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短歌について詠めば短歌詠
短歌詠コレクションⅢ
〝うたびと詠〟
〝うたびとポエジー〟〝うたびとライフ詠〟
掲出歌は順不同。見つけた順に各分類項目に割り振りました。
掲出歌は順不同。見つけた順に各分類項目に割り振りました。
「短歌詠」はざっくり次のように分類できます。
歌人名が入っていない〝歌人詠〟
「歌人」は「うたびと」とも読み、「詩的存在」というイメージが強まります。
〝歌論詠〟〝持論詠〟もここに含めます。
短歌作品を対象として、その姿、雰囲気の描写、鑑賞や評。
(実在する短歌作品に対するものはほとんどなく、ほぼ架空の作品が対象。)
職業のようなものを表す語にはそれぞれに何らかの詩的イメージがあります。
「歌人」にも特有のイメージがあります(歌人のスレレオタイプについては下の方に書きました。)が、「歌人」を「かじん」でなく「うたびと」と読むとき、詩的存在というイメージが強まります。
歌人一般を詠む歌と特定の歌人を詠む歌とがあります。後者は次章にまとめます。※
この章には歌人名を詠み込んでいない歌を集めましたが、特定の歌人を詠んだ連作のなかの一首である可能性もあります。私のデータベースは原則として1首ごとの管理で、たとえば特定の歌人を追悼する連作のようなものもばらばらになってしまうからです。
〝うたびと詠〟は前章の〝作歌ライフ詠〟とひと味ちがうものです。
「歌人」という語にはやや抒情性があり、「うたびと」と読むともっと抒情性が強まります。「うたびと」には少し聖(ひじり)っぽささえ漂うことがあります。
〝うたびと詠〟の作中の歌人は、詩情を強く帯びていて、詩的存在へと昇格しています。
それは、歌人一般のイメージを増幅したものだったり、作者自身の歌人意識を増幅したものだったりすると思いますが、線引できません。
〝うたびと詠〟にはいろいろな要素がありますが、私は特に下記の要素に注目しました。
〝うたびと詠〟のなかでも、「うたびと」という言葉を詩的アイテムとして、詩情を生かして使っていると思われるケース。
〝うたびと詠〟のなかでも、特に、詩的存在としての歌人の生活詠。
〝作歌ライフ詠〟との線引はあいまいですが、歌人が自分を「かじん」からもう一歩踏み込んで「うたびと」と感じている場合、作中の〝歌人・うたびと〟(詩的存在・詩的聖:ヒジリ)に作者自身が重なりあうような、少し常人を超越したような趣の歌を詠むことがあり、そういう趣の歌をここでは〝うたびとライフ詠〟という感じになります。
この作者は〝うたびと詠〟その他、短歌に関する歌がたくさんあり、本稿のあちこちにとりあげました。〝歌レポ詠〟のところには特に多めに掲出しました。
※歌集がたまたますぐ見つかったので確認したところ、この歌は「鎌倉」という一連にあり、すぐ近くには「方代の思い出などを聞く……」という歌がありますので、山崎方代を意識して受け止めたほうが良いのかもしれません。
でも、この歌は、歌人を誰と特定せずに〝うたびとポエジー〟としても読めます。そのような単独の鑑賞にも耐えるように詠まれています。
目鼻のないお銚子が不特定の歌人のようで、その抽象的な体温を感じさせるし、熱燗器も、なんだか卵を孵化させる装置というか、歌人をあたためて活性化させるような雰囲気があって、そのポエジーは山崎方代という一人の歌人に限定しなくてもいいと思います。
★脱線
私のデータベースは、管理の都合上、連作がばらばらになります。1首だけでは作者の意図がわからないことがあるので、なるべく歌集で確認しますが、完全にはできません。
ただ、上記の「この世にはゐない……」のように、連作のストーリーから切り離されてもだいじょうぶであることはよくあります。
いや、むしろ、連作の中では詞書程度の役割でしかなかった歌が、連作から抜け出すことで普遍性や抽象性を獲得して自立することも少なくありませんし、作者も、歌が連作を離れることを織り込み済みで、普遍性を意識して詠むことが多いようです。
