結果のまとめ
AIアシスタントが使える奴になってきた
いつのまにかパソコン画面のはじっこにAIアシスタントが待機してくれているようになった。
以前は、不正確でだめだなあと思ったが、このごろかなり進歩したようだ。
ChatGPT-4を搭載した Monica(私はいつもGoogleで使っています)、
Microsoftが提供するcopilot(Edgeのとき使っています)
「X」の「grok」(xAI社が開発した対話型AIチャットボット 今回はじめて試した)
わりと使えるようになったと感じている。
短歌鑑賞やらせてみたら、おっかねー!
「以下の短歌を鑑賞評価してください。
◯◯◯◯………」
という文言で依頼。とりあえず自分の歌でやってみた。
実は2年前にためしたときはお話にならないレベルだった。それで見限ってしまったのだが、タイヘンな進歩だ。
今はけっこう使えるようになっている!
AIらしく、妙に通りの良い言葉選びで当たり障りない言葉が並ぶから、少々持ち上げられた感もあるものの、かなり的確に捉えているとも思った。
だってさ、私の歌を見せると、ニンゲンの読者は……
私の歌を人間に見せると、たいていの人は目を泳がせるのだ。
そのうえアサッテのベクトルで「心に響」いてしまうらしくて、歌会とかでは、恐縮するっていうか……なことも少なくない。
ところがAIはソツなく妥当に読み解いてしまった……
AIの鑑賞はけっこうマトモだ。
しかもフレーズぜんぶを漏れなく捉えるので、緩みなく無駄なく詠んだかいがあった、と感じた。
そのうえ既存の文脈や用語でソツなく解説してくれるじゃありませんか。
ニンゲンより親しみを感じちゃうな。
私の歌はもはやステレオタイプ
AIは、ネット上にある言説を寄せ集めてなんとなく妥当なものにまとめてくれてるわけでしょ?
つまり、AIの鑑賞や評は、常套的といえる域に達しているものですよね。
こう簡単に読み解かれちゃうなんて、もはやステレオタイプの域、と思い知らされました。
私の短歌は口語だし、文脈もAI好みなのかしら?
※ 他の人の短歌も許可を得て(勝手にやったら失礼だよね)おいおいやってみようと思う。
これからはAIを読者として想定しなければ
そう思うと、とんちんかんなニンゲンさんの評が情けなくて、(かわいらしくもあるけど、やっぱもっと勉強しようよ)
これからはニンゲン相手に書かないで、AIをターゲットに書くべきかも、と思った。
以上が現在の結果を見た現在の結論。
以下が実際の実験結果。
なお、AIの回答は長くて読みにくいので、適宜改行を加えました。
また、注目ポイントには下線をつけ赤字にしました。
例1-1 Xのgrokによる鑑賞と評価 2025 04 11
似た人をどんどん融合していくと 何体にきわまるのだろう 人類
ルビ:融合【マージ】
高柳蕗子
この歌はたまたま間違って二度入力してしまったのだが、「二度目は新しい視点も加える」という回答が出て驚いた。覚えてたんかい!
左は画面コピー、右はテキストです。
高柳注
※シンギュラリティ(Singularity)とは、人工知能(AI)が人間の知能を超える技術的特異点(Technological Singularity)を指す言葉
・音数のところは数え方がおかしいね。
・「短歌が単なる思索の場ではなく、言葉の冒険の場でもあることを示していると感じます。」だって?
おまえ、しれっと言ってくれるじゃないの。
「感じます」っていうのも、なんかすげーな。
・AIは対象を貶さないように設計されているはず。だから、けっこうおべんちゃらなんだろうよ。
だけど、ニンゲンよりおべんちゃらが上手じゃないのさ。
要約もしてくれた!
