聖痕二話
春休み明け。クラス分けという大イベントが開催される。誰と同じクラスで、誰と違うクラスなのか。たった2クラスしかない小さな学校だとしても、そこの重要さは変わらない。
きゃあきゃあと騒ぐ生徒の中、クラス分けの掲示されている場所を見るのは大変だ。なんとか背伸びをして覗き込むと、わたしの名と、その下によく見知った名があるのに気づく。
「ユイーーーーーー! おんなじクラスだよーーっ!!」
「きゃああっ!?」
背後から突然抱きつかれて思わず悲鳴をあげる。すぐに腹に回されていた腕は離されて右隣に立つ。彼女と同じクラスになるのは今回で二度目だ。
「まったく……驚いたじゃないですか」
「えへ、ごめんね~。なんか同じクラスだってわかったら嬉しくなっちゃって!」
にっこりと笑うセナに少しげんなりとする。
でも、セナと同じクラスなのなら、今年も楽しくなりそうだ。
今年は誰が担任だろうねー、そうのんきに話しながら新しい教室へ向かう。あまり大きくない校舎だ、場所は今までと大して変わらない。
「そーだ、聞いた? 新しい子入るんだって」
「え、でも……最近聖痕のニュース、ありました?」
聖痕の子が現れたら必ずニュースになるはずだ。電波まではどこに送るとかは選べないから、テレビさえあればここでも外の情報は手に入る。
けれど最近、殺人を犯した子供に新たに聖痕が現れたという話は聞かない。
「んー。セナみたいに、小学校は通ってなかった子とかじゃない?」
「ああ……」
セナは小学生時からシスマにいるけれど、学校に通いだしたのは中学校から。一応小学校は義務教育だとしても、やはりそのあたりが選択自由なのはシスマの特徴だ。
まぁ、それならば納得がいく。
「もしくはマスコミが拾い損ねたとか!」
「殺人を隠蔽したうえでシスマに入るなんて聞いたことないですよ」
「えー、あるかもよー?」
聖痕の定義だって結構あやふやなのに、そうセナは主張する。たしかに、聖痕がどんな疵なのか、詳しくわかっていないけれど……。
そこまで考えて思考を止めた。深く考えても理解しきれないだけだ。なんにせよ、新たに蔑まれる子が増えたという話なのだから。
「おっす、今日からお前たちの担任になった杉崎勇平だ! よろしくな!」
男子からの歓喜の声があがる。一部ノリのいい女子からもだ。杉崎先生は去年教師になったばかりの、まだ20歳超えていない男性教師だった。それでも持ち前の明るい性格であっという間に生徒の人気を獲得した、頼れる人でもあった。……わたしは苦手だけれど。
「んで、新入りの紹介だ。崎守、入っていいぞ」
「あ、はい……っ」
焦ったような声が聞こえる。声からして女生徒だろう。
この年になって入ってくるのは珍しい。いないわけではないけれど、さすがにこの頃になるとだんだんと入って来る子は減っていくからだ。
慌てた様子で入ってきたのは赤いキャスケットを目深に被った少女だった。大きめの眼鏡が余計に垢抜けない感じを強調している。なんだか鈍くさそうだ。
学校に制服はない。聖痕を隠すために色々つける生徒がいるからだ。マフラーだとか、手袋だとか。彼女の帽子は、きっと聖痕が額にでもあるのだろう。
先生が黒板に彼女の名を綴る。
――――崎守愛。
「じゃ、崎守。自己紹介頼む」
「は、はい。崎守愛です。愛って書いてマナって読みます。出身は東京です。よ……よろしくお願いします!」
緊張からかやたらと早口でまくしたててお辞儀をする。勢いで帽子が落ちそうになって抑えると今度は眼鏡がずり落ちた。なんというか、ドジそうな子だ。
どこまでも普通の子。本当に人を殺したのかと疑いたくなるほど。
ここはそんな子供の集まりだ。
「ほらほらユイも話しかけに行こっ!」
「え、あの……わたしは」
セナに連れられて崎守さんの周りの群れに飛び込む。彼女の周りにいるのは女生徒ばかりだが、男子生徒もどこか興味ありげに遠巻きから見ていた。
「東京って言ってたよね、どのあたりー?」
「千代田区だよ~」
「えーっ、ってことはマナちゃんもしかしてお嬢様!?」
「そんなことないよ~っ、別に普通だってー」
女子たちの楽しそうに話している姿は、けして人を殺したことのある人間の表情とは思えず。
「やっ! セナは涼風せな! で、こっちが親友の天野由井ねー。よろしく!」
「……よろしくおねがいします」
セナが無理やり群れに割り込んで崎守さんの眼前へ行く。腕を引かれていたわたしも、当然巻き添えだ。そしてそんなセナの態度に文句を言うのは当たり前で。
「ちょっとセナ~、割り込まないでよね~」
「だってこうでもしないと話せないでしょ~?」
「つかセナ、お前ちょっとくらい順番ってのを考えろよ。放課後でもいつでも話せるだろうが」
「なんで若林が割り込んでくんの!? あんたさっきまで向こういたじゃない!」
「お前がまた馬鹿なことしてるから馬鹿にしに来たに決まってるだろーが!」
「馬鹿って言い過ぎ! むっかつくー!!」
ぎゃんぎゃんとセナと若林の口論が始まる。周りはまた始まったよ、とクスクスと笑っている。聞けば、去年から二人はこんな調子らしい。わたしは去年は違うクラスだったからその辺の事情はよくわからなかったが、とりあえず若林がセナに対してなんらかの感情を持っていることは伺えた。でなければわざわざ冷かしに来ることもあるまい。
