この作品はフィクションであり、特定の思想や信仰などを擁護もしくは批判する意図をもって制作されたものではない。また、作品内で起きる事件や出来事、登場する人物・団体・国家などは全て架空のものであり、実在のものとは一切関係がない。
このシナリオはクトゥルフ神話TRPGの基本ルールブック第6版に対応するシナリオである。推奨プレイヤー人数は1〜4人。プレイ時間の目安はおおよそ4〜8時間程度。舞台は1920年代アメリカ、マサチューセッツ州アーカムのとあるホテルである。
勿論、舞台や年代を改変することも可能である。ただし、その場合、実在の地名・人名などを無闇に用いることで、不快な表現とならないように注意してほしい。
探索者はある日、自宅を訪れた知人から次のような話を持ちかけられる。
「アーカムの外れの小高い丘の上に、私の父が所有している別荘がある。今は誰も使っていないから、この休暇の間、もし行く場所に困るようならそこを使うといい」
探索者はとある理由から休暇をとっている。その理由がなんであったかは——思い出せない。
ある重大な「喪失」を抱える探索者が、廃ホテルの改装された知人の別荘で起こる奇妙な出来事に巻き込まれ、その真相へと迫っていくことになる半シティ・半クローズドのクラシックシナリオ。
「喪失」の記憶と向き合い、その末に事件の真相と対面したとき、探索者は何を選択するのか。
——"人間はこの地上に詩人として住んでいる"。これは、すべての詩人のための物語である。
このシナリオは、改変しない限り1920年代アメリカ、マサチューセッツ州にあるアーカムという架空都市を舞台としている。アーカムに関する設定はクトゥルフ神話TRPGの基本ルールブック、もしくは原作小説等外部資料を参考としてもらい、ここでの説明は割愛とする。
ただし、本シナリオ独自のキャラクター設定や事件の背景など詳細な設定に関して、資料としてまとめたものを以下【シナリオの背景】に掲載する。
また、シナリオの舞台が上記のような設定である以上、プレイヤーが作成する探索者もこれに準じ、1920年代探索者シートをベースとして作成してほしい。この他、探索者の概要については、【探索者概要】を参照。
本シナリオを遊ぶ前に、ゲームマスターが把握しておくべきシナリオの背景設定について、以下に記載する。
まず、このシナリオにおいて重要な舞台となるタイナー家の別荘について。
この別荘は元々、タイナー家の経営していたホテルの一つであり、現当主であるジョンの代で6年ほど前に廃業した施設を、別荘として改装したものであった。現在も土地自体はジョンが所有しているものの、その維持管理や使用など、別荘の権限は全てタイナー家の次男であるロバートに一任されている。
別荘になる以前、ホテルであった頃の歴史について書くと、当時は「エルムス・ホテル」という名前で運営されていた。その名のとおり、アーカムはエルム山の麓に位置するホテルだった。創業は1856年で、タイナー家の事業が始まったばかりの頃から経営が続いていた。景観の美しさや、サービスの質の高さが人気を呼び、創業から数年でアーカム屈指の名ホテルとして成長していた。南北戦争の最中も経営が続けられており、マサチューセッツ州が迎える政府高官の宿泊先としてよく選ばれていたほど、一時は高名なホテルであった。62年という長い歴史を持っていただけに、国内外から大勢の宿泊客の記憶に残っており、周辺住民からも親しまれていた宿泊施設だったが、その他競合宿が乱立し始めた黄金の1920年代を前に、経営困難を理由として廃業となった。それが1918年のことだった。
しかし、実際にはこのホテルが廃業となる前、ある2つの奇怪な事件が起きていた。経営困難も廃業の理由のひとつではあったが、何よりこの事件の存在が、経営者であるジョンを不気味に思わせた——というのが、廃業の直接の原因であると言えるだろう。
事件のうちの1つは、廃業の2年ほど前、ホテルのゴミ捨て場から、人間ひとりぶんの脳味噌が発見されたというものだった。何者かの脳が取り除かれ、ホテルのゴミ捨て場に捨てられたのだと誰もが考え、当然ながら脳のない死体なども発見されるかに思えた。しかし、発見から1週間ほどの周辺調査を経てもなお、失踪者なども報告されず、被害者らしき存在が不在のままであった。
ちょうどこの頃、ホテルの売上が緩やかに落ち込み始めた時期だったため、ジョンはホテルの廃業を検討していた。しかし、当時はベテランの支配人が急逝して、新人の支配人に交代したばかりであったし、ロバートの制止もあって、その決断に踏み切ることはなかった。ジョンはできるだけ経営に影響がなくて済むように、この事件を内々に処理してくれと警察に請願し、警察側も被害者の不在により、それを承諾することとした。
