研究室の歴史

(170720見直し)

ここには,これまでの経緯を書きます.研究室の歴史というよりは高井の過去について,というべきかもしれません.

1987~1994

大学院生として,東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻(横山茂之助教授→のちに教授)のもとで,tRNAについての研究を行いました.

(段を下げてある部分を理解するためにはある程度の専門知識が必要です)

大腸菌のUURコドンを認識するtRNAは2種類あり,一方がcmnm5UmAA,もう一方がCmAAのアンチコドンを持っています(cmnm5Umは,5位にカルボキシメチルアミノメチル基に置換され,2'位の水酸基がメチル化されたウリジン,Cmは2'位の水酸基がメチル化されたシチジン).これらのtRNAは,当時,いずれも,UUA,UUGの両方のコドンを認識すると考えられていました.なぜ,同じコドンを認識するtRNAが2種類存在するのか調べる,というのが,当時与えられたテーマでした.特に,CmAAのtRNAは,そのアンチコドンがCmUAになってアンバーコドンを認識できるように変異した大腸菌でもまともに生育するので,なぜそもそもこんなtRNAが必要なのか,という問題があったのです.

いくつかの実験を行いましたが,まず,本当に同じコドンを認識するのかどうかを,無細胞タンパク質合成系を使って調べることに集中することになりました.その結果,CmAAのほうのtRNAがUUAコドンを認識するのはもう一方のtRNAが無い時だけだということがわかりました.つまり,2種のtRNAが競合している状況にあって,cmnm5UmAAのtRNAはUUAとUUGとの両方を担当していて,CmAAのほうは実質的にはUUGだけを担当している,ということがわかったのです.そうだとしても,UUGコドンは2種のtRNAによって認識されていますので,どうして重複しているのかという問題は解決していません.

いろいろな考察から(とても奥が深いので,ここでは説明しません),そもそも,wobble則が,物理化学的に説明できていなかったことにきづきました.モデルをきちんと反映した実験系がなかったのですね.そこで,無細胞タンパク質合成系を使って,系統的にwobble則を確認する方法を開発して,大腸菌セリンtRNAの変異体シリーズを使って実際に解析しました(これによって,1994年に学位を得ました).

1994~2000

正確には1993年の10月から2001年2月までなのですが,千葉工業大学に職を得ました.教授は高久洋先生でした.高井本人としては,有機合成化学的に,アンチコドンにある修飾ヌクレオチドを合成して,tRNAの中に導入し,それを使って,ヌクレオシド修飾がどのような効果を持つのかを調べるつもりでした.ただ,研究室としては,アンチセンス核酸の大きなプロジェクトが始まったばかりでしたので,それにも参加しました.

アンチセンス核酸のプロジェクトは,主に,細胞外から合成オリゴヌクレオチドを投与することによって,細胞や個体の遺伝子発現を人工的にコントロールする方法を開発することを目指していました.当時,そんなことを本気でやろうとすること自体がすごいことだと思っていました.

そもそも,オリゴヌクレオチドは,細胞の中でも,培地中でも,すぐに分解されてしまいます.ですから,ターゲットである遺伝子なりmRNAなりに,オリゴヌクレオチドが届くようにすることはとても難しいというのが,いわば「常識」だったわけです.ところが,当時,化学修飾を施したオリゴヌクレオチドを細胞に投与するとウイルス増殖を抑えることができたりすることが観察されていました.もし,オリゴヌクレオチドの塩基配列に応じて,自由に細胞内,生体内の遺伝子発現が制御できたら,様々な形での細胞のコントロール,病気のコントロールが可能になります.化学修飾や高次構造制御によって,そのようなことが可能になれば,生物学や医学のための強力な道具になるだろうというわけです.

最終的には,アンチセンス核酸の研究は,RNAiの研究に「昇華」した,と言ってよいのかもしれません.

一方,アンチコドン修飾に関しては,mo5U(5位をメトキシ基で置換したウリジン)を持ち他の部分には修飾ヌクレオシドを持たないセリンtRNAを調製し,このメトキシ化の効果を定量的に測定することが可能になりました.結果としては,このメトキシ化だけで,wobblingが可能になっていることがはっきりしました.

さらに,無細胞タンパク質合成系と,アンチセンス核酸を組み合わせた研究テーマについても取り組みました.無細胞タンパク質合成系において,予め狙ったtRNAだけを,アンチセンス核酸で壊す方法を開発しました.これによって,対応するtRNAの無くなったコドンを,別の人工tRNAで「捕獲」できるようになります.この人工tRNAには,天然の20種類以外のアミノ酸をつなげておくこともできますので,うまくやれば,自由に非天然型アミノ酸を導入できるタンパク質合成系ができる,というわけです.

2001

2001年は激動の1年間でした.(株)三菱化学生命科学研究所の副主任研究員として,コムギ胚芽無細胞タンパク質合成系を用いたタンパク質のカタログ化に取り組みました.また,このときに,コムギ胚芽無細胞タンパク質合成系におけるタンパク質のフォールディングに関する研究を始めました.

