2023年2月 高柳蕗子
■戦争を知らない子ども
--私は1953年(S28)生まれで、今年(2023年)古希を迎える。終戦(太平洋戦争の)は1945年(S20)であり、戦争体験を記憶している可能性があるのは、私より少なくとも十数歳は年上の人までだ。日々刻々と減少していく。
しかし私が若かった頃は、当然ながら、戦争体験のない者のほうが少数派であり、「戦争を知らない子どもたち」と特別視された時期もある。
高校の頃、私は行かなかったが、ベトナム戦争に反対する集会が各地で開かれた。反戦デ―には暴動も起きてしまったが、反戦歌を歌うだけののどかな集会も少なくなかった。
歌う若者たちをニュースで見た祖父がこう言った。
「歌なんかで戦争が止むと思うのか。苦労知らずが。」
私は反論した。
「無理だろうけど、そうなってほしい人が集まっている。黙ってるよりましじゃないかな。
だいいち、苦労知らずって悪いことなの? おじいちゃんはさ、俺はもう苦労をし終わったぞ、っていばってるのかな?
苦労って、宿題が終わった良い子は遊んでいいですよ、みたいなシステムなのかな?」
■過去の教訓はお説教
子供の頃に聞かされた戦争の話は、たいていお説教文脈だった。
例えば、祖母はしばしば、食料がなくて大変だったという苦労を語ったが、「食べ物を粗末にしないように」などと締めくくられた。そういうお説教文脈はまるで黒板拭きだ。関心を一気に払拭してしまう。
戦争に限らず、過去の話は教訓的だ。
お説教文脈、教訓的文脈は「黙って神妙に聞け」というニュアンスを帯びるわけで、その気配を検知したら脳内の自動拒絶スイッチがONになる。
「意見聞くときゃ頭をお下げ 下げりゃ意見が通りこす」というモードになるのは私だけだろうか?
■『インベーダー』みたいな話
一方、拒絶スイッチが入らず、興味深く聞いたのは、日常が「愛国」一色の異世界になってしまった、という3つの例だ。テレビドラマの『インベーダー』(60年代後半のSFドラマ。侵略者である宇宙人が地球人そっくりの姿に化け、私たちの生活に混じって乗っ取ろうとする。 )を想起させる怖さがあった。
①男はみんな丸坊主になった。若い頃からずっと長髪だった父は戦中も長髪で通したが、そのため「非国民!」と日本刀で切りつけられたそうだ。
じゃあ大人はみんな正気じゃなくなったのか。
(子どもの頃は大人をバカにし、敵視さえしていたため、当然のように子どもは除外して考えた。)
大人がみんな正気じゃなくなる状況は、人が宇宙人にすり替わっちゃう『インベーダー』と同じだと思った。
②父方の叔母は左翼系の市民運動家で、反戦活動も熱心で本も出している。だからおそらく私にもいろいろ話して聞かせたはずだが、「叔母から聞いた」と特に記憶しているのは、疎開先の学校での上半身裸でする乾布摩擦のことだ。
第二次性徴を恥じる日々がいかに辛かったか、に力点を置く語りがいかにも叔母らしくて、だから印象に残ったのだが、この話にも『インベーダー』っぽさがある。ひごろ大人たちは女の子に対してだけうるさくて、「はしたない」だの何だのと言うくせに、それが全部消えてしまった、という点だ。
③祖母の実家はお寺で朝晩の御勤めで鐘を撞いていたが、その大切な鐘を供出させられた、という話もある。物資不足で武器弾薬を作るために、家庭の鍋釜、おもちゃなんかまで回収したそうだ。
お寺の鐘を外しに来たのは坊主頭のお坊さんみたいな人たちかしら。(ほら、すごくインベーダーだ!)
お坊さんみたいな人たちが鐘を溶かして弾薬にする。(そんなこと、インベーダーにしかできない!)
