ふかふか、もふもふ、ふわふわ、ふさふさ、もこもこ
例えばネコちゃんの毛の手触りのようなものを、私たちはこんなふうに微妙に言い分けていますが、違いは説明しにくいですね。
にやにやとにかにか
説明できないけれど、俳優さんならちゃんと演じ分けてみせるでしょうね。
日本語の語感を共有する人ならば、オノマトペだけで微妙なことを伝え得る。子どもでもかなり理解できちゃう。
便利でしょ。まいったか、外国語さんたち。
目次
近代短歌の意欲的オノマトペ
ながっ!
連打連打連打
お、手作りですね
それをオノマトペにしちゃいますか!
経文・呪文・それに似たもの
そう聞こえますか 鳴き声・物音
そのほか印象的なオノマトペ
オノマトペじゃなくても
-- 私たちはいつも語感を味わっている
・オノマトペというと、擬音語、擬態語。 具体的な音を表す擬音語も鳥の声、物音もときどきありますが、多いのは、雰囲気などをあらわす「しんしん」「きらきら」等2音✕2の擬態語。
・しかし、短歌で使うオノマトペには、独自に手作りしたものがあって、これがなかなか魅力的。
また、オノマトペかどうか微妙な境界域ですが、呪文や経文の断片や、長いセリフが呪文化したようなものもおもしろい。
普通の単語もひらがなでリフレインしてしてオノマトペ的に使うなど、楽しい工夫もいっぱいあります。
・オノマトペはテキスト検索では見つけにくいため、目視で見つけやすい6音以上のオノマトペを対象とし、よりすぐってご紹介します。
※音数カウントについて
音数は文字数ではない 例:「しゅわしゅわ」は6文字だが4音とカウント。
分かれていたら合計 例:「ぱんぱか走りぱーんと跳ねる」は合計で7音)
※厳密に整理していません。同じ歌が重複して出てきたり(あるいは重複してもいいと思えるときに重複していなかったり)します。
近代短歌の幕開け期、かなり思い切ったオノマトペが使われています。
こういうものが頼もしい土台となり、現在も多様なオノマトペが短歌に詠み込まれているのだと思います。
梟はいまか眼玉を開くらむごろすけほうほうごろすけほうほう
ルビ:眼玉【めだま】
北原白秋『桐の花』1913
鳥の声はオノマトペの定番。古典和歌にも古今集まではオノマトペが使われていて、鳥や虫の声の声を人の言葉に〝聞きなし〟をした(キリギリス「つづりさせ」、うぐいす「ひとくひとく (人が来る)」など)例がありました。
きりはたりはたりちやうちゃう血の色の棺衣織るとか悲しき機よ
ルビ:棺衣【かけぎ】機【はた】
北原白秋 『桐の花』1913
※「きりはたりちょう」は機織りの擬音として知られています。
しろがねの瓶よりたらら、ら、ら、ら、ら、と円く静かに流るるPIANO
与謝野鉄幹『相聞』
それまでのオノマトペには〝聞きなし〟が多かったけれど、このように自分の耳で聞いて、その印象をそのまま表現する自作オノマトペは当時すごく新しかったのでは?。
たんたらたらたんたらたらと
雨滴が
痛むあたまにひびくかなしさ
ルビ:雨滴【あまだれ】
石川啄木『一握の砂』
野分せし野寺の芭蕉ばらばらにばらばらに裂けて露もたまらず
正岡子規(出典調査中)
長いオノマトペを含む短歌はすごく目に付きます。
20音以上のオノマトペを含む歌を拾い、そのなかから少し紹介します。
(31音全部オノマトペという歌もありましたが、連作の中の歌なのか、1首では意味不明なので、ここには入れませんでした。)
24音
びびびぶぶずずずぐぐぐずだだだびぶぜぜぜどどどど虹がないてる
神﨑ハルミ(伊波虎英) 私家版『観覧車日和』作者HPより
最初「虻」かと思いました。花粉症の虹か?