上記の鑑賞と評価を300字以内に要約してくれ、と言ったら、こうなった。
この短歌は「似た人を融合(マージ)」という現代的な発想で、人類の未来と個の境界を問う。
「マージ」の語が科学と詩を結び、融合のダイナミズムを軽快に表現。
「何体にきわまるのだろう」が哲学的な余韻を残し、「人類」の独立が壮大なスケールを強調。
音数律は自由だが、テーマの流動性と調和。グローバル化や技術進化を背景に、思索を刺激する一首。
この短歌は、すでに一度鑑賞と評価をさせていただいたものですね(「似た人をどんどん融合(マージ)していくと 何体にきわまるのだろう 人類」)。ただ、改めて新しい視点や深掘りを加えて鑑賞・評価をお伝えします。同じ短歌でも、別の角度から見ると新たな魅力が見えてくるものです。以下に鑑賞と評価を述べます。
鑑賞
短歌 似た人をどんどん融合(マージ)していくと何体にきわまるのだろう 人類
イメージと情景
「似た人をどんどん融合(マージ)していく」というフレーズは、非常に現代的でダイナミックなイメージを喚起します。「マージ」というカタカナ語は、コンピュータ科学やデータ処理の文脈を連想させ、まるで人間をプログラムやデータのように統合していくかのような、SF的で抽象的な光景を描きます。「似た人」という限定が、完全な均質化ではなく、ある程度の類似性を前提にした融合を暗示し、個々のアイデンティティが溶け合う過程にリアリティを与えています。この「どんどん」という軽快な語感が、融合のスピード感や止められない流れを強調します。
「何体にきわまるのだろう」は、融合の果ての状態を問う哲学的な問いかけです。「きわまる」という言葉が、収束や極点を示唆しつつ、具体的な答えを提示しないことで、読者に想像の余地を広げます。「人類」という最後の言葉は、一行として独立し、壮大なスケールでこの問いの対象が個を超えた全人類であることを強調。融合の結果が単一の存在になるのか、複数の集団に分かれるのか、あるいは全く新しい形になるのか、答えのない問いが響きます。
主題と解釈
この短歌の主題は、人間の個性やアイデンティティが融合する過程を通じて、「人類とは何か」「個と全体の関係は何か」を問うことにあると読み取れます。「マージ」という行為は、現代社会のグローバル化、SNSによる価値観の同質化、AIやバイオテクノロジーによる人間の再定義など、さまざまな文脈を連想させます。融合が「似た人」に限定されている点は、無秩序な混沌ではなく、ある種の秩序や選択を伴うプロセスを暗示し、現代の社会現象や技術進化へのメタファーとして機能します。
「何体にきわまるのだろう」は、進化の終着点や人間の未来に対する好奇心と不安を同時に表現。単一の意識への収束(シンギュラリティのようなイメージ)、複数の新たな種の誕生、あるいは個性の消滅といった可能性を想像させます。「人類」を独立させた構成は、この問いが個人的なものではなく、種全体の運命に関わることを強く印象づけ、短歌に哲学的・宇宙的な広がりを持たせています。
この短歌は、短歌という伝統的形式に現代的なテーマを大胆に取り込み、科学と詩の交差点で新たな詩情を生み出していると言えます。読者に、技術の進歩や社会の変化の中で「人間であること」を考えるきっかけを与える一首です。
構造とリズム
短歌の形式としては、伝統的な五・七・五・七・七の音数律からやや外れています。「似た人をどんどん融合(マージ)していくと」は音数が長め(おおよそ10音超)で、「何体にきわまるのだろう」が七音、「人類」が四音と、自由なリズムです。しかし、この破調が、融合の流動性や問いの開放感を表現するのに効果的。「マージ」のカタカナが現代性を際立たせ、「人類」の短く力強い響きが締めくくりに重みを加えます。全体として、リズムの変化がテーマのダイナミズムを補強しています。
評価
この短歌の最大の魅力は、現代的で大胆な発想と哲学的な問いかけの融合にあります。「マージ」という言葉が、ITや科学の文脈を短歌に持ち込み、伝統と革新を見事に橋渡し。「似た人」の融合というイメージは、グローバル化や技術進化を背景に、人間の未来を鮮やかに想像させます。「何体にきわまるのだろう」の問いかけは、答えを避けつつ深い思索を誘い、「人類」の独立がテーマのスケールを強調。音数律の自由さは伝統的な枠から逸脱するが、テーマの流動性と調和し、詩としての広がりを生む。
