研究室で研究する意味

研究の内容については,いろいろなところで話していますので,だいたいのことは知っている人も多いと思います.タイトルが適切かどうかわかりませんが,とりあえず,テーマの内容とは関係なく,研究室で研究をすることについて,書いてみます.あまり整理できていませんがご容赦ください.

配属先は,必ずしも研究の内容で決めるとは限らないと思います.先生や先輩との相性もありますよね.むしろ,相性のほうが重要かもしれません.ですが,相性は,たぶん,1年間くらい過ごしてみないとわからないと思います.わからないものはどうしようもないのですが,経験上,学生の考えと先生や先輩の考えがあまりにも乖離していると,お互いに不幸です.ですので,研究室訪問とは別に,それよりも前に,高井が,卒業研究や,研究そのもの,大学院での研究などについて,どのように考えているか,できる限り書きます.これを読んで,この研究室には近付かないほうがいいと思う人は近付かないでください.

勘違いしないで欲しいのですが,これは,あくまでも,文章として表現したものです.文章の内容には,必ず偏りや抜け落ち,説明不足などの不備があります.自分の考えをひとつの文章だけで完全に表現できる人なんていませんよね.当然,僕だってそんなことはできません.しかも,この文章は,仮配属前に必要だと思って慌てて書いています.ですので,これがすべてだとは思わないでください.

卒業研究の意義

皆さんは,大学を卒業するために,卒業研究をしなければならないのはなぜだと思いますか?

実際には研究をまとめなくても卒業できてしまうコースもあります.ですので,この質問は,愛媛大学工学部応用化学科で卒業研究を課している理由または事情は何だと思うかという質問でもあります.

学位について大学側には責任がある

卒業する,ということは,大学がその卒業生に学位を与える,ということです.学部コースを卒業すると,「学士」の学位が与えられます.この「学士」は,一応,全世界で通用します.大学が,その人が大学の規定した過程を修了したということを保証するのが学位です.大学は,社会に対して,卒業生が学んだ内容を保証しているわけです.

必修科目は,その内容のコアになる部分であって,それを学んでいないのなら学位は与えないということが保証されているわけです.つまり,愛媛大学工学部応用化学科では,卒業研究でそれなりのことを学ばなければ,その人が応用化学を学んだ学士であると保証することができない,と,社会に対してはっきりと基準を示しているのです.

卒業研究は,応用化学科では必修科目なのですから,担当する教員には,卒業研究を履修した人がやった内容をきちんと評価する義務と社会的責任があります.不十分だったら不十分だと判定しなくちゃいけません.

卒業研究の単位

一方で,実際には,卒業研究の単位を取るためだけなら,合格基準はとても低いのが現状です.だって,単位数が6単位ですから,18時間×15週間,勉強なり実験なりをして,それらの内容が身についていればいいのです.通年ですので,学期中だけで均しても週9時間です.週1日だけ頑張れば済みます.月曜日だけでよい計算になります.

一生懸命やる人だったら,たぶん,週70時間くらいは研究室にいるはずです.もちろん,全部研究をやっているわけではないですから,研究をやっている時間は50時間くらいかもしれません.高井が卒研生だったときは,卒業研究は4年次の5月後半から始め,8月は院試のためほぼ休みで,2月の終わりまででしたが,休みの期間以外は,週6日×12時間くらいは研究室にいました.単位のことを気にした記憶はまったくありません.

本人の考え方によって,週9時間だったり,70時間だったりするのです.大学としては,9時間でもよいのだと思います.それでも単位はもらえるし学位が授与されるのです.卒業できるのです.社会的には週9時間でよいことになっています.

それがルールですから,週9時間の人にも,最低限の内容が身についているのだったら,僕は単位をつけます.

本人が研究をした場合に単位が与えられる

ですが,実際には,週9時間しか研究活動をしないのだったら,少なくとも応用化学の分野では,ふつうは何も身につきません.研究そのものがまったくできません.全くできないということは,研究をしたことにはならないということです.

実は,週70時間研究室にいてさえ,まったく研究をしていない人もいます.やっていることが,研究になっていない人です.研究と呼べるようなことをしていない,といえばよいのでしょうか.そういう人の多くは,たぶん,先生に言われたとおりに実験をやっているだけの人です.もしかしたら,ほかに,研究がどういうものかわかっていないのにも関わらず一人でやろうとして,その結果として研究と呼べるものにならない人もいるかもしれません.

卒業研究の単位が与えられるかどうかは,実質的には,研究と呼べるようなことをしたかどうかです.していたのなら,時間に関しては絶対にクリアしているはずです.少なくとも,応用化学の分野で週9時間でできる研究なんてほぼありえません.

研究をしたと認められる部分が少しでもなければ,僕は卒業研究の単位はつけません.卒業研究のつもりでやっている人のやっていることが,研究と言えるようなものでないのなら,そのつもりでやっていても単位をつけるわけにはいきません.一人で勝手にやって形にならないのもダメですし,先生に言われたとおりにやるだけで自分で考えていないというのもダメです.