まったく風情のない音ですが、「○○が泣いている」といえばスパイダーズのヒット曲「風が泣いているゴーゴーゴー」など、自然現象が物音をたてて泣く、という点ではあまり抵抗がなかったです。
22音
夜となりぬのうまくさんまんだばさらだせんだまかろしやだとわが父の泣く声のきこゆる
北原白秋『桐の花』1913
(経文らしいですが、歌のなかでは内容より音韻的迫力の効果がメインだと思うのでオノマトペとして扱いました。)
叱つ叱つしゆつしゆつしゆわはらむまでしゆははろむ失語の人よしゆはひるなゆめ
岡井隆 『神の仕事場』
20音
じゆつぷじゆつぷにゆるつぷるつぷ実りなきじゆるつぷるつぷ集中!
ルビ;集中【コンセントレーション】
山田富士郎『羚羊譚』2000
さらさらさらさらさらさらさらさらさらさら牛が粉ミルクになってゆく
穂村弘『水中翼船炎上中』2018
朝ぞらにりりんがりりんが雪が降るりりんがりりんが蓋しりりんが
依田仁美『異端陣』2005
男前ばっか集めてうふふふふうふふふふうふふふふうふふふふ
谷じゃこ「うたつかい」(時期調査中)
連打系のオノマトペ
連打はオノマトペのスタイルの一つで、いちばん見つけやすい形です。
●ひとつの音を連打
ひら仮名は凄まじきかなはははははははははははは母死んだ
仙波龍英『路地裏の花屋』1992
眠くなつたきみを抱きしめ耳もとでぼくはシシシシシシシシシシシ
西田政史『ストロベリー・カレンダー』
同じ歌集に
そしていまミミミミミミミミミミミが彼女の夢にこだましてゐる
「ああああいいいうううあ間違へたししししてしててててるるてる」
という歌もあります。
ぬ ぬぬぬ ぬぬぬぬぬぬぬ 蜚蠊は少しためらひ過りゆきたり
ルビ:蜚蠊【ごきぶり】 過【よぎ】
宮原望子『これやこの』1996
「ぬぬぬぬぬ」は虫の姿(触覚がある)と、ぞろぞろ出てくる感じを現していますね。
ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽと生活すポポポポニアの王侯われは
荻原裕幸『あるまじろん』1992
関連歌(『あるまじろん』より)
ぽぽぽぽぽぽと生きぽぽと人が死ぬ街がだんだんポポポポニアに
恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず
●2音3音の連打
さやさやさやさあやさやさやげにさやと竹林はひとりの少女を匿す
永井陽子『モーツァルトの電話帳』1993
するするりするりするすみするすらり陸から海へおりてゆく黒
ルビ:陸【ろく】
小池純代(出典調査中)
よく読むと途中に「摺る墨」という語がまじっていますが、ここまで連打してしまえば、ひとまとまりのオノマトペとして、墨をする動作と墨が流れ出していく雰囲気を表し得るようです。
きらきらときらきらと降る さらさらとさらさらと散る 葉のあたたかさ
三枝浩樹『歩行者』2000
おしよせて来しかなしみはざくざくざんざくざくざんとキャベツを切りぬ
小島ゆかり(出典調査中)
瞑想するぞ。瞑想するぞ。瞑想するぞ。
情報の症候群にかこまれてしょしょしょしょしょしょしょ朝のはらから
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998
どどどどどココガ戦場?どどどどど抗議シテヤルどどどどどボム!
荻原裕幸『あるまじろん』 (2022・10・1追記)
▼▼▼街▼▼▼街▼▼▼▼▼街?▼▼▼▼▼▼▼街!▼▼▼BOMB!
▼▼▼▼▼最後ニ何カ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!
