自然を詠めば自然詠
社会を詠めば社会詠
短歌について詠めば短歌詠
短歌詠コレクションⅢ
〝うたびと詠〟
〝うたびとポエジー〟〝うたびとライフ詠〟
掲出歌は順不同。見つけた順に各分類項目に割り振りました。
自然詠・社会詠といった言葉はよく使われますが、「短歌詠」なんて聞きませんね。
短歌そのものが歌の題材になっていることはあまり意識されていないのですが、短歌詠はけっこう多いんです。
歌人にとって、常時募集中の題詠みたいなもの、といっても過言ではないようです。
短歌そのものが歌の題材になっていることはあまり意識されていないのですが、短歌詠はけっこう多いんです。
歌人にとって、常時募集中の題詠みたいなもの、といっても過言ではないようです。
短歌詠の分類(目次)
「短歌詠」はざっくり次のように分類できます。
1 歌人たる自分や自分の歌について詠む
2 歌人について詠む
①〝うたびと詠〟〝うたびとポエジー〟〝うたびとライフ詠〟 ★このページです。
歌人名が入っていない〝歌人詠〟
「歌人」は「うたびと」とも読み、「詩的存在」というイメージが強まります。
①〝たんかポエジー〟
「短歌」という詩型そのものに詩情を見出す。新感覚短歌ポエジー メタ短歌も
〝歌論詠〟〝持論詠〟もここに含めます。
②〝歌レポ〟 短歌作品の鑑賞詠
短歌作品を対象として、その姿、雰囲気の描写、鑑賞や評。
(実在する短歌作品に対するものはほとんどなく、ほぼ架空の作品が対象。)
うたびと詠・うたびとポエジー・うたびとライフ詠
職業のようなものを表す語にはそれぞれに何らかの詩的イメージがあります。
「歌人」にも特有のイメージがあります(歌人のスレレオタイプについては下の方に書きました。)が、「歌人」を「かじん」でなく「うたびと」と読むとき、詩的存在というイメージが強まります。
うたびと詠=歌人を題材として詠む。
歌人一般を詠む歌と特定の歌人を詠む歌とがあります。後者は次章にまとめます。※
この章には歌人名を詠み込んでいない歌を集めましたが、特定の歌人を詠んだ連作のなかの一首である可能性もあります。私のデータベースは原則として1首ごとの管理で、たとえば特定の歌人を追悼する連作のようなものもばらばらになってしまうからです。
〝うたびと詠〟は前章の〝作歌ライフ詠〟とひと味ちがうものです。
「歌人」という語にはやや抒情性があり、「うたびと」と読むともっと抒情性が強まります。「うたびと」には少し聖(ひじり)っぽささえ漂うことがあります。
〝うたびと詠〟の作中の歌人は、詩情を強く帯びていて、詩的存在へと昇格しています。
それは、歌人一般のイメージを増幅したものだったり、作者自身の歌人意識を増幅したものだったりすると思いますが、線引できません。
〝うたびと詠〟にはいろいろな要素がありますが、私は特に下記の要素に注目しました。
うたびとポエジー
〝うたびと詠〟のなかでも、「うたびと」という言葉を詩的アイテムとして、詩情を生かして使っていると思われるケース。
うたびとライフ詠
〝うたびと詠〟のなかでも、特に、詩的存在としての歌人の生活詠。
〝作歌ライフ詠〟との線引はあいまいですが、歌人が自分を「かじん」からもう一歩踏み込んで「うたびと」と感じている場合、作中の〝歌人・うたびと〟(詩的存在・詩的聖:ヒジリ)に作者自身が重なりあうような、少し常人を超越したような趣の歌を詠むことがあり、そういう趣の歌をここでは〝うたびとライフ詠〟という感じになります。
いろいろな人の〝うたびと詠〟
うた人は月の主客を規定する砂漠の月や月の荒城
心痛し《歌侠》気取りの兎や心張り詰めおればきちきち痛し
ルビ:心【しん】明け方は小さい星が泣くばかり濃く歌いたる歌歌への帰責
依田仁美『正十七角形な長城のわたくし』2010
兄者よ 短歌は屁か?いくら生きているからといってあんなに撒き散らしていいのか?
