参考:研究室の名前

(110909更新)(140407追記)

ブログにも書きましたが,研究室に何らかの名前をつけた方がいいのかな,と思います.

分野名は「化学工学」ですが,これを変更するのは困難です.変更できたとしても,「生物化学工学」が限界でしょう.これでは,新しく来る人に,研究の内容がわからないと思うのです.ですので,非公式でもいいから,研究室の名前をつけた方がよいと思います.もちろん,名前をつけるとかえって誤解する危険性も出てきますが,「高井研究室」よりはマシだと思うのです.

基本的には,僕が興味を持っていることを研究しているのですから,一番興味のある内容を表現できる言葉にすればよいはずです.それで,自分の興味はどこにあるのか,いろいろ考えてみたのですが,「生体分子システムの組織化の原理」なのかな,と思います.

「生体分子」は,タンパク質,DNA,RNA,糖,脂質などのことで,ここでは共有結合的に一体のものだけでなく,非共有結合で一体化している複合体も含みます.複数の生体分子が集まって「システム」を作っていて,システムを作るためには「組織化」する必要があったはずです.「自己組織化」という言葉は,比較的よく使われると思いますが,僕の興味の対象は,必ずしも「自己」ではありません.進化の歴史のなかでの組織化のことですから,他のシステムからの影響を受けながらの組織化でも構わないのです.英語では,organizationだと思います.

2月に溝渕先生に来ていただいた際に,生命科学が次に明らかにすべきことは,「自己組織化」だというお話をいただきました.20世紀前半の生化学は,生物が物質を基盤にしていることと,エネルギーシステムであることの2つの概念を中心に展開されました.20世紀後半の分子生物学の時代には,情報と制御の2つの概念が生命科学の中心でした.20世紀末以来のゲノム科学は,情報の詳細を明らかにすることを試みてきましたが,依然として,新しい概念を生み出すには至っていません.そのうえで,生命科学の次の概念は何か,ということで,溝渕先生は「自己組織化」という言葉を使われました.講演では話されていなかったかもしれませんが,その先には「進化」があるが,それはまだ先の話だ,とのことでした.

僕自身がもともと溝渕先生のお話をたくさん伺って育ってきたので,洗脳されているのかもしれません.「自己組織化」の実態と原理を解明することが,今後の生命科学の,基礎科学としての最大の課題であるという点については,僕もその通りだと考えています.自己組織化の原理については,すでに,1960年代末から,コンピュータを用いた研究が進められており,例えば,東大の金子邦彦先生の研究など,理論的な研究が展開されています.僕としては,そのような研究で自己組織化の本質の大部分は理解されてきていると考えていますが,そういう研究は,実際に地球上に生きている生物に関するものであるかどうか実証できていないという問題を孕んだまま展開されています.生物が,分子のレベルでどのように「自己組織化」されてきたかを解明することは今後の生命科学の中心となる課題であるはずです.

ただ,これが,本当に,「自己」組織化と言ってよいものなのかどうかについては,個人的にはちょっと疑問があります.分子システムの「組織化」は事実ですが,進化の過程での「自己組織化」というときの「自己」は,生物か細胞を指していて,それが内包する分子システムを指しているわけではないと思います.というわけで,とりあえず,「自己」はつけないでおくことにします.

大学院の講義で時々引き合いに出しているのですが,Francis Crickが著書の中で,次のようなことを書いています.

「生物学研究に独特の香りを与えているのは,長い時間作用しつづけている自然選択である.すべての生物,細胞,比較的大きな生化学分子は,しばしば何十億年に及ぶ長い複雑な過程の最終産物である.」(高井が適当に訳しました)

そういう点が,生物学の,物理学と異なる点だというわけです(ここでいう物理学には化学も含まれているものと思います).

結局,生物学は,進化の結果としてどのようなものができたかを調べているのです.

生物,細胞,生体分子が,高度に組織化されたものであることは確かです.それがどのように組織されているのか,そして,どのように,どのような原理で組織化されてきたのかを調べるのが,生物学の当然の流れです.

そうは言うものの,生物学の当然の流れだから,「組織化」に興味を持っているのではありません.僕がもともと「組織化」や「システム」に興味を持ったきっかけは,大学院での研究で得られた実験結果です.それ以前は,分子の構造や性質から機能が説明できるのがすごいことのような気がして,そのために研究していました.ですが,実際に,当時研究対象であったあるtRNA分子の機能を無細胞タンパク質合成系を使った実験で調べたら,そのtRNA分子の性質だけでは説明できず,他のtRNA分子も関係していたのです.普通の細胞には40種類以上のtRNA分子があって,ある一面ではそれらが一体となって機能しているのです.これは,ある意味ではシステムなんです.

一方で,tRNAと一緒に働いているはずのEF-Tuとかribosomeとかと,tRNAとの間は,少なくとも僕が研究していたことに関しては,一応切り離して考えても問題なさそうでした.切り離せるということは,やっぱり,tRNA全体という集まりがあって,それがシステムとして働いているのです.システムであるためには,それ以外の部分とある意味では区別できる必要もあるわけですが,tRNA全体というものはそのように見えていました.

さらに,過去の文献で,"two-out-of-three"仮説というのがあって,これがいかにもそれらしく魅力的だったのですが,この仮説も,細胞にある数十種類のtRNAの全体がシステムとして進化したことを前提にした仮説でした.

大腸菌には46種類程度のtRNA分子があり,サルモネラ菌でも同じくらいの数のtRNA分子があり,枯草菌にも同じくらいの数のtRNA分子があるのですが,それらは,同じセットではありません.なぜ,同じセットでないのか,卒研生のころから疑問には思っていたのですが,実はそれはtRNAのセットが全体として進化したからです.そのことに気づいて,どうして,どのようにしてそういう進化が起こるのかに興味を持ったのです.

まあ,もともとそういうことに興味を持っていたら,そういう時代が来た,と,勝手ながら思っているわけです.

ちなみに,上記の"two-out-of-three"仮説と,2000年前後に発表されたUhlenbeckの"uniform-binding"仮説は,どちらも,tRNAのセットがシステムとして進化した結果としてどのようなものに「組織化」したのかについての仮説です.uniform-binding仮説が正しければ,上で書いたようにEF-Tuやribosomeを,tRNA全体が成すシステムの中に組み入れなくて済みます.こういう仮説こそが生命科学で重要だと思います.ある意味で時代を先取りしています.

話を戻しますが,要するに,「組織化」に興味があるのです.タンパク質合成の再構成をやりたいのも,組織化に興味があるからです.ですので,そういう名前をつける(研究室の名前をつけるという話だったことを忘れてしまいそうですが)のがベストなんです.

研究室に名前をつけるために,いろいろな言葉を考えたのですが,困ったことに,なかなかよい日本語が見つからないのです.まず,「システム」に対応する日本語がイマイチです.「系」だと,何のことかわかりにくいのです.「組織化」も,「組織」という言葉との兼ね合いでイマイチですし,研究室の名前の中に使うには長いのです.architectureという言葉も思いついたのですが,日本語だとせいぜい「構築原理」とか「設計理念」かカタカナで「アーキテクチャ」なので,名前には使えそうもありません.

まあ,「生体分子システム工学」なんでしょうか...一応,工学部ですからね.

高井

(140407追記)

110909から,テキストの基本的な内容は修正していませんが,文字装飾を施しました.

なお,研究室の名前の問題は,未だに解決していません.