無限性について

投稿日: 2016/06/29 10:56:41

1つ前の記事を去年の仮配属の直前に書いたみたいですね.今日,そろそろ仮配属用にwebsiteを更新しておかなくてはと思って久しぶりに中身を確認して,このセクションがあと1回で終了だということに気づきました...あ,本当は,論文を投稿しようとしていて,potential reviewersを4名書かなければいけないのですが,2名までしか思いつかなくて逃避しています.

本題に入りますが,皆さんは,数学で無限大を習ったときに,不思議な気がしませんでしたか? 僕は,習ったその時は何も思わなかったかもしれませんが,後から不思議に思えて何度も無限大とか無限小とかのことを考えました.一応,頭では理解しているつもりですが,不思議な気持ちは今でも払拭できません.

無限なものと言えば,何でしょう? 僕は,第一に,「神」と思います.神は,キリスト教では,全知全能で無限だということになっています.きっと,一神教の神は全能で無限である必然性があると思います.「宇宙」という言葉も思いつきます.ですが,宇宙は本当に無限かどうかわかりません.ビッグバン理論について,きちんと知っているわけではないですが,ビッグバンが起きたのなら,「宇宙の果て」が存在しなければいけないような気がします.そうだとすると,宇宙は無限でないことになるような気がします.我々が宇宙の果てにたどり着くのはたぶん物理的に不可能なので,その意味では無限なのかもしれません.

我々が「無限」と考えるものの中には,本当に理想的に無限なものと,近似的に無限なだけのものとがあると思います.

1985年に「ゲーデル,エッシャー,バッハ」という本(ホフスタッター著,以下「GEB」)が出版されました.僕は大学2年生だったのですが,同級生がおススメしてくれたのを覚えています.実際に読んだのは20年後にコメントがついて再出版されたときでしたが,中身はゲーデルの不完全性定理についてのものですが,エッシャーの不思議な絵やバッハのカノンなどについても書かれています.不完全性定理は数学の定理なのですが,「全知全能」なものは存在しないことを意味している,と解釈されることがあります.

GEBの内容を僕がきちんと理解していないことは確実なのですが,少なくとも,僕がGEBから「感じ取った」内容は次の通りです.(1) 全知全能であるためには,それ自身についても完全に知っていることが必要である(「自己言及性」が必要);(2) しかし,それでは無限に自己言及しなければならなくなる; (3) そのためにはその存在は少なくともある意味で「無限」である必要がある.

まあ,ざっくり,「理想的に無限」でない存在には,すべてを知る能力は無いってわけです.

そして,ある意味で無限なものには,「環」があります.「円」あるいは「円周」でもいいのですが,端と端がつながっていれば結び目があってもいいので,「環」です.繰り返すもの以外は無限でない,ということになると思います.エッシャーの絵は繰り返しであったり自己言及性を持っていたりします.バッハのカノンも繰り返しです.

神の無限性を演出するのが,地球の公転による一年一年の繰り返しであり,自転による一日一日の繰り返しであり,生命の繰り返しです...やっと生命が出てきました.これらの繰り返しは,一般の人間にとっては,無限と捉えられていると思います.

ところが,地球の一年一年の繰り返しも,生命の一世代一世代の繰り返しも,どちらも,前のサイクルと次のサイクルでは少しだけ違っています.完全な繰り返しではありません.何億年先か分かりませんが,生命には,いつかその繰り返しを止める時が来ます.地球や生命の繰り返しは,決して無限ではありません.結局,我々にとっての無限性は,「近似的に無限」でいいのです.神が近似的にしか無限でなくてもちっとも困りません.

逆に,もし「理想的に無限」だったら,ビッグバンの時から地球や生命が存在していなければならないことになります.たぶん,我々は存在していません.

生命は,同じことを何度も何度も繰り返す一方で少しずつ変わっていく,「近似的に無限」な系です.繰り返しのサイクルがありながら変化してきたからこそ,現在の生命が存在します.