朝木の料理
それは昼休みの話。
「ねぇ、せんせって料理できるの?」
「…………え?」
たまたまクラスを通りかかった朝木を捕まえ、セナが突拍子もなく質問する。
朝木の表情は固まったまま――――あまり変わって見えないが――――隣で聞いていたマナが楽しそうに話に乗った。
「でも朝木先生ってなんでもできそうだよねっ」
「わかる! きっとおいしいんだろうなぁ~」
「ね、ユイちゃんは先生の料理食べたことある? どうだった?」
「あれは食べ物なんかじゃありません」
話を振られたユイが朝木を見ないようそっぽを向いたまま答える。その顔はうっすらと青く、目は一点を見据えていた。
「……ユイちゃん?」
「二人ともお兄ちゃんに幻想を抱きすぎです。お兄ちゃんの料理なんて食べたら病院送りどころか墓場まで送られます」
「…………僕の料理はそんなに酷かったですか…………」
いっきにまくしたてたユイの言葉に目に見えるほど朝木が意気消沈する。居心地悪そうに後ずさったがセナが逃がそうとはしなかった。
「どゆこと? せんせ料理できないの?」
「できるできない以前の問題です」
「いいじゃないですか……いままで縁のなかったものなんですから……」
「スパゲッティであそこまで失敗できるのは天災ですね」
「字違うし……」
珍しくユイが朝木を批難するのでセナとマナは顔を見合わせる。
他の人間から見たって彼女は朝木を慕っているのに。
「……ユイちゃん、…………なにがあったの?」
マナが聞きづらそうに問う。
ユイは言っていいのかしばし迷って、朝木の諦めたように顔を見てようやく口にすることを決めた。
「…………今から大体7年前の話です」
まだシスマに来たばかりのユイと、子供の世話なんてしたことのない朝木の、不器用な日々の話。
+++
その日、当時高校生だった朝木は悩んでいた。昨日引き取った子供のことだ。
天野由井。8歳にして両親を亡くし、自らも殺人者とならざるを得なかった少女。
昨日から朝木のバディとなったその女の子の扱いに困っていた。
朝木は兄はいても下の兄弟はいなかったし、子供の扱いなんて知らない。
ましてや女の子だなんて。そこも朝木の頭を悩ませたところだったが、今問題なのはそこじゃない。
朝木は家事という家事をろくにしたことがないのだ。
今の今までインスタント食品ばかりで過ごしていた。だがそんな食生活を8歳の女の子にさせるわけにはいかなった。それでは体を壊してしまう。
だからなにか作ろうかと勇んでみたが、困ったことにろくな料理を知らなかった。
中学の数少ない調理実習も大概を女子に任せていたせいでなにも覚えていない。
困った。心から思う。
まさか家事を学ばないでいてこんなところで壁に当たるなど、誰が思っただろう。
「…………あさぎさん?」
悩みの根源であるユイがひょっこりと台所を覗いた。
「だいどころで一時間も、なにしてるんですか?」
「えっ。いや、あの、なんでもないですよ?」
目の前に置いた茹でる前のパスタを眺めて一時間。
悩んでるうちにそんなに経ってしまっていたらしい。
ちら、と時計を見ればもう7時。おなかが空いたのと眠いのとでユイは少しぼんやりとしていた。
もう悩んでいる時間はない。
「すぐ晩御飯作りますから、ユイはテレビでも見ていてください」
「はぁーい……」
間延びした声で返事をするとすぐにテレビの方へ走って行って、なにやらアニメを眺め始めた。
これで一安心、と一息ついたあとにもう一度パスタと向き合う。
――――大丈夫、茹でてソースを絡めるだけです。なんとかなるはず…………。
――――………………多分。
+++
「いただきまーす」
「いただきます」
何とか茹でられたミートスパゲッティにユイが小さな口を大きく開けて口に入れる。
見た目は大丈夫。さて、味は……とユイを見ていると、ユイは何度か租借した後、顔を青くして
ばたん!