依田仁美『異端陣』2005(『乱髪~Rum-Parts』1991)
この作者は〝うたびと詠〟その他、短歌に関する歌がたくさんあり、本稿のあちこちにとりあげました。〝歌レポ詠〟のところには特に多めに掲出しました。
仰向けに蟬のなお鳴くひるさがり言葉の果てにうたびと集う
加藤治郎『混乱のひかり』
成熟を知らぬガラスの馬ならんオルガスムスを括れる歌人
江田浩司(出典調査中)
短歌史に生き残りゆく幾人をナウマン象のごとくに思う
喜多昭夫『いとしい一日』2017
「よい歌を詠むから良い奴とは限りません」勤続長き刑務官言ひき
小島熱子『ぽんの不思議の』
他の星へ移り住まんとなる時は歌人はきっと最後のロケット
武富純一『鯨の祖先』
うたびとは蹌踉たりし さうらうとしづけきをゆるせしぞ むかし
葛原妙子『原牛』1959
生まれてはくづるる波を模様とすこの蝶はことば持たぬうたびと
坂井修一『青眼白眼』2017
星の刃にこころを研ぎしうたびとのひさしき恋をわが恋とせむ
ルビ:刃【は】水原紫苑『くわんおん(観音)』1999
生まれざる歌びと碧き眼にて見えず歌はず空・海のごと
ルビ:碧【あを】 眼【まなこ】水原紫苑『びあんか』1989
歌人とはそも何者ぞ春の土を七五調にて歩むでもなし
時田則雄『夢のつづき』1997
日本に歌人の居らぬ町はなし歌の足跡無きところなし
秋葉四郎「短歌研究」2011・
会へぬまま逝きたる歌人をまた思ふ凌霄花の横を過ぎつつ
永田和宏『置行堀』
はさまれし付箋にはつかふくらみて歌集は歌人の死をもて終はる
光森裕樹『鈴を産むひばり』2010
たぶんいま誰かが歌を詠んでいる美しすぎる夕暮れは来て
松木秀『RERA』2006
ひととせの後に編まれし遺歌集に死ののちのうた一首もあらず
松村正直『風のおとうと』
この世にはゐない歌人のお銚子をあたためてゐた熱燗器あり
田村元『北二十二条西七丁目』2012
※歌集がたまたますぐ見つかったので確認したところ、この歌は「鎌倉」という一連にあり、すぐ近くには「方代の思い出などを聞く……」という歌がありますので、山崎方代を意識して受け止めたほうが良いのかもしれません。
でも、この歌は、歌人を誰と特定せずに〝うたびとポエジー〟としても読めます。そのような単独の鑑賞にも耐えるように詠まれています。
目鼻のないお銚子が不特定の歌人のようで、その抽象的な体温を感じさせるし、熱燗器も、なんだか卵を孵化させる装置というか、歌人をあたためて活性化させるような雰囲気があって、そのポエジーは山崎方代という一人の歌人に限定しなくてもいいと思います。
★脱線
私のデータベースは、管理の都合上、連作がばらばらになります。1首だけでは作者の意図がわからないことがあるので、なるべく歌集で確認しますが、完全にはできません。
ただ、上記の「この世にはゐない……」のように、連作のストーリーから切り離されてもだいじょうぶであることはよくあります。
いや、むしろ、連作の中では詞書程度の役割でしかなかった歌が、連作から抜け出すことで普遍性や抽象性を獲得して自立することも少なくありませんし、作者も、歌が連作を離れることを織り込み済みで、普遍性を意識して詠むことが多いようです。
作者の意図を離れても、短歌という詩型にはそれを補うパワーが備わっている。「言論の自由」という言葉がありますが、人が発した言論(詩歌も含む)たちは、いつか人から解き放たれて自由になるのを待っていないかな。
〝うたびと詠〟〝うたびとライフ詠〟
心は短歌に出家?