鍋釜おもちゃを人を殺す弾に変えるなんて発想は人間にはない。まして、お寺の鐘で弾なんか作るはずがない。
敵に当たれば当たるだけこっちにはバチが当たる。そう思わないほど神仏を軽んじるなんて、絶対に宇宙からきたインベーダーである。
祖父とこの話はしたことがないが、祖父ならたぶんこう言うだろう。
「SFじゃなくて本当に起きたことなんだ。まじめに考えなさい。」
で、私はこう反論するだろう。
「未来に起きることを空想するのはまじめなこと。
学校で習った歴史は戦争ばっかり。戦争中以外はいつも戦前。例外なし。
ここにある私たちの「今」が社会の教科書の歴史年表の続きであるなら、未来の戦争を一分一秒でも遠ざけ、今の戦争が一分一秒でも早く終わらせることに力を注ぐべきでしょ。
社会全体で人が人じゃなくなる。SFみたいだけどSFじゃないんだ、という情報は、一分一秒の先延ばしや短縮の役にたつのでは?
そういえば、群馬の親戚のそのまた親戚の人がさ、終戦のぎりぎり前に裏庭に爆弾が落ちた、って言ってたじゃない。ぎりぎり一分一秒の違いでも生き延びる人を増やせるでしょ。」
■記憶というものは、ふと、ごちゃごちゃに、語られる
子どもには聞かせられない怖い話は大人になってから聞いた。それに、人は本当に悲惨なことは、特別なスイッチが入らないと再生できないから、それでめったに語らなかったのかもしれない。
④話の流れは忘れたが、叔父(母の弟)がぽろりとこう言った。
「東京大空襲のときは僕は子どもだった。青山墓地に逃げ込んだ。座って拝む格好で燃えている人を見た。」
意外だった。このときまで、私の身近には、直接空襲にあった人はいないのだろうとなんとなく思いこんでいたのだ。
⑤その何十年ものち、すごく老齢になった母からも、
「東京大空襲のとき、青山墓地に、へんてこりんなおばけがいっぱいいたの。」と聞かされた。
母は〝変人〟で空想のなかに生きており、口から出るのはファンタジーばっかりだった。そんな母だから、ふと蘇った空襲の記憶も、夢で見た美しい絵本の光景のようだった。
⑥中年になってから、沖縄に親戚ができた。そのご縁で、その人たちの幼児期の戦争体験を聞いて児童書にするという仕事をした。
⑦また、さっき言及した叔母つながりで「山西省日本兵残留問題」の冊子を作る手伝いをした。これも体験者の話を聞いてまとめる仕事だった。(※⑥⑦の概略は末尾に書き添えます。)
⑥と⑦は、まずはなんでもいいから思い出したことを語ってもらう。次に、その記憶の断片を時系列に並べなおし、因果関係を整理確認しながら、全貌を見出していく。そういう作業だった。
この仕事を通してわかったのは、人間の記憶はとにかくごちゃごちゃであることだった。
■引き出しにしまっておいた
ざっくり言えば、私の周囲の人たちは「戦争体験は忘れないが、普段は忘れておく」という姿勢だった。それに呼応して、私も無意識に、
「聞いた戦争のことはふだんは忘れておく。ただし、重大な体験を聞いた者には、それを預かりおく責任が生じるから、『何らかの機会があれば想起すべき重要事項』という引き出しにしまっておく」
という対応をしてきたと思う。
(それは、「老婆の姿しか見たことがない祖母の若い頃の写真(女学校に入学したまぶしいほど若い)を、私が今も捨てずに持っている」ということに似ている。最後にその写真を見たのはここに引っ越してきた30年ほど前だけれども。)
■引き出しがガタガタ揺れる(やっと本題)
さて、前置きがほんとうに長くなった。ここからが本題だ。
--平井弘の歌を読むと、私のその引き出しがガタガタ揺れる気がする。
なにこれ? ポルターガイストなの?