作者の意図を離れても、短歌という詩型にはそれを補うパワーが備わっている。「言論の自由」という言葉がありますが、人が発した言論(詩歌も含む)たちは、いつか人から解き放たれて自由になるのを待っていないかな。
歌人の誰もが〝うたびと詠〟を詠むわけではありません。まれに詠むぐらいが普通だと思いますが、特に多く詠む歌人が存在します。
〝うたびと詠〟を多く詠む歌人の作を見ていると、勝手な空想なのですが、出家感覚があるのかもしれないと思えてなりません。
仏教の信徒には在家と出家があり、お坊さんは世俗生活をやめてして仏に仕える「出家」です。
短歌にはお寺がないから歌人はみんな在家ですが、日常世界に居ながら「心は短歌に出家状態」みたいな歌人がいるかもしれません。
第2章で〝作歌ライフ詠〟を集めましたが、出家感覚の強い人が詠むと、〝歌人出家ライフ詠〟--というのもやや妙なので、〝うたびとライフ詠〟ぐらいにしておきます。
そういう歌人の〝うたびとライフ詠〟は、作者個人を超えた普遍性を帯び、「われ」と書いてあってもそれは〝うたびと〟であり、〝うたびと詠〟に含めても良いとも思えてきます。
塚本邦雄は、自ら「歌人である」という誇りを強く持っていて、短歌というもの、歌人というものを、歌に詠む題材として、他の題材以上に強く意識していたとも思います。
短歌に関する歌がたくさんありますが、表現が巧みで語彙も豊富なため、パソコンのテキスト検索では見つけきれません。
ですので確かなことは言えませんが、なんとなく塚本邦雄は短歌詠のなかでも〝うたびと詠〟が特に多い、と感じます。
作歌ライフ詠みたいなものも普遍化されている感じが強い。
歌人生活や心情を詠んでいる歌の割合は、ざっくり言って20首に1首ぐらい※だと思います。
このコーナーには〝歌人詠〟と思われる歌をピックアップします。
なお、塚本邦雄の歌は他の章にも多く掲出しており、一部重複します。
※「ざっくり言って20首に1首ぐらい」とは
私のデータベースに収録してある塚本邦雄の歌は1500首程度でしかなく、統計としてあまり確かなことは言えません。
抽出方法:その1500首から「歌」「うた」等の短歌関連文字を含む歌を抽出してから、内容を見て、まずは「うたがう」など無関係なケースを除外。次に「歌」の種類によって除外した(歌手・唱歌・軍歌等を除外、ただし「詩歌」は含めた)結果、80首ほどになりました。
検索文字(「歌」などの文字)を含まない歌人詠もあるはずですが、今回の方法では抽出できません。
なお、私のデータベースは、全歌収録というわけではありません。多くは読者が選んだ歌です。(データ収集についてはトップページをご覧ください。)
「ざっくり言って20首に1首ぐらいが歌人詠」というのは、読者が選んだ歌の傾向も反映しており、作者が発表した歌の傾向そのままではない可能性もあります。
もっともっと拾いたいけれど、このへんでおしまい。
完璧なコレクションではなく、「もっと良い例がいくらでもあるだろうに」と不満に思う人も少なくないと思われます。
藤原龍一郎にも〝うたびと詠〟が実にたくさんあります。
(藤原月彦の名で知られた俳人でもありますが、ここでは俳句には触れません。)
詩歌の言葉によって時代と向き合う歌がたくさんあり、そのように詩歌に携わることを役割として強く意識している歌人だと思います。
そういう意識は他の多くの歌人も持っていると思いますが、藤原の歌に出てくる歌人は特に抒情性たっぷりで、いかにも「うたびと」のたたずまいだと思います。
これは私の感想ですが、藤原の作中歌人は、立ち居振る舞いすべてが詩的行為です。
それは塚本邦雄の〝うたびと詠〟も同じなのですが、藤原の作中歌人は、詩的存在としての「うたびと」感が少し強いような気がしています。
この雰囲気は、スナフキン。※
ムーミンに出てくるキャラで旅する詩人。むかし私が見ていた頃のスナフキンはギターの弾き語りで「おさびし山の歌」を歌っていました。
後年、ギターをハモニカに持ち替えてしまい、しんそこがっかりした。
藤原隆一郎の歌はデータベースには約650首収録してあります。
650首は少なすぎるし、全く入力していない歌集もあるのですが、そのなかで「歌」「うた」(短歌・詩歌を意味する)を含むのは40首ぐらいあります。これは高率!