総合的にいろいろなことを学ぶ

総合的にいろんなことを学びながらでなければ卒業研究はできないはずです.少なくとも,愛媛大学工学部応用化学科の卒業研究に関しては,そうです.

学生は,卒業したら,ふつうは,就職します.ですので,多くの学生は,就職活動および就職後の仕事のために役に立つことを学びたいと思っているかもし れません.研究の内容は,ふつう,就職や就職後の仕事に直接には役立ちません.なぜなら,研究室では,ふつう,他のどこでもやっていないことを研究してい るからです.企業で同じことはしていません.それに,学部卒で就職する場合はそもそも卒業研究をろくにやらないうちに就職が決まるのですから,就職活動の過程で卒業研究の内容が役に立つ としても偶然です.卒業後に,いちばん役に立つのは,卒業研究の過程で身につけたいろいろなことのはずです.

研究室に入ったら,当然ですが,先生や先輩から実験のやり方や研究室での作法を教わらなければなりません.当たり前だと思うかもしれませんが,実は,これができないせいで卒業が危なくなる人はかなりたくさんいます.最初にうまくコミュニケーションできなかったりすると,そうなってしまう可能性は多くの人にあるはずです.実際にできない人もいますし,たまたまできただけの人もいるはずです.できた人も,できない人がいるおかげでその重要性に気づきます.

当たり前ですが,テーマに関する勉強もしなければいけません.最初から自分ひとりで勉強できる人なんて滅多にいません.ある程度は,こういう文献があるから読め,などと,先生や先輩から言われます.最初から,与えられた文献の内容を完全に理解できるなんてことは,ありえません.必ず,さらに何か別の文献に当たらなければならなくなります.そうやって,ちゃんとまじめにやれば,読むべき文献は多数になりますが,それでも,自分が何をやればよいかが文献に書いてあるわけではありません.自分で,自分に与えられたテーマに照らして考えなければなりません.もちろん,たいていの場合は,最初にどうすればよいかは先生が指示するはずです.最初は,どうして先生がそういう指示をするのかを考えることになるかもしれません.それはそれで構いませんが,次のステップについては,自分の考えが無ければいけません.少なくとも自分なりに納得してやらなくちゃいけません.そうでなければ,その人の研究ではありません.どうやって文献を集めて,どういうものを取捨選択して,どういう情報をどのように自分の目的のために生かすか,文献を読みながら自分で考える必要があります.

(字下げをしているところでは少し話がそれます.)

「実験を指示通りにやるだけなら,いずれ実験ロボットが開発されて君は失業するよ」,と,15年位前には,学生に対して機会があるごとに言っていました.指示通りに実験をしている人は,実験をしているのであって,研究をしているのではありません.論文にも名前が載りません.現在では,実際に多くの実験が自動化されています.自動化装置を研究者の指示に従って操作するだけなら,学位なんて必要ありません.まともな企業だったら,当然,学位を持っていない,より給料の安い人にその仕事を割り当てるはずです.

特に,生物学の実験については,専門学校が本当にあり,そういう専門学校の卒業生は,特に医学系の研究機関から,高い評価を得ています.ですから,指示通りに実験をやって結果を出すだけなら,就職活動では,給料の安い専門学校卒に負けます.これは現実です.いまのところ,ロボットには負けないと思いますが,専門学校卒の人材には確実に負けます.

卒業研究をやると,単位をもらうためには必ず発表会を経験することになります.本当は,論文を書くことも必要です(実際には発表要旨を書くことしか課せ られていませんが).自分がよく理解していることを,理解していない人に説明するのがいかに難しいかを体験することになります.要旨を書くだけでも,普通 は先生に何回も何回も直されます.ふつうは,その過程を経て,自分のテーマをより深く理解します.実は,先生の側も,そのような作業からいろいろ学んでい ます.

実は,これをやってもまだ専門学校卒と同程度かもしれません.

専門学校卒といちばん違うのは,たぶん,専門教育課程を受ける前に学んだことだと思います.それは,共通教育で学ぶような教養かもしれませんし,より基礎的な化学などの基礎知識かもしれません.特に学部で卒業してしまう人は,どこが違うのか,自分でよく考えるべきだと思います.

その研究室のテーマが何であっても,研究室全体としてはある目的のためにある方向に向かっているはずです.研究室の中で役割を果たそうとすることによって,そのために必要な知恵をたくさん学ぶはずです.それは,社会に出てから必要な知恵とかなり重なります.多くの場合,就職してからの仕事だって,少数の人数の集団がある目的を持ってその目的を達成するために役割を分担して仕事を進めるという点では研究室でやることと同じです.