何らかの機会があれば想起すべき重要事項、を収めてある引き出し。--脳内のこの引き出しに眠る霊は、平井の歌に反応して目覚め、騒ぎ出したらしい。
■未来からこぼれてきたような
もうひとつ、私はなぜか、平井の歌に未来の気配を検知するのだ。平井の歌は、過去の事実に根ざしたものだが、平井特有の何らかの表現効果によって、歌に未来の気配が備わっている。(ゆえに説教っぽくない。)
予知夢みたいに、未来の出来事の断片や思念の切れ端が、時空をすりぬけてこぼれてきている感じ。未来が過去を呼び覚ます感じ。
例のひきだしにしまってある記憶、「聞いちゃった義理」で私が記憶してきたものたちが、「いまこそ出番」と目覚めるべくして目覚める感じである。
平井が〝未来風味〟を意識したわけではなかろう。実感のない戦争体験を「聞いちゃった義理」として抱えている私だから、そうした特殊効果が生じるのだろうか。
その点はわからないが、平井の歌は総じて難解にみえて、敷居が高いと感じる人は少なくないはず。そのとき「未来の気配」というツカミでアプローチしたら、少し親しみやすくならないだろうか。
私たちは過去の事実をことごとく知る時間も余裕もない。「過去」を「もう終わった話」なのにと重荷と感じ、「今とこれからのほう大事」と思うことも少なくない。でも、未来の断片、未来からの警告ならば、少し受け止め方が違ってくると思う。
たとえば、平井の歌には、死の瞬間の身体を描写したもの、いきなり命を絶たれて死者になり生者の世界から隔てられてしまうことがしばしば詠まれていると思う。そして、個人ではなくて社会が冷酷になり、そのような弱者を見殺しにし、口先だけで慰霊したら、犠牲者をけろっと忘れ、明るい顔で前へ進むんでいってしまう身勝手な現象も。
現在の私たちの日常には、そういう冷酷や身勝手はないのだろうか。「日本は平和で人々は親切で温かい国」と思いたがっているようだが、これは「外面がいい」だけではないのか。この平和の底にはこっそり恐ろしいものが潜んでいないか。底に沈んだ者を浮上させないようなディストピアではないだろうか。そのディストピアは、私が「インベーダー化」と呼んでいる状況へと地続きではないだろうか。
平井の歌がこういうことをなんとなく思わせるために、ただ昔聞いた話を思い出すにとどまらず、むしろ聞かされた実体験より生々しい面すらときどきあるように思う。
■婉曲表現、ほのめかし、言い回しの効果
平井の歌を読むことは、時空はるかな未来の遺跡からこぼれ落ちてきた文献のかけらを読む感じだ。。
それは、徹底的に駆使されている婉曲表現とほのめかしの効果だと思う。
婉曲やほのめかしは、目立たない普遍性や共通感覚をそっと刺激する。その刺激を受けた側が「なんだろう、これをヒントに読み解けというんだな」、と応じなければ伝わらない。
これは、直接的な説明を聞いて了解するような受け身の「わかりかた」ではない。歌の含意にたどりつくために、いろいろな知識を頭のなかで浚うが、もうひとつ重要なのが言い回しだ。言い回しは言葉の身振りである。言葉は身振りにおいてもなんらかの普遍性や共通感覚を喚起できる。
つまり、知識だけでなく、「この言い方はどういうとき使うか」とうような日本語の経験値をも問われつつ、頭を総動員する能動的な「わかりかた」をさせられるのが平井の歌である。
■読み解くときのナマ感覚
ここには、言葉本来の間接性とその効果が関わっていると思う。
作者そのものを歌から読みとることはできないが、歌そのものの言葉になら思う存分向き合える。
歌に書いてあることやもとになった事実は体験できない※が、歌そのものを読み解く、という言葉の体験ができる。
この体験は実体験とは異なるが、言葉の体験したとき特有の生々しさを生じさせる。平井の歌には、そうした「読み解き」によるナマ効果がある。
※短歌で事実は体験できない:短歌というものは、作者が期待するほどには、読者に、歌のもとになった事実を追体験させない。読者は自分の体験を追体験する。それを一般的に「共感」と呼び詩歌の価値として歓迎しているが、それは、そうであったらいいと作者読者の双方が期待するための錯覚でしかない。歌を通して作者を理解することなど不可能であり、理解したつもりでも誤解がある。また人は自分自身を理解できていない。作者読者が相手も自分も誤解しているかもしれないのに、それでも「自分は歌を通して作者を理解できる」と胸をはる人がたくさんいる。それが可能という前提で歌をやりとりしいるコミュニティも存在する。