そうした事件の1年半後、再び事件が起きた。ホテルの階段から足を滑らせ、ホテルの支配人が亡くなったのである。遺体周辺の状況から、支配人は階段に落ちていたワインボトルを踏んで転倒し、頭を打って即死した、ということがわかった。つまり、これは完全なる事故であり、事件性はないと判断された。しかし、1点だけ見過ごすことのできない異常性があった——それは、支配人の死体を解剖した結果、「脳がない」と判明したことだった。脳があるべき部分が、完全に空だったのである。
当然ながら、ジョンはこの事件を気味悪がったし、何より彼の記憶力では、馬鹿げているとは思っても、どうしてもこのような推論を思い浮かべずにはいられなかった——「1年半前にゴミ捨て場から発見された脳は支配人のものであり、それから1年半の間、脳のない支配人が人間のように振る舞っていた」。ジョンはこの件で、ただでさえ客足が伸び悩むホテルで、事故とはいえ人命が失われたとなれば、その評判を回復することは難しいと感じていたし、なにより自身の推論によるただならぬ直感的な恐怖心から、ホテルの廃業を決めたのであった。
結局のところ、エルムス・ホテルで実際に起きた事件の真相とはなんだったのか。ことの発端はエルムス・ホテル創業から2年後、1858年まで遡る。
当時の経営者であったジョンの父、ジョージ・エヴァンス・タイナーは、1858年の創業2周年記念パーティーにある知人を自らの経営するホテルに招いた。その知人は当時のマサチューセッツ州でも有力者であった実業家で、政治家でもある人物だった。彼は知人の事業視察も兼ねて招待を受け、3日ほどの日程で宿泊したが、予想していなかったほどそのホテルをいたく気に入ったらしかった。そして数ヶ月と経たないうちに、彼はジョージ・エヴァンス・タイナーにこんな提案を持ちかけてきた—— "エルムス・ホテルは素晴らしいホテルだ、1週間ほど貸し切って宿泊したい" 。地元への強い影響力を持つ彼の賞賛に、当時のタイナー家当主として新しい事業を立ち上げたばかりだったジョージは喜び、その提案を快諾した。
この1週間が、エルムス・ホテルで起こった全ての事件の嚆矢となったのである。ジョージの知人であった実業家は、その時点で既にイスの偉大なる種族に身体を乗っ取られていた。そして1週間の貸切の間に、イスの偉大なる種族はエルムス・ホテルの一部を改造し、人間の記憶を解析するための実験施設にしようとしたのである。
イス人がこのホテルに目をつけたのは、それが当時マサチューセッツ州においてもまだ珍しかった特権階級層向けの宿泊施設だったためである。イス人の解析対象であった「人間の記憶」を極力人間に危害を加えず解析するには、睡眠時の脳のデータを取得する必要があった。つまり、エルムス・ホテルという教養人が集まる宿泊施設は、イス人にとって最良の環境だったのである。
そうして、イス人によって建物の一部が改造されたエルムス・ホテルは、人間の記憶を収集する実験施設となった。イス人の技術力は凄まじく、元の建物と見比べても人間に気づけるような外見上の変化はなかったために、エルムス・ホテルが人間の実験施設に変わっているなどと疑う者があるはずもなかった。当然ながら機能もイス人の意図どおりであり、その後エルムス・ホテルは閉館するまで新しい人間の記憶を収集し続けた。
ただ、イス人は収集した人間の記憶データを回収するために、地階に設置した収集装置を維持・管理しなければならなかった。そこで、イス人はホテルの支配人の身体に乗り移り、以降支配人が変わるたびにそれを繰り返してきた。イス人が乗り移った支配人には、乗り移っている間の記憶を保持させるわけにはいかなかったため、身体を捨てる際に脳を取り除いて死亡させるようにしていた。エルムス・ホテル廃業のひとつの原因となった新支配人の件については、死亡事故だったために警察の介入が入って明るみに出ることになっただけで、実際にはそれ以前の支配人たちの遺体も同様の状態であった。
エルムス・ホテルが廃業したあと、最早イス人にはこの実験施設に執着する理由はなくなっていた。そのためにイス人はホテルを離れ、彼らの知性を満たすもののためにまた別のどこかへと去っていった。
これ以降の、作中で起こる事件の真相については、【真相】を参照。
本シナリオに関わっている探索者以外のキャラクターについて、以下で紹介する。
ロバート・エドマンド・タイナーは、ホテル事業で財を成したタイナー家の次子であり、探索者に別荘を貸す提案をした人物である。しかし実際には、その提案のために探索者の元を訪れたロバートは彼本人ではない。
気のいい好青年であり、父譲りの経営者気質な冷淡さを持ちつつ、なんだかんだ友人を放っておけない人情家な側面も持ち合わせている。紳士だが、結構自由人である。
