レジスタンス二話
夜の城下町は、昼間の騒がしさが嘘のように人が捌けていた。あれだけ女がいたのに、全員どこへ消えたのだろう。
ラディーヌはあたりを見渡して、どこか泊めてくれそうなところはないかと考えたが、今の格好を思い出してやめた。血で血を洗った少女を、泊めたがるところなどあるはずがない。
仕方なく、適当な路地で一晩眠ろうと足を踏み込んで、止まる。
空気が違う。
路地裏のじめじめしたような重い空気とはまた違う。もっとこう、痺れるような。
踏み込んではいけない気がした。一歩下がる。この先になにがある?
しん、とした路地のむこうで、なにか水音が聞こえる。ぐずぐずとした、気持ちの悪い音と、なにか叩きつけているような音。
川の流れる音だとか、水が漏れている音だとか、そういった自然の音とは明らかに違う、もっと不快感に溢れる音だ。
「……………………っひ、‥‥‥‥‥‥ぅうう…………」
叩きつけている音に紛れて聞こえた小さな声。
なにも見えないのではないかと思うほど塗りつぶされた黒い黒い路地の奥で、蠢く影。
「‥‥‥‥‥‥――――!!」
これ以上聞きたくないと後ずさる。
本能的に理解してしまった状況に拒否反応を起こす。今すぐにでも走り出してしまいたいのに、足が震えて動かない。
水音とスパンキングの音が、意識せずとも耳に入ってきてなおもラディーヌを震え上がらせる。耳をふさいでも、どんなに意識しないようにつとめても、路地の奥で行われている暴行に向けて神経が研ぎ澄まされていってしまう。
これは、なんだ。
「………………だれ、か‥‥‥‥‥‥ぁぁぁああっ」
“押し殺された喘ぎ声”に震えが止まり、背筋がすっと冷えていく。
思い出してしまった。これをなんと言うのか。
震える手で背中の剣を握る。一歩、二歩、ゆっくり剣を抜きながら、路地に足を踏み込む。
3歩目、剣が全部出る瞬間、無我夢中に駆け出した。気がついたら目の前にあった蠢く影の手前で止まるのが間に合わず蹴り飛ばす。飛び越した影の正体を確かめもせずに、振り向きざまに剣を影に叩き込む。
全力で打ち込んでもそれ跳ねることは叶わず、しかしそれでも生きていられるような傷でもなかった。
肩で息をしながら、影が動かないことを確認するように何度も串刺して、落ち着くように深呼吸をした。
今までずっと血の匂いを纏っていたのに、路地のほこりの匂いと正体を知りたくもない白い液体と女の匂いが混じり混じった血の匂いは、なによりも気分を不快にした。いい加減酔ってしまいそうだ。
剣を握る手が震える。起こっていたことの認識をしたくないと、本能が叫ぶ。
「あ、なた…………」
声をかけられて、ようやく女の存在を認識する。
恐怖と驚きの入り混じった表情で、ラディーヌを見上げる女の局部にはなにが起こっていたのかの証拠がありありと残っている。
胸部を露出させ、まだ乾ききっていない唾液がてらてらと光っている。首元にはいくつか赤い痣もあり、首を絞められたらしい手の跡さえ残っている。
「あなた、昼間の……っ」
惨状から目をそらすため女の顔を見ると、昼間に現状を教えてくれた女性であることに気付く。
女は恥じるように、気まずそうに少し目を伏せた。腕が背後で固定されていて、うまく動けないようだった。
「……その、助けてくれて、ありがとう……」
声をかけようと口を開くものの言葉が思いつかずに閉じる。
そのまま立っているわけにもいかず、女の上に重なり倒れたままの男の死体を動かそうとする。筋力の抜けた体は岩でも運んでいるように重く、立ち回りづらい細い路地ではなおさら動かすのが難しい。
しばらく格闘して、ようやく女の上から男をどかす。挿入れられていたものがずるりと抜けると、女は小さく呻いたあと、静かに泣き始めた。
「……。……大丈夫、もう、大丈夫だから……」
「う……ううぅ…………っ」
震える体を抱きしめる。女の体は汗でじっとりと濡れていて、むき出しの胸が当たるのが奇妙な感じがして気持ち悪い。