歌論レベルでは、その考えとは決して相容れない。しかし人間としてはそのタイプも好感度は高い、と申し添えたい。
■最後に例をひとつ
なにか撃たれやしなかつたかぽぽぽぽと鰯雲その集まるあたり
平井弘『振りまはした花のやうに』2006
鰯雲を詠む短歌は実にたくさんある。どこか遠くまで続いていく雲の群れの姿はさまざまな抒情を引き出す。その多くは平和な抒情であり、銃で何かが撃たれたという連想をする歌は初めて見た。
また「ぽぽぽ」というオノマトペも、短歌にときおり見られるものだが、多くは平和でとぼけたような雰囲気で用いられていて、その平和なオノマトペに、「銃で撃った跡」という見立てを重ねていることも、併せて注目に値する。
(そういえば花火大会の日は昼間のうちに「決行します」の意味で、パンパンと号砲を打ち上げ空にはぽぽぽぽがあがる。それを、戦争かと思う外人がいると聞いたことがある。)
初見で読み取ったのは、「ここは戦争をしていないが、この空のしたのどこかで、たったいまも銃撃戦をしている場所がある。そして、いま戦争をしていない国の空の下にいても、戦争を想起する」ということだった。
地続きならぬ空続き。過去未来の時空がつながっている、というような歌だと思った。
ただ、この平井の歌にはもっと厳しいどきっとする要素があるとも感じられ、そのあと何日も考えた。
そういえば、寺山修司作詞の「戦争は知らない」に「鰯雲」が出てくる。(歌詞は安易に引用できないので、ぜひググってください。)
寺山の歌詞はおおよそ、「父を戦争でなくして戦争を知らない娘が、これから母になり、命をつないでいくから、お父さん見ていてね」という感じの内容だ。これは反戦歌に分類され、高校生だった私もギターを抱えて歌っていた。
平井の上記の歌を読んでどきっとしたのは、寺山の歌詞のような甘さのないことにだった。
寺山の「戦争は知らない」という歌は、戦死した「父さん」を「慰霊」しつつ、「じゃ、先に進むよ」という、生きている側の都合の通過儀礼ではないだろうか。
そうするしかない。
けれども、死んでる側としては、ちょいと拝まれて「じゃーね、成仏してね」みたいなのってどうなのか。
生きてる人と死んでる人の関係はひとそれぞれだから、各自の通過儀礼で済ませればいいだろう。
が、個人じゃなくて、「戦争」そのものが成仏しないでいる感じ。それを無視して、体験者関係者が死んでいなくなることで霊が消滅するのを待っているのではないか、と思う事例もある。
この平井の歌、今も時空をさまよう戦争の霊の立場で詠んでいないだろうか。「ぽぽぽぽ」に反応して、「なにか撃たれやしなかつたか」と、今もむらむらと寄ってくる戦争の霊。思い残すことがありながらだいぶ薄れてしまった霊の最後のあえかな情動のようなあわれさ。
私にはそういうふうに思えてならない。(むろん解釈は人それぞれです。)
もうひとつ、こういう歌もある。
いつのことだか思ひ出してごらんだからあんなことなかつたでせう
平井弘『遣らず』
※私たちはインベーダーになりやすい
沖縄の親戚から聞いた話
なお、体験を聞くと言えば、私には沖縄に親戚がいて、その6歳のときの体験聞いてを児童書にしたことがある。
その人は、6歳のとき終戦を迎えたが、その前の数ヶ月に起きたことがすさまじかった。
自宅は艦砲射撃で吹き飛び、砲弾の降る道を死体を踏み越えて走り、燃えるサトウキビ畑を泣き叫びながら逃げまどい、姉やいとこを亡くし、山の洞窟に隠れていたところを米兵に捕まって収容所に入れられ、やっとのことで戻った村は、元の姿をとどめず、人骨だらけだったという。
戦闘以外の怖い要素にも驚かされた。そういう壮絶な話だった。本土から来ていた日本兵は最初は頼もしかったが、敗色が濃くなると島民に銃を向けることさえあった、という、この本、『あけもどろの空』は古書店で入手できる。
「山西省日本軍残留問題」で体験者から聞いた話
太平洋戦争が終わったとき、山西省にいた日本軍の一部が強制的に残留させられ、550人もの日本兵が戦後に戦死したという。
太平洋戦争が終わったとき、中国に駐留していた日本軍は、即刻武装を解除して日本に帰ることになった。しかし大戦中は止まっていた中国の内戦(中国の国軍と共産軍の戦い)が再燃。日本軍の一部が強制的に残留させられ、中国国軍の軍服を着せられ、共産軍と戦わされた。その戦いの日本兵の戦死者は550人にものぼる。
