすると、9月18日と

19日は休日のため、9月20日の火曜日に来るように、ということであった。9月20日は午前

「エッセー・随筆教室」があるため、午後大阪の中の島からの帰りに行くことにした。

 

病院では、すぐに心電図検査があって、診察を待っていると、診察室からの呼び出しではなく車いすが

来て、すぐに緊急治療室に運ばれた。「これは緊急入院だな」と直感した。痛くなった状況を聞かれた後、

CT検査室に運ばれた。次いで応急のエコー検査があり、心臓周辺血管の詰まりを回生するためのカテ

ーテル手術、2泊3日の即緊急入院が決定して、腕に針とチユーブが入れられ点滴につながった。手術は

9月21日午後2時から1時間。経過が良ければ9月23日の朝には退院できる。8年前の緊急入院の時

には、妻が病院に駆けつけてきて、下着・歯磨き歯ブラシ・髭剃りなどを届けてくれたものだが、今は

その妻も別の病院に長期入院中で、私の入院など今連絡しても仕方がない。ただスマホで弁当会社に自宅

配達の中止の依頼をして、そして義妹(妻の妹)と、9月21日に予定していた元の会社の仲間との会合の

幹事と、9月22日に予約している鍼灸院には、なんとか入院したことを連絡できた。

 

台風14号は9月20日には日本海沿岸を通り過ぎ、日本列島を北上して、近畿地方は通り抜けて

いたからか、この時胸の痛みは消えていた。病院の話によると台風の低気圧が、上昇気流のため大気中

の酸素量を薄くし、呼吸が激しくなり、胸の血管の筋肉の痛みを起こしていたことは、充分に考えられる。

特に胸の血管が弱って、細く狭くなっているときは、痛みは強いし命の危ないときでもある。そこで血

管を広げるカテーテル手術で血管に入れた風船を膨らませ、広げた血管に、支えのステントを挿入して

血流を支えるのが、今のところの最良の方策であるとのことであった。

 

入院した9月20日の夜、ようやく空いた4人部屋の一つのベットに横になったが、今度はあの熱風

を引き込んだ台風14号がその通過後に、急に寒気をもたらして、やたらに寒くなった。ナースコール

で看護師に聞くと「全館空調でこの部屋だけの温度調節ができないので、タオル、シャツなど、

できるだけ身に着けてください」ということだったので、靴下をはいて寝た。部屋の中の一人に認知症

状があるのか、ナースコールを押さずに「寒いです」という声を繰り返し出し続けている人がいた。

 

翌日定刻にカテーテル手術が行われた。左手首の血管動脈から、きわめて細いビニールチューブが差し

込まれ、心臓の血管へと送り込まれる。痛みは感じない。胸が熱くなることはある。8年前と比べ

ずいぶん楽に行われるようになった。昔は時間も長くトイレも管でつながれて手術を受けた。今回は

手術終了後に車いすでトイレに行くことができた。

 

手術終了後、私の血管の画像を前に執行医から、状況の説明があった。私の手術の時間に駆けつけて

いてくれていた義弟夫妻(妻の弟夫妻)が、説明に同席して、聞いてくれた。手術前、細かった画

像の胸の血管は、手術後確かに太く力強く映っていた。

 

退院後、9月26日、久しぶりに近くの香櫨園の御前浜海岸の遊歩道で、ゆっくりと走ってみた。

500㍍ぐらいだったが、丹波のオリエンテーリング大会で感じたような、胸の痛みはなかった。

「まだオリエンテーリング競技ができそうだ」と思うと、少しうれしくなった。

 

実は来る10月の8日・9日、富士山の鳴沢で、全日本オリエンテーリング選手権大会が、ミドル

・ロング競技の2日間で行われる。ここは富士山の北斜面、深い溶岩流の上の樹林として有名な青木

ヶ原樹林の東側にあたる。今でも熊が出てくることがあるといわれるところである。(大会の案内

書にも注意事項として書かれている)ここで1980年3月、第6回目の全日本オリエンテーリング大

会が開かれたとき、私は47歳で、当時の男子43歳台Aクラスに出場したことがある。このとき、3

月の大雪が降って、私は溶岩の雪の穴にはまり込み、苦戦した苦い経験があるだけに、こんなところで、

もう競技するのは無理だろうと思っていた。しかし、カテーテル手術を終えた今なら行くことができる。

大会の90歳台Aクラスには、当然東京の大ベテラン、超レジェント高橋さんも出場するだろう。勿論

85歳Aクラスの名古屋の石田さんや北海道の原田さんも、日本中から高齢者の「オリエンテーリング

好き」が鳴沢に大集合するのは間違いない。こう考えると、私も関西からの男子90歳台Aクラス選

手として、絶対行かなくてはならなくなってくる。

 

「よーし、富士の鳴沢へ行くぞ」私は声を上げた。「こうなったら、万一胸が痛くなろうが、腰が

痛くなろうが、歯が痛くなろうが、目が痛くなろうが鳴沢の樹林を突き進むぞ。力がつきれば鳴沢

の土となって消えてしまうのみ」私は明日、熊よけの鈴を買い求めるために、西宮ドンキホーテ内

にある「100均」ショップで探してみるつもりだ。

 

(2022年9月29日)