女をなだめながら、混乱する頭でどうにか状況を整理しようとする。
街に溢れる女たち。戦争に勝利し戻ってきた男たち。
これからこんなことが頻発するのだろうか、考えただけで怖気が走る。
今回は目の前の女性だった。だけど、いつ自分の身に降りかかるのかわからないのだ。
腕を抑えられたら、抱えられたら、体の小さいラディーヌでは到底太刀打ちできるものじゃない。
もしかしたら、こうして泣いていたのは自分かもしれないのだ。
――――それではなんの解決にもならない。
あの男は、このことを言っていたのだろうか。
復讐のために大男を殺しても、この国からでない限り身の安全は保証できない。この国から出てもなにもすることはないが、それでもこんな国にいるよりましだ。
この国から出るためには、なにをすれば――――。
「……とりあえず、どこかでお風呂借りれないか聞きましょう。……立てる?」
女が落ち着いてきたのを見計らって声をかける。小さく頷いたのを確認して、破かれてしまっている前部分を来ていたベストで隠してやる。
こんな深夜に誰かが起きているかは怪しいところだが、いつまでもこんな血とほこりと精液の匂いが充満している場所にいるよりは移動した方がいいだろう。
ふらつく女の肩を抱く。自分より大きな女性の体を支えて、ゆっくりと歩き始めた。
+++
普段歩くよりも何倍も時間をかけて住宅地の入口へとたどり着くが、どこの家の明かりも消えている。
どこかにまだ起きてる人はいないのか。目を凝らすが見当たらない。
女性を、しかも傷を負った人を連れたまま路上で一夜を過ごすのは避けたかった。自分だけならば特に気にすることもないのだが、これではそうもいかない。
しかし不安なのが受け入れてもらえるかどうかだった。
昼間、あれだけ人に逃げられたのに門前払いを喰らわないとはとても思えない。それについさっき新たに殺したばかりだ。服装の壮絶さは昼間より増しているはずである。こうして自分のスカートを見るだけでも、血の付いていない部分が見当たらないのだ。
そうしてしばらく彷徨っていると、一軒の店を見つけた。まだなにかしているのか明かりがついている。
文字を読むことができないせいで何の店かは理解ができなかったが、民家らしい建物と雰囲気が違うからおそらくそうだと見当をつける。
怖がられないだろうか。
扉を開けたあとに、逃げられないだろうか。
この女性を助けたのが自分でなければ、きっとちゃんと手当てをしてもらえるはずなのに、自分が助けてしまったばっかりにその確証が失われてしまっているのを申し訳なくなる。
しかし、やるしかない。
深呼吸をして、店の前に立つ。どうか肝の据わった、優しい人が出てきて。
「夜分遅くにすみません! お風呂を貸してもらえませんか!」
中まで届くように大きな声で、懇願する。
とにかく誰かに出てきて欲しい。この人を助けるために。
どんどんどん! と扉を殴る。このまま貫通したっていいくらい思いっきり、無視ができないくらい必死に。
「傷を負った女性がいるんです、開けてください! おねがい……!!」
「はぁーい、どなたー?」
ガチャリ、と重くドアノブが回され戸が開く。
背後の明かりに照らされ輝く金の髪に、思わず目を細める。部屋の明かりより、女性の髪のほうが輝いているように見える。
間延びした声で無用心にもあっさりと扉を開けた女性の顔は、逆光で見えない。しかしけして若くはなさそうだった。
「あら……」
「あ、あの……」
血まみれの少女とそれに支えられて茫然自失とした女性。明らかに異常であろう二人組に、叫ばれるのを覚悟する。
おねがい、扉を閉めないで。せめて、この人だけでも――――。
「入って。外、寒いでしょう」
扉が大きく開けられる。
今まで女性の影になっていた部屋の明かりが、ラディーヌたちを照らした。
驚きに目を丸くする。助けてくれるの? 本当に?
