「胸の中に◯◯がある」と詠む短歌がよくあると思いませんか?
ただし、胸の中には実際、肺や心臓、人によってはペースメーカーがあるけれど、「胸の中に肺がある」などとはめったに書きません。
胸中には喜び悲しみなどの感情、おもかげ、思い出みたいなものがありがち。短歌は内省的な傾向があるから、そういうものを「胸の中にある」というふうに詠むことがよくあります。
ただし、そういうのと同じぐらい、「胸にそんなもんあるんかい!」とツッコミたくなるような変わったものが詠み込まれることがしばしば。印象深い歌が多いようです。
用例が実に多く言い回しもさまざまで、データベースで探しにくい面があり、「胸の中」(別表記含む)など探しやすいテキスト検索を中心に集めました。
言い回しのバリエーションが多くて拾いきれず、また線引できないような曖昧な表現もありました。
「心の中にある」など、ほぼ同じ意味の表現もありますが、ここでは「胸」という語を使った歌だけに絞りました。
2021年12月8日作成
以下のように分類しました。
1 大きい人工物
2 大きい自然
3 物品
4 自然物
5 抽象概念・感情など
付・古典和歌の「胸の内」
あまえびの手をむしるとき左胸ふかくでダムの決壊がある
笹井宏之『ひとさらい』2011
君もあなたもみな草を見て秋を見て胸に運動場を宿した
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る 』2013
夕焼けの胸のなかからとりいだしし木造校舎によき鐘が鳴る
渡辺松男『雨(ふ)る』2016
靄なればかき分くる亡きひとの髪 音楽は撫づ胸の鉄路を
鳴海宥(出典調査中)
あかるいと言われるたびに胸にある八百屋に並ぶ枇杷六つ入り
工藤玲音『水中で口笛』
きみに雨、きみが小さな胸底にねむらせるたくさんの路線バス
阿波野巧也(作者ブログのプロフィールより)
この街をやがてちひさく折りたたみ胸に仕舞つてこの街を出る
飯田彩乃『リヴァーサイド』2018
わが胸に残りていたる幼稚園ながれいでたりろうそくの香に
内山晶太『窓、その他』2012
六月のもの思うも憂き雨の日は胸のあたりに古墳が眠る
ルビ:思【も】渡辺松男『寒気氾濫』1997
胸奥の五重塔を揺さぶりて疾駆の辣兎天へ抜けたる
ルビ:胸奥【きょうおう】依田仁美『正十七角形な長城のわたくし』2010
次々と蟹をひらいてゆく指の濡れて匂えり胸の港も
北山あさひ『崖にて』2020
海鳥に神はほほえむいくつもの潜水艇を胸に沈めて
木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』2016
燃ゆる船を胸処のみづに浮かめゐるいちにんに逢ひき花屋の向う
ルビ:胸処【むなど】水原紫苑『くわんおん(観音)』1999
白猫の眼にうつされし灯が揺れて父の胸奥にねむる軍港
ルビ:胸奥【むなど】春日井建『未青年』1960
それぞれの遠い園生を胸に持つ子らと短き小説を読む
ルビ:園生【そのう】俵万智『かぜのてのひら』1991
胸のうち緑繁れる庭ありて寂しさに水を撒いたりもする
小島なお『サリンジャーは死んでしまった』2011
胸に庭もつ人とゆくきんぽうげきらきらひらく天文台を
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』2006
胸内にこたつの部屋あり悴んでしまう夜にはこころを入れる
遠藤由季『鳥語の文法』2017
父よ その胸郭ふかき処にて梁からみ合うくらき家見ゆ
ルビ:処【ところ】/梁【はり】岡井隆『斉唱』1956
歯みがき粉で心臓までみがくあした来る太陽いくつも胸にしまって
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』2012
三日月が胸につまっているからと喘鳴の夜をひとり越えゆく
江戸雪『空白』2020
天体そのものではないけれど、
名の消えし壁面四分儀座の扇きえしゆゑ胸ふかく浮かぶも
渡辺松男『雨(ふ)る』2016
【海】
わが胸のうちにも浪の音聴こゆ暗くさびしき海やあるらむ
