オリエンテーリング競技
「M80A選手」の遭難
オリエンテーリングという競技は、幾つかの標識を競技する場所に設置し、それを描
かれた詳細な地図を持って、磁石で、方角を定め、走って回り、その時間を競うもの
である。それだけに、標識を設置する場所が例えば、公園か山地かでその難易度は大
きく違ってくる。また競技者が例えば20歳代と80歳代とでは、体力、回る時間は
大きく異なる。そこでオリエンテーリングの全日本大会などでは、男女別、年代別
(35歳以上は5歳刻みにクラスを作っている)能力別、E(エリート)クラスとA
(難しい)クラス、S(短い)クラスなど多くのクラスに分かれて競技し、それぞれ
のクラスの中で優勝者が決まる。「M80A」は、男子で(女子はW)80歳台(8
0歳から84歳)のAクラスということになる。
私は昨年(2024年)の全日本大会には、M90Aクラスに出場していて、それ以
前の全日本大会にも、たいていは出場していたが、今年の10月4日と5日の栃木県
那須塩原市の山林で行われる2025年度の全日本大会には、参加できなかった。
私の左体側部のヘルニアの手術の日程が、この日と重なっていたこともあり、それと
残念ながら私の腰痛の痛みも激しくなっていて、大会の参加の申し込みをどうするか、
ためらっていたこともあったからでもあった。
日本でM90Aに出場する人はほぼ決まっていて、東京から高橋さん(多摩OLC)、
名古屋からは石田さん(愛知OLC)、北海道からは原田さん(札幌OLC)、大
阪からは出場すれば私(大阪OLC)の4人である。4人とも海外の大会でも活躍し、
経験豊富なベテランである。そのうち今年は同じ地図で同じコースなのだが、高
橋さんはM95Aに出ることになり、今年のM90Aは石田さんと原田さんの2人
の競技になるということだった。
10月5日の朝、私は自宅の寝床でラジオのNHKニユースを聞いて驚いた。
「4日のミドルの、オリエンテーリング全日本大会で行方不明者が出て、緊急に
捜査を開始している。行方不明者は83歳の男性である。そのため5日にも行われる
予定だったロングの全日本大会は中止となった」という報道だった。
「行方不明者はⅯ80Aだな。誰だろう」私はパソコンのオリエンテーリング
COMを開いて、Lapセンターを見てみた。
オリエンテーリングの競技で80歳以上のAクラスに出場する人には初心者の人は
まずいない。長年にわたりこの競技に関わってきたベテランである事には間違いない。
私は競技の結果を知らせるlapセンターを開いたが、何故か他のクラスのLAP
は全部載っているのにM80Aクラスだけは、省かれて記載がない。協会が名前を
伏せねばならないほどのベテランなのか?
私はネットの記事の中から、行方不明者のスタート時間が10時30分頃というのを
見つけ、スタートリストから、埼玉県の入間市OLCの83歳の田中博さんだと分かった。
入間市OLCは創立して50年近い歴史の古い地域オリエンテーリングクラブで、田
中さんは確かこのクラブの会長をしておられたのではなかったのか。登山家でもあり
日本百名山を全山完登しているほどのベテランで、山スキーでも有名な人である。オリ
エンテーリングの大会でも、何回か入賞の輝かしい実績があり、オリエンテーリングの
ルールも勿論熟知していて、ゴールまたは大会本部に、届けることなく帰宅して
しまうようなことは絶対にない人物である。
「そんな人がなぜ行方不明になったのだろう」と思いながら、私は札幌の原田さん
に電話をしてみた。原田さんは今回の全日本大会
(ミドル)のM90Aクラスでは石田さんに勝って、見事に優勝している。しかし
話題は行方不明の田中さんの話になった。競技の前、原田さんは田中さんと話を
したそうである。田中さんは珍しく杖をついていた。なぜ杖をつくのかについて
田中さんは「坂を下る時、杖があると便利が良いから杖を持ってきた」と語って
いたということであった。私はそれを聞いて、「田中さんは膝か腰かどこかに、
痛みがあったのではないか」とも思ってみた。
田中さんは、4日の大会当日10時30分頃スタートした。遅くとも12時までに
は帰ってくるはずにも関わらず帰ってこないので、競技終了時刻の14時に、彼の所
属する入間市OLCの有志が捜索を開始した。そして全体の終了時間15時30分に
は実行委員会も捜査に参加。警察に届出が行われた。
大会が中止になった翌日5日も、那須塩原警察、那須塩原市消防団及び消防組合、栃
木県消防防災航空隊、が加わり赤川の谷からその西方の尾根を含むエリア、可能性の
ある林道等の捜査を開始した。そして8日、大会関係者が捜査中、田中さんが持って
競技をしていたM80Aの地図が発見された。
田中さんはこのクラスで回らなくてはならない9か所のコントロール(標識)の内、
6か所までは、普通の速度で回ってきていた。そして地図があった場所は、最後に確認
できた6番目のコントロールから北側の約1・5㌔離れた、川を挟んだ山林だった。川の
両岸は100㍍近い落差がある登り降りか困難な崖になっていた。
日本オリエンテーリング協会の村越真副会長は、この川と、熊の被害の可能性に
ついてこう語っている。
「川自体は渡れないことはないが水量がソコソコあり、コース内の川とは明らかに違う。
熊については、半年以上準備して熊の発見はない。当日も1千名を超える競技者が