荻原裕幸『あるまじろん』 (2022・10・1追記)
風がひゅうひゅう、ネコがにゃあにゃあ等の定番のオノマトペがありますが、それで飽き足らないときは、自作してしまえ!
疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ
葛原妙子『朱霊』1970
いづこより凍れる雷のラムララム だむだむララム ラムララムラム
ルビ:雷【らい】
岡井隆『天河庭園集』
れれ ろろろ れれ ろろろ 魂なんか鳩にくれちゃえ れれ ろろろ
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998
「れれ ろろろ」は鳩の声というか、人の頭が共鳴しているような感じ?
にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった
加藤治郎『ハレアカラ』
鬯鬯鬯鬯と不思議なものを街路にて感じつづけてゐる春である
荻原裕幸『あるまじろん』1992
「鬯」の音読みは「ちょう」だが、そう読まずに、音なしで、雰囲気や気配だけ味わう究極の擬態語、かな?
はろほろ、ふ。はるばろろろふ。散りながら空気を磨くように桜は
田村穂隆『湖とファルセット』
びびびぶぶずずずぐぐぐずだだだびぶぜぜぜどどどど虹がないてる
神﨑ハルミ(伊波虎英) 『観覧車日和』作者HPより
たんぶりんぐらんぶりんぐ 歩道橋わたればそこが未来でしょうか
村上きわみ「WE ARE!」第2号2001
朝ぞらにりりんがりりんが雪が降るりりんがりりんが蓋しりりんが
依田仁美『異端陣』2005
歌おうよぴっとんへべへべ春の道るってんしゃらんか土踏みしめて
俵万智『プーさんの鼻』
※ぴっとんへべへべ るってんしゃんらか
:NHKの「にほんごであそぼ」で放送された「ぴっとんへべへべ」(作詞・作曲 おおたか静流)という歌に出てくるフレーズ。この歌はほぼ全部が独自に作られた呪文のようです。
母亡くて石臼ひくくうたひをり、とうほろ、ほほう、とうほろ、ほいや
ルビ:石臼【いしうす】
高野公彦『水行』
春空がぷうんぷうんと鳴る日なり子の人生も進みゆくなり
小島ゆかり『憂春』2005
オノマトペではない既存の言葉をオノマトペにしちゃう、という方法もなかなかおもしろい。
歌人にも人気があるようで、例はすごくたくさんあります。
べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊
永井陽子『樟の木のうた』1983
さざなみのデッドラインと言うべきか出社出社執筆執筆出社出社出社
ルビ:デッドライン【最終期限】
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998
みっきみっきみっきみっきみっきまうすさむい介護のひとが頭皮を洗う
加藤治郎『ニュー・エクリプス』
「れいんぼう、おお、れいんぼう」救急車のスピーカーより溢れる叫び
穂村弘「かばん」1996・3
ホームルーム! ホームルーム! とシマウマの鳴き声がする夜の草原
穂村弘『手紙魔まみ
川波は夕日に鱗たたせつつ「ありんす。ありんす」と沈みし女
梅内美華子『エクウス』
「 」があるからセリフだと思うけれども、様子やものごしをあらわす役割も果たしていると思います。
えらばれたなんておもえばこわいゆめみるじゅらるみんじゅらるみんじゅら
兵庫ユカ『七月の心臓』
ギリシャ悲劇の野外劇場雨となり美男美女美女美女美男たち
長岡裕一郎 「現代短歌大系」
ひとりでに落ちてくる水 れん びん れん びん たぶんひとりでほろんでゆくの
蒼井杏『瀬戸際レモン』2016
イルプリュイ イルプリュイ 雨がふる 雨の赤ん坊がつぶやいている
※IL PLEUT=雨が降る
杉崎恒夫「かばん」2004・6