歌人の誰もが〝うたびと詠〟を詠むわけではありません。まれに詠むぐらいが普通だと思いますが、特に多く詠む歌人が存在します。
〝うたびと詠〟を多く詠む歌人の作を見ていると、勝手な空想なのですが、出家感覚があるのかもしれないと思えてなりません。
仏教の信徒には在家と出家があり、お坊さんは世俗生活をやめてして仏に仕える「出家」です。
短歌にはお寺がないから歌人はみんな在家ですが、日常世界に居ながら「心は短歌に出家状態」みたいな歌人がいるかもしれません。
第2章で〝作歌ライフ詠〟を集めましたが、出家感覚の強い人が詠むと、〝歌人出家ライフ詠〟--というのもやや妙なので、〝うたびとライフ詠〟ぐらいにしておきます。
そういう歌人の〝うたびとライフ詠〟は、作者個人を超えた普遍性を帯び、「われ」と書いてあってもそれは〝うたびと〟であり、〝うたびと詠〟に含めても良いとも思えてきます。
〝うたびと詠〟〝うたびとライフ詠〟が多い歌人 その1
塚本邦雄
塚本邦雄は、自ら「歌人である」という誇りを強く持っていて、短歌というもの、歌人というものを、歌に詠む題材として、他の題材以上に強く意識していたとも思います。
短歌に関する歌がたくさんありますが、表現が巧みで語彙も豊富なため、パソコンのテキスト検索では見つけきれません。
ですので確かなことは言えませんが、なんとなく塚本邦雄は短歌詠のなかでも〝うたびと詠〟が特に多い、と感じます。
作歌ライフ詠みたいなものも普遍化されている感じが強い。
歌人生活や心情を詠んでいる歌の割合は、ざっくり言って20首に1首ぐらい※だと思います。
このコーナーには〝歌人詠〟と思われる歌をピックアップします。
なお、塚本邦雄の歌は他の章にも多く掲出しており、一部重複します。
※「ざっくり言って20首に1首ぐらい」とは
私のデータベースに収録してある塚本邦雄の歌は1500首程度でしかなく、統計としてあまり確かなことは言えません。
抽出方法:その1500首から「歌」「うた」等の短歌関連文字を含む歌を抽出してから、内容を見て、まずは「うたがう」など無関係なケースを除外。次に「歌」の種類によって除外した(歌手・唱歌・軍歌等を除外、ただし「詩歌」は含めた)結果、80首ほどになりました。
検索文字(「歌」などの文字)を含まない歌人詠もあるはずですが、今回の方法では抽出できません。
なお、私のデータベースは、全歌収録というわけではありません。多くは読者が選んだ歌です。(データ収集についてはトップページをご覧ください。)
「ざっくり言って20首に1首ぐらいが歌人詠」というのは、読者が選んだ歌の傾向も反映しており、作者が発表した歌の傾向そのままではない可能性もあります。
歌満ちてうたはぬわれと藁の上に病める牡牛のやさしきおもさ
塚本邦雄『感幻樂』1969
すでにして詩歌黄昏くれなゐのかりがねぞわがこころをわたる
ルビ:黄昏【くわうこん】塚本邦雄『青き菊の主題』1973
歌なすはこころの疫病遊星にきぞ群青の水涸れにけり
ルビ:疫病【えやみ】塚本邦雄『されど遊星』1975
歌はずば言葉ほろびむみじか夜の光に神の紺のおもかげ
塚本邦雄『閑雅空間』1977
歌をおもへばそのにくしみの影さして落つる寒梅の紅一つかみ
ルビ:紅【こう】歌のほかの何を遂げたる 割くまでは一塊のかなしみの石榴
ルビ:割【さ】 石榴【ざくろ】歌にほろぶる 否否石榴鮮紅の芽吹われならば歌をほろぼす
ルビ:芽吹【めぶき】塚本邦雄『豹變』1984
五月終わるべし歌人のまなこより山河はくらきよろこびに滿つ
ルビ歌人【うたびと】バケツに薔薇色のうすらひわれのみか歌人は永遠に悲愴である
ある日歌すてて六根あきらけくひひらぎに夕霙雲母なす
ルビ:雲母【きらら】三日歌を思はず生きて晩涼の結崎に百合の香のうしろかげ
ルビ:結崎【ゆふざき】みちのくに霰ふれるかわが身よりゆゆしき歌ごころ湧きいでつ
わが秀歌半旗のごとし黃昏をしろたへの秋風にむかひて