セナたちの騒ぎですっかり置いてけぼりになったわたしは、居心地悪く席に戻ろうとする。なんとなく崎守さんのほうに目をやると、目が合った。
へら、と戸惑ったような笑顔をこちらに差し向ける。
「……なんか、みんな普通の子だね。びっくりしちゃった」
声をかけられては無視するわけにもいかず、仕方なく応じる。
初めてここに来た人はみんな驚く。それは年が大きい人ほど強いようで。
わたしが初めて来たときはどんなだったか、と思い返してみてもあまりに昔すぎてよく覚えてはいなかった。
「そうですね。たしかに殺人者の集まりですが、狂った人がいるわけではないですから」
「そっか……。でも、こんなに沢山、子供の殺人者って出るもの……なんだね……」
「・・・ほとんどの人は不可抗力ですよ」
「それは、あなたも?」
「ええ、……そうですよ」
殺さなければ生きてはいけなかった。殺していなければあのまま廃人となっていた。辛かった、怖かった。そう言う人を何度か見てきた。殺されないまでも、傷つけられていただろう、そう言う人を。抵抗していたら死んでいたと。そう、言っていた人を。
誰だって、殺すのは嫌だ。
「ね、教えてくれない……かな。その時のこと」
「初対面の相手に聞くべき話ではないと思いますよ。失礼です」
少しキツい言い方になってしまったが、普通そういうのは相手が話すのを待つべきではないだろうか。それに大して仲のよくない人間に話す内容なわけもない。
そう言うと彼女はごめん、とあきらかに悲しい表情を作るから、なんだかこっちが悪い気分になってくる。まるで雨に濡れた犬を放置しているかのような。
思わず謝ろうとすると、
ぐしゃっ、
と、音がした。なにかが潰れる音。同時に水が振りまかれたような音が聞こえて、一拍遅れて悲鳴があがる。
むわ、と広がる血の臭いに嫌な予感がして音の方に振り向けば、そこには首をもがれたクラスメイトと、正気を失った表情でクラスメイトの頭部を握り締めている少年がいた。獣のような呻き声を漏らしながら、手近な人間の首をもごうと手を伸ばす。
どうやら、クラスメイトの一人が『狂暴化』したようだった。
「な、なに……?」
怯えながら席をたち、わたしの背に隠れる崎守さん。
教室の中心にはもはや数人のクラスメイトの死体があった。どれも狂暴化した生徒と仲のよかった人たちだ。可哀想に。だが独りで逝くわけでもないし一瞬の出来事だっただろう。
「……っはあああああああああああっ!!!」
また別の生徒に手を伸ばそうとしていた腕を叩ききり、斧を腹に切り込みに行ったのはセナだった。
「ひぃっ…………」
その惨劇を見るのは忍びなくて、わたしも一瞬目を閉じた。
どすっ
次に目を開いたときに目の前に広がっていたのは、頭のもがれた少年数人の死体と、セナによって腹を裂かれた少年の死体だった。セナが斧を引き抜けばびちゃ、とまた血があふれ、傷口からはちらちらと内臓が伺えた。
「な…………なにが…………」
「狂暴化したんです。ああなると殺すしかなくて」
狂暴化。それはわたしたち聖痕保持者の末路の一つだ。
なれば最後、怪人のように人を殺し回るだけ。普通人間が制御している力の枷も外れるから、武器もなく人を殺せる。肉を裂き骨を断ち血をすする、怪物に成り下がった者を救うには、確認次第殺すしか術はない。
――――全ては、自分たちの身を守るため。
崎守さんのように人の死に慣れていない者や、未だに血などが苦手な人間は怯え、目を逸らしている。中には気分を悪くしたのかトイレに走っていた人もいる。
セナのように慣れている者たちは、嫌そうな顔をしながら当たり前のように片付けをしはじめた。顔色がいい人間などいはしない。
先ほどセナと口論をしていた若林は的確に指示を出して片付けを仕切っていた。
「こんなこと、よくあるの……?」
「たまにですけど、ありますよ。狂暴化すること自体はあまり珍しくないですし」
そのときに備えて街のあちこちに武器が仕込んであるほどなのだから。狂暴化はシスマの嫌な歴史の一つだった。
「あー、斧おっもーい! 血なまぐさいし、つか新学期そうそう狂暴化するとかマジないんだけど。空気読めって感じー?」
人を殺したというのになんでもないようにセナは愚痴る。血が服についたから着替えたいだの、臭いなかなか落ちないから嫌だの、理不尽に友達に当たっていた。
それでもこういうときにいち早く反応するのはセナなのだ。どこから持ってきたのかすぐに斧を取り出してあっという間に四肢を叩ききってしまう。殺すことに躊躇いがないのは、慣れだろうか。
「……すごいこと言ってる……」
あまりにも普段通りのセナに彼女は唖然としていた。まぁ、誰だってそうだろう。殺したあととは思えないほどあっさりしていれば。
「……片付けは他の人に任せて、校舎を案内しましょうか」
「……えっ?」
突然思いっきり関係のないことを言われてきょとんとした崎守さんの腕を掴んで教室の出口に向かって歩いていく。
「あまりここにいたくはないでしょう?」
そしてあなたを口実に、わたしも早くここから離れたいのです。
小さく呟いたその言葉に彼女が気づいたかどうかは定かじゃない。