タンパク質合成系の再構成,あるいは単離 2

(110912更新)

どのようにやるのか 材料を選ぶ

真核細胞型のタンパク質合成系を再構成しようと思ったら,まず,この課題に関する研究の状況を把握することが必要です.

前提として,ミッション自体が難しいということを認識する必要があります.これまでに,多くの研究者が試みていますが,できていないのです.もちろん,誰もきちんとできていないからこそ,いまわれわれがやろうとしているのです.過去に誰も思いつかなかったテーマなのではなく,テーマとしては当たり前のテーマで,誰でも思いつくテーマなのです.ですが,難しくて,過去には達成されていない,という性質のテーマだという認識が必要です.

そのうえで,次に重要なのは,それを前提に,材料を選ぶことです.

真核細胞の中で,そのタンパク質合成系が最もよく理解されているのは,酵母細胞です.酵母は,単細胞真核生物です.酵母を使うと遺伝学的解析が容易で,実験材料として極めて優れているため,酵母は「真核生物の大腸菌」と呼ばれます.

常識的には,細胞の仕組みやタンパク質合成系そのものを理解するという観点からは,酵母を材料にするのがいちばんよいに決まっています.

そもそも,なぜ,生命科学において酵母が集中的に解析されたかと言えば,それは,真核細胞の基本的な仕組みを備えていて,しかも,実験がやりやすいからです.進化的に,動物に近いので,酵母とヒトとで共通の仕組みもたくさんあります.酵母を使って理解されたことが,医学的な応用につながった例もたくさんあります.

酵母を用いる最大のメリットは,遺伝子を潰したり,変異体をとったり,変異を相補する遺伝子を導入したりといった遺伝学的解析が容易であることですが,それだけがメリットなのではありません.酵母からタンパク質を取ってきて,生化学的解析をすることだってできますし,材料が簡単かつ安価に手に入りますので,それがかなり容易にできる材料であることもまちがいないです.

実際,真核型タンパク質合成系を再構成という課題についても,いちばんうまくいっているのは,酵母を材料にした研究です.

それでも,酵母を材料にした研究は,ある程度までしか進んでいません.きちんとしたタンパク質を合成できる再構成タンパク質合成系は,酵母を材料にしても,得られていません.

他の材料としては,動物が考えられます.特に,どうせやるなら,ヒトでしょう.ヒトを材料にするのは,倫理的な問題がありますが,培養細胞からタンパク質合成系を調製することは可能です.実際,培養細胞の抽出液を使った無細胞タンパク質合成系が得られており,非常に効率よくタンパク質合成反応を進ませる能力を持っています.もちろん,コストはそれなりにかかります.

(170523追記)現在では,ヒトの再構成無細胞タンパク質合成系ができています.

実は,もっとも早くから着手された材料は,たぶん,コムギ胚芽です.コムギ胚芽のタンパク質合成系を再構成しようという試みは,1980年代からありました.しかも,ある程度は,できていたのです.しかし,その後,組換えタンパク質発現法の進歩によって,再構成といえば,組換えタンパク質から再構成することだと考えられるようになっていきました.コムギの遺伝子はあまりよくわかりませんでしたので,そのあと,研究が進んでいませんでした.

2010年度で日本のコムギcDNA配列解析のプロジェクトがいったん成果をまとめました.すべての配列がそろったわけではありませんが,それでも,タンパク質合成に関与するタンパク質に対応するDNA配列が入手できるようになりました.やっと,DNAからのアプローチが可能になってきたのです.

一方で,DNAの配列がわかっていて,それが入手できたとしても,対応するタンパク質がきちんと得られるとは限りません.このことを,一般の方はあまり知らないかもしれませんが,一般に,組換えタンパク質として得られるタンパク質の解析はどんどん進みますが,得にくいタンパク質の解析はあまり進みません.実は,真核細胞型のタンパク質合成系を構成するタンパク質の中には,組換えタンパク質として得ることが難しいタンパク質が何種類もあります.真核細胞型のタンパク質合成系の再構成がこれまでできていない最大の原因はここにあると思われます.

我々は,だからこそ,コムギがよい材料だ,と考えています.少なくとも,組換えタンパク質を得る技術が未発達だったころは,間違いなく,コムギがいちばんよい材料だったのです.すべてを組換え法に頼ることができない以上,組換え法に頼らなくてもよい材料を選ぶことにメリットがあると考えています.

しかし,そうはいっても,ヒトや酵母には,医学上の,または,生物学上の付加価値があります.コムギにはそういうメリットがありません.しかも,酵母にも,組換え発現法に頼らなくてもよいというメリットはあります.ですから,コムギで再構成できても仕方がないのではないか,という反論はあり得ます.

ですが,そもそもできなくちゃ,意味がありません.少なくとも,コムギには,細胞抽出液を触媒にした無細胞タンパク質合成系が非常に効率よく動くという意味で,保証があります.酵母には,これがないのです.

真核型タンパク質合成系は,動物でも,菌類でも,植物でも,ある程度,似ています.たぶん,どれかの再構成系ができれば,それを使って,別の生き物の再構成系もできるようになると思います.タンパク質合成系を構成する部品を少しずつ取り換えて,進化させることだって,できるかもしれません.それによって,タンパク質合成系がどのように進化してきたのか,解析できるようになるかもしれません.どのように進化してきたか,という課題は,生物学のもっとも重要な課題です.そういう意味では,比較的よく解析されている,酵母や動物から進化的になるべく遠いものを扱ったほうが役に立つという考え方だってありうるのです.

そういうわけで,我々は,コムギを材料にしています.

どのようにやるのか 方法

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