と勢いよく突っ伏した。
「!? ユイ、どうしました!?」
「………………うっ」
朝木の呼びかけに答える暇もなくトイレヘ走っていく。吐きに行ったのだ。
「…………………」
それを見て朝木は目の前のスパゲッティを黙って捨てることにした。
+++
吐き終わったらしいユイが青い顔で戻ってくると、机の上に置いてあったスパゲッティはいつの間にかレトルトカレーにすり替わっていた。
朝木は戻ってきたユイに見向きもせずうなだれている。
それを見てユイは静かに座布団に座り、朝木に向き合った。
「…………あさぎさん」
「…………はい」
怒られるのを恐れる子供のように朝木が縮こまる。これではどちらが子供かわからない。
「あさぎさんはもう料理しちゃだめです」
「…………はい」
「つぎからはわたしがやります」
「はい。…………はい?」
ユイが真面目な顔で言った言葉に思わず疑問符が浮かぶ。
そんな年でさせられるわけがない。いやそもそもカウンターに届くかどうか。
そんな朝木の困惑をよそにユイは続ける。
「カレーくらいなら作ったことあるし、じゃがいもだって皮むくやつ使えばむけるし、お料理の本読めば、かんたんなのならわたしだって作れるはずです。だからつぎからはわたしがやります」
「いえ、でも包丁や火は危ないですから……」
「あさぎさんにお料理させるほうがあぶないです」
「…………う……」
幼いながら発せられる毒舌は朝木の胸を的確にえぐった。
たしかにもう二度と吐かせるようなものを作るわけにはいかない。でも8歳の女の子に料理を任せるというのも情けない話だ。
「で、でもですね……」
「ほうちょうだってこども用のがあるでしょ? だから、だいじょうぶだから」
的確に穴をつついて説得しようとするユイの言葉に何も言えなくなる。
ここまではっきりと正論を言われてしまうと、頭ごなしに否定するのはあまりに大人げなさ過ぎた。
「……火は僕が使いますよ」
「……いいの?」
「ユイが言ってることはなにもおかしくないですからね……」
はぁ、とため息をついて朝木が折れた。その言葉を聞いた瞬間ユイが満面の笑みを浮かべて、やったやったと飛んで喜んだ。
明日子供用の包丁と料理本を買ってきて、一緒になにか作ろうと約束してその日は二人眠りについた。
+++
「よし、れっつクッキーング!」
子供用の白い刃の包丁を片手にユイが叫ぶ。自分で料理を作れるということでテンションがあがっているらしかった。
作ろうと決めたのは煮詰めるだけの肉じゃが。炊飯器はないからごはんは市販のものだが、おかずが手作りな分いつもより食事が楽しくなりそうだと朝木は思った。
「それじゃ、まずは食材の皮むきですね」
「じゃがいもと、にんじんと、玉ねぎ?」
「はい、そうです」
本に書いてある通りの量を用意し、ユイの前に出してやる。それを小さな手でつかんでピーラーで器用に皮をむいていった。
「手、切りますよ。親指気を付けてくださいね」
「へーきへーき……んっ」
「まったく言った端から……」
じゃがいもの皮むきのところで指をひっかけたらしくユイがうなり声をあげた。
急いで手を見ても血は出ていなかったので一安心する。
「指切らないでくださいね、切ったら僕がやりますよ」
「あさぎさんは手出したらぜったいダメっ!!」
必死の形相で訴えられる。さっきまでの楽しそうな表情が一転して指を切らないようにと慎重な表情になる。
――――そんなに僕の料理はトラウマですか。と少しだけ朝木は切なくなったが、それだけ不味い料理なら一口くらい食べておけばよかったかなと思いもした。
+++
「かんせーいっ!」
「なんとか無事にできましたね……」
途中で鍋が噴きだしそうになったり、しょうゆの分量を間違えそうになったりと慌てふためきもしたが、なんとかできあがった肉じゃがに二人で感嘆した。