2002~2005

2002年に,愛媛大学工学部応用化学科に職を得て,松口先生と一緒に工業物理化学分野を担当することになりました.着任直後に,VBLの施設主任とRI実験室の主任者を引き受けました.研究としては,実質的に三菱化学のつづきをやっていました.

さらに,2003年には無細胞生命科学工学研究センターができたので,そちらに移りました.

コムギ胚芽無細胞タンパク質合成系に関連する研究としては,タンパク質のフォールディングに関する研究,コムギRNAリガーゼに関する研究などを行いました.論文にはなっていませんが,コムギ胚芽tRNAを分析したり,コムギ胚芽無細胞系を使ったタンパク質工学を試みたりしました.

コドン-アンチコドン相互作用に関しては,2003年に,アンチコドン一字目のウリジン5位の修飾の役割について,それまでにたくさんの研究者が得た結果を一応説明できる仮説を発表しました.これまでに高井が行った研究の中では,これがいちばん評価されていると思います.発表後14年経過しましたが,いまだに引用されていると思います.客観的に見て,高井のこれまでのメインの仕事はこれなんだと思います.

自分としては,これを検証する実験を進めないといけなかったのですが,実験自体が難しく,なかなかはっきりした結果が出ていません.2016年ころになって,外国の研究室で,これを真面目に検証してくれるところが出できました.残っている問題を解決するとしたら,後は量子化学計算くらいしかやることがないのではないかと思います.

2005~2011

2005年以降も,コムギ胚芽無細胞タンパク質合成系を用いた研究は続けています.その内容は,無細胞系を使ったRNAリガーゼのドメイン分割などです.

それはそれでいいのですが,2005年の暮れに,研究室の歴史を変える事件が起きました.

「細胞を創る会」というのをやるから,無細胞タンパク質合成系の専門家として参加するように言われたのです.それから半年を経て,本格的にコムギ胚芽のタンパク質合成系の再構成に向けて舵を切りました.

細胞を創る会は,現在の「細胞を創る」研究会の前身です.この会では,ヒトの再構成無細胞タンパク質合成系が欲しい,という議論になっていました.そのときの高井の主張は,まず,大腸菌の再構成タンパク質合成系を使ってできることをすべきであって,ヒトのものを作るのにポスドクがたくさんいても5年以上は絶対にかかる,10年かかってもできる保証はない,というものでした.

だいいち,ヒトの再構成タンパク質合成系にいちばん近かったのは,当時理化学研究所にいた今高先生でした(もちろん今でもいちばん近いです)ので,今高先生にできなければ誰にもできない,という状況でした(どうして今高先生がその場に呼ばれなかったのかは知りません).

当時,mRNAが分解してしまうことが,無細胞タンパク質合成系の応用の限界を決めていると考えていました.ですので,無細胞タンパク質合成系から何とかmRNA分解系を除く,ということは,試みる必要があり,実際にやろうとしました.この発想は,アンチセンス核酸で特定のtRNAを除くのと同じ発想でした.それに,当時,自分がこれまでやってきたことは,基本的に,無細胞タンパク質合成系の余計な部分が影響しないような実験方法を工夫することだった,と思っていました.コドン-アンチコドン相互作用の実験も同様なのです.そういうスタイルにこだわりがあったのですね.

ですが,しばらく考えて,思いなおしました.世の中は,「細胞を創る」研究,構成的に生命現象を再現する研究に向かっていたのです.細胞に由来するタンパク質や核酸やその他の物質がなんでも含まれている細胞抽出液が引き起こす現象のうち,着目している現象に関係ないものの影響を排除するように様々な工夫をしたうえで,その現象を解析するよりも,最初から関係あるものだけで組み立てたほうが早いじゃないか,と思ったのです.そのように考えるようになるのに半年近くかかりました.

最初は,なるべく簡単にやろうとしました.動物のIRESを使って,開始因子なしに翻訳開始反応を起こし,伸長,終結因子を加えて翻訳系を作ろうとしました.ですが,IRESは,論文に書かれているほど一般的には効率が高くないのです.なぜかを追求することは,もしかしたら,ウイルスの制御などの面では有益だったかもしれませんが,後回しにして,まともに再構成しようという気になったのでした.

そんなことをしているうちに,コムギのcDNAが提供されるようになったり,コムギ無細胞タンパク質合成系に関するレビューを書くことになったりしました.また,2011年2月には,理工学研究科応用化学講座に復帰しました.

2011~2017 (present)

たまたま,2011年度から科研費で研究ができるようになったので,たくさんの種類のコムギcDNAを大腸菌で発現させてみる実験ができました.ただ,その結果はかなり厳しいものでした.何が難しいのか思い知った,というのが本当のところです.

当然ながら,2015年ころから研究の方向性を修正しなければならなくなっています.このころに,遺伝子合成サービスの価格が大幅に下がりました.遺伝子は全部好きなようにデザインする時代に入りました.それで,とりあえず,技術的な困難さを解決するためにそれまでに編み出してきた方法や理論を,論文にまとめました.残念ながら,まだまだ翻訳系の再構成には遠い状況です.