動かないラディーヌに、女性がやわらかく微笑む。太陽の光りを纏った髪が、さらに輝きを増した気がした。
「あ…………ありがとうございます――――!!」
+++
「どうぞ。とりあえずなにかお腹に入れるといいわ」
ことり、金の髪が美しい女性はラディーヌたちにお茶を出す。
年は四十歳前後といったところだろうか。きらきら輝く金の髪を一つに纏めて、穏やかで柔らかな微笑みを持って親切にしてくれた。
真っ先に襲われた女性を風呂に入らせ、次点でラディーヌも血を洗い流した。
血の匂いはまだまとわりついている気がするが、それでも爽快感が勝る。焼き切られた髪を下ろすと肩口ほどまで短くなっているのに改めて驚いた。腰まであった自慢の、兄のお気に入りの髪だったのに。これでは兄は残念がるだろうな、ともういない存在に想いをはせる。
「あ、ありがとうございます、なにからなにまで……。服まで貰っちゃって」
「いいのよ、娘のお古だし、ほとんど帰ってこないから。……あなたには、ちょっと大きかったみたいね」
「着替えをもらえただけで十分です。むしろ申し訳ないくらい」
二人は好意で新しく服をもらっていた。どちらもタターンの入った、この国独特の服のように思える。
胸が苦しく腰周りが緩い。長いスカートは少し引きずりそうなほどだ。しかし不便なほどではない。むしろ着れるだけありがたいくらいだ。
「それにしても、大変だったでしょうまだ若いのに……。あなたなんてまだ子供なのに、お姉さん守って偉いわね」
「あの、わたし大人です……。あと姉妹でもないし……」
「え、あ、ごめんなさい、つい……。そういえば、あまり似てもいないわね」
昔から幼く見られやすいラディーヌだったが、子供とまで言われるのは初めてだった。背も低いし童顔だが、これでも一応二十歳なのだが。
女性は謝りつつもあまり信じていない風である。少し目線を逸らせば、もうひとりの方おクスクス笑っている。目が会うと、ごめんと言うように手を立てる。
「……」
「ご、ごめんなさいね」
「いいです……もう……」
そんなに幼いだろうか。不満に口を尖らせる。
故郷ではそんなこと言われなかったのだが、全員知り合いだったから知っていただけで、本当はそう見られていたのかもしれない。
「あはは、ごめんね本当……かわいいわよ?」
「嬉しくない」
「むくれないでよ、子供っぽいわよ? ……でも、ありがとう。あなたがいなかったらどうなってたことか」
落ち着いてきたらしく、女が自然な笑みを浮かべる。
当然、あの惨事を振り切れているわけはないが、それでも自然に笑えるくらいに回復できたのなら、からかわれるのも悪くはない。
「いいのよ、体が動いただけだから。それより立ち直ってよかった。体の方は大丈夫?」
「ええ……」
複雑そうな顔で頷く。その顔色はけしてよくない。
「これから、わたしたちどうなるのかしら……」
不安気に女が呟く。きつく体を抱いて、再び俯く。
その言葉にラディーヌも思考を巡らす。
どう生活すればいいのか。大男の言っていたことのためになにをすればいいのか。
自分の身をどれだけ守れるか。どれだけ戦えるか。
ここから出るなら、王を討ち取ればいいのだろうか。国のしくみはよくわからないが、一人で相手ができるわけもない。
「まぁまぁ二人共。不安なのはわかるけど、落ち込むだけじゃなにもはじまらないわ。行くあてがないならうちで働いてくれてもいいし」
二人して黙り込んだところに女性が割り込む。
驚いて女性を見上げるが、彼女は優しく笑うばかり。
「そんな、ここまでしてもらってさらに仕事までもらうだなんて……そんなの悪いです」
「いいのよ、わたし一人で店をするのも寂しくってね~」