吉井勇(出典調査中)
かの國に雨けむる朝、わが胸のふかき死海に浮くあかき百合
塚本邦雄『水葬物語』1951
胸郭に海を沈めた僕たちは息もわすれて群青のなか
入瀬翠「早稲田短歌」44号
2021/12/15追記 胸の中ではないけれど、こういうのも。
みひらきいっぱい海のページを胸に伏せ養子をもらうじぶんが見える
雪舟えま『たんぽるぽる』2011
2021/12/15追記 逆に、「われら」が海に抱かれる
中にあるのでなく海に抱かれているのですが、立場が逆転しているのがおもしろくて。海よ海よ われらをいまも胸に抱き傷なき断面のまことを見せよ
井辻朱美『クラウド』2014
【海以外の水物】
「負けた顔するなよ」土田先生の胸には燃える湖がある
千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』2015
さびしさを歩む間もわが胸にありてひねもす雲を映すみづうみ
横山未来子『金の雨』2012
もぎたてのキュウリそのままかじるとき胸をはしれる一本の川
福士りか『サント・ネージュ』2018
胸底を昏く流れる川があり時をりゆびを浸してあそぶ
飯田彩乃『リヴァーサイド』2018
森重なってなだるる山の夜の胸にのたうちながら抱かれいる川
佐佐木幸綱(出典調査中)
【自然とは限らないけれど「水」】
海とか湖とか限定しないで胸に「水」があると詠む歌群があります。
(胸水のたまる疾病が現実にあるが、そういうことではなくて、歌に詠まれるのはほぼ心象の「水」であるでしょう。
こうした「水」が「自然」といえないかもしれないけれど、「胸に湖がある」などと関連がありそうなので、ここに分類します。
おもむろにひとは髪よりくずおれぬ 水のごときはわが胸のなかに
永田和宏『メビウスの地平』1975
やわらかき胸中を水駈けぬける樹の思想はや黄昏ゆけり
江田浩司(出典調査中)
わが若き胸は白壷さみどりの波たちやすき水たたえつつ
若山牧水『海の声』1908
水を飼うためのうつろのない胸はつめたい水をそれでも欲しい
山階基「風にあたる拾遺2017-2019」
【森】
水物以外の自然では森が複数詠まれています。
わが胸に邪悪の森あり/ 時折りに/啄木鳥の来てたゝきやまずも
夢野久作『猟奇歌』(1927年から1935年に雑誌に発表された。「夢野久作全集3」ちくま文庫1992)
わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ
河野裕子『桜森』1980
胸の傷のその奥にあるひとところ水あり森ありさやさや揺れる
梶原さい子『あふむけ』2009
胸中の森いく万の瞳を持ちてさざめきおらん世紀の風に
江田浩司(出典調査中)
【森以外】
胸に広がる荒野みるみる駆けて来る裸馬 熱き馬肉食えば
佐佐木幸綱『群黎』1970
胸中の岬にひとり立つことありただはるかなる風にふかれて
小島ゆかり『六六魚』2018
わが胸の鼓ひびきたうたらりたうたうたらり酔えば楽しき
ルビ:鼓【つづみ】吉井勇『酒ほがひ』1910
春よ、胸のハープシコード奏づれば木木は光の衣をぬぎゆく
永井陽子『樟の木のうた』1983
胸の奥に壊れたカメラひとつずつ持つ者たちを招く裏門
中沢直人『極圏の光』2009
君は君のうつくしい胸にしまわれた機械で駆動する観覧車
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』2013
つぐむとき胸にゆっくり巻かれゆくオルゴールあるいはクロスボウ
山階基「風にあたる拾遺」(「未来」2018年4月号)
ごめんねとあなたが口にするたびに賽銭箱のように鳴る胸
山階基『風にあたる』2019
胸中の地図をひろぐるひとり遊びに花背峠はすすき光れり
安立スハル(出典調査中・『この梅生ずべし』以後)
負傷した眼鏡を胸に眠らせて額縁のない空を眺める
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013
金星の明るき宵のつづきゐて胸底に真珠眠れるごとし
馬場あき子『暁すばる』1995