試験管のアルミの蓋をぶちまけて じゃん・ばるじゃんと洗う週末
永田紅『ぼんやりしているうちに』2007
「夢といううつつがある」と梟の声する ほるへ るいす ぼるへす
佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』2001
カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしやみする秋
石川美南『砂の降る教室』2003
こころこころこころ 私につながれた流量計がしきりに動く
石川美南『裏島』2011
2023・3・12追加
ていねいなクシャミはたぶんいつだってマイケル・ジャクソンのたまごです
杉山モナミ (出典調査中)
「既存語をオノマトペに」は私も試したことがありますが、オノマトペと気づく読者がいなかった(笑)
「白色レグホン」は患者がひどく咳こんだりくしゃみをしたりしているさまのオノマトペのつもりでした。咳くしゃみが鳩時計みたいに胸飛び出すような、〝音だけでなく絵にもなるオノマトペ〟--を意図しましたが、ぜんぜん通じなかった。(笑)「はくしょくれぐほん」などとひらがなにすれば通じたのかも。
呪文経文にはそれ自体の意味や働きがあると思いますが、雰囲気をあらわす擬態語的な働きもしているようです。
●経文呪文
玉やたがよみぢ我行くおほちたらちたらまたらにこがねちりちり
作者不詳『袋草子』
『袋草子』に古代の呪文歌がいくつか書いてあります。これは死者を見たら唱える呪文歌で、下半分は意味不明。呪文のようなものらしい。
夜となりぬのうまくさんまんだばさらだせんだまかろしやだとわが父の泣く声のきこゆる
北原白秋『桐の花』1913
●ひらがなリフレインで呪文っぽく
リフレインを重ねてひらがなで書くと呪文風になります。
一応意味があるからオノマトペとは違うのかもしれないけれど、雰囲気は近い、と思えるので集めておきました。
ちぃーすざぁーすうぃーすあざぁーすと原型の分からぬ朝の挨拶をする
堀合昇平『提案前夜』2013
踏み抜いた夢のうちそと ぼくたちはゐるゐるゐないゐないゐるゐない
秋月祐一『この巻尺ぜんぶ伸ばしてみようよと深夜の路上に連れてかれてく』2020
ふらいぱんふらんすぱんもねとまねすみれあねもねちるちるみちる
長谷川径子『固い麺麭』
さくらさくさくらさくさく仰向けに寝て手を空へ差し出すように
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013
あらうあらうあらうあらいてあらいてもあらいてもまだ、あらう、洗いぬ。
鶴田伊津『夜のボート』
きりんきりんまーぼーどーふいりきりん嫌だ心臓を排泄する花
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』2012
穴が言ふのだつたらしかたあるまいべーたてらべくれるしーべると
平井弘『遣らず』2021
民謡の囃子言葉みたいなもの「ありゃりゃんこりゃりゃん」とかも詠み込まれているかもしれませんが、今のところ見つけていません。
擬音語。物音や鳥や動物の鳴声の口真似、聞きなしなどです。
●鳩の声
あさけよりも息ぐるしくも山鳩のぶふばふうぼぼぐふばふうぼぼ
渡辺松男『雨(ふ)る』2016
山鳩のこゑに似るとふ日本語よほーほろほーほろ愛し日本語
ルビ:愛【かな】
小島ゆかり『ヘブライ暦』1996
土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ
河野裕子『ひるがほ』1975
ツチヤクンクウフクと鳴きし山鳩はこぞのこと今はこゑ遠し
土屋文明『山下水』1948
ろうすくう、ろうすくうると啼きながら飛び立つ鳩の群れに混じりぬ
中沢直人『極圏の光』
●ふくろうの声
梟はいまか眼玉を開くらむごろすけほうほうごろすけほうほう