女の抗議をにこやかに受け流す。
なんて優しい人だろうか。どうして彼女は、ここまで二人によくしてくれるのだろう。
その暖かさに胸が熱くなるも、ラディーヌはそれを振り払う。
「ありがとうございます。でも、遠慮しておきます」
きっぱりと断る。やるべきことが決まった。
この女性の元で働けば、少なくとも生活には困らないだろう。しかし、そこまで求めることはできない。
なんとしてでも、この国を出る。あの大男に復讐をする。
そのためには、ここでゆっくりとしているわけにはいかない。
故郷に戻ったってなにもない。しかしこんなところで、自分の身を危険に晒しておくつもりもない。
仲間たちの仇を討って、外に出て、そのあとのことはそのときに考える。
「わたし、やることがあるんです。気持ちだけ受け取っておきます」
「……そう」
「やることってあなた、なにするの?」
「城に行きます。もう一度」
「また!?」
昼間とは違う理由。違う目的。
大男に顔を覚えられている可能性もあるが、暗やみだったからそれは少ないだろう。自分だって、ガラス玉のような目しか覚えていないのだ。
まして一緒にいた二人など、存在さえ忘れてしまいそうだった。
「……なにをするのかはわからないけど」
女性が口を開く。その穏やかな目は若葉の緑を称え、じっとラディーヌを見据える。
「自分を大事にしてね、お嬢ちゃん。いま、この国はとても危ないから」
「――――……はい」
そう言って優しくラディーヌに微笑む。
血濡れだったラディーヌと、ぐったりしていた女を見て、叫ぶどころかこれほど優しくしてくれた女性に、感謝をしてもし尽くせない。
このままここに残って、恩返しができないことを悔しく思う。
「あの、重ね重ね悪いんですけど」
「あら、なにかしら?」
「はさみ、借りれますか? 髪切りたくて」
「ああ……。なにがあったか知らないけれど、ぼろぼろだものね、毛先」
罪悪感に苛まれながらお願いする。
炎で焼き切られたまま整えられていない毛先は、髪の美しさに反してだらしない印象を受けた。
ずっと伸ばしていた髪だったが、ここまで短くなってしまったら、取り戻すにはかなりの時間がかかるはずだった。
どうせなら、一緒に故郷への未練も流してしまいたい。復讐をするのには、あまりに重たすぎるものだから。
「はさみね。いいわよ、切ってあげましょうか」
「え」
「ちょっと待っててね」
そう言うなり女性はタオルなどを持ってくる。
自分で切るつもりだったのになにもかもしてもらい、申し訳なくなる。
女にどうしよう、と目線を送るとやってもらったら? と笑顔で返された。
戸惑っているうちに髪を切る準備を済ませられ、首周りにタオルやつやつやした布などがぐるぐる巻かれて、首から上しか見えないような状況になる。息苦しい。
「あ、あの……!」
「ばっさり切っちゃう? それとも整えるだけ?」
「……。……ばっさり、お願いします……」
この人には勝てない。そう観念して身をゆだねた。
+++
ラディーヌが隣を通るたび、男たちがざわめく。
それを無視して、彫刻のようにそびえ立つ大男に向かって、しっかりと歩んでいく。
慣れない鎧は体が重く動きづらかったが、そんなことを気取らせないように大股で地を踏んだ。軽んじられたらそこで終わりなのだ。
「……お前か」
ラディーヌの存在に大男が気づくとこちらへ向き直る。
改めて向き合うと、眼前にへそがあるのではないかと言うほどに大きい。小さい頃に見た父はこれくらい大きかったかもしれない。
その存在感に圧巻されながら、ガラス玉のような目をしかと見る。
「本日よりラグダッド小隊へ配属されました、ラディーヌ・アディス二等兵であります!」