見た目は少し歪だが味見をしても問題なかった。成功したのだ。
「あさぎさん、ごはんごはんっ!」
「落ち着きなさいユイ。お皿とお箸持ってってくださいね」
「はーいっ!」
自分で作った感動からかユイのテンションは最高潮に達していた。皿を走って持っていくから落とさないかとひやひやしたが、その心配はなかったようで皿の置かれる音が聞こえた。
+++
「いただきまーすっ」
「いただきます」
味見の段階でも思ったが、ユイの作った肉じゃがはおいしかった。
ちゃんとレシピを見て作ったのもあるかもしれないが、ただ茹でて和えるだけのパスタで倒れるほどのものを作る朝木なんかよりずっとユイのほうが料理は上手い。
その事実に年長者としてのプライドが折れかかるのは抜きにして。
「……あさぎさん、おいしい?」
「はい、とてもおいしいですよ。ユイは器用ですね」
素直に言えば少し照れたような、けれど誇らしげに笑顔になる。
一昨日は緊張してろくに話してくれもしなかったのに、3日で随分と慣れてくれたものだと思う。子供特有の人懐っこさだろうか。
「ね、あさぎさん。これならこれからもわたしがつくってもいいでしょ?」
「そうですね。僕も一緒なら、これからもお願いしましょうか」
「うん!」
それから家事全般をユイが仕切るようになるのは、そう遠くない話。
+++
「うーわー……」
「先生……」
「やめてくださいそんな目で見るの」
話が終わってから、セナはあからさまに呆れたような目で、マナはどこか憐れんだような目でそれぞれ朝木を見た。目に見えていた結果とはいえ視線が痛い。
「8歳の女の子に普通家事押し付ける~?」
「僕はちゃんと自分でやろうとしましたよ、もちろん」
「その才能が飛び切りなかったんですけどね」
セナとマナの反応で瀕死状態の朝木にユイがさらに追い打ちをかける。
普段あまり表情を見せない朝木が苦虫をかみつぶしたような顔をするのをユイとセナは密かに楽しんでいたのだが。
「……朝木先生って」
「?」
少し考えていた風なマナが口を開く。
「仕事以外なにもできない人の典型なんですね」
「………………」
その場に沈黙が訪れる。
誰もが無表情に固まり、しばらくなにも言わなかった。言えなかった。
「み、みんな………………?」
マナが不安になって救いの手を求める。とたん、
「あっはははははははははははははははは!!!!」
「………………く……ふふ……っ」
セナが豪快に笑いだし、ユイでさえ笑いをこらえきれないというように声を殺して震え始めた。
その様子に朝木はもうどうにでも言いなさいとうなだれ、言った張本人であるマナは何故笑うのかわからないかのように全員をきょろきょろと見回した。
「マナ、ナイス!」
「……わたし、なにかおかしなこと言った……?」
「いいえ、的確すぎる指摘でしたよ……っ」
「……自覚してますよそのくらい……」
「え、ええと……その、ごめんなさい、先生……」
ひたすらに笑い倒して朝木の落ち込む様子を楽しんでいると朝木を救う鐘が鳴る。
助かったと言うようにがたん、と朝木は立ち上がり逃げていく。その様子をまたユイたちはくすくすと笑った。
「でもせんせってかわいいねー。そっかー、家事できないんだー」
「お兄ちゃんの家って汚いんですよ、すっごく」
「なんか想像できるようなできないような……」
不思議だよねー。と3人して顔を見合わせる。
兄の秘密を他の人間に教えてしまったのは惜しかったな、とユイは少し思ったがこうして笑いあえるのはいいかもしれないと考え直す。
しっかりしているのに不器用な義兄のそんなところが、どこか人間染みていて可笑しくて、だから好きだとユイは思う。
あのとき、朝木が料理ができなくてよかったと今も思っている。
でなければもっと馴染むのに時間がかかったはずだからだ。
そのことを、朝木にいうつもりはないけれど。