ルビ:黃昏【くわうこん】歌百首成らざるままに秋果てて雲母刷く浄瑠璃寺のもみぢ
ルビ:雲母【きらら】塚本邦雄『詩歌變』1986
歌ひおほせて何はばからむ松の花散りつくしたるのちの虚空
ルビ:虚空【おほぞら】歌は残り歌人ほろびてまたの世の秋冷銀砂敷きたるごとし
すでに失せたる昨の夏萩生き生きていまだ詩歌の死にゆきあはず
塚本邦雄『不變律』1988
歌と別るるならこのあたり花桐の天の梢【うれ】より夕陽したたる
塚本邦雄『玲瓏』1988
歌をよむは歌を疾むなり旅にして枕頭に冬の榠樝がにほふ
第百歌集は瑠璃ちりばめむさてわれはなほもて往生せざる悪人
塚本邦雄『波瀾』1989
絶唱にちかき一首を書きとめつ机上突然枯野のにほひ
塚本邦雄『黄金律』1991
茴香畠に春の夕霜曰く言ひがたき歌境にわれさしかかる
わが歌の鮮度三日は保てよと遠方の氷屋を呼び返す
ルビ:遠方【をちかた】塚本邦雄『魔王』1993
こころざしすなはち詩とも思はねど秋風を研ぐ三十一音
海鞘、黒潮のにほひ放てり歌人は一寸先の闇こそ救ひ
ルビ:海鞘ほや】 歌人【うたびと】殺し方数ある中に秋桜家秘伝、歌人の飼殺し
ルビ;歌人【うたびと】冷凍茘枝に舌しびるるを何がかなしくて職業欄の「歌人」
ルビ:茘枝【れいし】 歌人【うたびと】塚本邦雄『獻身』1994
もっともっと拾いたいけれど、このへんでおしまい。
完璧なコレクションではなく、「もっと良い例がいくらでもあるだろうに」と不満に思う人も少なくないと思われます。
〝うたびと詠〟〝うたびとライフ詠〟が多い歌人 その2
藤原龍一郎
藤原龍一郎にも〝うたびと詠〟が実にたくさんあります。
(藤原月彦の名で知られた俳人でもありますが、ここでは俳句には触れません。)
詩歌の言葉によって時代と向き合う歌がたくさんあり、そのように詩歌に携わることを役割として強く意識している歌人だと思います。
そういう意識は他の多くの歌人も持っていると思いますが、藤原の歌に出てくる歌人は特に抒情性たっぷりで、いかにも「うたびと」のたたずまいだと思います。
これは私の感想ですが、藤原の作中歌人は、立ち居振る舞いすべてが詩的行為です。
それは塚本邦雄の〝うたびと詠〟も同じなのですが、藤原の作中歌人は、詩的存在としての「うたびと」感が少し強いような気がしています。
この雰囲気は、スナフキン。※
ムーミンに出てくるキャラで旅する詩人。むかし私が見ていた頃のスナフキンはギターの弾き語りで「おさびし山の歌」を歌っていました。
後年、ギターをハモニカに持ち替えてしまい、しんそこがっかりした。
藤原隆一郎の歌はデータベースには約650首収録してあります。
650首は少なすぎるし、全く入力していない歌集もあるのですが、そのなかで「歌」「うた」(短歌・詩歌を意味する)を含むのは40首ぐらいあります。これは高率!
私のデータベースの収録歌は、歌集まるごとでなく読者選んだ歌が多いということには留意すべきでしょう。
以下に掲載する歌はその不完全データから抽出したものなので、「もっと良い歌がある」とご不満に思うかたがたくさんあると思います。
なお、他の章に掲出した歌と一部重複します。
家庭内歌人とは何?バスタブのふちに玩具のアヒル並べて
藤原龍一郎『東京哀傷歌』
「家庭内歌人」は造語だろうと私は解釈します。
心はいつも〝うたびと〟という感じ。
子どもが出たあとの湯にちらばる玩具のアヒルを拾い集めて並べる。
――そんな日常的な行為を、散らばった言葉をあつめて五七五七七と整列させる歌人の思考と重ねているような感じ。
韻文をわが武器となし見あげれば積乱雲の翳の濃密
藤原龍一郎 『202X』2020
これも〝作歌ライフ詠〟というと軽すぎる。〝うたびとライフ詠〟っていう感じ。
趣味で親しむ域ではありません。
普通に、歌人としての自覚と誇りと読めばいいんですが、その誇りには少し悲壮感があります。その悲壮感を増幅すると、こういう物語になるのではないかしら。