内戦が共産軍の勝利で終わると、残留兵たちは共産軍から見て「戦犯」とみなされ、何年も人民解放軍による収容生活をおくることになった。
やっと許されて帰国したら、家族からは戦死したと思われていて、「妻が弟と再婚して子どももいる」など、帰る家がない人もいた。
そのうえ恩給も貰えないことになった。なぜなら、残留に国が加担したと認めるわけにいかないという〝国の都合〟で、日本政府は残留兵を自由意志で中国国軍に参加した「志願兵」とみなし、「現地除隊」という扱いをしてしまったからである。
「捲土重来、かならず援軍を送るから」と言い置いて先に帰国した上官を訪ねてみたら、残留兵のことなど思い出したくない様子だったという。あげく、中国の収容所からの帰国者は「アカ」と呼ばれ、公安に監視されるというおまけもついて、「踏んだり蹴ったり」✕3ぐらいだったそうだ。
戦闘の恐ろしさだけでなく、政府のずる賢さにも驚かされる。目的のためなら仲間を捨てて進む冷酷さみたいなものが、人間の社会には潜在しているらしいことにとまどう。
個人じゃなくて国ぜんぶインベーダーに。これには戦慄をおぼえるべきなんだろうが、実感がわかなかった。
お話を伺ったのは稲葉さんという方で、歌人ではないが「騙されて異国の果てに今もなお帰るすべ無き友の亡骸(なきがら)」と歌に詠んだ。
山西省残留問題は映画『蟻の兵隊』にまとめられているというが、怖くて映像を見る気になれない。私が関わって作った冊子は「祖国の絆--私たちはなぜ棄てられたのか(稲葉續)」というものだが、いま入手できるかどうかは不明。
はね毟ることより鶏の生きかえることが怖ろしくていもうとよ
平井弘『前線』
すごく余計な深読み
『振りまはした花のやうに』のあとがきに、歌集名について、
「腕白のころ手にするのが恥ずかしくてわざと乱暴に振りまわした花のように、というものである。顔をあげるのはやはり恥ずかしいが、手にした花は振りまわしてでも持っていこう、というのである。」
と書いてある。ここに至るまでには第一歌集のタイトル『顔をあげる』の話もあり、その流れからすれば自然だが、私はへそ曲がりで、それは話半分だな、と思った。もしかして、恥ずかしいのは、歌集名を説明するやぼったさのほうではなかろうか。
歌集名を、あえて本人のいうことを否定してまで深読みする必要はなかろうが、
『振りまはした花のやうに』というタイトルを見たとたん、
「花を振りまわしたら、無駄に花びらが散る」
と考えずにいられなかった。
「花」といえば「散る」という太い連想脈を無視できない。
限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風 蒲生氏郷
さらに余計かもしれない考えごと
「味方を死なせて前へ進む」というのは、戦争に限ったことではない。
私の父の俳句にこういうのがある。
魏(ぎ)は
はるかにて
持衰(ぢさゐ)を殺(ころ)す
旅(たび)いくつ
高柳重信『山海集』
魏という文明国にあこがれて古代の船は海をわたった。海が荒れたら持衰(シャーマン)がお祈りをする。が、効果がないとその持衰は生贄にされた。
進むために味方を殺すこと、普通の犠牲じゃなくて仲間に殺される。こういうことは、戦争でなくてもある。けっこう身近で起きていないか。
もっと余計かもしれない考えごと
「平井弘? あ、反戦ね」という人がいる。その程度でも認知されたのは喜ぶべきかもしれないが、「反戦」は矮小化だと思う。
人間の社会にはあるものが、人間の社会には常に潜在している。それは、なんらかの条件で強まっていけば戦争に通じるし、戦時下でなおも嵩じるものだが、しかし戦時下でなくともそれは潜在する。人が平和と思って暮らしている時代にも、それは目立たない方法で社会的に人を殺し、多くの悲惨を生じさせているだろう。それにはきっと既存の名前がある。だが、私がそれを既存の名で(ナントカ主義などと)呼んだとたん、それは「そうだよ、そう思ってくれてていいからね」とにやにやし、矮小化をせせら笑って、言葉の外側で底なし天井なしに巨大化する。
人類はこれを克服できるのだろうか。可能だとしても、何百年もかけて、多くの悲惨を経験したあとではないかと思える。が、経験を伝え、共通認識として増やしていくことで、その年数を少し縮めることができるのかもしれない。