私のデータベースの収録歌は、歌集まるごとでなく読者選んだ歌が多いということには留意すべきでしょう。
以下に掲載する歌はその不完全データから抽出したものなので、「もっと良い歌がある」とご不満に思うかたがたくさんあると思います。
なお、他の章に掲出した歌と一部重複します。
「家庭内歌人」は造語だろうと私は解釈します。
心はいつも〝うたびと〟という感じ。
子どもが出たあとの湯にちらばる玩具のアヒルを拾い集めて並べる。
――そんな日常的な行為を、散らばった言葉をあつめて五七五七七と整列させる歌人の思考と重ねているような感じ。
これも〝作歌ライフ詠〟というと軽すぎる。〝うたびとライフ詠〟っていう感じ。
趣味で親しむ域ではありません。
普通に、歌人としての自覚と誇りと読めばいいんですが、その誇りには少し悲壮感があります。その悲壮感を増幅すると、こういう物語になるのではないかしら。
「それは歌人というものが弾圧される時代である。空港や主要駅にはコロナの検査所と歌人検査所(人麻呂やら茂吉やらの肖像を踏ませる踏み絵)が設置された。歌は詠まないと宣誓書を書いたにもかかわらず、元歌人は歌人狩によってむごたらしく殺され続けた。
歌人たちは地下にもぐった。地下壕で歌を詠み、日本語を護るべく、日夜詠唱を続けている。この歌はそんな地下生活のなか、マンホールの蓋をずらしていっとき空を仰いだときの気持ちを詠んだものである。」
なーんて。
はいはい、深読みでしたね。
では、以下、コメントなしで拾います。
パソコンでの検索では見つけにくいのですが、「歌」という語を含まない歌にも〝うたびとライフ詠〟と思われる例が多数あるようです。たとえばこのような。
名残惜しいけれど次にいきます。
ここはまだ集めきれていません。随時追加します。
昔は職業歌人が存在しており、祝い事・縁起直し・雨乞いの歌の依頼など、乞われて歌を詠むことが今より多かったと思われます。当意即妙の歌が功を奏したというような逸話が、和歌の手柄・歌人の手柄みたいに伝えられています。
現在では、短歌に実用性・実効性を求めないので、そういう手柄話は聞かなくなり、「乞われて詠む」というシチュエーションも激減したと思います。
もはや「乞われて詠む」というシチュエーションは〝うたびとドリーム〟なんじゃないかな、と思えて、探してみました。
・「乞われる」はありそうだと思って探してみたら少ないようです。
・「乞う」ケースがありました。
「乞われて」じゃなくて、お礼ってどうでしょ。
むむ、この「歌う」は短歌じゃなくてsongなのか?
短歌詠だと思いこんでいて、今はじめてsongのほうかと気づきましたが、ご参考までに掲出します。
★これは俳人ドリームじゃないかしら。
どかと解く夏帯に句を書けとこそ 高浜虚子
以下は作歌ライフのコーナーに取り上げた歌ですが、この「詠め」はドリームではないですね。
古代では歌の才は役に立つものであり、場の求めに応じて歌が詠まれることがあったようです。次の歌は、安全祈願的な歌がその場に必要だから、額田王が歌人の役割として詠んだものらしい。
江戸時代は日常的に縁起のようなものを気にしていたらしく、掛詞が得意な狂歌師は、不祥事の縁起直しの歌を乞われることがあったそうです。
●名高い狂歌作者の一人である雄長老が、知人の親(惣吉さんという名)が火事にあったと聞いて詠んだ歌。
「惣吉」の名前を「すべて吉事」と詠み変え、まさに災いを掛詞で転じて福となすような一首です。
●蜀山人が、「有卦」に入る人の「七ふの祝い」※のために作ったと伝えられる歌。
※当時は「有卦」といって、吉運が七年続く時期があると信じられていて、そのはじまりには、「ふ」のつくものを集めるなどして「七ふの祝い」をしたそうです。
どこで読んだ話か忘れてしまいましたが、これは蜀山人が上方への旅の途中のこと。
入相のころに駕籠の火が消えてしまったそうです。下僕が近くの家へ火をもらいに行くと、
「名高い狂歌の先生なら、火を乞うにも狂歌でやってくれなければ」
と言われてしまった。そこで詠んだのがこの歌。
鐘と金属の火入れ、鐘を撞くのと火入れを突き出す、日暮れと火をくれるのを掛けた、言葉の手品のようなみごとな狂歌。そのうえ、困っているときに歌を詠めといういじわるを、ちょっとたしなめてもいますね。
柿本人麻呂さん
一般の人がイメージする短歌・俳句といえば和服の年配者、っていうステレオタイプ。
余計なことだけど、プレバトの夏木先生は和服でしかもなんだか〝老け作り〟ですよね。
★歌人と俳人を混同してないかな??
「短歌 イラスト」でネット検索すると、なぜか、「和服で羽織やちゃんちゃんこ、変な帽子(利休帽)をかぶって筆と短冊を手にしたおじいさん」が……。
もしかしてあなた俳人の芭蕉さんではないですか?
ま、世間一般では短歌と俳句は混同されていますからしょーがないか。
和歌を代表するような昔の歌人なら柿本人麻呂さんがふさわしい。
その場合、烏帽子とか狩衣とか、古代の服装じゃなきゃいけないんだけど。
★性格はしみじみマジメ?
「歌人といえば、しみじみ詠嘆タイプのマジメ人間、ときどき文語でしゃべりそう」
=悪人ではないがめんどくさい人、みたいなイメージが世間一般にはありそうです。
現実の歌人は千差万別です。念のため。
よく見かける歌人イラストは、なぜかこういうお爺さん
利休帽に着物?
…もしやあなた
松尾芭蕉さんでは?
※もし柿本人麻呂なら烏帽子で狩衣みたいな服のはず。
うそだろー!という感じですが、自分の〝うたびと詠〟を発見……。いつのまにか詠んでいました。
偶蹄にぐるり囲まれ愚詠する群青の夜 寓意ぐしょぬれ
カラスらの空咳数えて枯れ野行き悲しい歌人片眉なくす
高柳蕗子『あたしごっこ』(あいうえおごっこ)
いかにも歌人のステレオタイプだなあ。