「それは歌人というものが弾圧される時代である。空港や主要駅にはコロナの検査所と歌人検査所(人麻呂やら茂吉やらの肖像を踏ませる踏み絵)が設置された。歌は詠まないと宣誓書を書いたにもかかわらず、元歌人は歌人狩によってむごたらしく殺され続けた。
歌人たちは地下にもぐった。地下壕で歌を詠み、日本語を護るべく、日夜詠唱を続けている。この歌はそんな地下生活のなか、マンホールの蓋をずらしていっとき空を仰いだときの気持ちを詠んだものである。」
なーんて。
はいはい、深読みでしたね。
では、以下、コメントなしで拾います。
ついに近江を見ざる歌人として果てんこの夕暮のメガロポリスに
いまわれはカナリアならぬ花ならぬ歌言葉もて書く嘘の過去
藤原龍一郎『夢みる頃を過ぎても』1989
首都高速夜を静脈のごと走り非在の歌人こそ撃つべきを
失踪の歌人の歌集霙ふる首都に孤絶のわが肉体は
落魄に似て詩歌なす日を夜をハレー彗星迫りつつあるか
午後となり夕暮となり夜となる歌人よ歌人せつなくないか
真夜中のウタビトひとり「ゲルニカの時代」を聴きて昂ぶりており
藤原龍一郎『19××』1997
「ガロ」系の歌人なればぞ肉塊の切断面にいつも魅かれて
業余の吟なる詭弁こそ頌むべきをダミアの「暗い日曜」歌人
藤原龍一郎『切断』1998
自意識にこの憂愁をブレンドし歌詠む人として佇めり
象徴としてのみ在るをゆるされて世紀の果ての歌人なれば
ルビ:歌人【うたびと】一束の歌稿を燃やす感傷をむかし異国のヒースの荒れ地
詠嘆の係助詞すえて一首なすそも月光の射程裡なれば
トモヨソレデモシンジテイルゾコトノハノアソビナラザルウタノチカラヲ
藤原龍一郎『花束で殴る』2002
詩歌書く行為といえど監視され肩越しにほら、大鴉が覗く
或る朝の目覚めの後の悲傷とて歌人十人処刑のニュース
ウタビトの無力は至福金輪際「撃ちてし止まむ」とは詠わぬを
藤原龍一郎『202X』2020
パソコンでの検索では見つけにくいのですが、「歌」という語を含まない歌にも〝うたびとライフ詠〟と思われる例が多数あるようです。たとえばこのような。
凍結の花鳥腐欄の風月と首都の真冬を抒情化すれば
藤原龍一郎『19××』1997
名残惜しいけれど次にいきます。
そのほかの〝うたびとライフ詠〟
ここはまだ集めきれていません。随時追加します。
一国の詩史の折れ目に打ち込まれ青ざめて立つ柱か俺は
佐佐木幸綱『火を運ぶ』
おまけ 〝うたびとドリーム〟
乞われて詠むシチュエーション
昔は職業歌人が存在しており、祝い事・縁起直し・雨乞いの歌の依頼など、乞われて歌を詠むことが今より多かったと思われます。当意即妙の歌が功を奏したというような逸話が、和歌の手柄・歌人の手柄みたいに伝えられています。
現在では、短歌に実用性・実効性を求めないので、そういう手柄話は聞かなくなり、「乞われて詠む」というシチュエーションも激減したと思います。
もはや「乞われて詠む」というシチュエーションは〝うたびとドリーム〟なんじゃないかな、と思えて、探してみました。
・「乞われる」はありそうだと思って探してみたら少ないようです。
おまえさま歌を一つ詠んでおくれ座ったままで夢みたままで
東直子 短歌日記『十階』
「新作の短歌を言え」とてっちゃんが近づけてくる補聴器の耳
千葉聡『微熱体』2000
・「乞う」ケースがありました。
蓮しろきおばしま近く師にはべりうすき月夜を歌乞ひまつる
※「師」というのは落合直文かも。与謝野鉄幹『むらさき』
手づくりの葡萄の酒を君に強ひ都の歌を乞ひまつるかな
※「君」というのは与謝野晶子かも。山川登美子『恋衣』(合同歌集)
「乞われて」じゃなくて、お礼ってどうでしょ。
ご馳走のお礼に歌う 胃のなかの海老とわたしのほのおをうたう
雪舟えま『たんぽるぽる』2011
むむ、この「歌う」は短歌じゃなくてsongなのか?