ルビ:眼玉【めだま】
北原白秋『桐の花』1913
「夢といううつつがある」と梟の声する ほるへ るいす ぼるへす
佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』2001
●犬の声
わわんとかわうやわをんと吠えわけて犬の気分もさまざまに春
荻原裕幸『永遠よりも少し短い日常』2022 (2022・10・01追記)
ぐすたふぐすたふと咳をしてゐし老犬の面影に柿冷ゆるふるさと
鈴木加成太『うすがみの銀河』2022 (2023・3・21追記)
●機織りの音
きりはたりはたりちやうちゃう血の色の棺衣織るとか悲しき機よ
ルビ:棺衣【かけぎ】機【はた】
北原白秋『桐の花』1913
●雨音
ショパン命日十月十七日雨降れりぱらぽろろろんしとしとろろん
宮英子『やがての秋』
●水音
秋の水しょろしょろんしょろしょろん私は何もできないのです
加藤治郎『しんきろう』2012
●風の音
繊月にママ盗まれた路地裏をしりーんしゃれーんと風ふきぬける
東直子『春原さんのリコーダー』1996
●足音
ぺたぺたぺたカツカツカツと並ぶ音 あぁ女子力の差というやつか
千原こはぎ『ちるとしふと』
●いろいろな音
下じきをくにゃりくにゃりと鳴らしつつ前世の記憶よみがえる夜
小島なお『乱反射』
積み石のごとき書類の極 よりだんだんだんだんだんと空調
ルビ:極 【はたて】
堀合昇平『提案前夜』2013
海沿いを行く程訛り強くなるじゃんだらりんは土鈴の響き
天道なお『NR』2013
どの音がいつかのあなたをしあはせにしますか ぽん ぽこ ぽん の ぽん
光森裕樹『うづまき管だより』2012
シャボン玉ホリデーのごと牛が鳴きハラホロヒレハレと来る終末か
藤原龍一郎『夢みる頃を過ぎても』
良きことのあるとぞ鳩ら向きかふるわつしよわつしよと桃色の足
米川千嘉子『一葉の井戸』
鳩の足赤いまばらな人影のなかをひたひたひたひたあかい
本田瑞穂『すばらしい日々』
死ののちもこの家族なり春彼岸ぱんぱかぱーんと弁当ひらく
小島ゆかり『憂春』2005
月ひと夜ふた夜満ちつつ厨房にむりッむりッとたまねぎ芽吹く
小島ゆかり『希望』1999
肋骨のケージで飼っている月が膨らんでゆく しゅはり、しゅはりと
杉谷麻衣『青を泳ぐ。』2016
悦楽のざっざ・ざざんざ金色の霰身を打つざっざ・ざざんざ
ルビ;金色【こんじき】
岡部桂一郎『木星』1969
さみしさは(ぽん、ぽ、ぽぽぽん)ランダムに押すスタンプのようであり(ぽん)
天道なお『NR』2013
六月の空は巨大な銀ボウルきろりきろりと胎児が浮かぶ
小島なお『展開図』
蓮根をななめに切ればどんどこどん父母妻子みんなでてこい
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998
一碗にはいく粒の飯があるのだらうつぶりつぶりと噛みながら泣く
河野裕子『家』
バキュームカーと家族をつなぐゴムホースどつくんどつくん脈打ちてをり
時田則雄『石の歳月』
鶏ねむる村の東西南北にぼあーんぼあーんと桃の花見ゆ
小中英之『翼鏡』
パンパカパンは何が開いているんだろう、パカのときに。 朝ちょっとだけ泣く
橋爪志保『地上絵』
捨てられてわおんわおんと海底に泡吐く木魚夢に見しかな
永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』
オマケ 5音以下
5音以下のオノマトペを含む歌はものすごく多くて選べないため、今回対象外でしたが、たまたま目について印象に残った歌がありましたので、置いておきます。
尖端パッ恐怖症の <パッ> 神様へ <パッ> 向けてみんなで <パッ> さすアンブレラ <パッ>
神埼ハルミ『観覧車日和』作者HPより
しゅるしゅると海の響きが透けている刺身のイカの足のひとたば