そういう,どんなプロジェクトにも共通に役に立つ経験をするだけなら,サークル活動でもやったから,研究室でそんなことを学ばなくてもよい,と思うかもしれません.本人がそれでいいならそれでいいです.そういう意味でよい経験ができるサークルは特に愛媛大学にはたくさんあると思います(大学として他の大学よりもかなり力を入れて取り組んでいますから).サークル活動と研究室との最大の違いは,研究室での研究活動は社会的に責任のある仕事だということです.

だったら,バイトでもいいじゃないか,という話になるかもしれません.その通りです.きっと,牛丼屋の店長などの経験がある人は,いろいろ学んでいるはずです.ですが,こういうバイトは,専門知識を生かしたものではありません.

研究室では,できるだけ,いろんなできごとがあったほうがいいのです.そのためには,先生や,先輩や仲間に突っ込みを入れてください.うちの研究室では,高井をどれだけつかまえられるかがかなり重要です.

大学院への進学

高井は,基本的には,多くの学生が大学院に進学することを望んでいます.その最大の理由は,学部卒では,いちばん下っ端の経験しかできないからです.皆さんは,社会に出たら,いずれ,後輩を指導しなければならなくなります.大学院生になると,研究室で後輩を指導したり,TAとして学部の学生実験を担当したりすることを通じて,自分から発して,自分が理解していることを相手に伝えようとする機会がたくさんあります.卒業研究だけだと,どうしても,受けるばかりで終わってしまいます.自分から発しなければいけないのは最後の発表会だけで,それも事前に先生からボロクソに言われて(時間が無ければ強引に直されて),それだけで終わってしまいます.研究も,先生から言われたとおりにやってうまく行ったり行かなかったりするだけになってしまいがちです.うまく行ったら次の一手はどうするか,うまく行かないのならどう対応するか,というようなところまで達しないうちに時間切れになってしまいます.

大学院に進学する学生だって,卒業研究でボロクソに言われるから,自分で考えるようになるのです.実際のところ,週70時間でも,1年間ではふつうは足りないんです.もちろん,例外的に優秀な人は別かもしれません.

やりたくない?

研究をしたくない人に無理やりやってほしいとは思いません.やりたくない人が無理して実験したりすると事故が起こります.モノを壊したり,自損事故を起こしたりします.事故が起きた時の最終的な責任は高井にあります.やりたくない人がいい加減な気持ちでやったために起きた事故の責任を取らされる身にもなってください.やりたくない人が研究室の中にいると,他の人の士気に影響します.やりたくない人は,できれば研究室に来ないでほしいです.もちろん,うちの研究室に配属されてしかもうちの研究室に来ない場合は,不合格にしかなりませんが.

不本意でうちの研究室に配属されたから,うちの研究はやりたくない,という人もいるかもしれません.ですが,それでも,やらないのなら卒業研究の単位は無いと思ってください.そういう人は,高井が,研究室で,その人のために役に立つことをなにも提供していないと考えているわけですから,うまくいくはずがありません.もちろん,大学院から他の研究室や他大学に行くことは,実力が許す限り認められています.大学院からよそに行きたい人はそうしてください.

高井自身が,これまで,不本意な仕事をたくさんしてきていますので,不本意だからやらない,という態度は支持できません.高井は,これまで,不本意な仕事をたくさん抱えながらやりたいことも可能な限りやってきました.もちろん,モチベーションを高めるのはとても大変でした.

ですが,後から振り返ってみれば,不本意な仕事をやったことは,やりたいことをやる上で確実に役に立っています.少なくとも,自分の経験からは,人生に無駄は無いはずだと信じています.もちろん,無駄がないと思うのは,無駄な経験を忘れているからかもしれません.そうかもしれませんが,それでも,過去のある経験が無駄だと思うのは,それをまだ活かしていないからです.無駄だと思った瞬間に無駄になるのです.そして,無駄が増えるほど不幸も増えるんじゃないかと思っています.まあ,これは個人的な信念なので,他の人に強制することはできませんが.

ただ,きちんと覚えていないだけで,そう思うために必要だった経験もあったのかもしれません.不本意だからやらない,というのを試してみてもいいかもしれません.そうすれば,それが不幸の入り口だということに,本当に気づくかもしれません.逆に,そのままハッピーになるかもしれません.

実際には,ほんとうに何もやりたくない人はほとんどいません.僕としては,卒業研究の単位を認めてもよいかと思える最低限の基準は,単位とか学位とかとは関係なく研究をやりたいと思うことなのではないかと思います.そういう人は,少なくとも卒業後の進路が決まったら,あとは卒業研究が最優先になるはずです.やりたければ,自分で考えるはずです.自然にそうなるはずなのです.そうなるのなら,研究成果としては何も得られなくても,必ず何かを得て卒業することになります.

逆にいえば,卒業研究が最優先になっていない人は,学位を得るという社会的な活動が優先になっていて,研究そのものをやりたいと思っているわけではない,ということです.それでも構いませんが,それだったら,研究成果がなくちゃだめです.はっきりした研究成果があるのなら,社会的に責任を持って学位を認めることができますので,それならそれで構いません.

高井