短歌詠だと思いこんでいて、今はじめてsongのほうかと気づきましたが、ご参考までに掲出します。
★これは俳人ドリームじゃないかしら。
どかと解く夏帯に句を書けとこそ 高浜虚子
★ドリームじゃない場合も
以下は作歌ライフのコーナーに取り上げた歌ですが、この「詠め」はドリームではないですね。
だから おまへも 戦争を詠め と云ふ声に吾はあやふく頷きかけて
光森裕樹『鈴を産むひばり』2010
現実を詠めと言はれて「老いを詠むな」まことに難し老いのうたびと
川合千鶴子「短歌」2011 年4月
おまけ
乞われて詠むシチュエーション その2
★場の求めに応じる
古代では歌の才は役に立つものであり、場の求めに応じて歌が詠まれることがあったようです。次の歌は、安全祈願的な歌がその場に必要だから、額田王が歌人の役割として詠んだものらしい。
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
ルビ:熟田津(にきたつ) 潮(しほ)(熟田津に船出しようと月を待っていると潮の流れも良くなった。さあ今こそ漕ぎ出でよう。白村江の戦いの時代。皇族も乗船して出港する船の安全を祈願しての呪術歌。別の人の作という説もあるが。 )額田王『万葉集』巻1
★狂歌師の縁起直し
江戸時代は日常的に縁起のようなものを気にしていたらしく、掛詞が得意な狂歌師は、不祥事の縁起直しの歌を乞われることがあったそうです。
●名高い狂歌作者の一人である雄長老が、知人の親(惣吉さんという名)が火事にあったと聞いて詠んだ歌。
御親父の貧乏の神やき払い惣吉事にやならんとすらん
(親父さんの貧乏神を焼き払われ、その名のとおりすべて吉事になっていくだろう。)雄長老
「惣吉」の名前を「すべて吉事」と詠み変え、まさに災いを掛詞で転じて福となすような一首です。
●蜀山人が、「有卦」に入る人の「七ふの祝い」※のために作ったと伝えられる歌。
※当時は「有卦」といって、吉運が七年続く時期があると信じられていて、そのはじまりには、「ふ」のつくものを集めるなどして「七ふの祝い」をしたそうです。
有卦に入る数は七年何事も笑ふてくらせふふふふふふふ
蜀山人
★強要されて詠んだ
どこで読んだ話か忘れてしまいましたが、これは蜀山人が上方への旅の途中のこと。
入相のころに駕籠の火が消えてしまったそうです。下僕が近くの家へ火をもらいに行くと、
「名高い狂歌の先生なら、火を乞うにも狂歌でやってくれなければ」
と言われてしまった。そこで詠んだのがこの歌。
入相にかねの火入れをつき出せばいづくの里もひはくるるなり
(お寺が鐘を突きだす頃はどこの里も日が暮れる。夕暮れに火を貰おうとしてかねの火入れを出せば、どこの里だって火をくれるものさ)蜀山人
鐘と金属の火入れ、鐘を撞くのと火入れを突き出す、日暮れと火をくれるのを掛けた、言葉の手品のようなみごとな狂歌。そのうえ、困っているときに歌を詠めといういじわるを、ちょっとたしなめてもいますね。
ところで
「歌人」のステレオタイプ
あるある
「歌人」のステレオタイプ
あるある
柿本人麻呂さん
★外見は和服の年配者?
一般の人がイメージする短歌・俳句といえば和服の年配者、っていうステレオタイプ。
余計なことだけど、プレバトの夏木先生は和服でしかもなんだか〝老け作り〟ですよね。
★歌人と俳人を混同してないかな??
「短歌 イラスト」でネット検索すると、なぜか、「和服で羽織やちゃんちゃんこ、変な帽子(利休帽)をかぶって筆と短冊を手にしたおじいさん」が……。
もしかしてあなた俳人の芭蕉さんではないですか?
ま、世間一般では短歌と俳句は混同されていますからしょーがないか。
和歌を代表するような昔の歌人なら柿本人麻呂さんがふさわしい。
その場合、烏帽子とか狩衣とか、古代の服装じゃなきゃいけないんだけど。
★性格はしみじみマジメ?
「歌人といえば、しみじみ詠嘆タイプのマジメ人間、ときどき文語でしゃべりそう」
=悪人ではないがめんどくさい人、みたいなイメージが世間一般にはありそうです。
現実の歌人は千差万別です。念のため。
よく見かける歌人イラストは、なぜかこういうお爺さん
利休帽に着物?
…もしやあなた
松尾芭蕉さんでは?
※もし柿本人麻呂なら烏帽子で狩衣みたいな服のはず。
あらま、自分も詠んでいた
うそだろー!という感じですが、自分の〝うたびと詠〟を発見……。いつのまにか詠んでいました。
偶蹄にぐるり囲まれ愚詠する群青の夜 寓意ぐしょぬれ
カラスらの空咳数えて枯れ野行き悲しい歌人片眉なくす
高柳蕗子『あたしごっこ』(あいうえおごっこ)
いかにも歌人のステレオタイプだなあ。