軟らかな胸の粘土をひきいだし夏の水辺に天日干しせむ
春野りりん『ここからが空』2016
アンドロイド愛かさねるたびに燃えあがる胸いっぱいの鬼灯装置
ルビ:鬼灯【ほほづき】山下一路「かばん」(掲載年月調査中)「アンドロイドお初の日記」(四)
君はしゃがんで胸にひとつの生きて死ぬ桜の存在をほのめかす
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』2013
人に示すあたはざりにしわが胸のおくどに青き草枯れてをり
葛原妙子『原牛』1959
終電に抱きしめられて胸のうち暗きブロッコリーの生えゆく
鯨井可菜子 『タンジブル』2013
胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし
ルビ:空【から】前川佐美雄 『植物祭』1930
自分も詠んでいたのがうれしい。いっしょに置かせてくださいな。
【鳥】 なぜか鳥が多いです……。肋骨→鳥かご 的な連想があるのか、どうか。
ばらのとげ泡立つ五月 マジシャンの胸のうちでは鳩もくちづけ
穂村弘『シンジケート』1990
ひだりの胸に鴉の棲んでゐるわれは感ずるよしづけさの怖さを
渡辺松男『雨(ふ)る』2016
めいめいが胸にかなりあ飼いながらその鳴き声を隠そうとする
武藤ゆかり『みちひらき』2017
理に合はぬ君の誤解は胸に住む小鳥のごとし傷めずおかむ
小野茂樹(『現代短歌の鑑賞101』(1999 )
湖の風に尾羽をしめらせて黒鳥はわが胸に飼われき
鯨井可菜子『タンジブル』2013
飼い慣らすほかなく言葉は胸に棲む水鳥(水の夢ばかり見る)
笹川諒『水の聖歌隊』 2021
すさまじく羽ばたく翼とじこめて千年を経し一枚の胸
佐佐木幸綱(出典調査中)
(※鳥とは言っていない。例えばペガサスとか、鳥でないものの翼もある。)胸の中に鳩を飼ってる少年が「どうぞ」と私に差すのは希望
鈴木智子『砂漠の庭師』2018
聴診器あてようにも胸を蹴破って出入りしている白色レグホン
高柳蕗子『潮汐性母斑通信』2000
【その他いろいろな生物】
君の名をつぶやくたびに胸のなか繰り返されるイルカのジャンプ
鶴田伊津『夜のボート』
木は開き木のなかの蝶見するなりつぎつぎと木がひらく木の胸
渡辺松男『泡宇宙の蛙』1999
胸に棲む数千匹の蟻たちのさざなみとなり流れていった
東直子「野性時代」2005・05
プレアディスより螢は生まれてみなづきの胸にすだけりあはれ見ぬ恋
山中智恵子 『黒翁』1994
胸底の闇に螢を飼ひながら緑の光を時々は吐く
大口玲子『大口玲子集』2008
ふわふわの白いサソリを逃がしやるこの青穹㝫の胸のうちから
井辻朱美『クラウド』2014
かなしみがうまれて遠ざかるまでを胸の奥へと魚が潜る
伊波真人『ナイトフライト』2017
かなしみのかたつむり一つ胸にゐて眠りても雨めざめても雨
小島ゆかり『獅子座流星群』1998
飼い馴らせないけだものを胸に飼う レモンはそっとやさしく絞る
生田亜々子「詩客」2012-09-14
いつのまにか金魚が棲んでゐるやうな甕があります夏の胸には
梅内美華子『エクウス』2011
もっともっと草原情歌 俺は胸に固い子鹿がつかえている
高柳蕗子『潮汐性母斑通信』2000
アヴェロンのこどもが胸に住んでゐるわたしも顔は見たことがない
結城胤美「詩客」2012-10-12
さよなら、風にふくらむ胸のこのここに未完のままに父たり
佐伯裕子
悲しみに名前をつけてみた日からジョニーで胸がいっぱいだった
大村椅子「早稲田短歌」44号
胸にある感情は、悲しみなどウエットなものが多く詠まれてきました。
特に近代のはじまりはその傾向がすごく強かった、というか、当時はそれが新しい表現だったようです。
いまはもう違うものも詠まれています。
歌やいのち涙やいのち力あるいたみを胸は秘めて悶えぬ
山川登美子『恋衣』1905
わが胸の底の悲しみ誰知らむただ高笑ひ空なるを聞け
若山牧水『海の声』1908
おもひやる亢奮したる悲しみを胸にかかへてかへりし女
※亢奮=興奮前田夕暮『収穫(上巻)』1910
病みてあれば心も弱るらむ!