走っていたが 熊の目撃情報はなかった」(栃木県内ニュースより)
その後、オリエンテーリング協会は説明会を開き、その状況を次の4点に絞って発表
した。①原因は未確定ではあるが、コース図発見の状況から、コースエリアを大きく
外れ標高差100㍍近い急斜面と赤川の谷を進んだものと考えられる。②競技エリア
では準備段階、競技中にも熊の目撃情報はなく、熊の被害は実質的に考えられない。
③本人は経験も深くAクラス参加者であり、2から3程度以上の区間では正常のオ
リエンテーリングをしていたものと推測される。④突発的に一時的な判断能力の低下
を発生し、通常の進路決定・現在地把握能力を発揮できない状況になっていた可能
性がある。
捜査は11日まで続けられたが、残された捜索エリアの多くが滑落等のリスクもある
山域であり、ご家族も捜索に入る方の安全を懸念されていることからも、協会は一旦
全面的な捜索を打ち切ることとした。そして、入間市の同じクラブに所属し親しかった
メンバーおよび協会の村越真氏らを発起人とする有志組織と登攀技術を持つ登山家を
加え、ロープによる確保なしでは危険が高い崖や急斜面を重点的に調査することと
なった。そして、10月18日9時頃、田中さんと服装の特徴が似た遺体が発見され、
その後警察により亡くなっている田中さんであることが確認された。発見場所は、
10月8日に地図が発見された地点から100㍍ほど下の崖下で、見通しが悪く踏査
も極めて困難なエリアであり、ロープを使った捜索により発見された。死因は多発
外傷だった。
日本にオリエンテーリングという競技が入ってきて高尾山で大会が開かれたのが
1966年と言われている。私がこの競技を始めだしたのが1969年38歳の時
であるが、今まで、日本ではこのような遭難事故は聞いたことがなかった。おそらく
初めてのことだろうと思う。しかしながら協会の状況の説明会にある「突発的に一時
的な判断能力の低下の発生」はよく起こることである。この競技は時には、径の
無い山の斜面を駆け登り降りして身体を使うと同時に、地図と磁石を見て地図上の
現在地を常に確認して進まねばならない。頭脳を使うのである。脳はその時大量の
酸素を必要として、送り込まないと酸素欠乏症となる。そうなると現在地が分から
なくなり、進路決定能力が失われてしまう。
私は今まで外国での競技を含め、このような突発的な事態に直面することがよく
あった。しかし若くて、足と頭が活発に動いているときは、直ぐに気付いて状況を
立て直すことが出来た。ところがM80A・M85A・M90Aと進んでゆくうちに、
突発的に間違いをすると、それに気付くのが遅くなっていった。そして間違った
まま進んでしまうと、元の場所に戻るのに、足が遅くなり、弱っていて、戻れにくく
なり、戻っても相当の時間がかかるようになって、完走できないことが起こるよう
になった。
2023年4月9日、富士山麓の朝霧高原の大会で私は90歳を超えていたがⅯ
80Aのコースに出て、磁石の北と南を読み間違えて長い時間、それに気が付かずに
反対側にどんどん進んでいた。気がついたときはすでに時間オーバーしていたことが
あった。2025年3月25日、神戸大学が主催した宍粟の大会でもM85Aのコース
であったが磁石の方角を、見間違っていながら全然気が付かず、関係のない急な斜面
を長い時間這いまわっていた。高齢になると間違いに気付くのが遅く、来た途をたどって
元へ戻られなくなるのである。
このような私の体験から考えると亡くなった田中さんは6番目のコントロールを
チェックして、小径を進んだ後、方角を間違え、赤川への急斜面を降りてしまった。
が、気が付くのが遅く、気が付いたときは、急斜面を戻るのは困難となってしまって
いた。そこで別のルートで、ゴールまたは本部へ戻ることを模索しているうち、
険しい場所に踏み入り崖から転落した。と、私は推測している。
2027年5月14日~30日にかけて、世界マスターズゲームズが日本の関西で
行われる。30歳以上、5歳刻みの年齢でクラスを設け、広く参加を募るオリンピッ
クのようなもので、35種目の競技が行われる。私はニユージーランドの2017年
の大会のオリエンテーリングで、外国勢と競い銅メタルを取っていて、4年後の20
21年の日本での大会を大いに期待していた。が、コロナ禍のため、2027年に
延期となってしまった。
私としては、この世界マスターズのオリエンテーリング部門でのM95A出場を
目指すべきなのであるが、今の私の身体には大分衰えが迫ってきている。私の眼は
視力障害5級であり、現在障碍者手帳をもらっている。腰は走ると痛みが激しく、
今はもう走ることが出来ない。山地での大会のコースに出て突発的にミスをすれば、
状況により帰られなくなり、遭難者になる可能性が高い。
それでも、私は今、世界マスターズゲ―ムズの2027年への出場を諦めてはいない。
眼の障害については、神戸の「アイセンター」に通い詰めて、これ以上悪くならない
ようにする。腰痛については注射と張り薬だけでは治らないので、何とか手術をする
医者を探し出して、来年度中には直してしまわなければならない、と考えている。
私はスマホに、首から下げるための永い紐をつけた。登山用のGPSをスマホに
セットして、現在地を発信するための準備である。
(2025年11月16日)