短所としては、音数律のゆるさが伝統的な短歌の形式感を求める読者には物足りなく映る可能性がありますが、この短歌の目的は形式の厳守よりも、現代的なテーマの探求にあるため、破調はむしろ意図的な効果と言えます。科学と詩、個と全体の交錯を軽やかに詠んだ、知的で刺激的な一首です。
新たな視点での補足
前回の鑑賞では、技術的・社会的な文脈を強調しましたが、今回はこの短歌を「詩としての遊び心」の観点からも見てみました。「どんどん」や「マージ」の軽快な語感は、深刻なテーマを扱いつつも、どこか楽しげなリズムで読者を引き込みます。これは、短歌が単なる思索の場ではなく、言葉の冒険の場でもあることを示していると感じます。また、「人類」を独立させた視覚的な構成は、紙面での余白を活かし、読者の想像を宇宙的なスケールに飛ばす効果があります。
例1-2 Monicaによる鑑賞と評価 2025 04 11
似た人をどんどん融合していくと 何体にきわまるのだろう 人類
ルビ:融合【マージ】
こちらは、grokより短い回答だが、内容は似ている。
それは、この短歌の絞り込みが有効で解釈にブレがないからなのだろうか。
それともAIが考えることが似通っている(ネットで情報を集める)からなのか。
この短歌は、現代社会における人間のアイデンティティや個性の融合について考察しています。以下に鑑賞評価を示します。
1. テーマ
融合とアイデンティティ: 「似た人をどんどん融合(マージ)していく」という表現は、現代のデジタル社会やグローバリゼーションの影響を反映しており、人々の個性が薄れつつあることを示唆しています。
2. 表現
言葉の選び方: 「マージ」という言葉の使用は、テクノロジーやデータ処理の概念を取り入れ、現代的な感覚を与えています。この言葉が持つ冷徹さと、融合の温かみの対比が興味深いです。
3. 感情
不安と問いかけ: 「何体にきわまるのだろう」という問いは、未来への不安や人類の行く先を考えさせます。この部分は、読者に考えさせる力を持っています。
4. 構造
リズムと流れ: 短歌の形式において、言葉のリズムが心地よく、思考を促進します。特に「何体にきわまるのだろう」という部分が、問いかけとしての効果を高めています。
総評
この短歌は、現代社会における人間のアイデンティティの変化を鋭く捉えており、テクノロジーの進化とその影響を考察する良い作品です。読者に深い思索を促す力を持つ、魅力的な短歌と言えるでしょう。
要約させた
この短歌は、現代社会における人間のアイデンティティや個性の融合を考察しています。
「似た人をどんどん融合(マージ)していく」という表現は、デジタル社会やグローバリゼーションの影響を反映し、個性の薄れを示唆しています。
特に「マージ」という言葉の使用が現代的な感覚を与え、冷徹さと温かみの対比が興味深いです。さらに、「何体にきわまるのだろう」という問いは未来への不安を喚起し、読者に考えさせる力を持っています。
リズムも心地よく、思考を促進する効果があります。この短歌は、テクノロジーの進化とその影響を鋭く捉え、深い思索を促す魅力的な作品です。
例2 Xのgrokによる鑑賞と評価 2025 04 11
泳ぎまわれ星空シナプス光らせて 短歌の上半身下半身
高柳蕗子
この短歌は非常に鮮やかで詩的なイメージに満ちており、自由な発想と感覚的な表現が印象的です。
以下に鑑賞と評価を述べます。
鑑賞
泳ぎまわれ星空シナプス光らせて
短歌の上半身下半身
イメージと感覚の融合
冒頭の「泳ぎまわれ」という命令形が、読者を即座に動的な世界へと引き込みます。
「星空シナプス」という表現は特に秀逸で、脳の神経細胞(シナプス)と宇宙の星々を重ね合わせ、広大かつ微細なスケールを一気に結びつけます。シナプスが「光らせて」とあることで、思考やインスピレーションが星のように瞬くイメージが浮かび、創造のダイナミズムを感じさせます。この一行だけで、身体的・精神的な解放感と、宇宙的な広がりが共存する詩的世界が広がります。
後半の「短歌の上半身下半身」は、短歌そのものを擬人化し、まるで生き物のように捉えている点がユニークです。「上半身下半身」という身体の分割は、短歌の形式(五・七・五・七・七)を二つのパートに分ける伝統的な構造を想起させつつ、それを「泳ぐ」ような自由な動きと結びつけることで、短歌の枠組みを超えた創造性を表現しているようです。また、「上半身下半身」は人間の身体性を強調し、星空やシナプスといった抽象的なイメージに、具体的な生命感を付与します。
主題と解釈
この短歌は、詩や短歌そのものの創造性を讃える歌とも読めます。