さまざまの
泣きたきことが胸にあつまる。
石川啄木『悲しき玩具』1912
いつよりか吾が胸の戸の奥深くいつきまつらふその俤ぞ
柳原白蓮『踏絵』
わが胸の王國の主を統べ給へ二心なきみ民なる吾
柳原白蓮『踏絵』1915
汝が笑顔いよいよ匀ひ我胸の悔の腫ものいよいようづく
ルビ:汝【な】森鴎外『沙羅の木』1915
いきどほり怒り悲しみ胸にみちみだれにみだれ息をせしめず
窪田空穂『冬木原』1952(「子を憶ふ」より)
ささやきのごとき痛みよ消灯ののち暖かき胸にありたり
小野茂樹『羊雲離散』1968
いつよりかわが胸に棲む悲しみがひといろの旗を掲げてきたる
さいとうなおこ『キンポウゲ通信』1984
たった一つの希いを容れた胸蒼くかたかたと飲むアーモンド・オ・レ
ルビ:希【ねが】東直子『春原さんのリコーダー』1996
とめどなくわが胸底にしたたれる蜜のごときを告ぐるすべなき
岡野弘彦(出典調査中)
指で穴あけてゆく土 物語封じ込めたる胸のごとくに
東直子『青卵』2001
だきしめてもらへるのなら胸のなかのかたくなさにまでおしあてるから
由季調『互に』2006
はじめより持たざるひとつを喪ひしもののごとくに胸に秘め置く
内藤明(出典調査中)
パソコンで業務フロー図描いているわが胸のうちの枝のぐにゃぐにゃ
小島なお『サリンジャーは死んでしまった』2011
どこまでも伸びてゆく雲追ひかけて胸に小さきこころざし生る
永守恭子『夏の沼』2014
まだ君と一緒にいられる 手を胸に当てる 未来はまだここにある
千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』2015
用のない希望が胸に湧いてきてきみが生きてる限り苦しい
尼崎武『新しい猫背の星』2017
わが腕を唐突に打つ野あざみの 激しさならばまだ胸にある
前田康子『窓の匂い』2018
胸にいくつの扉はありてひらくとき母にふぶける杳きふるさと
ルビ:杳【とお】加藤英彦『プレシピス』2020
思いつつ伝えないこと胸のなかに氷柱をなして改札で待つ
小島なお『展開図』2020
胸の中に自分がいる、という着想も多くはないけれどあるようです。ちゃんと探せばもっとありそう。
こよひしもかしこき我がわが胸にやど借る夜なり落ちつかぬかな
片山廣子『翡翠』1916
天の河を泳ぐ自分が胸うちに居て聴いている遠い鐘の音
前田宏「かばん新人特集号」 2015/3
畳という単位が胸に咲いてしまう私の国の私の家へ
ルビ:畳【じょう】北山あさひ「詩客」2013年9月27日
胸いつぱいのむねいつぱいの草いきれ錆びた楽器を鳴らさむとして
光森裕樹『鈴を産むひばり』2010
ゼズイトの僧渡り来し日の如くあやしき声ぞ我が胸に入る
片山廣子『翡翠』1916
トルストイ伝読みゐし夜の胸内に駆けゆく橇の音聞こえくる
楠誓英『青昏抄』2014
宇宙服ぬぎてゆくとき飛行士の胸にはるけき独唱は澄めり
ルビ:独唱【ありあ】春日井建『行け帰ることなく』1970
呼吸すれば、
胸の中にて鳴る音あり。
凧よりもさびしきその音!