井辻朱美『クラウド』2014
星いくつ潰えてゆくのか人形のオルゴールのねじをじゅりじゅりと巻く
井辻朱美『水晶散歩』2001
おぼおぼと梅に光は差しいたり私鉄沿線 誰からもひとり
永田和宏『後の日々』
あをぞらがぞろぞろ身体に入り来てそら見ろ家中あをぞらだらけ
ルビ:家中【いへぢゆう】
河野裕子『母系』2008
天の川って義憤に似てるひかりの波しゅるるる消えるまで抱きしめる
杉山モナミ「かばん」201908
ひとり来て曲げれば秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー
染野太朗『人魚』
メモリーを消せば九九九九九と笑ふカシオ電卓と夜中のわたし
田川みちこ『記憶端子』
なにか撃たれやしなかつたかぽぽぽぽと鰯雲その集まるあたり
平井弘『振りまはした花のやうに』
印刷機がゾッウッゾッと出してゆく空に根を張るごとき梅の木
藪内亮輔 2011受賞作「海蛇と珊瑚」より
のんのんとわたしのなかに蠢いている大阪よ木津川安治川
江戸雪『昼の夢の終わり』
2022・9・16
必要が生じた場合、随時補足追記いたします。
2022・9・17追記
上にとりあげた短歌ははっきりオノマトペだとわかる使い方をしています。
でも、オノマトペじゃなくてもオノマトペ的に味わう面があり、言葉が好きな人はたいていその楽しみを知っていると思います。
それが日本語の特徴だろうと思いますが、外国語でも言語によって濃淡はあれそういう面があるでしょうね。
たとえば「育む(はぐくむ)」という言葉、同じ文字で「育てる(そだてる)」という言葉もあり、意味もほぼおんなじだと思います。
でも、「はぐくむ」のほうは、語感から特に、左のような絵が思い浮かびそうになりませんか?
小さな若芽を両手でそっと護りながら見守ってあげている
え?「育てる」でも同じ絵が思い浮かぶ? まあそうですね。
「育」という文字そのものが、バネ感のある身体、みたいで、いかにも育つ形をしている気がします。(そもそもが女性が子を産む形に由来する象形文字でもありますが。)
ではもうひとつ、
その若芽が健やかに育つ動きや手応え
これはどうでしょう?「そだてる」よりも「はぐくむ」のほうで強まりませんか?
それはもしや、「はぐくむ」の「ぐく」のあたりに、〝ぐぐっ〟という感じが漂っているからでは?
しかし、このようにハッキリ意識してしまうと、「いやそこまでは感じない」「『ぐく』であって『ぐぐ』とは言ってない」などと思い返します。
語感というのは、意識化すると疑わしくなってしまうぐらいにうんと淡い示唆であり、表面化しないままでそれとなく伝わります。
「はぐくむ」の「ぐく」の部分は、〝ぐぐっ〟と育つ動きや手応えをそれとなく思い浮かばせそうになるだけなのであり、でも語感としてはそれで十分に効果があるのです。
語感というのは単独でなくて、似ている語に共通したり、互いに影響し合ったり、ということもあるかと思います。
「はぐくむ」に似た語というと、「はばたく」「ふたたび」「あたたかい」「アララギ」など。
次の特徴が考えられます
・はじまりが「 _―― 」と、すくい上げるタイプのアクセント
・2・3音目が同じ音(濁点の有無は許容)
こういう特徴のある語はなんとなく好感度が高くないですか? なんとなく親しみやすい。発語しやすい。
そして、同音を重ねる部分からかすかにはばたくような躍動感が生じる
「したたか」というふうに悪い意味を持つものもあるから、「良い」ことを表すとは限りませんが、「したたか」も、躍動感のある狡猾さを感じさせます。
誰でもみんな、とは言いませんが、日々の言語生活では、意味意見などを伝えるだけでなく、ついでにこういう語感を味わったり、意味意見をより効果的に使うためにふさわしい語感の言葉をえらんだり、している人は少なくない、と思います。