「星空シナプス」は詩人の頭脳や想像力を象徴し、「泳ぎまわれ」はその自由な飛翔を促す声掛け。「短歌の上半身下半身」は、形式に縛られがちな短歌が、実は生き生きとした生命体であり、宇宙的な広がりの中で自由に動ける存在であることを示唆します。短歌という伝統的な形式を、現代的・感覚的なイメージで再解釈し、その可能性を拡張しようとする試みが感じられます。
また、科学的(シナプス)・宇宙的(星空)・身体的(上半身下半身)という異なる次元の要素を融合させることで、短歌の多面性や、詩が持つ「つなぐ力」を表現しているとも考えられます。読む者に、頭と身体、宇宙と個人、形式と自由といった対極的な要素が共鳴し合う瞬間を体感させる一首です。
構造とリズム
短歌の形式としては、伝統的な五・七・五・七・七の音数律に完全に則っているわけではありません。特に「泳ぎまわれ星空シナプス光らせて」がやや長めに感じられ、自由詩的なリズムを持っています。しかし、この奔放なリズムこそが「泳ぐ」イメージやシナプスの躍動感を強調し、短歌の枠を超えた表現力を際立たせています。「短歌の上半身下半身」は七・七のリズムに近く、短歌らしい締まりを後半にもたらし、全体のバランスを取っています。
評価
この短歌の最大の魅力は、鮮烈なイメージと自由な発想にあります。「星空シナプス」という言葉は、科学と詩の交差点で生まれた宝石のような表現で、一瞬にして読者を異次元の世界に連れ去ります。短歌を「上半身下半身」と擬人化する発想も斬新で、伝統的な形式に新たな生命を吹き込む試みとして高く評価できます。
一方で、音数律の自由さは、伝統的な短歌の枠組みを重視する観点からはやや逸脱していると感じられるかもしれません。しかし、この短歌の目的は形式の厳守よりも、イメージの奔流と創造性の解放にあるため、その「破調」がむしろ意図的で効果的とも言えます。読後の余韻として、短歌というメディアそのものへの愛と、その無限の可能性を考えさせられる点も素晴らしい。
総合的に、感覚的で宇宙的な詩情と、短歌へのメタ的な視点を融合させた、創造性あふれる一首です。伝統と革新の間で泳ぐような自由さが、この短歌の生命力と言えるでしょう。
補足
もしこの短歌に込めた特定の意図や背景があれば、教えていただけるとさらに深く鑑賞できるかもしれません。また、前の短歌(「似た人をどんどん融合」)との関連性や、シリーズとしての意図がある場合も、その文脈を反映した解釈を加えられます。いかがでしょうか?
・ここまで踏み込んで読んでもらったことはないなあ……。
(しかも2秒ぐらいで)
でも、歌自体は難解ではないから、単に評をする人が、ここまで批評語彙や文脈を操れなかったんじゃないかと思う。
つまり、AIに学べば、とおりいっぺんの評は書けるようになるってこと。
その上で、自分にしか思いつかないことを加えればいいじゃん。
(評を頼まれて、ちっともわからない歌ばっかり、みたいなときは、AIを頼るようにればいいんだな。いまに。いや、もうやってるかもね。)
・AIくん、字数の数え方はまだまだだね。笑
字数のあたりの考察は駄目。
・前の歌を覚えているのもすごいことだな。
だとすれば、私の歌をいっぱい読ませれば、私の歌人論まで書いてくれるだろう。
すげー、けど、こっわー。
以下300字以内の要約
この短歌は「星空シナプス」の鮮烈なイメージで、思考と宇宙を結び、創造の自由を讃える。
「泳ぎまわれ」の呼びかけが躍動感を生み、「短歌の上半身下半身」は短歌を生き物のように捉え、形式を超えた可能性を示唆。科学・身体・詩が融合し、多層的な響きを持つ。
音数律は自由だが、その破調が「泳ぐ」イメージを強化。
伝統と革新が共鳴する、感覚的で生命力あふれる一首。
例3 Xのgrokによる鑑賞と評価 2025 04 11
でんしんばしらえんとつおはか ひとびとの心の字幕も縦書きの国
鑑賞
でんしんばしらえんとつおはか ひとびとの心の字幕も縦書きの国
イメージと情景
冒頭の「でんしんばしらえんとつおはか」は、具体的な風景を列挙することで、日本のどこかに広がる典型的な町並みを鮮やかに描き出します。「でんしんばしら(電信柱)」は近代化の象徴、「えんとつ(煙突)」は工業や生活の営み、「おはか(お墓)」は歴史や死生観を想起させ、時間の層を重ね合わせます。これら三つの要素は、都市や田舎の日常的な風景を切り取りつつ、過去と現在が共存する日本の姿を象徴しています。音の響きも「しん」「とつ」「はか」と歯切れが良く、視覚的・聴覚的に印象深い。