石川啄木『悲しき玩具』1912
※胸に「悲しみ」などの感情が宿ることも当時は新しい詩情だったはずですが、啄木は近代の人たちの中でも斜め上をいくところがあって、啄木はそれにとどまらず、こういうふうに即物的に観察して詠んでみている。さらに「凧よりもさびしきその音」という展開が独自で新しいと思えます。ギリシャ詩の恋唄胸にただよはせ地下の石柱に背をもたせ待つ
春日井建『未青年』1960
いいからここにおすわりなさい胸にある言葉は夢の薬莢だから
東直子『青卵』2001
かの時に言ひそびれたる
大切の言葉は今も
胸にのこれど
石川啄木『一握の砂』1910
繻子の胸ひらきて道化がつかみ出す葛切りのやうにながきたましひ
井辻朱美『水晶散歩』2001
わが胸に雪時計ありしんしんと冥きしじまにゆきふりつづく
徳高博子『ヴォカリーズ』2014
はい吸って、とめて。白衣の春雷に胸中の影とられる四月
盛田志保子『木曜日』2003
(実際に胸の中にあるものを詠むこういう歌は少ないです。)熱き草ふみしだき来て直に対う死後胸廓の綾なす内部
ルビ:直【ただ】・【むか】・綾【あや】岡井隆『土地よ、痛みを負え』1961
目の奥に夜をおさめてやさしかった真昼のことを胸にとかした
東直子『愛を想う』2004
なにものか胸に入りけむ年ごろの懊悩わするるふゆの夜の月
ルビ:懊悩【なやみ】金子薫園(1876生)『かたわれの月』1901
明治時代初期に生まれた歌人のこの歌、近代短歌の黎明期、「月」を詠みながらも古典の定番イメージを脱出しかけているように見えます。
何が棲むくらがり胸のひとところ真葛はげしく吹かれゐるなり
ルビ:真葛【まくず】藤井常世『氷の貌』2012
十日目の赤ん坊の胸の中のロンドン きりのないながい橋の話よ
我妻俊樹「率」10号(我妻俊樹誌上歌集『足の踏み場、象の墓場』)2016
胸襟をちょっとひらいて紙相撲見せたげようかペプシンペプトン
高柳蕗子「かばん」2014・4
またまた自分のを混ぜちゃいました。だって胸の中の「紙相撲」って珍しいでしょ。二十一代集データベースで「胸の内」(「むねのうち」など別表記も)を検索。
(「胸の中」は和歌っぽくない言い方で、実際該当なし。
なお、他の言い回しで胸のなかを表している歌があったとしたら抽出できていません。)
心月輪の心をよみて、心海上人につかはしける
胸のうちの曇らぬ月にうつしてぞ深き御法を心とはしる
按察使隆衡『續拾遺和謌集』歌番1373
返し
胸のうちにすむ月影のほかにまた深き御法の心やはある
心海上人『續拾遺和謌集』歌番1374
釋教哥の中に
むねのうちにありともしらぬ昔だにあだにやはみし秋の夜の月
慶政上人『續拾遺和謌集』歌番1375
元亨三年八月十五夜月五十首めされけるついてに
たづぬべきかたこそなけれ胸の内の月の都にいつも住身は
後宇多院御製『新千載和歌集』歌番880
前大僧正慈鎮の、おほけなくうき世の民におほふ哉と侍る哥を始にをきて大日經の品々をよみ侍ける歌の中に、布字品を
なべて世の戀の煙に立かはれむねのうちなる富士のしば山
入道二品親王尊圓『新千載和歌集』歌番881
なお、
万葉集のデータベースでは「胸の内」というフレーズは見つかりませんでしした。
(むろん「胸の中」もない。)
「胸」で検索すると、恋で胸が痛むというような内容の歌がいくつか見つかりました。
今さらに妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸いぶせくあるらむ(歌番611)
ぬばたまの寐ねてし宵の物思ひに裂けにし胸はやむ時もなし(歌番2878)
我妹子に恋ひすべながり胸を熱み朝戸開くれば見ゆる霧かも(歌番3034)など
検索結果を見ると、古典和歌(少なくとも応仁の乱の前ぐらいまで)で胸の中にあるものと言えば、釈教的な「月」が定番だったんじゃないかと思えます。
変わったものが胸の中に出現するのはいつなのか。
江戸時代の歌データを持ち合わせないのでわかりません。