シナリオ開始時点での年齢は25歳だが、すでにいくつかのホテルの経営を父から任されている。現在32歳の長子が将来的に父の仕事を継ぐ予定であるため、ロバートは比較的自由の身であるが、姉を支えたいと本人が希望しており、今後も家族で支えあって経営をしていくつもり。
22歳の婚約者がいるが、家同士の利害関係による結婚なので、本人にそこまで恋情はない。
幼少期から、ひとつの遊び場として親しんでいたエルムス・ホテルに愛着があり、取り壊しに反対していた。ただ、反対した理由はそれだけではなく、あのホテルに出現する「友人」と遊んでいた記憶を忘れたくなかったためでもあった。ロバート本人はこの「友人」の正体について、感づいてすらいない。そのため、彼の夢はエルムス・ホテルをホテルとして復活させ、再経営することである。
ちなみに、かなりの歴史愛好家であり、マサチューセッツにある歴史研究会の後援者を務めている。なかでも南北戦争の歴史に関する品を積極的に収集しており、展示会などを行うことでビジネス化している。そこには偉大な祖父の世代への憧憬もあるだろう。
ジョン・ヴィンセント・タイナーは、ホテル事業で財を成したタイナー家の現当主であり、ロバートの父である。
経営眼、洞察力などに優れた人物であり、その持ち前の鋭さ故か、舞台となった別荘を以前からひどく不気味がっていた。しかし、自身の息子のうち、次男であるロバートにはやや甘いところがあり、ロバートのホテルを惜しむ言葉によって建物の取り壊しを行わずに、別荘として改装しロバートの好きにさせていた。
作中に直接は登場せず、今回シナリオ中で起きる事件についても、一切関与していない。しかし、起きたことの断片でも聞けば、何かを察することだろう。
ヘレン・バークリーは、かつてのエルムス・ホテル宿泊客のひとりであり、現タイナー家別荘で再現された人物。数年前、交通事故に巻き込まれて死亡している。
物腰柔らかで常に落ち着いているが、どんな相手でも自分のペースに巻き込んでしまう奔放な人柄。生まれてすぐに病気で失明しているため目は伏せているが、ブロンドの長く美しい髪と端麗な顔立ちが印象的な人物。
タイナー家別荘で発生している記憶の再現について、真相は知らないながらもいくらかそれに近い理解を得ている。B-29で探索者と出会い、彼の話に付き合うと、その見解を話してくれる。
ヘレン・バークリーは、1912年に恋人と2人でエルムス・ホテルを訪れた。その当時、このホテルで特に異様な経験をしたわけではないが、恋人の記憶に深く刻まれていたヘレンは、死後ここに再現されることになった。
再現された当初、ヘレンはひどく困惑したが、しかしやがて別荘での生活に慣れていった。再現されたヘレンは死亡する前の状態であったから、当然ながら自身が既に死亡していることには気づいていなかった——が、何故かヘレンは他の記憶より再現されやすかったため、別荘内での生活が次第に長くなっていき、やがて自分が人間の生理現象の全てを失っていると気づくことになった。
以来、自身の死をなんとなく察しており、ここがもしも自分がかつて生きていた現実ならば、今の自分は生きていた頃のヘレンの偽物(幽霊)で、ここが天国ならばこの自分はヘレンの魂なのだ、と考えるようになった。
ジョセフ・ジェンキンスは、かつてのエルムス・ホテルの第4代支配人であり、現タイナー家別荘で再現された人物。エルムス・ホテルが廃業する直前、館内で事故によって死亡している。
その精神にはイスの偉大なる種族が乗り移っており、生前はそのことを隠して人間の振る舞いをしていたが、再現体として現れた時点では自分がイス人であることを隠そうとしていない。それは再現された時点で、エルムス・ホテルが自分の知っている時空の建物ではないことを察しているためである。
事件の真相を殆ど知り尽くし、また正確に推察もできているが、探索者に対し必要以上の情報を与えようとはしない。ただ、聞かれたことには割と素直に答える(ここの塩梅はゲームマスターに任されるが、A-07で明かされる真相以外の範囲に限られる)。これは探索者が人間である以上、装置の開発に使った自分たちのテクノロジーを理解されることはないと高を括っているためである。
ホテル創業からシナリオ開始までの簡易年表
1856
エルムス・ホテル創業
1858
ホテルの一部がミ=ゴによって改造される
1861-65
南北戦争
ホテル西館の一部が臨時の療養施設になる
1887
エルムス・ホテル改修
東西の建物が統合される
1888
タイナー家当主交代
ジョンが当主となる
1916
ホテル支配人交代
廃棄所から脳が見つかる
1918
ホテル新支配人が階段から落ちて亡くなる
エルムス・ホテル廃業
1924
本編開始