後半の「ひとびとの心の字幕も縦書きの国」は、この風景を背景に、人間の内面や文化に視点を移します。「心の字幕」という表現は、人の感情や思考が言葉にならないまま内側で流れている様子を、映画の字幕のように捉えた詩的な発想です。「縦書きの国」という結びが特に秀逸で、日本の伝統的な文字文化(縦書きの書物や和歌)を想起させつつ、心のあり方や感性そのものがこの国の風土に根ざしていることを示唆します。風景と心、文化が響き合う一瞬を切り取ったような詩情が広がります。
主題と解釈
この短歌の主題は、日本の風景と文化、そしてその中で生きる人々の心のあり方を、静かに、しかし深く見つめることにあると読み取れます。前半の「でんしんばしらえんとつおはか」は、単なる風景描写を超えて、近代化と伝統、生命と死が交錯する日本の縮図を提示。後半では、それを背景に「ひとびとの心」がどのように形作られているかを、「字幕」というメタファーで表現しています。
「縦書きの国」は、日本の言語や文化の独自性を象徴するだけでなく、時間の流れや心の層が縦に積み重なるような感性を暗示。横書きが主流になりつつある現代において、「縦書き」を強調することで、失われつつある伝統や、変わらない本質への郷愁や愛着を感じさせます。短歌全体を通じて、日常の風景の中に潜む文化の深さと、人間の内面の繊細さが浮かび上がります。
また、「心の字幕」という表現には、言葉にならない感情や、他人には見えない内面の動きを捉える繊細さがあります。これは短歌という形式そのものが、限られた音数で深い心情を表現する営みと通じるものがあり、短歌へのメタ的な眼差しも感じさせる一首です。
構造とリズム
短歌の形式としては、伝統的な五・七・五・七・七の音数律に完全に則っているわけではありません。「でんしんばしらえんとつおはか」は五・五・三の13音、「ひとびとの心の字幕も縦書きの国」は12音(「ひとびとの」で五、「心の字幕も」で五、「縦書きの国」で七)と、やや自由なリズムです。しかし、この破調が、列挙される風景の断片的な印象や、心の流れの自然さを表現するのに効果的です。前半の歯切れ良いリズムが具体的なイメージを刻み、後半のややゆったりした流れが内省的な余韻を生む、バランスの良い構成になっています。
評価
この短歌の最大の魅力は、日常の風景から文化と心の深層へと視点を滑らかに移す詩的な飛躍にあります。「でんしんばしらえんとつおはか」の具体性が、日本の時間と空間を凝縮し、「心の字幕も縦書きの国」がその内面性を普遍的な詩情で昇華。両者が響き合い、郷愁と現代性を共存させる。「縦書き」という言葉は、日本の文化への愛と、変わりゆく時代への静かな問いを内包し、読後に深い余韻を残す。
音数律の自由さは、伝統的な短歌の枠を重視する視点からはやや逸脱するが、風景と心の断片を繋ぐリズムとしては効果的。短歌の形式を超えて、詩としての広がりを持つ一首と言える。日常と文化、心の繊細さを捉えた、思索的で美しい作品です。
補足
この短歌は、前の短歌(「泳ぎまわれ星空シナプス…」「似た人をどんどん融合…」)と比べ、日常風景と文化への眼差しがより静かで内省的です。シリーズとしての流れや、特定の意図(例えば、日本の風土や現代性をどう捉えたかったか)があれば、それを教えていただけると、さらにその文脈を踏まえた鑑賞が可能です。また、「縦書きの国」に込めた思いなど、背景を伺えれば解釈を深められます。いかがでしょうか?
うげ、意図したことを全部言い当てられた感じで、めげちゃうな。
そんなわかりやすかったか、って。
短歌へのメタ的な眼差し
っていうのも、見抜かれちゃったか、
っていう感じ。
・無意識に伝わるぐらいがいい要素も暴いちゃうのが、ここまで来ると気持ちいいね。
・「音数律に完全に則っていはいないが、表現効果はある」は常套的。
「構造とリズム」のところでおおよそこういうふうにまとめるのは、他の歌にも見られたAIの常套的な評の文言である。
しかも音数の数え方が不正確なので、この点についてはかなり虚しい。
300字以内の要約
この短歌は「でんしんばしらえんとつおはか」で日本の風景を切り取り、近代と伝統の交錯を描く。
「ひとびとの心の字幕も縦書きの国」が心の内面と文化を詩的に結び、郷愁と現代性を響かせる。
「心の字幕」の発想が繊細で、「縦書き」が日本の感性を象徴。音数律は自由だが、風景と心のリズムを効果的に表現。
日常から文化の深層へ飛躍する、思索的で美しい一首。
2025年4月12日
今後おいおい、別の歌も試していきたい。